『マドモアゼル』(Mademoiselle)['66]
監督 トニー・リチャードソン

 この年齢のジャンヌ・モローにマドモアゼルはないだろうと思っていたら、ハイミス女教師の仇名というか、村人達による呼称だった。流れ者稼業の木こりというのがこの当時はあったのかと思いながら観た。特に時制を示すものが登場しないままに電動鋸を使っていたから、製作時と同時代の設定と観ていいのだろう。されば、昭和四十一年、僕が八歳の頃の物語ということになる。

 この女教師の人物造形がなかなか強烈で、ハイミスの性的欲求不満では済ませない暴挙の数々に呆気に取られた。女教師がニップルバンドのように絆創膏を貼り付けている場面は、マルグリット・デュラスの脚本によるものなのだろうか。ジャン・ジュネは原案ということだから、そこまでの言及はない気がする。

 ともあれ、訳の分からぬ厄災が流れ者の仕業にされるのは、古今東西に普遍的な蒙昧だと福田村事件['23]を想起したりした。夜の青姦は青空の下ではないから、黒姦と呼ぶべきかもしれないが、まさに黒ミサのようにして、おそらくは女教師の憑き物を落したのだろうから、最大の功労者とも言うべきイタリア人木こりのマヌー(エットレ・マンニ)を処刑するのは幾重にも誤っているのだが、女教師の素っ気ない返事が招いたものだったように思う。マヌーの息子ブルーノ(キース・スキナー)が盗んで履いていた父親の長ズボンのポケットに忍ばせていた女物の下着は、いったい誰のものだったのだろう。女教師が厄災の犯人であることを示す証拠を拾いながら、涙して燃やしていたことからは、彼女のものだったのではないかと思いつつも、いかにして入手したのかが気になった。そのブルーノによる野兎の撲殺にしても、マヌーが腹に巻く生きた蛇バンドにしても、マヌーに付き従って子犬の鳴き真似をする女教師の姿にしても、なかなか強烈な場面が頻出していた辺りは、きっとデュラスの脚本によるところなのだろう。

 すると、ディスクを貸してくれた映友が「トラウマ映画、だったでしょ?」と言っていた。カトリーヌ・ドヌーヴがひきしおで犬になっていたのは、二十代後半だったけれど、強面のジャンヌ・モローがアラフォーでやっていたわけで、確かに仰天した。なんだか凄味があった。このデュラス脚本作を女性客は、どう観るか訊いてみたいものだと思ったので、『二十四時間の情事』とのカップリングで合評会の課題作にしないかと提案してみた。『二十四時間の情事』のほうは未見なので、観てみないと何が共通テーマとして浮かび上がってくるのか判らないが、外形的には両作ともマルグリット・デュラスの脚本による映画で、情事への乾いたまなざしが両作に通じているのではないかとの予感はある。
by ヤマ

'26. 6.25. DVD観賞



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