深谷城(2)建物

深谷城

「深谷古城図」(武蔵誌)から

 「深谷古城図」には櫓が三ケ所、神社が三ケ所(智形、八幡、弁天)描かれている。
 また南側に大手が、北側に搦手が記されている。

炭化した穀物

 北の堀跡から炭化した穀物が大量に出土した、焼けた壁土の様な物も出土しており、食料を貯蔵した蔵が火災で焼けたのではないかと推定されている。

庭石、鉄滓

 秋元越中曲輪と推定される曲輪の井戸跡から庭石が出土した。 池を配置した庭園が想像される。
 この曲輪では、るつぼや鉄滓が出土しており、城内で武具などを製造する鍛冶が行われていたと思われる。

土壌分析

 南東の堀跡の土壌分析により、樹木の花粉が検出されている。
 堀の水位は低く湿地または沼地の様態をしていたと推定され、ヨシなどが茂っていたと思われる。

深谷城深谷城

 発掘調査では井戸跡や掘立柱跡が多数発掘されているが深谷城の時代であると推定される遺構は多くない。

 全くの想像で確たる根拠も無いが建物を配置してみた。
 築城当時はこんな大規模な城ではなく徐々に拡大されたと思われる。 曲輪を拡張する際に埋め戻しされた堀跡も発掘されており、改築していたことを窺わせる。