(写真は、松島湾内クルーズの船窓から)
前回の「瑞巌寺」に続き、今回は「松島」です。
”松島や ああ松島や 松島や”
よく耳にするこの句は、実は、芭蕉の句ではありません!
この句は、芭蕉よりずっと後の江戸時代・後期の狂歌師・田原坊が詠んだものです。
一般的には、松島が言葉で表現できないほど美しかったので、芭蕉は、松島では句を
詠まなかったと言われています。
ところが、実は、土芳(とほう)の「蕉翁文集」によると、”嶋々や 千々にくだけて 夏の海”
という句を、芭蕉が松島で詠んでいるのです。
しかし、何故か、「奥の細道」には、この句は載せられていません。
芭蕉は、この句に満足できなかったのでしょうか?
なお、松島では、曾良が一句詠んでいます。
”松島や 鶴に身をかれ ほととぎす”
(ホトトギスよ、ここでは鶴がふさわしい風情なのだから、鶴に身を変えておくれ。)
芭蕉は、「奥の細道」の序章の「旅支度」で、”松島の月 先ず心にかかりて”と、何をおいても、
真っ先に松島が気にかかると書いている様に、松島は、奥の細道の最大の目的地のひとつでした。
「奥の細道」によると、芭蕉は、塩釜から松島へ舟で渡ったとあります。
「松島は、扶桑(ふそう)第一の好風にして、凡(およそ)洞庭(どうてい)・西湖を恥ず。」
(奥の細道)
(松島は、扶桑第一(=日本一)の風景であり、中国の名勝地の洞庭湖や西湖と比べても
恥ずかしくない。)
松島を目の前にした芭蕉は、その美しさに、心を奪われて絶賛しています。
我々のバス旅行も、芭蕉と同じ様に、塩釜港から、瑞巌寺の近くの五大堂の脇の桟橋までの
40分の松島湾内クルーズに乗船します。
芭蕉が海から見たのと同じであろう、松島の波や風に浸食された島々の景色を見ながら進みます。
松島湾には、大小様々な島が浮かび、小島に茂る松の緑、むき出しになった白い岩肌など、
自然の作り上げた景勝が続きます。
左手に五大堂が見えてくると、40分の船旅は終わりです。
松島湾内クルーズを終えた我々は、桟橋の脇の「五大堂」に立ち寄ります。
松島のシンボル的な存在である「五大堂」は、海に突き出すように、朱色の橋でつながれた
小さな島に建っています。
「五大堂」は、807年、坂上田村麻呂が東征の際に毘沙門天を建立し、その後、慈覚大師・円仁が
五大明王を安置したことから「五大堂」と呼ばれる様になりました。
現在のお堂は、伊達政宗が1604年に造営したもので、東北地方に現存する最古の桃山建築です。
なお、五大堂のお堂の中の秘仏・五大明王の御開帳は33年に一回で、前回の御開帳が平成18年
だったので、次回は平成51年だそうです・・・
五大堂の4面には、方角に従って透かし彫りの十二支の彫刻が施されています。
五大堂からの松島の景観です。
五大堂の入口付近に土産物屋があり、ここで下の写真の「奥の細道」のハンカチを買いました。
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