『陽のあたる教室』(Mr. Holland's Opus)['95]
監督 スティーヴン・ヘレク

 先ごろ観たばかりの『暴力教室』つながりで邦題に教室の付いている作品を観たのだが、合評会の課題作に挙がった暴力教室』&『暴力脱獄がともに原題に暴力が付いてなかったように、本作の教室も原題にはない。「ホランド先生の作品」となるわけだから、映画の最後に演奏された「アメリカ交響曲」のことであり、その演奏に先立って、今や若き州知事となっている、教え子の一期生でクラリネットがなかなか上達しなかったガートルード・ラング(ジョアンナ・グリーソン)のスピーチにあった、私たちは先生の交響曲、先生の曲の旋律や音符であり、先生が人生をかけた音楽ですとの言葉を受けて付けられたタイトルなのだろう。ある意味、音楽よりも大事な人生の何たるかを考えさせる葬送に臨ませた一期生のスタドラー(デニス・ビアシ)の参加を配し、先生が目を留め握手する場面が印象深い。恩師とはそういうものだ。

 空き時間には作曲も出来るだろうと高を括ってバンドマンから音楽教師に転身したグレン・ホランド(リチャード・ドレイファス)の六十歳での御役御免になる1965年から1995年までの三十年間の教師生活を観ながら感慨深いものがあった。初っ端の授業でホランド先生が生徒に問い掛け無反応だった「音楽の定義」は、実に無味乾燥な代物だったが、本作が描き、ホランド先生が三十年間かけて取り組んできた学外を含めた活動こそが音楽の定義なんだろうとしみじみ思える映画だった。教え子や街の人々そして妻アイリス(グレン・ヘドリー)が用意してくれていた送別セレモニーに感無量のホランド先生を演じたリチャード・ドレイファスの表情が実に味わい深かった。

 これまでにも同じく音楽映画の『コンペティション』や最初と最後しか出番のないスタンド・バイ・ミー煙が目に沁みるオールウェイズなどが印象に残っているが、本作こそが代表作のように感じる。また、聡明で健気な賢夫人アイリスを演じたグレン・ヘドリーのどこかメラニー・ロランを思わせる表情とその豊かさに魅了された。三十年間を共に歩む若夫婦から老夫婦に至る過程における彼女の存在の大きさと確かさに観惚れていた。

 教師としても父親としても未熟さからスタートした成長を遂げていくグレンの人生が滋味深く、親友として伴走した同僚の体育教師ビル(ジェイ・トーマス)や、良き指導者であり理解者だったジェイコブズ校長(オリンピア・デュカキス)が、なかなか素敵だった。公開時の'95年だと僕はまだ三十代。ホランド先生の六十歳での感無量を味わうには、今の歳のほうが好機だったかもしれないと思ったりもした。そして、レーガン政権の生んだ所謂「双子の赤字」のツケで緊縮財政を強いられた当時の教育費削減策に対応して音楽・美術・演劇を教科から排除する方針を立てた元教頭のウォルターズ校長(ウィリアム・H・メイシー)に対して、芸術の科目を削減すれば、読み書きの題材を失うと抗弁していたホランド先生の言葉に、いま我が国で行なわれている美術館や博物館への予算削減を思い、たいへん時宜に適った放映だと感慨深いものがあった。

 すると弟と同学年になる同年輩の映友からリチャード・ドレイファスが素晴らしいです。教師として少しずつ豊かな人間性を育んでいく展開でしたが、いざ我が息子となるとうまくいきません。それが、人間として父親として当たり前なのでしょうか。封切りで見て感動した記憶がよみがえって来ました。🔔とのコメントが寄せられた。三十代で観ても充分に感動を与える映画なのだ。

 この作品を観ると、教師は生徒に育てられ、親は子供によって育まれることが実によく判る。聾者に生まれた息子コールとの難しくなった関係を解きほぐす契機になったのも音楽だったように思う。そして、教師にしても親にしても育てる以上に育てられるものであるということに誠実に取り組んできた者に与えられる果報というものが実に好く描かれていた映画だった気がする。ジェイコブス校長が知識を与えるだけでは不十分。それを正しく使うためのコンパス(羅針盤)となってこそ、本当の教師と指導したことの結実が最後の場面だった。
by ヤマ

'26. 8.21. BSプレミアム・シアター録画



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