『箱男』(The Box Man)['24]
『いきもののきろく』['14]
監督 石井岳龍
監督・脚本 井上淳一

 先ごろようやく初めて観た『快盗ルビイ』['88]の小泉今日子とむかし結婚していた永瀬正敏の主演作を奇しくも続けて観る機会を得た。先に観たのは、安部公房の原作を三十余年掛かりで映画化した『箱男』。120分も必要だったかなとは思いながらも、安部公房のイメージにある倒錯性がよく視覚化された映像世界だったように思う。例によって原作未読ながら、山口果林の残している安部公房とわたしは、九年前に読んだ。

 目のアップのモノクロ画面で始まった本作のアバンタイトル写真は、エンドクレジットによれば、安部公房自身が撮って残しているものらしい。原作が刊行された1973年を引き出すようにして映し出されていたが、本作自体の時代設定は、パソコンやキックボードの有様からしても現代だ。半世紀を超えるタイムラグがあるのだが、映し出された精神世界に時代錯誤感はまるでなく、ある意味、時代が安部公房に追いついたかのような観を呈していて、かなり感心した。

 戸山葉子を演じた白本彩奈がなかなか好くて、壇蜜に通じるような透明感と聡明さが印象深かった。改めて文学なるものは変態のものするものだとの思いが湧いた。その妄想力の豊かさに拮抗しているように感じられる映像世界に魅せられればこそ、本作を100分以内に編集していればさぞかしと惜しまれた。箱男を意識するものは箱男になるとのフレーズは、文芸サークルにいた若き日に接していたら、けっこう尾を引いたような気がする。


 翌日観た一時間足らずの『いきもののきろく』では、エンディングで流れた主題歌がとても沁みてきた。寺山修司と高取英による詞に、制服向上委員会のプロデュースもしていたPANTAが曲を付けた時代はサーカスの象にのっては、'69年に寺山が書いた未見の芝居のタイトルでもある。前日に観た『箱男』の原作は、'73年だから四年遡るわけだが、2024年に映画化された『箱男』に十年先駆ける本作のテイストに、余りに通じるものがあって吃驚した。それは単に主演が同じ永瀬正敏だからでもない気がした。

 すると、劇場の表に貼り出してあったチラシに後年、『箱男』を観た井上は「これは、『箱男』を作れなかった時代の、永瀬正敏による『箱男』ではないか」とも述べているとあって、本作の監督でさえそう感じたのかと感慨深かった。十二年前の戦争と一人の女['13]の公開時にシネマスコーレの支配人・木全純治が企画して、主演の永瀬正敏が原案を示して出来た作品なのだそうだ。両作のモチーフとなった作品の負っている時代性が大きく影響しているように感じていたのだが、そればかりでもなかったようだ。

 黒澤明の生きものの記録['55]を僕が観たのは、奇しくも本作の製作された年で、拙日誌には遺言~原発さえなければ~['14]と並べて観賞記を綴っている。永瀬の原案に東日本大震災後のイメージをプラスしたのは、脚本を担った井上らしい。震災後三年を経てなお取り戻せない日常性への回帰に対する願いと祈りを込めた本作に、不思議な巡り合わせのようなものを感じた。

 井上が脚本参加していた福田村事件['23]で沼部新助(永山瑛太)の妻ユキノを演じていた水本佳奈子(クレジットでの表記。チラシ表記は、ミズモトカナコ)は、本作で心に痛みを抱えた看護師を演じていたが、当時、京都芸術大学の学生だったそうで、驚いた。ほとんど台詞のない芝居のなかで非常にニュアンス豊かな演技を見せていて、その豊かな裸身と共に強い印象を受けた。喪失と再生を描いて、黒澤、寺山らの昭和から、平成、令和と三代にわたる戦後日本を想起させる心象世界が捉えられていたように思う。

 二年前に亡くなったPANTAの歌声に触れた延長で、久しぶりに十年前の制服向上委員会のライブを動画で視聴した。このパフォーマンスが行われたのは七月だが、僕が『箱男』を観た日が憲法記念日だった五月に相応しい♪ベートーヴェンの第九をもじった9条の唄♪と『いきもののきろく』にも繋がる♪オー!スザンナの替え歌「おー、ずさんな」♪が収録されていて奇遇を覚えた。

 同年の12.13.に地元の高知市中央公園で彼女たちのライブを聴いた際の備忘録には安保法制や原発再稼働に異議を申し立て、戦争反対・環境保護を訴える識者たちと同じような言葉でも、溌剌とした若い娘たちの声で聴くと予想外に新鮮で、共感ばかりが湧いてきたのは、僕の加齢によるものが作用しているのかもしれないけれど、僕自身は、彼女たちのしっかりしたMCの言葉によるものだという気がしている。と綴ってあり、かつて時の宰相佐藤栄作に対して青島幸男参院議員が国会で「総理は財界の提灯持ちで男妾である!」と発言して物議をかもしたのは四十五年前だが、今の政権は財界どころかトヨタという1企業を厚遇するために、強引なまでの円安誘導をしたり、軽自動車に負担を掛けたり、グリーン化税制による利益誘導を図ったりしているわけだ。一年ほど前に読んだ税金を払わない巨大企業』の読書感想文に「最近のトヨタのCMがソフトバンクも真似できないくらいの豪華キャストになってることに幸福感を覚えられる国民が果たしてどれだけいるのかなどと思うと、何とも腹立たしい」と記したことをまたぞろ思い出さされた。と添えてあった。十年前のことだ。

 六日後の地元紙には、このライブを含むイベント「まもろう平和 なくそう原発inこうち」を高知市と高知市教育委員会が後援承認したことに対して、市民が「議会から執行部に対し注意を促すよう求める」陳情を出して市議会総務委員会で4対4の可否同数のうえ委員長採決によって採択となったことが報じられていた。当時の市の総務部長から…社会活動の中で政治色のあるイベントは当然ある。何をもって政治的かの線引きは難しいが、幅広く認めていく姿勢に変わりはないとの話があったことも記事にしていたが、十年後の今では、陳情以前に市が後援承認をしなくなっている気がして仕方がない。
by ヤマ

'25. 5. 3. Netflix配信動画
'25. 5. 4. キネマM



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