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| 『宝島』(L'Ile Au Tresor)['18] 『みんなのヴァカンス』(A l'abordage)['20] 『リンダとイリナ』(Un Pincement Au Coeur)['23] 『また会えるよね』(Ce N'est Qu'un Au Revoir)['24] | |||||
| 監督 ギヨーム・ブラック
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| 〈ギヨーム・ブラックの夏〉と題する特集上映の最初に観たのは『宝島』。パリ近郊の街セルジー・ポントワーズにあるレジャー施設「レジャー・アイランド」にカメラを持ち込み、利用客やスタッフの様子を撮り続けるなかから、「日常のなかにこそドラマは潜んでいる」ことを浮かび上がらせる編集をしていた。そういう意味では、まるでフレデリック・ワイズマン作品のような映画ながら、ワイズマン作品と違って社会性を前面に出したりせずに、覗かせる形のなか、めっぽう明るいタッチの映画に仕立て上げていたところがワイズマン作品と対照的だった。 面白かったのは、七十二歳の老爺が二十歳のユースホステル泊まりの女性二人連れと知り合って五つ星のホテルのスパ利用に誘ったりしているうちに、そのうちの一人と一緒にホテル住まいをするようになって楽しかったことを語りつつ、孫の年にもなるくらい離れてるからね、と性的関係はない形で過ごした回春余暇を思い出しているエピソードとそのなかに出てきた「日本の芸者」という言葉、フライボードで空中に高く浮遊しては水面に繰返し落ちて強か打っていた青年が「タマが痛い…子供を作れなくなりそうだ…エマと作りたかったのに」と零して友人たちから大笑いされていたエピソード、ある程度資力のある者でないと楽しめないレジャー施設に集っている一団がアフガン人難民で、フランスに来た当座の苦労やアフガンの惨状を語っていた話だった。 次に観たのは『みんなのヴァカンス』。十日前に観た『宝島』と同じ監督による二年後の作品だ。こちらはドキュメンタリーではなく、設定された脚本を役者が演じている劇映画のようだが、チラシには「俳優は映画に出演するのがはじめての学生たち」とあった。 みんなけっこう身勝手でいながら程よく優しく素直で大らかな人物ばかりが登場していたが、エドゥアール(エドゥアール・スルピス)と共に自分たちは「負け組」だと自嘲していたシェリフ(サリフ・シセ)に特別な一夜が待っている素敵なヴァカンスだった。フェリックス(エリック・ナンチュアン)とアルマ(アスマ・メッサウデーヌ)の凸凹関係というか紆余曲折も悪くないが、それを介した男三人組の関係深化のほうに味わいがあったように思う。そして、夫からの置いてけぼりにあって幼い娘と二人でキャンプ地を過ごすエレナの揺らぎを演じていたアナ・ブラゴイェヴィッチがなかなか好かった。 男女関係に限らず人間関係が縁として結ばれていく過程がデリケートに捉えられていて、観ていて微笑ましくなるのは、僕の年齢のせいもあるかもしれないが、見知らぬ者同士であってもベーシックなところでの人間への信頼感が根底にあることから出来上がってきていることがよく伝わってきたように思う。それは、かつての日本でも普通にあったことなのだが、今やすっかり失われてきてしまったように感じられることへの再認識を迫られたようで観終えて少々苦しい感じもあった。僕が過ごした遠い日々と比べて随分と、人々が計算高く警戒心が先に立つ世知辛い世の中になって来たように思う。 この作品のような空気が現代のフランスでは、実際にまだ残っているのだろうか。なんだかひどく長閑でオープンマインドな光景が気持ちよかった。 最後に観た『リンダとイリナ』と『また会えるよね』は、前日に観た『みんなのヴァカンス』で劇映画を撮っていた作り手が再び『宝島』のようなドキュメンタリー手法に戻りつつ、『みんなのヴァカンス』で描いていた“人間関係における親密なる相互作用”を捉えようとした二作品だったような気がする。そういう意味では、劇性よりも関係性への眼差しが強い分だけ、より物語色が濃くなっていて、僕の好みからすると『宝島』のほうが気に入っている。 これだけ物語性が強くなってくると、ドキュメンタリーとカテゴライズされることに違和感を覚える観客も現れてくるのだろうが、いわゆるジャーナリスティックなドキュメンタリー映画ではなくて、二十四年前に美術館冬の定期上映会“空想のシネマテーク”第1回:「ドキュメンタリーとアバンギャルド」で西嶋憲生氏から教わった、元々は「現実のアクチュアリティをクリエイティヴにドラマ化する映画」のことを意味していたという、造語者フラハティによる本来の意味合いでのドキュメンタリー映画なのだと改めて思った。わずか三日間の上映作品で、ワイズマンからフラハティまで想起させてくれる興味深い好企画だったように思う。 また、高校卒業を目前に控えた寮生たちを捉えた『また会えるね』のなかに「最高の贈り物は自分の時間をあげること」との台詞があったように思うが、あの年ごろ特有の濃密で緩慢な時間を分かち合う機会は、その後、そうそう訪れるものではない。三十年近く前に観た『四月物語』['98]の映画日誌に「明確な目的意識や理由とかによって効率的に合理的に対処していくのではなく、時間を掛けて次第に醸成されてくる状況のなかでの自分自身への模索といった形で行動することが極めて自然だったことを改めて思い出させてくれる。」と記したことを想起させてくれるような作品でもあった。 | |||||
| by ヤマ '86. 9. 6. キネマM '86. 9.16. キネマM '86. 9.17. キネマM | |||||
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