「深谷古城図」(武蔵誌)から
「深谷古城図」には櫓が三ケ所、神社が三ケ所(智形、八幡、弁天)描かれている。
また南側に大手が、北側に搦手が記されている。
炭化した穀物
北の堀跡から炭化した穀物が大量に出土した、焼けた壁土の様な物も出土しており、食料を貯蔵した蔵が火災で焼けたのではないかと推定されている。
庭石、鉄滓
秋元越中曲輪と推定される曲輪の井戸跡から庭石が出土した。 池を配置した庭園が想像される。
この曲輪では、るつぼや鉄滓が出土しており、城内で武具などを製造する鍛冶が行われていたと思われる。
土壌分析
南東の堀跡の土壌分析により、樹木の花粉が検出されている。
堀の水位は低く湿地または沼地の様態をしていたと推定され、ヨシなどが茂っていたと思われる。