春合宿に引き続き山行記録をつけました。
同様に、写真はありません
湖西線北小松駅は新幹線が発着しても様になる立派な駅である。駅員はいなくて、出入り自由の集改札口を出ると、目の前に閑散とした風景が広がる。すこしばかりあっけに取られた。
陽梅の滝が見える涼峠までは明るい林の中にしっかりした道がついている。天気がいいので、琵琶湖や遠くに鈴鹿の山並みが見えた。涼峠まで登ると、そこから寒風峠までは傾斜のゆるい広い湿地帯で、所々に蛙の卵が産み落とされていた。寒風峠は対面側が少し開けているだけで、眺めはそれほど良くない。
左右から覆い被さる薮をかき分けて、ヤケオ山にたどり着く。眺めは良くて、ヤケ岳、シャカ岳がごく近くに見える。ヤケ岳の登りはわりあい急だった。旧人練成が最初の山行になった折原がここの登りでバテたので、頂上まで行かずにこの登り途中で昼食をとることになった。
シャカ岳まで薮が続く。頂上は広く開けていたが、霞がかかってそう遠くまでは見えなかった。今日の最高峰という高度感もない。ただもう登らなくてよいと思うとほっとした。
カラ岳には関電の無線中継所があって、遠くから目立つアンテナがある。そこから比良ロッジまで立派な道がついていて、山を歩く感じには程遠い。
比良ロッジにはロープウェイの駅があって、そこから張り出したワイヤーの下を潜るように道が続いていた。行楽日には人だかりになりそうなこの付近も、今日ばかりはさすがにひっそりしている。
それからは左に琵琶湖を見下ろす展望の良い尾根伝い。左側の斜面は所々ガレていて、切り立った断崖の所もある。ほとんど下りなのに、今までの疲れが出てきたのか、楽な感じはしない。
金糞峠で少し休んでからすぐ下のサイト地に行く。
薄曇の空で夜明け。心配していた天気もどうやら今一日はもちそうな気配である。
居心地のよかったサイト地を後にする。沢の水がちょろちょろ流れるミキトウゲ谷を遡っていく。しばらくして道は沢沿いを離れ勾配を急にする。目の前の新緑の山稜が朝日に映える。
中峠に着く。ここからワサビ峠、武奈ヶ岳西南稜が見え、小さな雪田もあった。中峠からワサビ峠、登り返しがつらい。ワサビ峠から振り返ると中峠がやや遠のいて見える。
重いザックを下ろして武奈ヶ岳ピストンに出発する。井本さんのお気に入りのこのコースは潅木から笹道となり西の北山側の展望がよい。下から吹き上げる涼しい風を受けて、快い展望歩きができた。
頂上は岩肌がゴツゴツした感じで、まわりに遮るものがない大展望が楽しめる。比良連峰越しに琵琶湖が、その遠方に鈴鹿連峰が望めるはずであるが、今日は霞がかかり朝日にまばゆく輝くばかりで何も見えなかった。
近くに昨日縦走した山稜が、南には高原のような蓬莱山も見える。山頂でしばらくのんびりしてから来た道を戻り、ザックを担いで御殿山コースを下る。安曇川を隔てて対岸に見える山と高さを見比べると、なんと長い高度差の大きい、単調な道なのだろうと思った。
ようやく渓流の音が聞こえるようになってからも、ずいぶん歩いたようだ。下りきったところが坊村で、中村まで車道を行く。
中村から伊賀谷の林道に入る。八丁平へは以前訪れたことがあるが、その時は左俣を遡行した。右俣はしっかりした道がついているので、迷うこともない。先行したハイカー風の一行は左俣に入っていった。(たぶん夕暮れ頃に着くだろうと予想していたら、案の定、日が暮れるころにぞろぞろやってきた。)
八丁平には先にメッチェンパーティーがテントを張っていた。その横に幕営する。それから峰床山へピストンに出る。峰床山からは前にも見た展望。ただ、遠くに見える武奈ヶ岳や明日の皆子山をはるか望むと疲れを覚えた。
夕食時にメッチェンパーティーの松井さんが一人後から到着した。それから近沢さんのパーティーが道に迷い八丁平へやってきて幕営した。先ほどのハイカー一行もやってきて新心荘に入った。夜は10時ごろまで騒いでいたので、こちらは寝つけなかった。
なんとなくどんより曇った夜明けだった。八丁平を後にして笹をかき分けながらフノ坂を行くと、しばらくして急に前方が開ける。そこから下りで、まもなく谷沿いの杉木立の中を進むようになり、それを抜けると広い林道に出る。二ノ谷で渓流釣りの人がいた。付近に乗用車が駐車されていた。
やがて橋に出合うが芦火谷へはこの橋を渡らず、その手前から谷に入る。はじめのうちは道らしいものがあったが、2〜3度渡渉を繰り返すうちに踏み後程度になり、谷の様相が険しくなるにつれ、それもほとんど目立たなくなり消え去った。
少し広いところへ出る。ここから先はこのパーティーの誰も行ったことのない所である。
ちょっとした落差をもつ滝がいくつか現れ、沢沿いを少し離れて、山の斜面の木につかまりながら進む。キスリングではどうも動きにくい。休みのとれそうな所もない。なんとか前進しようとする意思だけで、だらだら行くしかなかった。
谷が広くなり再び沢沿いに進めるようになると、標識も道も現れて、ツボクリ谷出合いまでは早かった。丸木橋が架かっていて、少し怖かったがそれから先は楽なコースであった。
しばらくはゆるい沢沿いの道も山稜に近づくにつれ傾斜が急になり、最後は笹の繁茂した中を這うようにして登りきった。皆子山のピークである。比良の蓬莱山あたりは良く見えた。
昼食にする。ここもブヨが飛び回っていた。これで旧人練成も峠を越したと伊藤さんが言った。思えばずいぶん気の疲れるコースだった。後続のメッチェンパーティーは、はたしてここまでたどりつけるだろうか。
皆子山を下る。安曇川源流沿いの林道で第2パーティーとすれ違う。これからあの皆子山だ。その後に芦火谷がひかえているのに、まだこんな所に・・・。それに、いつもにぎやかな久野が、かなりまいっている様だった。
対岸のミタニ峠へはこの川を渡るのだが、ここには平均台のような木材が橋の代わりに架かっていた。落ちると大変なので、あえてこの上を渡らなかったが、第6パーティーのSL菊地さんはすいすい渡ったそうである。
ミタニ峠に着く。急げば(12時15分の)バスに間に合いそうであったが、1台見送るつもりでここで大休止した。
ここにはブヨの代わりに蜜蜂が飛び回っていた。地図を広げて置くと、その上に何匹かがとまってきてじっとしている。自衛隊の野戦演習の配置図のようだと南が言った。それを勝村さんが一服つけたタバコの火でそこらじゅう蜂を退治していった。蜂の師団はこれにより壊滅したが、新手が現れぬうちにミタニ峠を出発する。
みさやま山岳会小屋を過ぎると、程なく林道に出て、途中親子連れハイカーに出会い、なんなく三谷口に着いた。小出口までロードであるが、道の選択を誤って、気づいたときは次の新田まで来ていた。
京阪三条で打ち上げ、解散。雨は夜になってやっと降り始めた。