(写真は、大石田の舟番屋跡)
前回は、JR大石田駅前からタクシーに乗り、「尾花沢」の「芭蕉・清風歴史資料館」と「養泉寺」を見学しました。
今回は、この尾花沢からタクシーに乗り、JR大石田駅前に戻ります。
(JR大石田駅)
「大石田」は、江戸時代、最上川の舟運の最大の中継地で、大量の紅花が集荷され、日本海側の酒田へ下り、更に、海路を上方や江戸へ運ばれ大いに繁栄しました。
川船の発着所(河港)として栄えた「大石田」には、「川船役所」(船番所)が置かれました。
一方、上方や江戸からは、最先端の文化がもたらされていました。
しかし、 明治時代になると、蒸気機関車の発達により、最上川の舟運の歴史は幕を閉じました。
「芭蕉」は、「大石田」で「最上川下り」の乗船をしようとしますが、最上川の増水のため、大石田で水位が下がるのを待つことになりました。
この間に、大石田の俳人達から、俳諧の指導を熱心に請われ、船問屋の「高野平右衛門」(俳号:「一栄」)宅に3泊します。
最上川の思わぬ増水により、「高野一栄」らに俳諧指導をすることとなり、一栄らと4人で、俳諧連句の会を催します。
そのとき、この4人で各々9句ずつで詠んだ合計36句を、「さみだれを」と題して自筆して彼らに与えています。
「さみだれを」の様に、芭蕉自身が、一つの作品として、直筆の歌集を門人に与えるというのは珍しいケースです。
芭蕉は、その「さみだれを」の中で、「五月雨を(さみだれを) 集めて涼し 最上川」と詠んでいます。
その後、この句は、実際に最上川を舟で下った後に、我々のよく知る「五月雨を 集めて早し 最上川」の名句に修正されました。
芭蕉は、最上川の凄い水量を実感して、「涼し」を「早し」に修正したのでしょうね。
JR大石田駅前でタクシーを降り、駅前のメインストリートを、最上川へ向かって、ぶらぶらと散策します。
駅から徒歩15分くらいで、写真の「川舟役所跡大門」(最上川船役所跡)に着きました。
大石田の中心街を流れる最上川沿いには、江戸時代に使用された幕府の「船役所跡」が残されており、その石垣に、当時の栄華の面影が残されています。
現在は、当時の船役所の大門や塀蔵が再現されていました。