(写真は、私が宿泊した金丸土屋旅館)
芦田宿は、蓼科(たてしな)山の麓に位置し、現在は、蓼科町の中心部と重なります。
上の写真は、宿場町の入口にある常夜灯、下の写真は、蓼科町役場の前の宿場公園にある常夜灯です。
芦田宿は、以下の写真の様に、本陣跡などの古い建物が点在し、情緒ある町並みです。
(上の2枚は脇本陣跡です。)
上の3枚は、本陣兼問屋だった土屋家(非公開)で、門構や玄関も立派です。
上の写真は、私の今晩の宿「金丸(かなまる)土屋旅館」です。
(一泊二食付き7,500円)
やっぱり、江戸時代からの宿に泊まってみたかったので嬉しいです!
金丸土屋旅館は、街道沿いの町並みの中でも間口の広さが目を引きます。
出桁(だしげた)造り、連子格子の江戸時代のままの建物の旅籠で、現在もそのまま旅館を営んでいます。
「津ちや」(土屋)と書かれた大看板が二階から下げられていて、歴史を感じます。
玄関のガラス戸を開けて中に入ります。
案内されたのは、廊下の突き当たりの宿でいちばん奥の間です。
太い梁の8畳間に立派な床の間と付け書院があり、襖(ふすま)で仕切られた間取りは、テレビや映画に出てくる江戸時代の旅籠そのままです。
襖の向こうは、フトンの収納棚だろうと思って、奥の襖を開けてみると、
何と!
隣の部屋でした!
写真の様に、隣の部屋の奥、更に奥と、8畳間が4部屋、縦に並んだ造りです。
そうか!!
江戸時代の旅館だから、隣の部屋との仕切りは、襖1枚ですものね・・・
いや〜!
江戸時代の旅籠であることを実感した一瞬でした!
(実際には、ふすまを隔ててお客を泊めることは無いらしいです。)
また、お風呂とトイレは、リニューアルされていて綺麗です。
そりゃそうですよね、お風呂とトイレも江戸時代のままだったら、使用する気にならないですよね。
夕食は、普通の洋食でした。
宿のご主人も、すごく気さくで親切で、アットホームな雰囲気でした。
芦田宿本陣の土屋家の分家の子孫で、大名行列のときは、殿様は本陣、そして家来はここに泊まったらしいです。
翌日は、金丸土屋旅館で、早朝に朝食を済ませ、宿場町を抜けて、笠取峠の松並木へ向かいます。
宿場町を抜けると、直ぐに松並木が始まりました。
松並木は、石畳の遊歩道が整備され、途中には、道祖神や歌碑が色々と置かれていて、快適な散歩道です!
東海道・御油の松並木と共に、中山道では、往時の松並木の景色を最も残している場所だそうです。
江戸時代には、芦田宿から笠取峠の頂上まで続く松並木だったそうですが、現在は、宿場町の外れに1キロ程度残るのみで、国の天然記念物に指定されています。
上の写真は、「従是東小諸領」(これより東小諸領)と刻まれた領界石です。
松並木を抜けて、笠取峠の頂上へ向かいます。
(笠取峠の一里塚)
(笠取峠の碑)
(笠取峠常夜灯)
(笠取峠道祖神)
(笠取峠・立場図版木)
笠取峠の頂上からは、国道から外れて、くねくねと続く旧道を下って行きます。
広重の浮世絵は、笠取峠を描いています。
遠くに見える茶色の山は浅間山です。
ここを超える強い風が、旅人の笠を吹き飛ばしたことから、”笠取”峠の名前がついたそうです。
右上の峠の頂上に1軒、笠取名物「三国一の力餅」を売っていたという茶屋が描かれています。
峠道を往来する旅人に混じって、2台の籠も描かれています。
そして、笠取峠を下りきり、五十鈴川を渡ると、松尾神社が見えてきます。
松尾神社は、古来から酒造りの神様として、酒造家の厚い信仰があるそうです。
この松尾神社の前から旧中山道を下ってゆけば、もう長久保宿です。
芦田宿から長久保宿までは、約6キロです。
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