『未来』を読んで
湊かなえ 著<双葉社>


 章子による序章と終章に挟まれた本編は、全体の半分を占める「章子」と三つのエピソードからなる一人称語りの作品だった。エピソードⅠは、亜里沙。エピソードⅡは、篠宮真唯子。そこに出てきた映画はやはり『東京物語』でも青春残酷物語でもなく、グッド・ウィル・ハンティングだった。そして、エピソードⅢが樋口良太だ。

 映画日誌で言及した“夜行バスのなかで章子が亜里沙にいい、それでいいのと言う場面”は原作小説にはなく、わたしは亜里沙の背中に手のひらを当てた。自分の背中に、ママに抱きしめられた感触がふっと湧き上がってきた。 亜里沙には守ってくれる人がいない。わたしを助けてくれた、大切な友だち。 このままドリームランドに入場して、わたしたちは心の底から楽しめるだろうか。大切な人たちの思いを抱いて夢の国にやってきたと、堂々と胸を張って歩けるだろうか。笑えるだろうか。今日の思い出が生きる希望となるだろうか。 わたしは亜里沙の背中から手を離し、両手で自分の耳たぶをつまんだ。そして、亜里沙に向き直った。「ねぇ、亜里沙。私たちがドリームランドを訪れるのは、今日じゃない」 えっ、と亜里沙が顔から手を外してわたしを見た。P443~P444)となっていた。『グッド・ウィル・ハンティング』も好い作品だが、この『東京物語』から引いた台詞への置き換えは、なかなか気が利いていると大いに感心した。

 意外だったのは、映画化作品を観て原作ではカラオケビデオではなく、AVに違いないと記していたものが微妙に中間的な代物で、大学生の篠宮真唯子をスカウトした㈲キャットテイル社長の時任冴美があなたが思うほど、大変なことにならないと思う。うちのはラブホ専用だから。その辺、ちゃんと棲み分けできてるのよ。もし、あなたの映像を見たって言う人がいたら、イコール、ラブホに行きましたってことだもん。しかも、今回は演歌。そういうの歌う人がラブホ使うって、大概、まっとうな相手とじゃないはずよ。脅されたら、脅し返してやりなさいって。P336)と言っていた。加えて、真唯子の祖母が遺した教育資金の全てが母親に取られたわけではなく、製麵所の社長の奥さんから…このあいだ、あんたのお母さんがうちに来たんだけど、君江さんの退職金を払えなんて言い出したのよ。もちろん、うちも、年度末にちゃんと支払うつもりでいたけれど、受け取るのは真唯子ちゃんだからね。もしかしたら、あんたもお母さんから何か要求されたかもしれないけど、全部突っぱねたらいいんだから。君江さんね、…ちゃんと財産を真唯子ちゃんに遺してあげられるように、遺言書を作ったんだって。…お母さんは追い返したからね。あんたにとっちゃ母親だけど、あの人はいつも、被害者面して君枝さんからお金を巻き上げて、男に貢いでいたんだよ。このままじゃ、真唯子がまともな生活を送れないって、心を鬼にして追い出したんだ。まぁ、あの人はあの人で、今回も懲りずに胡散臭い男連れて来ちゃってさ。あんたも会った? 行政書士だっていうヤツ。試しに、うちの経理の子に二、三、小難しい質問させたんだけどさ、何一つ答えられないの。頷くだけの赤ベコ詐欺師。まぁ、真唯子ちゃんが突っぱねても、お母さんはこれからもたくましく生きていくだろうから、気にすることないよ。先生になる勉強、頑張って。…P338~P339)との連絡を受けていた。それを知って、何だそれ! お金を稼ぐためには、あの場で服を脱ぐしかなかったのだと、自分に言い聞かせたのに。大学を続けるためには、教師になるためには、夢を叶えるためには、知らない男に身体をこねくりまわされて、おっぱいを吸われて、それをカメラに撮られるしかないのだと、頭の中で何度も繰り返していたのに。…何もしなくてよかったなんて。遺言書があったなんて、今さら言わないでほしい。いや、おばあちゃんなら必ず…用意してくれているはずだと、探さなかった私が悪いのか。…私はまったく追い詰められてなどいなかった。…自分で自分を追い詰めただけ。 何なんだ、何なんだ、何なんだ。…P340)と錯乱していた。だから、百八十万円必要だと目算していた教育資金を賄えたはずで、二十万円を得たビデオ出演はこの時の一度きりのものとなっていた。

 その後の再訪した原田からの俺、昨日あの後、あの部屋に泊まったんだ。それで、ずっとカラオケ流してた。『寒椿隠れ宿』だけじゃなくて、他の二つも。新譜を片っ端から入れてイントロのとこだけ流して、案外すぐに見つかった。三曲を何度も入れて、あのへんなベッドに寝転んで、ずっと見てた。最低でしょ。頭がおかしくなりそうだった。何なんだよ、って何度も叫んで、何度目だったろ。お前の方こそ何なんだよ、って声が聞こえた。体が分裂して、もう一人の俺がいるような感じで。これ、おまえじゃないじゃん。真唯ちゃんじゃん。ぐっと我慢しているのが一目見てわかるじゃん。なのに、なんでお前が被害者面してんだよ。辛気臭い御託ならべて、真唯ちゃんに理由を話せと迫った挙句、責めて、泣き言わめいて、拒絶して。最低なのは、時任ってヤツでも、からんでる男でもない。おまえじゃん。何が頼られたい、支えたい、救いたい、守りたい、だ。おまえ、追い詰めただけじゃん。おまえ、真唯ちゃんが自分で立ち直ろうとする邪魔までしたって気付いてんの?…P344~P345)以下の遣り取りのくだりは、原作小説でも特段にいい箇所だ。

 このカラオケビデオの件が綴られていたエピソードⅡ以上に驚いたのは、エピソードⅢの真珠の兄、森本誠一郎に係る部分が映画化作品ではすっぽり削られていたことだった。なにせ幼くして死亡していて高校生の良太と同窓生になりようがないのだが、エピソードⅢの主役は語り手の良太ではなく、誠一郎だと言っても過言ではない重要人物だった。

 原作小説には、4件の放火【①ストーカーとなった教員の林による早坂の店への放火、②弁護士の義父から性的虐待を受けた挙句に母に階段から突き落とされて流産させられた智恵理による自宅放火、③県議会議員の実父から性的虐待を受け、兄に売春をさせられていた真珠の兄から頼まれた良太による放火殺人、④十五歳になった章子による放火殺人】が出てくるが、映画化作品では①は林によるものではなく、②が割愛され、③時点では兄誠一郎が既に死亡していた。原作小説に登場する人物を省略・割愛・統合するのは常套手段であり、映画『未来』での取捨選択の果断さと巧みさにはむしろ感心したので、不満は偏に構成のほうに寄るものとなった。

 それにしても、様々な形での性暴力を描き出して苛烈な物語だった。篠宮真唯子が夢を叶えた教職を追われることになった暴き立てや売買春を歴然たる性暴力の二次被害として描いているところに感心した。映画化作品では、そこを“歴然”とまでは描き出し得ていなかった気がする。

 思い掛けなかったのは、夫を亡くした文乃が篠宮先生の後任である林先生の世話で心療内科に係っていた(P61~P77)ことだった。文乃と林先生の間には込み入ったエピソードがあったからであろうが、映画化作品では林先生にまつわる部分が心療内科通いの顛末も含めてすっぽり削られていた。その延長線で飛ばされていた章子が大人章子に向けて綴った手紙に記されていた仙頭先生の言葉病気になった人のしょう状や原因をおく測で語るのは、とても失礼な事です。病気だけでなく、みんなもこの先、どんな災難に見まわれるかは分かりません。それらに対して、事前に出来ることは、体調管理や防災グッズをそろえておく事だけではないと、先生は思っています。困った時はよろしくお願いしますと、周囲の人達と仲良くする事も大切な備えなのではないでしょうか。さんざん他人の悪口を言っていた人を、助けてあげようと思えますか? 元気な事、平おんな暮らしを送る事。それらは、当たり前の事ではありません。だれだって、何かしらの困った状きょうにおちいる可能性があります。そんな時助けてくれるのが、これまで口にして来た、ありがとう、や、よろしくお願いします、といった言葉じゃないでしょうか。…P81)は、思い込みや生噛りの知見に基づく匿名での誹謗中傷や冷笑、罵詈雑言が飛び交うSNS社会の現状を踏まえて著者が記したもののような気がしてならなかった。ママが人形でいる時よりも、人でいる時の方が、パパは心配になる事がある。人である時のママの心は、ガラス細工のような物だから。 その時はよく意味が分からなかったけど、人のままこおり付いていたママを見て、ようやく理解出来ました。だけど、それはママだけに当てはまる事じゃないような気がします。本当につらい目にあった時、自殺をしてしまう人もいるけれど、人形になって自分を守っている人だっているよね。P91)と六年生になった章子がしたためていた。

 作品タイトルに繋がるようなフレーズだと思ったそこが未来とつながるポストP210)たる木箱に重ねていった章子の手紙の言葉として数々の素朴で含蓄豊かな“文章”が綴られている小説だったのだが、強い違和感を覚えた箇所があって、それが裸の女を生で見てみたい、という欲求は十七歳なりに持っていた。行為自体に及べるかはまったく自信がなかったが、女の肌を触ってみたいという思いもあったP376~P377)という良太が下着もつけていない姿で、膝を崩してベッドの上に座っている女と目が合った。大きな目をまばたきもさせずに僕を見ている。鼻筋の通った彫りの深い、人形のような顔だ。夏だというのに、骨が透けて見えそうな白い肌をしていた。なめらかな、陶器というよりは、ガラス細工のような。細い首の下には、大きく浮き出た鎖骨があり、細い黒髪が流れるようにかかっていた。そして……、視界に入っているはずなのに、あえて僕は首から下に目をやるまいとした。 見てしまったら、負けだ。胸の内でそう繰り返しながら、再び視線を上げ、女と目を合わせた。と、女が僕に微笑みかけた。途端に、火花が散ってショートしたように僕の頭の中に閃光が走り、真っ白になったかと思うと、暗闇が一気に広がり、ブツリと意識が飛んだ。P377)という場面だ。あっ、と思った時にはもう波に吞み込まれ、浮き輪から手を離し、海の底へと沈んでいった。光が遠ざかり、暗闇に落ちていく。苦しさにもがき続けるものの、ふっと、そこから解放される。そのままゆらゆらと体が浮きあがり、光と空気を感じて……。 僕は目を開けた。と、獣と目が合った。四つん這いになり、顔を真っ赤に上気させた醜い姿。僕だった。ベッドの枕側にある壁に掛けられた大きな鏡が、僕の全身を映しだしていた。 あまりの醜悪さに耐え切れず、下を向くと、美しい顔が僕を見あげていた。僕を憐れむような目が、徐々にうるんでいくように見えたのは、彼女が泣いていたからではない。身を引いたが手遅れだった。涙の粒が、彼女の深い鎖骨に落ちた。 その下にある両胸は、指の痕が解るほど赤く腫れていた。P378~P379)となっていた。中二の真珠を兄の誠一郎からいつもは一万円取るんだけど、これはノートのお礼。楽しんできてよP376)と斡旋され、脆くも崩れていた。赤い通り雨』の映画日誌二十歳前後の若者の獣欲こそは、危険な(すなわち「赤い」)通り雨だという作品タイトルだったと記したように、十代時分の性欲の御し難さは獣欲と形容するにも足るものだという気はするが、良太のようなパーソナリティの童貞高校生が中二の女子を前にして怯むことはあっても、ブツリと意識が飛ぶとは思えない。映画化作品の脚本は加藤良太と男性だったから、流石にこれはないだろうと良太が我を忘れる場面を削除するとともに、誠一郎をも消し去ったように感じた。

 だが、原作小説で最も興味深い人物造形が森本誠一郎にあったことからすると、勿体なく思うとともに、この人物造形をリアリティを伴って視覚化することの困難さを思ったりもした。この森本家の兄妹の人物像の底知れない深淵に立ち向かえ得なかったのだろう。最も重要な台詞とも言えそうな中二の真珠の台詞大丈夫。樋口くんはわたしを人形のように思ってるかもしれないけど、わたしは自分でわざとスイッチを切ってそうしているの。今は、ちゃんとスイッチを入れている。だから、早く出ていって。お兄ちゃんと何をたくらんでるのか知らないけど、わたしにもうかかわらないでP425)に続く早く失せろ! このブサイクが! 二度と、わたしの前に顔を見せないで。わたしはあんたなんか知らない。お兄ちゃんの友だちでもない。この家に通したこともない。汚い野良犬はとっとと出ていけ!…あんたとヤッた時が、一番気持ち悪かったんだから!P425)も削がれ、これによって真珠さんはかばおうとしてくれたのではないか。…僕を守るため、あの場から追い払うため、そして、僕がのこのこと警察に出頭しないために、あんなひどい言葉を投げつけたのではないか。P431)と振り返るようになる余地も失くしていた。終章において今度は十五歳の娘章子を守るべくさあ、早く。あとはまかせて。パパも書いていなかった? ママは案外、頼りになるって。P438)と言って章子を両腕でギュッと抱きしめていた文乃の姿は、頼りになるのは諸事万端ではなく身を挺して愛する者を守るという一点のみながら、原作小説ではきちんと像を結んでいたけれども、映画化作品では日誌に綴ったように破格の境遇に育ったがゆえに心神耗弱を来している部分の残る文乃の人物像が、北川景子の熱演にもかかわらず、今ひとつ釈然としないものになっていた。ように思う。

by ヤマ

'26. 6. 8. 双葉社単行本



ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―

<<< インデックスへ戻る >>>