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『顔を捨てた男』(A Different Man)['23] | |||||
監督・脚本 アーロン・シンバーグ | |||||
いかにもポリティカル・コレクトの時代の作品だなと思われる配慮が施されていることを感じさせつつ、なかなか意欲的な作品づくりに取り組んだ感じを漂わせている映画だったように思う。リスクもあると医師が言っていた新薬の副作用によってエドワード(セバスチャン・スタン)が観た“幻覚”かと思いきや、そうはしていなかった顛末に好感を抱いた。 てっきり四肢が麻痺していると思っていたエドワードが、思い掛けなく居宅リハビリのトレーナーを襲ったのは、オズワルド(アダム・ピアソン)を嵌めるためだろうと思ったのだが、そのようには運ばない展開にも好感を抱いた。それならエドワードの犯行動機は何だったのだろう。有無を言わせない形で彼をオズワルドの前から隔離する作劇上の必要性のほうを感じさせる弱みが残る気がしたのが玉に瑕だったように思う。 腫瘍塗れの崩れた顔を捨ててすっかり“別人”になったエドワードにおける得失が何で、最後にカナダに旅立つオズワルドとイングリッド(レナーテ・レインスヴェ)が捨てたものは何だったのだろう。不動産事業の敏腕営業マンとして成功しながら充足の得られなかったエドワードやイングリッドの様々な選択の在り様の描き方を観ていると、作り手には、'60年代への回帰志向があるような気がした。 劇作家を志し、成功を収めたと思しきイングリッドを演じたレナーテがなかなか魅力的だったが、チラシを観るまで『わたしは最悪。』['21]のユリアだとは気づかなかった。 彼女がガイ【エドワード】に中断させたセックスを、腫瘍塗れだったときの面を付けさせて再開させながらも吹き出していたことと、オズワルドとは吹き出さなかったのであろう差異が何に起因すると思うか、エドワードの殺人動機と併せて、観た人の意見を訊いてみたい気がした。 僕としては、殺人動機はオズワルドを嵌めてイングリッドから隔離する意思にあったけれども奏功しなかっただけだと観ているのだが、それなら突如かられた情動のような見せ方をするのは不味い気がする。そして、エドワードの面を付けたガイと生身のオズワルドとの差異は、まさに面と生身の違いにあるのであって、エドワードとオズワルドの差異ではなかったことを示していたように思う。原題の“別人”に関わってくる本作の要点のように感じる。決して別人ではない“別人”ガイの存在というのは、エドワードにとってもイングリッドにとっても、いったい何だったのだろうかという問い掛けが重く、オズワルドの子を宿した妊婦姿のイングリッドを目の当たりにして、これ以上のものはないような敗北感に見舞われていたエドワード【ガイ】が印象に残る作品だったように思う。 | |||||
by ヤマ '25. 9.21. キネマM | |||||
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