『グランド・ホテル』(Grand Hotel)['32]
『ブロードウェイ・メロディー』(The Broadway Melody)['29]
監督 エドマンド・グールディング
監督 ハリー・ボーモント

 様々な人々の人生模様を一堂で垣間見せるスタイルの映画の代名詞ともなった『グランド・ホテル』は、手元の記録に残っていないから名のみぞ知る未見作だと思っていたが、「お茶の間名作劇場 アカデミー賞作品50選」とのパッケージに収まった10作品のディスクの二番目のタイトルとして観てみたら、オープニングの矢継ぎ早に切り替わる電話ボックスの場面から既視感が湧いて来た。むかしテレビ視聴しているのだろう。

 人気ダンサーながら仕事やつれに気力を失っていたと思しきグルシンスカヤを演じたグレタ・ガルボこそは、松任谷由実が呉田軽穂としてペンネームにも使っている、名のみぞ知る著名女優で、既見作は十四年前に観た『ニノチカ』['39]くらいだ。当時の観賞メモにクール・ビューティのガルボもなぁ、伝説の女優ってなオーラを本作では感じなかったし、そもそも110分が少々長すぎ。むしろスワナ大公妃を演じたアイナ・クレアーのほうが好みだった(あは)。わりっとタワイもなく色男レオン(メルヴィン・ダグラス)に篭絡されてしまうし、序盤からして冷徹な切れ者の元工作員というよりも頭の固い偏屈女性にしか見えないし…(苦笑)。などと残していた。

 それから言えば、思わぬ柔らかい表情も見せたりする本作の彼女は、悪くない。バレエのステージ衣装の肩紐を外して、ちらりと胸元を窺わせるショットは、秘書+アルファの仕事に雇われる速記者フレムヒェンを演じるジョーン・クロフォードが、入り婿社長のプレイジング(ウォーレス・ビアリー)の構えた部屋を訪ねた際に、着替えたガウンの羽織り方で覗かせていた胸元同様に、当時の男性観客を悩殺したに違いない。九十四年も前の映画だ。

 第一次世界大戦の傷跡として顔の反面全体を覆うケロイドを残しているドクトル(ルイス・ストーン)の呟く「人が来ては去っていく」で始まり終えていた本作は、「死を知らなければ生きる価値も判らない」というような黒澤監督の『生きる['52]を想わせるようなことを言っていた、間もなき病死を宣告されている、しがない帳簿係のクリングライン(ライオネル・バリモア)が得ていた思わぬ果報と、男爵を名乗る伊達男のフリックスことガイゲルン(ジョン・バリモア)の思わぬ死とを並べ、予期できぬ人生の明転暗転をスケッチして、なかなか鮮やかな手際の作品だったように思う。


 アカデミー賞受賞作品選抜10枚組ボックスの『グランド・ホテル』(第5回作品賞)に続く『ブロードウェイ・メロディー』第2回作品賞)は、その『グランド・ホテル』を撮ったエドマンド・グールディング監督の原作によるブロードウェイのバックステージものだった。

 それなりに売れていた西部から出てきた歌って踊れるマホーニー姉妹の憧れの街ニューヨークの空撮から始まった、ほぼ百年前のトーキー作品は、当時はこれがお洒落でゴージャスなキンキラ感だったのかなと妙に微笑ましい見映えのモノクロ画面だったが、姉ハンクを演じたベッシー・ラヴも、妹クィニーを演じたアニタ・ペイジも、ともに美しく魅力的だったから良しとしようというくらいの感じの映画だった。

 映画がトーキーになった時代、それなら歌って踊る映画をと企図したのであろう意欲は、いかにも思い付きそうなことだけれども、技術的にはけっこう困難だったからこそ、本作が嚆矢として評価され、作品賞を受賞しているのだろう。だが、たまたま一堂に会した面々の人生模様を描き出す映画が後に“グランド・ホテル形式”と呼ばれるようになったのに対して、その後も量産されたショービジネス業界のバックステージものが“ブロードウェイ・メロディ形式”とは呼ばれていない位の差はあるように感じる。

 恋愛至上主義というか、自由恋愛こそがヒューマニズムに適うものとして謳歌された時代の作品なのだろうか。恋心において心変わりなど已む無きものとして、それを咎めるよりも真情への正直さのほうを肯定している感じが妙に懐かしく感じられるとともに、僕が幼い頃には普通に披露されていたような気がする、今やタブー化して消滅した“吃音を芸として見せて笑いを取る演技”が、マホーニー姉妹の叔父を演じていたジェド・プラウティによって繰り返されていることが目を惹いた。
by ヤマ

'26. 5. 1. DVD観賞
'26. 5. 5. DVD観賞



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