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バスで行く「奥の細道」(その14) ( 「松島:瑞巌寺」) (宮城県 )




(写真は、瑞巌寺の庫裡)   

前回の「塩釜神社」に続き、今回は「瑞巌寺」です。

松島〜の サァヨー〜  瑞厳寺ほどの〜 寺もない とエー〜

あれはエー〜  エイトソーリャ〜   大漁だエー〜

(ここの村は 松島の瑞厳寺ほどの 立派な寺もない小さな村だけど 今日も魚がいっぱい獲れたよ)

この歌は、松島湾一帯に伝わる民謡で、カツオ漁の大漁祝い唄として歌われた「斎太郎節
(さいたらぶし)」です。



「瑞巖寺(ずいがんじ)」は、鎌倉時代に、法身(ほっしん:真壁平四郎)禅師が、臨済宗円福寺として
開山しましたが、その後、伊達政宗が、現在に残る大伽藍を完成させて、伊達家の菩提寺としました。






我々のバス旅行は、松島の五大堂の近くの観光桟橋の前でバスを下りて「瑞巖寺」へ向います。



瑞巖寺の総門をくくると、厳粛な雰囲気の杉の巨木がそびえる参道が続きます。







参道の奥には、仏像の彫刻で埋められた洞窟遺跡群と西国三十三観音が並んでいます。





中門を通り、本堂(方丈)に入ると、下の写真の絢爛豪華な障壁画が見られます。

(撮影禁止のため境内展示のパネル写真から)



この障壁画は、1622年、狩野派・長谷川派の有数の絵師によって、211面にわたって画かれたもの
です。



芭蕉は、この障壁画を60〜70年後に見て、「奥の細道」の中で、”七堂甍改りて、金壁荘厳光を輝し、佛土成就の大伽藍とはなれりける。"と、絶賛しています。

(七つの堂の建物が立派に改築され、金色の壁や仏前の飾りが光り輝き、仏の住む世界をこの世に実現する大寺院となったのである。)



当時の障壁画は、360年の歳月を経て劣化が著しくなったため、昭和60年から10年間にわたり、
保存修理と模写作業が行われました。

そして、実物は宝物館に収蔵されたため、現在、我々が見学出来るのは、芭蕉が当時見たのと
同じ色彩に復元模写された襖絵です。




(鷹の間:境内展示のパネル写真から)


本堂には、藩主が出入した上の写真中央の御成玄関(国宝)があります。

御成玄関には、左甚五郎の作といわれる欄間彫刻があります。(撮影禁止)



上下の写真は、「庫裡(くり)」と呼ばれる禅宗寺院の台所ですが、このため大屋根の上に更に
煙り出しが乗っています。






(中門)

1609年に完成した下の写真の本堂は、熊野から運ばれた檜・杉・欅で、京都の大工衆が腕を競ったそうです。



(本堂:瑞巖寺のパンフレットから)



(上段の間:境内展示のパネル写真から)



(室中孔雀の間:境内展示のパネル写真から)




瑞巖寺の隣の下の写真の円通院は、19才の若さで亡くなった伊達政宗の孫の光宗を祀ったという
寺です。




(赤丸印が瑞巖寺)