(写真は、兵庫島の「枯れ流れ」)
”思い出のニコタマ”でだいぶ寄り道をしてしまいましたが、今回からは、本来の”多摩川沿いを歩く”に戻ります。
自宅の新横浜から、市営地下鉄のあざみ野駅で東急田園都市線に乗り換え、「二子玉川駅」で下車します。
南北朝時代の1358年、「新田義興」(にったよしおき:新田義貞の次男)は、「足利尊氏」の死去に乗じて、鎌倉攻略のため進軍します。
しかし、義興は多摩川の矢口の渡しで謀殺され、義興の家来の「由良兵庫助」(ゆら ひょうごのすけ)も壮絶な死を遂げました。
そして、この「兵庫助」の死体は、多摩川の増水時に、矢口の渡しから、上流のこの河川敷の島に流れ着きました。
村人達は、災いを恐れて、「兵庫助」をこっそりとこの島に供養しました。
これが、「兵庫島」の名前の由来です。
(新田義興が多摩川の矢口の渡しで謀殺された詳細については、「多摩川を歩く・多摩川大橋」を見てね。)
二子玉川駅で下車して、駅の脇の「兵庫島」へ向かいます。
二子玉川駅の脇の写真の「兵庫橋」は、多摩川と合流する直前の野川にかかる橋で、兵庫島公園の入口になります。
兵庫橋を渡ると兵庫島です。
「兵庫島」は、多摩川に合流する野川の河川敷を生かして、「兵庫島公園」として整備されています。
上の写真は、新二子橋から見下ろした「兵庫島」の「兵庫池」(ひょうたん池)です。
野川から取水した水を浄化して兵庫池へ注いでいます。
兵庫池の脇は、上の写真の様な開放的な「芝生広場」が広がっています。
兵庫島の中程の木々が生い茂った辺りに、写真の「若山牧水の歌碑」があります。
”多摩川の 砂にたんぽぽ咲くころは われにもおもふ 人のあれかし”
兵庫池の更に上流には、写真の「枯れ流れ」があります。
二子橋の200メートル上流の新二子橋をくぐります。
上の写真は、野川の浄化設備を利用した噴水で、この噴水の水が、ここから「枯れ流れ」を流れていきます。
つまり、ここが「枯れ流れ」の端のスタート地点です。
(新二子橋から見下ろした兵庫池と枯れ流れは、「多摩川を歩く・駅の西側」を見てね。)
枯れ流れの先から、堤防へ上がる道を探して、更に上流の方向へ歩いて行きます。
右斜め前方に、上の写真の「コヤマドライビングスクール」の建物が見えて来ましたので、この建物を目指して歩いて行きます。
野川に架かる橋を渡ります。
橋を渡って堤防沿いの多摩堤通りに出ると、直ぐに、下の写真の「コヤマドライビングスクール」がありました。
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