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多摩川を歩く (その37)(二子玉川F:兵庫島)  2022.9.27


 

(写真は、兵庫島の「枯れ流れ」)


 

”思い出のニコタマ”でだいぶ寄り道をしてしまいましたが、今回からは、本来の”多摩川沿いを歩く”に戻ります。

自宅の新横浜から、市営地下鉄のあざみ野駅で東急田園都市線に乗り換え、「二子玉川駅」で下車します。


南北朝時代の1358年、「新田義興」(にったよしおき:新田義貞の次男)は、「足利尊氏」の死去に乗じて、鎌倉攻略のため進軍します。


しかし、義興は多摩川の矢口の渡しで謀殺され、義興の家来の「由良兵庫助」(ゆら ひょうごのすけ)も壮絶な死を遂げました。 

そして、この「兵庫助」の死体は、多摩川の増水時に、矢口の渡しから、上流のこの河川敷の島に流れ着きました。 

村人達は、災いを恐れて、「兵庫助」をこっそりとこの島に供養しました。

これが、「兵庫島」の名前の由来です。

(新田義興が多摩川の矢口の渡しで謀殺された詳細については、「多摩川を歩く・多摩川大橋」を見てね。)   

                                           

 



二子玉川駅で下車して、駅の脇の「兵庫島」へ向かいます。 







二子玉川駅の脇の写真の「兵庫橋」は、多摩川と合流する直前の野川にかかる橋で、兵庫島公園の入口になります。



兵庫橋を渡ると兵庫島です。

「兵庫島」は、多摩川に合流する野川の河川敷を生かして、「兵庫島公園」として整備されています。



上の写真は、新二子橋から見下ろした「兵庫島」の「兵庫池」(ひょうたん池)です。

野川から取水した水を浄化して兵庫池へ注いでいます。



兵庫池の脇は、上の写真の様な開放的な「芝生広場」が広がっています。



兵庫島の中程の木々が生い茂った辺りに、写真の「若山牧水の歌碑」があります。

”多摩川の 砂にたんぽぽ咲くころは われにもおもふ 人のあれかし” 





兵庫池の更に上流には、写真の「枯れ流れ」があります。













二子橋の200メートル上流の新二子橋をくぐります。





上の写真は、野川の浄化設備を利用した噴水で、この噴水の水が、ここから「枯れ流れ」を流れていきます。

つまり、ここが「枯れ流れ」の端のスタート地点です。

(新二子橋から見下ろした兵庫池と枯れ流れは、「多摩川を歩く・駅の西側」を見てね。)     

                                               

枯れ流れの先から、堤防へ上がる道を探して、更に上流の方向へ歩いて行きます。





右斜め前方に、上の写真の「コヤマドライビングスクール」の建物が見えて来ましたので、この建物を目指して歩いて行きます。 





野川に架かる橋を渡ります。



橋を渡って堤防沿いの多摩堤通りに出ると、直ぐに、下の写真の「コヤマドライビングスクール」がありました。