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『東京暮色』(デジタル修復版)['57/2017] 『秋刀魚の味』(デジタル修復版)['62/2013] | |||||
監督 小津安二郎 | |||||
先に観た『東京暮色』は、四半世紀前に市民図書館の上映会で観て以来の再見だ。むかし観たときは、夫が単身赴任中にその部下と恋に落ち、恐らくは夫の帰国後に幼い娘二人を置いて満州に出奔したと思しき喜久子(山田五十鈴)を含め、誰一人として積極的な悪意はないままに人々が不幸な状況に見舞われる人生の悲劇を描いた秀作だと感じた覚えがあるのに、銀行で監査役を務め、出勤中に堂々とパチンコ屋に出向く暢気な境遇にある杉山周吉(笠智衆)をも上回る歳になって観直すと、なんとも辛気臭い無為無策の成行き任せが妙に気に障ってきた。運よく不幸な状況に見舞われなかっただけの僕の“成行き任せ処世”を咎めてきている感じを無意識のうちに受け取ったのかもしれないなと苦笑した。 冒頭「浮世風呂」と掲げた看板を映し出して始まった本作は、おそらく当世を描出することを宣言していた映画なのだろう。あと数年で古希を迎える僕が生まれる前年の作品で、都会の若者がスキー板を提げて夜行列車に乗ったりする時代になり、「もはや戦後ではない」と謳った経済白書が出た翌年の映画なのだが、僕があちこちの雀荘に入り浸っていた大学時分にもまだ雀荘に女性客が何人もいる様子は見掛けたことがなかったから、大いに意表を突かれた。杉山明子(有馬稲子)の出入りする「壽荘」なる皮肉たっぷりなネーミングの雀荘の雰囲気が、まるで当世の健康麻雀風で、四半世紀前には覚えなかった大いなる驚きとともに観た。 誰一人として積極的な悪意はないと上述したが、おしなべて皆人に責任感覚が乏しく、無為無策に留まらない無責任ぶりは明子を妊娠させた恋人の木村憲二(田浦正巳)のみならず、二人の顛末をおどけた調子で麻雀仲間に吹聴する川口(高橋貞二)などにも顕著だったように思う。作品タイトルに「無責任」が謳われる植木等による平均[たいらひとし]の『ニッポン無責任時代』['62]が現われるのは、この五年後のことだ。 明子の姉孝子を演じる原節子の陰気と山田五十鈴の演じる母喜久子の陰りの無さは敢えて設えた対照なのかもしれないが、筋立てに似つかわしくない長閑で明るい曲調の音楽をずっと奏で、♪おぉ~、明治ぃ♪との明大校歌をやけに印象づけて応援歌の如く繰り返していたあたりには殆どギャグかと思えるような遊びが感じられ、本作に悪意のある者がいるとしたら、唯一作り手に他ならないような気がした。趣味の好い映画だとはあまり言えないように思った。 哀れにも「生まれてこないほうが良かった」と洩らしていた明子の死が思い余っての自死未遂によるものなのか、失意による自失で朦朧としていたなかでの事故によるものなのかは、観る者によって受け止めが異なりそうだが、僕は後者のような気がしてならなかった。孝子が沼田康雄(信欣三)の元に帰ることにしたのは、明子と同じ片親家庭で育つ目に娘の道子を遭わせたくなくなったからに違いないのだが、悪意もなければ責任感覚もなさそうな沼田との復縁が果たしてうまくいくのかどうか、至って心許ない限りだ。 翌日観た『秋刀魚の味』は、『東京暮色』に描かれた「無責任」をまさしくタイトルに掲げた『ニッポン無責任時代』と同年作だ。都会の若者がスキー板を提げて夜行列車に乗ったりする時代になっていた『東京暮色』に対し、本作では、アパート暮らしのサラリーマンの趣味が日曜ゴルフだったりしていた。戦時中は駆逐艦艦長だった平山周平(笠智衆)の部下で兵卒だった坂本(加東大介)が、戦後の苦労よりも駆逐艦時代のほうを懐かしみ、軍歌を愛唱している姿が印象深い映画だ。 平山の中学時分からの親友で一流会社の常務取締役になっている河合(中村伸郎)が、教師を退職後に燕来軒のオヤジになっている恩師の佐久間(東野英治郎)について「チャンそば屋」をやっていると言っていた台詞が耳に留まった。ラーメンのことをチャン蕎麦と言うのは初めて聞いたように思うのだが、「チャン」を侮蔑語だという意識もなさそうに使っている感じだった。妻に先立たれたのち娘の伴子(杉村春子)を便利に使って独身のままにしてしまったことを過ちとして悔いつつ中華そば屋になっている境遇を教え子に卑下していることを落ちぶれた姿として教え子たちが受け取っているさまが描かれていたから、河合の言葉遣い自体には侮蔑ニュアンスがなかったとしても、残す印象はそうはいかなくなってくるように感じた。 それはともかく、妻に先立たれ、娘の路子(岩下志麻)を“便利に使っている”ことに不安を覚え始めた平山周平、娘ほどに若い細君を得て悦に入っている堀江(北竜二)、その堀江を「ああはなりたくないねぇ」と嘆く言葉に羨ましさが満ち満ちていた河合、中学を卒業して四十年ということだったから、五十路半ばの中学同窓生の三人の交流になかなか味わいのある作品だったように思う。作品タイトルにある秋刀魚は、劇中に出て来なかったように思うが、人生の秋霜を思わせる老境にある、それなりにゆとりある男たちの哀感とユーモアが沁みてきた。 | |||||
by ヤマ '25. 6. 2. BS松竹東急よる8銀座シネマ録画 '25. 6. 3. BSプレミアムシネマ録画 | |||||
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