『シャイアン』(Cheyenne Autumn)['64]
監督 ジョン・フォード


 先ごろ観たばかりのサスカチワンの狼火['54]を想起させる造りの映画だったが、十年後の本作では、1878年9月7日と日付まで明示されていたのだから、十代の時分に世界史で習った“カノッサの屈辱”を思わせるような棒立ちにシャイアン族が見舞われ、死の行軍のような苦難の日々を強いられていた姿は、おそらく史実なのだろう。そのときリチャード・ウィドマークの演じたトーマス・アーチャー大尉のような将校が実在したのかどうかまでは判らないが、現場で起きている惨状を観ることもなく、本作のシュルツ内務省長官(エドワード・G・ロビンソン)の台詞にも出てくる「金目当ての自称“愛国者”の依頼」に欲得で応じた政治家が破格に非人道的な横暴を企てる構図は、百五十年経った今現在も世界中で繰り返されていることが実に情けない。政治家を利権から遠ざける手立てはないものだろうかと改めて思う。

 また、先ごろ観たばかりの友情ある説得['56]で非常に印象深かったクエーカー教徒が本作でも印象づけられていたのが目を惹いた。非暴力主義に立ち位置を置く読書家の教師デボラ(キャロル・ベイカー)が『友情ある説得』のイライザ(ドロシー・マクガイア)とも通じる、気丈と慈愛に満ちた“西部劇のヒロインに似つかわしい女性像”を体現していたように思う。彼女が言うあなたは過去しか見ない。私は未来を見ているのという台詞が妙に印象深く残ったのは、当世では過去も未来も見なくなり、今だけカネだけ自分だけが「当然のことじゃないか、何が悪い」といった幅の利かせ方をするようになっているからなのだろう。お花畑だのソフトクリームだのと揶揄する賤しい冷笑が蔓延っているのが情けない。

 加えて、商業主義メディアが無責任に煽り、犠牲者数9名を推測伝聞で29名、59名、69名、109名と煽り立てていくさまと同時に、目立たせるための商売戦略として逆の路線を明確にする方針を立てる社が現われるさまを描いていて感心させられた。昨今の我が国でのクルド人攻撃にも端的な、不安を煽り立てた排外主義の喧伝を想起させるものがあったように思う。

 本作で戦利品として頭の皮を剝ぐのは、先住民ではなく白人であり、先住民殺害さえも敵意どころか、好奇心でやってのけるガンマンが描かれ、西部劇のヒーローとして名高いワイアット・アープ(ジェームズ・スチュワート)とドク・ホリディ(アーサー・ケネディ)を博奕と娼婦好きなだけの伊達男として描いていたのは、果たして原作にもあった設えなのだろうか。映画化に際しての脚色のような気がしてならなかった。

 70mmで西部の荒野を映し出す画面のスケール感はさすがのフォード作品で、“フェッターマンの虐殺”で父親を亡くしたというスコット中尉(パトリック・ウェイン)が、アーチャー大尉の命令を無視して率いる部隊を突撃に掛けた場面での疾走感など、目を惹く場面もたくさんあり、なかなかの作品だったように思う。それにしても、スコットに亡父のことを知っていると言っていたアーチャーの知る軍人像は、いかなるものだったのだろう。もしかするとアーチャーの上司で愚かな指揮で臨んだ戦闘でいち早く死んでいったブレイデン少佐や、ロビンソン砦でダル・ナイフ(ギルバート・ローランド)率いるシャイアン族の一群を本部からの命令に従って、命令を言い訳に虐待していたウェッセルス大尉(カール・マルデン)のような軍人だったのかもしれない。
by ヤマ

'26. 4.26. BSプレミアムシネマ録画



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