|
| |||||
| 『黒の牛』(Black Ox)['24] | |||||
| 監督・脚本 蔦哲一朗
| |||||
| 十二年前に観た『祖谷物語 -おくのひと-』で魅せられた蔦監督の新作だ。主演:リー・カンションとなっていたから、ちょうど三十年前に自分たちで上映した『愛情萬歳』のカンションか?と思ったら、まさしくそうで驚いた。 なかなか凝った造りの映画で、タル・ベーラが馬なら、蔦哲一朗は牛かと、妙に納得した。奪われるくらいなら自ら処分するという趣旨で焼き払われる山がカラーで映し出された台湾から、なぜか日本に移転していた。そして、水墨画の如くモノクロが鮮やかな第一図から展開していく画面へと転換する映画になっていた。つまりモノクロ部分は全て十牛図であって、焦点は一貫して台湾にある作品というわけだ。 黒牛は何を象徴していたのだろうと振り返りながら、チラシを読むと、禅における「「心」や「真理」、あるいは「仏性」を象徴」した十牛図から来ているとのことだ。読む前から「十牛図」の文字は目に入っていたので、観賞中、第一図:尋牛、第二図:見跡、第三図:見牛、第四図:得牛、第五図:牧牛、第六図:騎牛帰家、第七図:忘牛存人、第八図:人牛倶忘、第九図:返本還源、ときて第十図がないではないかと思っていたら、エンドロール後に「入鄽垂手」(劇場を出て世に生きる)と来て、笑ってしまった。 第八図「人牛倶忘」で、『トリコロール/白の愛』['94]を想起させるホワイトアウトが「白の愛」の何倍もの長さで現れ、全てが無になった後、最初に還るとしてカラー画面に戻って悠然と草を食む黒牛が現われたのが第九図だ。そこで戻ったのが台湾島なら、海の彼方で戦火と思しき炎を挙げていたのは、中国本土のほうなのか、沖縄のほうなのか、なかなかに物騒な第九図だった。しかも、“最初に還る”の最初は、本作では「奪われるくらいなら自ら焼き尽くす」なのだから、ますます以て穏やかならない。 僕には、中国に対する台湾側の断固たる想いを表明しているように映ってきたが、監督・脚本を担った蔦哲一朗がそこまで激しい形での台湾へのコミットの仕方をしたのは何ゆえなのだろうと思ったりした。とりわけ今、首相の思慮に欠けた浅はかな発言によって、台湾問題が中国との外交上の看過できない火種になっている状況にあるなか、物騒なのが第九図に留まらず作品全体になってしまう気がした。もっとも、蔦監督が本作を撮っていた時点ではまだ問題となった首相発言はなかったわけで、ある意味、とんだとばっちりを受ける形になったと言えるようにも思う。 | |||||
| by ヤマ '26. 5.24. 喫茶メフィストフェレス2Fシアター | |||||
ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―
| |||||