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『白鳥とコウモリ』['26]
監督 岸善幸

 人の“信じる力”と“忘れない力”を描いてなかなか達者なエンタメ作品だったように思う。豊田商事事件が起きたのは、もう四十年も前のことになるのかと思った。さまざまな紙切れをカネに換えた錬金術詐欺は随分と今を先取りしていたわけだ。

 サッシの鍵を閉め指紋を拭ったばっかりに冤罪で人を死なせたことを忘れない男が、1984年から三十三年の時を経て、自分がメールを送ったばっかりに再び人を死なせてしまったと思い至った時に、いかなる心境になるか僕の想像の及ぶところではないけれども、被害者加害者とされた二人の人物の子供たちが父親の過去を探る困難に懸命に取り組む姿に心打たれた。

 刑事を含めた主要人物に係る造形から浮かぶ“人の誠実”というものに打たれたようにも思う。恐る恐る手を重ねるショットが美しかった。殺害された弁護士の白石健介(中村芝翫)側の女性弁護士(松岡依都美)が言っていた安西少年(原田琥之佑)の人物像の真偽について、観る人の多くはどう受け取るのだろう。

 すると旧くからの映友女性の映画日記「…お金貰う方が良かったんですが、それが言えなくて」と泣き笑いする和真。お互いを想い合う父と息子の過去が、一瞬に浮き彫りになり、秀逸なシーンです。とあって共感を覚えた。実直で温厚。似通った美点を持つ倉木と白石。「これは自分の父親ではない」と、和真と美令が強く疑念を抱く様子が、胸を打つ。二人とも良き父だったのでしょう。彼らの成育の健やかさまで感じました。私はこの点が一番好きでした。との記述には、僕も同感だ。

 目を惹いたのは彼の偽証の唯一最大の理由は、自分の罪悪感です。しかし散々洋子たちを見ていて、その辛さをまだ若い和真が、一生背負うはめになる事は、解っているはず。その事には、罪悪感は無いのか?との問い掛けだった。そこでよぎったのが挽歌の桂木あき子だった。十歳ほども若い恋人との浮気に加えて夫のほうの不倫も露わになった挙句に幼い娘を残して自死した四十路主婦と思しき桂木あき子を演じた草笛光子が憧れになったとの話が彼女からあったばかりだった。倉木の行動には無自覚な傲慢さを感じ、あき子を演じた草笛光子には憧れる差異は、どこから来るものだと思うか訊ねてみたが、役柄ではなく草笛光子本人の美しさに、感嘆し憧れた記憶だけが鮮明とのことで確とはわからなかったが、興味深い対照を得たように思った。

 桂木あき子がまだ幼い娘を残して自死したのは罪悪感そのもの以上に、そこに端を発する“身の置き所のなさ”だったような気がする。作劇的には、“幼い娘を残してさえも”という形で、その絶望の強度を表わしていたように思う。同様に、倉木達郎(三浦友和)が息子の和真(松村北斗)に大きな負担を強いてまで何ゆえ嘘の自白をしたのかという件についても、浅羽家にもたらした不幸への罪悪感というより、若き知希(原田琥之佑)を護りたい思いの強度を示しているように僕は感じた。

 かつて若き白石健介(漆山拓実)に対してこんなことで君の人生を台無しにしてはいけないと庇い、結果的には浅羽家にとんでもない災難をもたらしたけれども、そこに一番の責を負っているのは、和真が生まれたばかりの若き日の倉木達郎(井之脇海)ではなく、非道な自白強要を行ったであろう警察であって、倉木が庇った白石健介自身は、その借りを返すべく“誰からも慕われ尊敬される立派な弁護士”となったわけで、若き熱情を伴った切実さで以て若者がしでかした罪は、その行為態様によってのみ厳罰に処されるべきものではないとの思いがあったような気がする。このあたりには作り手の昨今の少年犯罪の厳罰化に向けた制度改定に対する屈託が窺えるような気がした。ましてや知希は、自分が間接的に関与する形で両親の離婚という不幸がもたらされた犠牲者だったわけだ。

 ただ、そうではあっても既に成人しているとはいえ、息子の和真に負わせる犠牲にも酷なものがあることを承知していればこそ、合わせる顔がない、申し訳ないの思いで面会を拒んでいたのだという気がする。だからこそ、起訴取り下げで拘置所を出た際に出迎えてくれた和真から、背中を叩かれ肩を抱かれて物も言えずに万感の思いに立ち竦んでいた倉木達郎の姿に心打たれたように思う。

 だが他方から観れば、この達郎の嘘の自白のおかげで、おそらく和真は掛け替えのない信頼感を寄せられる伴侶を得ることになるのだろうし、無事に職場復帰も果たしていたから、何が幸いとなるや知れないのが人生というものだとの感慨も得たような気がする。人の生に単純な是も非もないとの人生観の宿っている作品だったように思う。

 また、和希においても、この倉木達郎の身を挺した虚偽自白のプロセスを経ての逮捕と、そうではないままの逮捕すなわち和希と白石健介の因縁を知っている倉木なり母親(井川遥)なりの事実証言による逮捕では、その後の人生が大きく変わるような気がしてならない。刑事の五代巡査部長(柄本佑)が自分に辿り着き、白石健介と自分、さらには富岡八幡宮(だった気がする)のお札を介して早晩、浅羽家と自分にも辿り着くに違いないと察したときに倉木達郎は覚悟を決めたのだろう。だが、息子の和真がここまで辿り着くとは思いもよらなかったに違いない。その和真とて、白石美令(今田美桜)とのタッグがなければ、戸籍集めもできなかったであろうから、到底叶わなかったはずだ。

 さて、前述の女性弁護士による和希についての話だが、劇中ではそれ以上、何も触れられていないから、真偽のほどは判らない。実はいじめなど受けておらず逆に恐れられていたのは、間違いかもしれないし、本当かもしれない。また、本当だったからといって、元々殺人をしてみたかったところに格好の標的が現われたとの弁が事実だとも限らない。犯行ヶ所と死亡ヶ所の大きな食い違いを知らされ、白石弁護士の真意を察して見舞われた罪悪感から、自罰的に悪態を装った可能性や、警察の厳しい取調べに祖父と同じく絶望して誘導尋問に阿った可能性もなくはない。また、白石弁護士の瀕死の状態での現場移動にしても、ただ病院を目指していて力尽きたのかもしれないが、それだと後部座席への移動が不可解ではある。ことほど左様に事実真実の如何というものは、他者の安易で無責任な想像によって推し量ることなどできないとしたものだ。それを踏まえたうえで敢えてポンと投げ込むように女性弁護士の弁を劇中に仕込んだ作り手の意図は如何なるところにあったのだろう。原作小説ではどうなっているのか、確かめてみたい気がした。
by ヤマ

'26. 9.17. TOHOシネマズ2



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