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| 『山河あり』['62] 『名もなく貧しく美しく』['61] | |||||
| 監督 松山善三 監督・脚本 松山善三 | |||||
| 今回の課題作には、連年の高峰秀子&小林桂樹の出演による松山善三作品が並んだ。折しも二日前に在日三世と四世の父娘物語の『トロフィー』を観たところだったので、ちょうどタイミングがよく、ハワイに移住した日本人の物語で「大正のはじめ 移民船」とのテロップで始まる『山河あり』のほうから観ることにした。 ハワイの日系二世部隊の出てくる本作を二十六年前に観たとき、当時はまだ今ほど映画ソフトが出回ってなかったので、五年前に古稀で亡くなったミリタリーオタクの大学の先輩から、この幻の作品を何処で観たのか問われたことを思い出した。 井上きしの(高峰秀子)の戦死した長男春男(早川保)の墓碑には1919年生まれとあったから九年前に亡くなった母校の英語教諭と同い年だが、墓碑に刻まれていた1943年の誕生日前の没だと二十三歳で亡くなったことになる。大学を卒業したと思しき年の真珠湾攻撃を受けて二世部隊に志願して一年余りで、日本で非業の死を遂げた弟の明(ミッキー・カーチス)は日本敗戦の二日前だったから、弟よりもかなり早い死だった。ハワイで日本人学校の校長を務める父親(田村高廣)から求められた開戦前夜の紀元二千六百年記念行事への出席を拒んで激高させ、興奮死させてしまった負い目を抱えての志願だったように思う。 アメリカでは日本人であるがゆえに一世の郷田(小林桂樹)が収容所に入れられ、日本では日本人の両親から生まれているのに、二世の明がアメリカ人として収容所に入れられるばかりか拷問も受けて衰弱し、出所後に亡くなっていた。アメリカに移民として渡ったばかりに郷里の村でも母が国賊呼ばわりされるのを観て明が「マミーはまだ日本が好きなのか」と問う姿が哀れだった。開戦前は移民成功者として誇らしく讃えていたらしき人々の掌返しの浅はかさが実に情けなく、きちんと人間そのものを観て視座のぶれない栄蔵(桂小金治)は、圧倒的に稀少者であった。 真珠湾攻撃の機銃掃射によって望郷の念を抱いたまま殺され、孫の顔を見ることもなかった郷田すみ(久我美子)と 戦禍を生き延びながらも夫にも二人の子にも先立たれていたきしのと、どちらの人生がより過酷だったのかを思うと、きしののほうが気の毒に思えた。自分が夫の遺骨を提げて日本を見せてやろうとしさえしなければとの悔悟にさぞかし苛まれたことだろうと思うと、すみの死の呆気なさのほうがましだという気がした。移民として渡ってきた当時の苦労が報われ、子供たちが若くして車を乗り回すくらいの生活水準も得て、祖国とアメリカとの開戦を知る前に、言わば人生のピーク時に亡くなっていたからだ。 だが、生き延びていればこそ、その後、アメリカが謳歌したゴールデンエイジのなかで孫息子の成長を見守ることも出来たであろうきしののほうが、すみ以上の苦労が報われる戦後を生きられたはずという観方もできるように思う。その点について、合評会では、いずれの意見が多いか訊ねてみたいと思った。 そして「自分の考えを人に押しつけるのは卑怯だわ」と言っていた郷田さくらを演じた桑野みゆきの清冽さが、『青春残酷物語』['60]とはまた一味違って印象深かった。 手話のシルエットで始まる『名もなく貧しく美しく』を観るのは、十六年前にカルメンと子猫の会が美術館ホールで上映して以来のことになる。昭和二十年六月の空襲場面から始まっていたが、東京大空襲とくれば三月の空襲というのが通り相場なのに、敢えて外してきていたのは何故なのだろう。玉音放送とくれば「堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ」が定番なのに、敢えてそこを外して「敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ」の出てくる段を長々と流していたところからすると、きっと期するところがあったのだろう。 現代でもなお進まない障碍者雇用が戦後荒廃期に難しかったのは想像に難くないが、聾学校の同窓会が比較的早い時期に開催されていることが目を惹いた。「どんなに苦労していても生きているほうがいいと思います」も「始めから苦しむために生まれてきたような気がします」も共に秋子(高峰秀子)の言っていた台詞だが、多くの聴覚障碍者の人達は、本作をどのように観たのだろう。 『山河あり』の郷田すみと同じく不慮の死に見舞われていた秋子は、すみと違って紛れもなく気の毒だった。『山河あり』で非業の死を遂げていた明と同名のアキラ(加山雄三)が今度は、自分が訪ねて行ったばかりにと、『山河あり』で井上きしのが抱えたであろう悔恨を負ったことだろう。 同世代男女四人が集った合評会で『山河あり』のすみときしのの人生のどちらがより過酷と思ったかと投げ掛けてみたが、二人ともだとの回答が女性メンバーから返ってきただけで、あまり反応がなかった。面白かったのは、この女性メンバーから出た両作とも嫌な映画だったとの否定的な意見で、いささか驚いた。理由を問うたところ、いろいろ説明してくれたものの、妙に釈然としない。だが、聴いているうちに、いわゆるヒューマニズム作家と評されている松山善三の作風自体が気に入らないのだろうと思い当たった。 僕自身は松山善三をヒューマニズム作家とは観ていないのだが、世評ではそうなっており、逝去を報じた新聞記事の見出しでも「映画監督、脚本家・松山善三さん ヒューマニズムを貫く」となっていて「松山さんはヒューマニズムを核にもった脚本家として頭角を現すものの、「名もなく貧しく美しく」の脚本をめぐり木下監督と対立、36年に東宝で自らがメガホンを取ることになった。耳の不自由な夫婦が、戦中戦後を愛情で支え合いながら生き抜く姿を描いた同作は大ヒットすると同時に、日本人が手話に関心を寄せるきっかけともなった。」と記されている。そして紙面では『典子は、今』['81]を発表した際のインタビューにおける「自分はどこにも障害がないクセに、いかにも障害者のために生きているように見せかけているニセヒューマニスト、偽善者。ボクはずっとそういわれてきました。(略)」との自身の弁も併せて紹介していた。合評会には参加できなくなったと知らせて来たメンバーも両作とも響いて来ず、松山善三とは相性が悪いので、支持票はどちらにも入れられないとのことだったが、おそらく両人ともこの訃報記事にある松山監督自身の弁にある世評に近いものを感じていたのだろうという気がした。 恒例の支持作については、3対1で『山河あり』に軍配が上がった。両作とも大いに支持するというなかで投票が割れた僕ともう一人の男性メンバー。両作とも駄目だけれども強いて挙げるなら『山河あり』のほうがましだとした女性メンバー。両作とも初見なら『名もなく貧しく美しく』のほうだったかもしれないけれども今回は初見のこちらにしたという主宰者と、その支持の分かれ方もなかなか微妙で面白かった。 カップリングタイトルを主宰者が「ここまでやるのか!松山善三、それでもひとは生きて行く」としているだけあって秋子を死なせ、きしのの家族全員を死なせる悲劇の容赦なさに女性メンバーは辟易としたようだったけれども、僕は、秋子の死にも、きしの独りだけの生き延びにも、それぞれ有意のものを受け取っている。だが、秋子のミシンを強奪した弟弘一(沼田曜一)のエピソードは流石に遣り過ぎのようにも感じると表明すると、女性メンバーが嬉しそうに「そうよ、追ってきて荷台に掛けた手を踏みつけにまでするんだから」と言ったのが可笑しかった。だからというわけではないけれども、主宰者が「それでもひとは生きて行く」とした標題を一家族ではなく、二家族の悲喜こもごもとして感慨深く描いた『山河あり』のほうに支持票を投じたのだった。ただ真珠湾攻撃は午前八時ごろだったはずなのに、すみが戦闘機の銃撃を受けたときは既に日が高く、量販店に買い物に出掛けていたことに少々違和感を覚えたと言うと、ハワイの朝は相当に早かったのではないかと言われ、十二月ながら言うなれば夏時間のようなものだったのかもしれないと思った。 また、東宝ニューフェイスの試験で落とされかけた三船敏郎を合格させる程に高峰秀子に力があったのは何故だろうとの問い掛けがあり、主宰者がやはりそれは演技力だろうと返したので、高峰秀子は確かに演技力もあるけど、それ以上に演技では出せないと感じさせるような凄味というものを内に湛えた女性像を体現できる女優だったからじゃないかと応えた。いい女優が備えている華にしてもそうだけれど、演技を超えた部分での持ち味として、高峰秀子はどういう役柄を演じても凄味というか性根の靭さを感じさせる女優だと思う。演技として凄味を利かせたりするのではなく、穏やかに笑っていても、悲恋に想いを詰めていても、そこに何か存在的凄味というものがオーラとして宿っていたような気がすると重ねると、主宰者が子役時代からそれこそ一家どころか三つの家を支える大黒柱だったらしいから、苦労の年季が違うということもあるかもしれないねと賛同してくれた。演技力というのは、稽古や学習で磨いていくことができるけれども、育った環境や経験は天分同様に、当人の努力で補えるものではない気は僕もする。 そして、奥さんが嘗て聾学校の校長を務めていたこともあって斯界に明るい主宰者が『名もなく貧しく美しく』の大ヒットがそれまで手話中心だった聾学校での指導から読唇と口話にも目が向けられる転換を促したという意義深さについて教えてくれた。彼が社長を務めていた企業では障碍者雇用として聾者を採用していたそうだが、実力を認めてステージアップを促しても気後れが先に立ち、なかなか積極的にはなれない人が多くて苦慮したとのことだった。 松山善三は、障碍者に限らずマイノリティに向ける視線を強く持っていたから、戦時下におけるハワイ移民や日系二世部隊を取り上げていたわけで、その目の向け方に対してヒューマニズム作家という呼称が賦与されているのだろうが、僕は人道主義的観点以上に社会意識のほうを強く感じている。もっとも既見の監督作品は、観賞順に公開時に観た『典子は、今』['81]のほか、『われ一粒の麦なれど』['64]、『山河あり』['62]、『名もなく貧しく美しく』['61]と、全部で四作品しかないのだが。 | |||||
| by ヤマ '26. 7.31. BS松竹東急よる8銀座シネマ録画 '26. 8. 2. DVD観賞 | |||||
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