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多摩川を歩く (その36)(二子玉川E:旧小坂家住宅)  2022.9.26


  

(写真は、旧小坂家住宅のマントルピース)


前回は、静嘉堂文庫を散策しました。


今回は、その道路向かいにある「旧小坂家住宅」に入ってみます。

この住宅の主の「小坂順造」は、長野市の生まれで、信越化学工業の創業者です。

他にも、衆議院議員や貴族院議員も務め、また、信濃銀行取締役や信濃毎日新聞社社長などを歴任しました。

小坂順造は、東京都渋谷区にあった本邸の別邸として、この建物を昭和12年に建築しました。

昭和20年の戦災で本邸が焼失してからは、この別邸を本邸としました。

 



静嘉堂文庫の道路向かいの急な坂道を上って行きます。





旧小坂家住宅に着きました。









2階建てで、和風の主屋、山小屋風の書斎、洋風の寝室で構成されています。

学芸員風のお姉さんが、一部屋毎に丁寧に説明しながら、質問に答えてくれます。

このお姉さんに静嘉堂文庫の移転について聞いてみます。

「私達も、全く寝耳に水で、事前には、何の連絡も無かったので、非常に驚いているところなんですよ。」

(そうなんだ、ご近所も知らないくらい急な引っ越しだったんだ。)



山小屋風15畳の書斎には、マントルピース(暖炉)があります。

床は寄木のフローリングで、天井は丸太の梁です。

壁の荒々しい模様は、ナタ削りという手法だそうです。





当時は、窓から多摩川越しに富士山が望めたそうです。



6畳の茶室は、炉を切ってあります。

これらの棟の他にも、東京大空襲を避けた「横山大観」が、3ヶ月間移り住んだ別棟の茶室もあったそうです。

庭に出るとそこは国分寺崖線の広大な斜面です。

世田谷区内の国分寺崖線沿いには、昭和の初期までは、多くの近代別邸建築が存在していましたが、唯一現存するのが「旧小坂家住宅」だそうです。

 



旧小坂家住宅を出て、近くの真言宗「玉川大師玉真院」へ行きます。







ここは参拝出来る地下仏殿で有名です。

地下仏殿は、住んでいるときに何度か訪れましたが、地下5メートルの深さに、長さ100メートルにも及ぶ奥の院があり、300体以上の石仏が安置されており
圧巻ですよ!


が・・・、地下仏殿巡りまでしていると、”思い出のニコタマ?”からなかなか抜けられません・・・

そろそろ本来の「多摩川を歩く」に戻りたいので、時間がかかる地下仏殿巡りはカットして先へ進みたいと思います。



玉川大師玉真院の前を通り過ぎて、段丘の坂道を上がり、左側の急な階段を登ると、1626年に現在地に移転したという「瀬田玉川神社」があります。













拝殿の脇にある大きな大絵馬で有名な神社です。



瀬田玉川神社の坂道を下りて、駅の西側の商店街に戻って来ました。



この商店街は、古くは、「大山街道」の宿場町の街道筋でした。

(大山街道のゴールについては、「大山阿夫利神社」を見てね。)       

                                                                                                              

二子玉川駅へ向かおうとして、国道246号に出て来たところで、この坂の上に私が通っていた「スポーツジム」があることを思い出しました。

毎週日曜日に、エアロビクスのエクササイズに通っていました。

今は、もうエアロビクスなんて考えられませんから、あの頃は若かったんだなあ〜・・・

あのスポーツジムは未だあるのかな?

    

スポーツジムの前の坂を上って行きます。





私が通っていたスポーツジムは、温水のスイミングスクールに変わっていました。

そう言えば、このスポーツジムが温泉を掘り当てたという新聞記事を読んだ記憶があるので、そのときに業種変換したのかも知れません。



スポーツジムの前の坂を下りて二子玉川駅へ向かいます。



ここに「旧二子橋の親柱」があるのを、住んでいた当時は知りませんでした。

引っ越してから出来たのか、あったけど関心が無かったので通り過ぎていたのか・・・?







二子玉川駅から乗車して、あざみ野駅経由で新横浜に帰宅しました。