『箱の中の羊』['26]
監督・脚本・編集 是枝裕和

 十六年前に観て、日誌にはせずに、命(心)を得た空気人形を体現していたペ・ドゥナは圧巻で見事だったが、映画としては『ディスタンス』『ワンダフルライフ』の頃に感じた、僕の好まない“妙に小賢しい是枝臭”が少々気に障る作品だった。せっかく『誰も知らない』『歩いても歩いても』で、そこを突き抜けたと思っていたのに、何とも残念だ。
 もっと真正面から取り組めば面白くなっただろうと思われる変態性もかいま覗かせるのでは、妙にあざといだけに終わるような気がする。
 あざといと言えば、レンタルビデオ屋のレジカウンターの壁に貼ってあった『赤い風船』のポスターは、クラシカルな絵柄の、およそショップに似合わない代物だったが、まさに命を得、心を有しているように映った、かの赤い風船を、心を得た5980円の代用品空気人形になぞらえていたのだろう。だが、レンタルビデオ屋の従業員・純一(ARATA)はまだしも、空気人形の持ち主であるファミレス従業員の秀雄(板尾創路)を“赤い風船以外に心通わせる相手のいない孤独感”を抱えたパスカル少年に重ねるのは、何とも小賢しい趣味でしかないような気がする。エンディングで街のなかを漂い浮遊していたタンポポの綿毛の動きは、まさしくアルベール・ラモリス監督の赤い風船もどきだったから、たぶん本気だと思う。
 この意匠は、よもや原作のものではないだろうと思うのだが、果たしてどうだったのだろう
とのメモを残している『空気人形』['09]ほどではないながらも、やや通じるものを感じた。ラブドールと7歳児のヒューマノイドの違いによって、性愛と情愛という差はあれども、人が愛情を注ぐ掛け替えのない対象として非生命体がその役割を全うできるのか、また、両者の関係はいかなるものとして浮かび上がって来るのか、という人間探求に迫ることのできる題材だったからかもしれない。

 加えて先ごろ無機的な恋人たちを読んだばかりだったことから、殊のほか興味深く観ることができた。タイトルが「箱の中の羊」となっていて複数形ではないのは、いわゆる“迷える子羊”としての迷い人を指すのだろうから、最後に“11ぴきのねこ”ならぬ11人のヒューマノイド(一部、人間も含まれていたようだが)として森に還って行った存在のことではなくて、甲本音々(綾瀬はるか)が自分のことだと言っていたように“囚われ人”のことを指すのかもしれないと思ったりした。箱というのは、そういうことなのだろう。

 ヒューマノイドの翔(桒木里夢)をたまごっちやルンバのような“拵え物”として観るのか、活き活きとしたコミュニケーションを交わせる“生きた存在”としての関係を結ぶことのできる相手とするのか、ということの分かれ目は何によって決まるのだろう。そこのところを深く掘り下げて行ってくれていれば、もっと観応えのある作品になっていたのではないかと思われるのだが、その命題の重さに耐えかねてか、ヒューマノイドの側からの離反という展開へと何やら唐突に変じていったうえで、妙に尤もらしい仕舞いを付けているのが不満であった。

 ドローンによる宅配が常態になっている近未来という設定で始まる本作だったが、そのドローンに佐川急便のロゴが入っていたのは、既に一部において実用化されているということなのだろうか。

by ヤマ

'26. 6.24. TOHOシネマズ3



ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―

<<< インデックスへ戻る >>>