望月地区は、石仏が何と!
3千以上存在する石仏の里だそうです!!
また、石仏の中でも、村人の安全や旅人の無事を願う道祖神だけでも、望月地区には、約140もあるそうです。
望月宿の入口にも道祖神が建っています。
望月宿は、現在の商店と江戸時代の家並みが自然に融合しており、趣のある町並みです!
また資料館などの施設も充実しており、時間をかけて見物したい宿場町です。
以下は、望月宿の町並みの風景です。
望月宿に入ると、至る所に「ご当地グルメ・みそかつ丼」のノボリが旗めいていて、どの食堂にも、みそかつ丼のメニューがあります。
取り敢えず、そのうちの1軒に入って、腹ごしらえの昼食です。
みそかつ丼(1,350円)
メニューによると、カツは黄金豚のロース、雁喰(がんくい)味噌使用黒豆の甘味を生かした吟醸タレ、とあります。
「雁喰(がんくい)豆」は、望月周辺で、昔から栽培されていたといわれる黒豆の一種で、この豆を復活させ、地元で醸した雁喰味噌を使用して誕生したのが、「みそかつ丼」だそうです。
美味い!ロースがふっくらとして柔らかく、こんなに美味いロースカツは東京でも食べたことがありません
上の写真は、名主で、旅籠と問屋を兼ねていた真山家の住宅(旅籠大和屋)で、江戸時代の様子を留める国重要文化財です。
2階が1階よりもせり出した出梁(だしはり)造りで、連子格子の建物は、まるで時代劇のセットです!!
真山家住宅の隣は、上の写真の脇本陣だった鷹野屋です。
上の写真は、井出野屋旅館で、3階建ての建物で現在も旅館を営業しています。
上の写真は、履物屋の江戸時代の下駄の看板です。
望月歴史民俗資料館(300円)は、本陣跡にあり、古文書・絵図やパネルで宿場町の歴史を展示しています。
見どころは、本陣大森家の宿札(大名などの宿泊のときに掲げた
看板)です。
(資料館の駒つなぎ石)
望月宿の外れに、写真の大伴(おおとも)神社がありました。
毎年8月15日には、勇壮で幻想的な火祭り”榊祭り”(信州の奇祭)が行われるそうです。
広重の浮世絵は、望月の東の瓜生(うりゅう)峠を描いたと
いわれています。
(瓜生峠については、この前の宿場町の八幡宿を見てね。)
谷を隔てた右手の山が浅間山です。
望月宿の東北にある御牧ケ原(みまきがはら)は、昔、望月牧といい、朝廷で使用する馬を飼育していました。
ここの馬は、全国一の最優良馬として、8月15日の満月の日に天皇に献上していました。
広重もこの事を踏まえて、満月と共に、2頭の馬を描いています。
馬子が茶箱を積んだ馬と油の樽を積んだ馬を引いています。
坂の途中では、老人の旅人が、満月を眺めながら一服しています。
望月は、この様に、平安時代から優秀な馬産地として豊かな地区だったようです。
望月の宿場町を抜けて、狭い田舎の山道や田んぼ道を歩いて、茂田井(もたい)へ向かいます。
緩やかな起伏の県道を暫く歩くと、望月宿と芦田宿の途中にある間の宿(あいのやど)の茂田井(もたい)です。
望月宿と芦田宿で対応出来ない大通行の際に、中間の宿として使われたそうです。
茂田井宿は、白壁の塀や土蔵の家並みが残り、また、道の横を流れる綺麗な用水は、現在でも生活用水に利用されているそうです。
茂田井地方は、良質米の産地として有名で、そのため造り酒屋、
蔦屋(つたや)と叶屋(かのうや)の2軒があります。
上の2枚の写真は蔦屋(大澤酒造)で、敷地内には、民俗資料館(無料)があり、酒造りや街道文化の資料を展示しています。
上の写真は叶屋(武重家)で、国の有形文化財です。
上の写真は、若山牧水歌碑です。
歌碑には、
”白玉の 歯にしみとほる 秋の夜の 酒はしづかに
飲むべかりけり”
と刻まれています。
大正年間、牧水は、この茂田井の地に滞在し、酒を愛飲し、多くの和歌を残しました。
茂田井宿を抜けると、直ぐに石割坂という急な坂になります。
勾配がきつく、大きな石があり、通行に不便だったため、石を割り中山道を開通させたので石割坂と呼ばれたそうです。
石割坂を下ると、上の写真の茂田井の一里塚です。
浅間山を遠くに眺めながら、次の芦田宿へ向かいます。
そして、芦田川を渡れば、もう芦田宿です。
望月宿から芦田宿までは、約5キロです。