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26-1:掛川


東海道を歩く (26-1:掛川宿・掛川城) ---



(写真は掛川城)

朝8時半に掛川駅前の宿を出て、近くの掛川城へ向かいます。



掛川城は9時開場でした。

お城の周りを掃除しているおじさんとの挨拶話で、”9時まで入れませんね”、と言うと 、
”電車の時間があるので、早く入れて下さい、と言って入れてもらいなさい”、
とアドバイスしてくれました。

地方の人は、親切で、融通がきいてやさしい〜!

掛川城は、山内一豊が整備したお城です。

400円を払って入場します。

掛川城は小さなお城ですが、江戸時代と同じ工法で、木で復元されており、非常に雰囲気のある
お城です。

掛川市民の寄付などで、平成6年に復元されたそうです。

つい最近なんだ!



天守閣の中には、復元工事の様子が展示されており、お城復元にかける掛川市民の熱い想いが
伝わってきます。



また、映画のポスターも展示してあります。 

この掛川城は、写真の蒼井優主演の「雷桜(らいおう)」や



写真の東山紀之主演の「小川の辺(ほとり)」等の撮影の現場になったみたいです。




なるほど!

江戸時代のままに復元されていますから撮影は楽ですね。



天守閣に登る階段は非常に急です。
急というより直角で怖いくらいです。

天守閣の隣の二の丸御殿も、完全に復元されて、当時の雰囲気のままで見ごたえがあります。


冒頭の写真は、二の丸御殿の庭から望む掛川城の天守閣です。

お城から出て、周りの商店街を散策します。

旧東海道に沿った商店街に、あの有名な「山内一豊とその妻」の大きなレリーフの壁を見つけ
ました!

山内一豊の妻・千代は、貧しい家計の中から、夫のために名馬を買い、これが信長に認められて
出世した、という話が有名です。


観光案内所の壁が山内一豊のレリーフなのかな?、と思って近づいてみると、

何と!

清水銀行の掛川支店でした!




掛川城の復元に合わせて、お城の周りの商店や飲食店等が、城下町の民家風に造り変えられて
います。


清水銀行もその一環みたいで、江戸時代の両替商の看板が掲げられ、格子窓、入口等も、
かなり凝った本格的な和風の造りの銀行の支店です。


掛川は、新幹線で掛川駅に下車する機会があれば、お薦めの立ち寄り場所です。

掛川城は駅から近いですし、掛川は綺麗な町で、上記の城下町風の商店街の散策も楽しいです。


掛川駅前の旧東海道の商店街を抜けて、次の袋井宿を目指します。

バスで行く東海道「第6回-3」(掛川宿〜舞阪宿) 2012.9.16

「26:掛川宿」



浮世絵は、掛川宿周辺で、二瀬川と秋葉山です。

橋の上で、旅人が僧侶に深々と頭を下げています。

・掛川城

天守閣、御殿、それに立派な大手門が復元されています。

(天守閣と御殿:320円)





天守閣からは、音楽施設やホレルが点在する「ヤマハリゾート つま恋」の森が近くに
見おろせます。



御殿では、殿様への謁見の手順を、何故か忍者が説明してくれます。



御殿の廊下と庭は、時代劇の御前試合の撮影場面として使われたそうです。



掛川城は、山之一豊が整備した城ですが、城が完成すると直ぐに東軍だった山内一豊は、
土佐藩主に栄転になります。

 前の土佐藩主は、西軍だった長宗我部で、その家臣はそのまま山内家の家臣になります。

しかし、掛川から来た山内家の家臣は上士、もともとの土佐の長宗我部の家臣は下士となり、
厳しい上下の身分差別が生まれます。

 この差別と対立が、幕末に活躍した坂本龍馬などの脱藩の伏線となります。

 そうか!

 NHK大河ドラマ「龍馬がゆく」の上士と下士の身分差別には、そういう歴史があったんだ!




電車で行く東海道 (26:掛川 : 三度「掛川宿」を歩く) 2016.1.4



(写真は掛川城の天守閣)

青春18切符(有効期間:12/10〜1/10)を使って、3度目の「舞阪宿」を歩いた帰り道です。

JR東海道線の弁天島駅から乗り、掛川駅で途中下車して「掛川宿」を歩きます。



掛川宿を歩くのは、3度目ですが、”気に入った所は何度も歩く”は、私の街道歩きのポリシー
でもあります。

掛川駅は、新幹線の駅の中で、唯一の”木造”家屋駅舎です。



掛川駅前の道を真っ直ぐに進むと、直ぐに掛川城です。

掛川城は、天守閣、御殿、それに立派な大手門が復元されています。(天守閣と御殿:410円)



掛川城は、「山内一豊」と”内助の功”で知られるその妻「千代」ゆかりの城として有名です。


山内一豊の妻・千代は、貧しい家計の中から、夫のために名馬を買い、これが信長に
認められて出世して、最終的には、土佐一国の領主にまで上り詰めます。

1590年豊臣秀吉は、掛川城の城主に山内一豊を配しました。

城主の山内一豊は、城の拡張や城下の整備を行うと共に掛川城に初めて天守閣をつくりました。

そして江戸時代に入ると、山内一豊のあとは、徳川親藩の松平氏や、江戸城を築いた太田道灌
の子孫の太田氏などが城主を勤め、明治維新を迎えます。

掛川城は小さなお城ですが、江戸時代と同じ工法で、木で復元されており、非常に雰囲気のある
お城です。



上の写真は、天守閣の前にある「霧噴き井戸」です。

1568年、徳川家康が掛川城を攻めたときに、この井戸から立ち込めた霧が城を包み、家康の
攻撃から城を守ったそうです。



上の写真は、本丸を囲む「十露盤(そろばん)堀」です。





(天守閣の唐破風と火燈窓)
「天守閣」に登る階段は非常に狭くて急です。





(石落し)



(武者隠し)



(天守閣からの眺め)

下の写真の天守閣の隣にある「二の丸御殿」(国重要文化財)も、完全に復元されて、
当時の雰囲気のままで見ごたえがあります。













二の丸御殿の廊下と庭は、時代劇の御前試合等の撮影の現場になりました。











(紙人形の大名行列)

城内の「二の丸茶室」は、伝統的な数寄屋造りの建物で、日本庭園を眺めながら、
10畳の広間でゆったりとお茶を楽しめます。
(510円:抹茶サービスを含む)











ここの茶室では、郷田王将に羽生名人が挑戦する「王将戦」が今月10日に始まりました。

お城の前の広場では、消防の出初式をやっていました。



お城を出て、掛川の町を散策します。



掛川の町は、掛川城の復元に合わせて、お城の周りの商店や飲食店等が、下の写真の
掛川信金の様に、城下町の建物風に造り変えられています。



掛川信金の交差点の奥には大手門と番屋が復元されています。





掛川宿の東端へ向い、「掛川宿の七曲り」を歩いてみます。



(七曲りのスタート地点)



(七曲りの解説板の前の枡形)

静岡と言えば、やはり”鰻”!
掛川宿の七曲りの最後の曲がり角の「うなぎ大和田」に入ります。

「うなぎ大和田」で、昼食に続いて夕食でも「うな重」の贅沢を!





昼飯と夕食のうな重に大満足して、JR掛川駅から、再び東海道線に乗り、青春18切符で
横浜へ帰りました。

 26-2:原川

     
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