沼 に 定 住 す る 白 鳥 - コブハクチョウ
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< 2008年 9-12月 >
勢力範囲に大異変、5羽親子の運命は
5羽親子に悲劇。母親を病気で亡くし、勢力範囲は大きく変わります。(08/9-11月)
<5羽親子> メス親は体調異変により保護されましたが、二度と戻ることができませんでした。
08.9.9 船着場を拠点に、いつもの通り一緒です。     
08.9.14 メス親(写真左)は元気がなくなり、家族一緒の行動から離れることが多くなりました。 
08.9.24 オス親と3羽の子供は母親抜きで散歩。母親は元気なく、食事もとれなくなりました。
08.9.24 嘴が開いたままになり、相手のオス親から追われるシーンも見られるようになりました。
     この後、衰弱が激しくなり市役所に保護されましたが、まもなく亡くなったとのことです。
 
<勢力図の大変化> メス親を欠いた親子はにわかに戦意を失い、縄張り拠点を西側に追われました。
08.9.30
いつの間にか、あの4羽親子が船着場に陣取っていました。 こちらは母親を欠いた親子。西側の築島で休んでます。(沼の水位が下がり顔を出した小島)
08.10.7
沼東から弁天島周辺を拠点にしていた4羽親子は今や船着場も縄張りに。 母を亡くした親子は、船着場西に追われ築島で餌を貰います。
親子は餌を食べていますが、写真上方の2つの点(4羽親子)がこちらに気づき ―――

兄弟は、親と同じ威嚇ポーズで迫ってきてます。
親子は気づいて逃げます。オス親(写真右上)は真っ先に西桟橋の方へ逃げてます。 4羽親子のボス親(写真右)は、さらに子供に代わって追い討ちをかけます。
4羽親子は、さらに西側の築島まで縄張りを拡げ、
ますます勢いを増しています。
母親を失くした親子はますます追いやられ、西桟橋の奥の方に逃れています。
<余裕の4羽親子>  縄張りを拡げ、すっかり船着場の主になりました。
08.11.7 幼鳥は一段と大きく、色も薄くなり、
     わずかに白い羽も混じってきました。
08.12.20 餌をねだります。
一人ぼっちの運命は それぞれマイペースで過ごしていた2羽も、沼の減水期に入り異変が発生した。
08.10.2 08.10.15
   天沼のハクチョウ。天沼が干上がり、船着場に上がって来ました。(この4月ここで無精卵を産卵しました)
   船着場の周りは2組の家族に占領され、沼に入れず体調は次第に衰弱していきました。
   市に保護され、その後、城沼に移され元気にしているとのことです。
      
08.10.2-4 もう1羽の「首曲り」ハクチョウは特に変化なし。
      いつものようにたった1羽で、美術館裏までの多々良川下流を拠点に悠々自適。 
母親を亡くした親子は元気を取り戻し、新たな小競り合いが・・・
08.10.15 08.10.20
母親を亡くした親子は、勢力範囲を船着場の浮き桟橋の西側半分まで取り戻し、
元気な姿が戻ってきました。
08.10.21
4羽親子の母と子が縄張りに入ってくると、元気になったの父親が怒り、追い払います。
すると今度は、4羽親子の父親(ボス)が出てきて、浮き桟橋を挟んで、にらみ合います。
  しばらくして、4羽親子のボス親が攻勢に転じ、
  母を亡くした親子の父親は真っ先に逃げ出します。
4羽親子のボスはどこまでも追いかけます。
母を亡くした親子にさらなる試練、家族崩壊と兄弟に新たな悲劇 (08/11-12月)
<その後、父親は・・・>
08.11.7 08.11.24
          連れ合いを亡くした父親は子供達から離れ、隣の中野沼に単独で移ってしまいました。
          12月に入っても、1羽で過ごしていました。 
<子供たちの行方は> 子供たちは親に見放され、「グレー羽」の子は怪我をして、その後亡くなりました。
08.11.24
西側の築島周辺も4羽親子が占領。 3羽の子供たちは4羽親子のボスに 追われます。
 父親にも見放された子供たちは、4羽親子のボスに追われ、沼の西奥、上流へ逃れました。その後、
 しばらく姿を見せなくなりましたが、「グレー羽」の子が大怪我をして邑楽町で拾われて市に保護され、怪我を
 治療して茂林寺沼へ放されました。しかしながら、残念にも12月23日、帰らぬ姿で見つかったとのことです。
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