ちょっとだけ浮世離れしたお祭り

 

ペトロ 晴佐久 昌英

いよいよお祭りの季節です。
これを書いている今日、5月19日土曜日は、浅草三社祭が開かれています。
明日の日曜日の宮入に向けて、浅草界隈は大変な盛り上がりを見せることでしょう。
さらに、浅草教会の近くでは、鳥越神社の例大祭が6月8、9、10日に、上野教会の近くでは、入谷の朝顔まつり(朝顔市)が7月6、7、8日に行われます。
下町の人たちは、みんなお祭りが大好き。
この時期になると、街が浮足立ってくるのを肌で感じます。
今朝も外が騒がしいと思ったら、教会の向かいの町内会館で、鳥越祭りに向けての出陣式のような町内会の集会が開かれていて、教会の真ん前には、寄付者の名前を掲げる巨大な掲示板がしつらえられていました。
そこには、「当然」というべきか、「驚くべきことに」というべきか、寄付者として「カトリック浅草教会」という札も掲げられるのですが。
それどころか、今年はなんと、お祭りの魂ともいうべき「火入れ式」が、浅草教会で行われるのです。
これは、オリンピックで言えば聖歌の点火式みたいなもので、日曜日の宵の宮入では、教会でその火入れ式をした後、氏子衆が火入れをした百数十の高張提灯を掲げ、都内最大と言われる千貫神輿と共に神社へ帰っていくのです。
神社のお祭りのクライマックスをキリスト教の教会で行うことが、「驚くべきこと」ではなく、むしろ「当然のこと」だとさえいえるのは、普遍主義を掲げるキリスト教の誇りです。
入谷の朝顔まつりは毎年同じ日程で行われるのですが、今年はちょうど週末の金、土、日曜日と重なるため、いつにもまして多くの人出が予想されます。
その三日間とも、上野教会では福音家族の集会がありますので、みんなで繰り出す予定です。
様々な品種の朝顔を愛でたり、屋台のB級グルメを食べ歩いたり、なんといっても、大勢の人が笑顔で集う中を、ビール片手にそぞろ歩きしていると、なんとも幸いな気持ちになります。
わがカトリック教会も、クリスマスやイースターをはじめ、「お祭り」を大切にする宗教のはずですが、近ごろは人手不足のせいか、工夫が足りないせいか、典礼にしてもお祝い会にしても、お祭りの一体感や高揚感が薄れてきているような気もします。
もちろん、ぜいたくなことをする必要はありませんし、身の丈に合った素朴なお祭りでいいのですが、そこはやはり「お祭り」ですから、なんだかワクワクして、みんなが心をひとつにできる、ちょっとだけ浮世離れしたお祭りをちゃんとやりませんか。
お祭りには、人を幸せにする不思議な力がありますし、なんと言ってもやっぱり、お祭りには人が集まりますから

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