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『コレクター』(The Collector)['65] 『タクシードライバー』(Taxi Driver)['76] | |||||
監督 ウィリアム・ワイラー 監督 マーティン・スコセッシ | |||||
今回のカップリングは、世間的には狂人とされてしまいそうな二人の若い男を描いた'60年代半ばと'70年代半ばの映画だった。先に観た'60年代の『コレクター』は、十代の時分に確か月曜ロードショーの予告で作品名を記憶しながら観逃し、以来、半世紀以上宿題になったままだった映画だ。その話を聞いて映友が録画ビデオを提供してくれながら、初見をビデオ視聴にするのは気が進まず放置していて、合評会課題作になってようやくDVDで観たということになる。 捕虫網を振り回すフレディ(テレンス・スタンプ)の姿から始まった本作は、狂気と言うよりも思い込みに囚われた変質者という感じだなと思いながら観ていたが、ロンドンに出てくる前のレディングの街でバスに乗り合わせていた時から想いを募らせていた画学生ミランダ(サマンサ・エッガー)への一途な執心であり、その抑し難い性的欲望を禁欲的なまでに抑圧してでも、自身を認めてもらい心を寄せてほしいと願う執着を描こうとしていることに至って、変質と言うよりも、方法論を勘違いした“欲求の真っ当さ”に興味を覚え、どういう結末に持って行くのか興味津々だった。それからすれば、なかなかスリリングな運びは流石『ローマの休日』『大いなる西部』のワイラーだけあって満点ながら、結末には少々落胆した。 蝶選びを誤ったコレクターにフレディを還してしまえば、ミランダに自身を認め受容してもらいたいと願っていたはずのフレディの執着が、ミランダへのものではなく只の美女コレクターに堕してしまい、あれだけ性欲を抑制して紳士的に振舞おうとしていた姿までもが倒錯的な自虐行為に映って来て、“欲求の真っ当さ”から懸け離れていく気がした。それでは、僕の興味の核心から逸れていってしまうし、フレディからの指輪とプロポーズの言葉にあれだけ動揺し瞳を潤ませ涙していたことからも、不倫の恋に身をやつしていたと思しきミランダが、中年の恋人にはないフレディの自制と真摯さの底に流れる真心を察知し、その方法は誤り以外の何ものでもないながらも、懸命に自分に向ってくる熱情によって揺れ動く関係に妙味が宿っていた部分が台無しになるような気がしたわけだ。 美しい蝶のコレクターではありながらも、美女コレクターではなかったほうが好く、蝶を育み、蒐集する趣味に長らく親しみ手練れていたことが、純情な彼に方法を誤らせたという結末のほうが味わい深くなったように思う。ミランダがフレディの標本を観て言っていた「綺麗ね、でも悲しそう。何匹殺したの?」という台詞がそのまま標的が蝶から美女に変わるフレディに向けられる形になる結末は何だか浅薄な類型化を来していたような気がする。 どう対処すればいいのか、終始迷い翻弄されながら必死にサバイバルに挑んでいるミランダをさまざまな表情で豊かに演じていたサマンサ・エッガーに感心し、フレディに「生きては出られない、そうね?」と返したときの絶望と、遂に身を挺して籠絡に出た際の決死のミランダに観惚れた。そして、自らプロポーズしながらミランダの意外な承諾に不審を募らせ憤慨した際に、計り難く底知れない不気味さと真剣味をその目に宿らせ、そのあと籠絡されかけながら我に返り「尊敬していたのに娼婦と同じだ」と吐き捨て、貰って悦に入っていた絵を暖炉にくべていたフレディを演じていたテレンス・スタンプがなかなか見事だと思った。そして、取って付けたように「ここを出て行くためだな」と我に返ったような様子をフレディが見せていたのは、もしかすると想定外の極度の興奮によって俄かEDに見舞われたことによるのではないかとも思ったりした。敢えてロンドンの娼婦の話を持ち出すのも、思わぬ狼狽がさせたことのような気がしなくもない。 すると、高校の新聞部の五学年先輩が「女性にあまり接したことのない、女性に対して変に高い理想を持っていて、しかも収集癖があって、それを実行する時間も金もある、という男。それが欲求の落としどころがわからないので、あの結末しかないのでしょう。」とのコメントを寄せてくれた。「欲求の落としどころがわからない」というのはその通りで、フレディとミランダの結末は、あれでいいのだと思うが、その後、女性選びを誤ったと呟きながら次なる標的に向かうフレディは、僕には戴けなかった。先輩は「ミランダは自分の探していた女性ではなかった。理想の女性はどこにいるのだろう、という気持ち・考えは誰しもが持つものだと思いますょ。」とのことだったが、それはそうだと思いつつ、フレディの場合、ラストのモノローグが「(今度はピカソを解しサリンジャーに共感を示すインテリ画学生のミランダと違って)僕が仕込むことのできる普通の女を…」だったところが問題で、理想の女性を追うのでもなければ、(バスの乗り合わせが契機であろうがなかろうが)それなりに時間を掛けて想いを募らせた相手でもなさそうな、ナースキャップの目立つ労働者階級の女性をつけ狙っていた感じが、まさしく捕虫網で獲物を追う蒐集家の風情だったからだ。 五年前に四十年ぶりの再見をしている『タクシードライバー』もまた、再見時の合評会で「狂気か否か」が話題になった覚えがある。そのときの日誌に「僕は、…“狂気”に異議までは唱えなかったけれど、違和感を覚えるようなところはあって、狂っているとしたら、トラヴィス以上に彼をそこまでの凶行に至らせ、且つ、…ヒーローに仕立て上げたように見受けられた社会のほうだという感じが強い。ある種の切実さを伴っているがゆえに、“狂気”で済ませたくはないものを彼は湛えていたように思うのだが、とはいえ、アウトローだったことには間違いない。」と綴っているように、ピカソやサリンジャーを巡って自分の意見に同調を見せたミランダに対して「友達とだったら調子を合わせず議論しただろう?」と指摘していた『コレクター』のフレディの行状と同様に、その常軌からの逸脱を“狂気”で済ませてしまうことに抵抗感が湧いたのだった。 今回、五年ぶり三度目の観賞をして思ったのは、社会に対してまるで閉じていたフレディの内向性とトラヴィスの外向性との対照だった。ミランダに恋したフレディと、ベッツィー(シビル・シェパード)に言い寄っていたトラヴィスには驚くほどに共通性があって共に、自分とは生きてきた環境の異なるインテリ女性に憧れていたのだが、善悪の彼岸において自己実現を果たそうとするフレディと、社会正義を実現させようとするトラヴィスとは実に対照的でありながら、共に方法論はとんでもなく誤り、常軌を逸脱していた。 興味深いのは、フレディが'70年代に生きていたらトラヴィスになったと思えるかと想定すると、決してそうはならない気がする点だ。ロンドンで娼婦買いをするフレディであっても、トラヴィスがデートムービーに選んだような映画にベッツィーを連れて行くことは考えられない。そして、決定的な違いは、トラヴィスが海兵隊を名誉除隊したと言っていたように、やはりベトナム戦争だという気がした。そういう意味では『タクシードライバー』のほうは『コレクター』以上に時代性をよく捉えていると思った。 今回の観賞はNHKBS放送の録画ディスクだったから、トラヴィスがベッツィーを連れて観に行った映画のタイトルが、どうやら『Swedish Marriage Manual』だったことが判明した。当時、大流行していた性教育映画の一つのようだ。'70年代には教育映画を大義名分にして性的好奇心を煽る宣伝と公開がされていた記憶がある。本作に映し出されていた看板には日本でも『淫らな唇/スーザン』['74]の邦題で公開された、かの巨根男優ハリー・リームスが出演するポルノ映画『Sometimes Sweet Susan』と並んでタイトルが記されていた。五年前の日誌には「注目すべきは、トラヴィスがベッツィーを誘って観に行った映画のような気がする。あの時分、ポルノショップで見せていたのは、いわゆるドキュメンタルなセックス・フィルムだったように思うから、普段それを観ていたであろうトラヴィスにすれば、「ああいうシーンが出ては来てもセックス・フィルムじゃなくて映画なのに」という気持ちがあったような気がした。「なんで、この程度で怒るのか?」というような顔をしていたように思う。」と記していたが、もっと積極的に“結婚を前提とした真面目な付き合い”であることをアピールしていたのかもしれないと思った。この方法論のズレようというか頓珍漢ぶりは、まさにフレディ張りだと妙に可笑しくも感心させられた。この性教育映画のほうはNHKBS放送でも暈しが入っていなかったが、序盤でトラヴィスが観ていたセックスフィルムは全面に暈しを掛けていた対照が、まさにトラヴィスの捉え方と重なるようで面白かった。 合評会では、ある意味予想どおり、フレディ及びトラヴィスの行状が狂気によるものか否かが話題になった。どちらかと言えば、狂気と観る者が多かったような印象があるが、同じ「狂気」という言葉を使っても各人の狂気に対する捉え方の違いがあるように感じて、狂気か否かという命題自体がナンセンスのようにも思ったが、僕は、狂気という言葉のなかに支離滅裂や錯乱といった理性の消失イメージを強く抱いているので、フレディやトラヴィスには当たらないものだというふうに感じている。 明らかに常軌を逸脱していて自身の思い込みに囚われていたけれども、二人とも支離滅裂どころか至ってロジカルな思慮に基づいて行動していたような気がする。ひどく独り善がりで到底、所期の目的を実現することが叶いそうにない身勝手な頓珍漢というか、ずれ捲っていたわけだが、フレディはミランダを監禁し長い時間を共有すれば自分の真心や献身、善良さが理解されるに違いないと思っていたろうし、トラヴィスはベトナム時代のように武装し心身を鍛え直せば自分は戦場ではなくとも意義深い活動に従事できるようになると本気で思っていた気がしてならない。その勘違いの大きさを以て正常な判断力を失った狂気と見做す向きもあるのだろうが、当該集団における常識的思考と異なることを以て狂気と言うことに対しては、僕には違和感がある。 面白かったのは、フレディにしてもトラヴィスにしても、あの囚われ方や拘りは男性特有のもので女性にはないものだという“二人の女性からの性差による指摘”だった。ファナティックな囚われというのは決して男性特有のものだと僕は思わないのだが、二人の女性がそういう感じ方をしたのも分からないではない気がした。フレディにしてもトラヴィスにしても、そこに描かれていたのが女性への執着であり、現れていたものが支配・所有欲のように映ったからなのだろう。だが、僕が両作に関してとりわけ興味深かったのは、フレディにおいてもトラヴィスにおいても、性欲や支配・所有欲以上に渇望しているものとして映って来た欲求の眼目が、見初めた異性からのものであれ社会からのものであれ、二人とも“承認欲求”に他ならないと映ってきたことだったから、尚更に性差の観点から眺める視線に意表を突かれた気がしている。 また、フレディがミランダに手出しをしなかったのは彼が不能者だったからではないかという意見が出たのも面白かった。これについては二十年来の映友女性が僕の書いていた「その抑し難い性的欲望を禁欲的なまでに抑圧してでも」に着目して「本当に大昔、DVD借りて観ました。30年くらい前かな。その一度きりです。フレディは、不能じゃなかったんですか? 30年間、そう思っていたんですが、違うんですね(笑)。誘拐したくせに、眠らせたミランダのスカートが乱れると、きちんと直してあげるでしょう? こんな育ちの良い男性が、こんな歪な性癖を持つなんてと、人間は複雑だわいと、このシーンはすごく覚えています。」とのコメントを寄せてくれていて、僕は「フレディのEDの件は、遂に「私を抱いて」と身を挺して籠絡に出た際の決死の彼女に籠絡されかけて我に返り「尊敬していたのに娼婦と同じだ」と吐き捨てたうえに、貰って悦に入っていた絵を暖炉にくべていた彼が、取って付けたように「出て行くためだ そうだろ」と我に返ったような様子を見せていたときに、もしかすると想定外の極度の興奮によって俄かEDに見舞われたことによるのではないかとも思ったりしたよ。敢えてロンドンの娼婦の話を持ち出すのも思わぬ狼狽がさせたことのような気がしないでもない。 でも、元々不能ではなかったように思うなぁ。泉じゅんの『愛獣 惡の華』の日誌にも「ナオミを拉致してきた最初の日の淵上の不慮の不能ネタは、ポンと百万円出してきた程の一目惚れによる気後れだとしても、物語にそぐわない気がした。」と書いたことにも通じるんだけどね。 あのスカート直しこそは、まさに僕が「禁欲的なまでに抑圧」と書いた部分ですよ。インパクトあるよね。コンプレックスと背伸びがないまぜになった歪なまでの「紳士的な振舞」なんだと思ったなぁ。」と返していたので、同じように観る向きもあるのだと思ったからだ。だが、もともと不能で手出しをしなかったのだと観てしまうと、僕としては随分と興趣が削がれるような気がする。この葛藤と擦れ違いこそがフレディとミランダの関係の核心部分だと受け取っていたから、彼女の死後、フレディが易々と次なる標的に目を向けてしまうラストに違和感が生じたのだった。 『タクシードライバー』については、主宰者から売春窟襲撃の際の銃撃戦の場面から後はトラヴィスによる妄想ではないかとする解釈もあるとの提起がなされ、それならヒーローとして持て囃されてアイリスの親から感謝の手紙が寄せられたり、ベッツィーが声を掛けて来たりする場面の納得感が増すとの賛同意見が挙がった。襲撃後、自死しようとして引鉄をひくも弾切れで叶わなかったトラヴィスだったが、あそこで実は息を引き取り、その間際に観た妄想として警察官の踏み込みによる救出以降があったということなのだろうが、そのように解すると、現実的というか尤もらしさが出てくる一方で、それがトラヴィスの妄想だとなれば、彼以上に現代社会のほうがおかしくなっていることの提示が弱まり、後の『キング・オブ・コメディ』['82]に繋がる主題が失われるので、僕の与するところではないように思った。 ともあれ、合評会での談義は専ら『コレクター』のほうに集中していたように思うのに、どちらの作品を支持するかと問われると四対二で『タクシードライバー』が上回っていた。作品的にはそうなのだろうが、僕は長年の宿題が片付いたことと、想定とまるで異なる作品で、その運びと演技に大いに魅せられたことから『コレクター』のほうにした。 | |||||
by ヤマ '25. 6.14. DVD観賞 '25. 6.15. BSプレミアムシネマ録画 | |||||
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