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『宗方姉妹』['50] 『麥秋』(デジタル修復版)['51/2016] | |||||
監督 小津安二郎 | |||||
先ごろ合評会の課題作として『お早よう』と『小早川家の秋』を続けて観て「これまで『お茶漬の味』『東京物語』『秋日和』『浮草』『東京暮色』『大人の見る繪本 生まれてはみたけれど』『晩春』しか観ていないように思うので、もっと観てみたくなった」と記したところだったので、観ることにしたものだ。 先に観た『宗方姉妹』の最初に現れる大学での講義に即して言えば、姉の節子(田中絹代)の夫たる三村(山村聡)の耳に塗られていたコールタールこそは「失業」だったのだろう。'50年作品だから、敗戦後の日本が、同年勃発した朝鮮戦争を契機とする特需景気に見舞われる前の大不況期を背景にしているはずなのだが、小津作品はやはり優雅だ。大佛次郎による原作の映画化作品ながら、本作もまた野田高梧・小津安二郎による共同脚本だった。 当時は対照的な姉妹を描いていると看做されたのだろうが、どっぷりと古風に染まっている節子は無論のこと、今の視座から見れば、古風を批判しそこから抜け出そうと気負っている分だけ、却って古風が染み込んでいることが透けて見える満里子(高峰秀子)が印象深い。舌出し満里子を演じる高峰秀子の変顔オンパレードがなかなかの見もので、戦前モガとはまた一味違う感じのアプレゲールを好演していたように思う。 節子が十余年ぶりに再会したと思しき田代(上原謙)の申し出を拒み、別れを決意した夫の死に対する“自死ではないかとの疑念”について、映友たちは、どのように受け取っているのか訊いてみたい気がした。僕自身は、彼の死が自死か突然死かは割とどうでもよく、それよりも節子が自死ではないかとの疑念に囚われたことのほうが興味深い。つまり自死させたのは自分のせいではないかとの疑念と悔恨が田代との別れという自罰にも作用したように感じられるなかで、最も彼女を苛んだのは、自分はかつての田代への想いを断ち切って、三村の妻として生きる道を懸命に邁進してきたのに、少しも理解してくれないと夫を恨んでいたけれども、伴侶を少しも理解していなかった点では、自分も全く同じであったことに気づかぬ迂闊さといい気さ加減への自責の念だったような気がした。 古風に映る姉と戦後派気取りの妹という対照を見せているようでも、どちらも大して変わらぬ古風に染まっているのと同様に、どっちもどっちということが、人の有り体としての真実のような気がしてくる。古びないことこそが保ち続ける新しさあって、新奇な見映えを追いかけ移りゆく新しさなど忽ちのうちに古びてゆくものでしかない。それは、ある意味、真理だと思う一方で、どこかどっちもどっちのような拘りだという気がしなくもない心持が湧いてきたりもする。 印象深く繰り返し映し出されていた、節子の経営するバー・アカシアの壁にあった「I drink upon occasion Sometimes upon no occasion 」とのドン・キホーテの言葉の指すところにしても「どっちにしたところで」というような意味合いがあったような気がしてならなかった。 そして、節子からも満里子からも、真下頼子(高杉早苗)からも心寄せられていたモテ男の田代が結局、三人ともから去って行かれる憂き目に遭う顚末が気に入った。 翌年作の『麥秋』もまた、野田高梧・小津安二郎による共同脚本だ。これが小津の『麥秋』かとの思いで観た初見作品でもあった。画調監修として同窓生の近森眞史の前に名のあった川又昂が厚田雄春の撮影助手としてクレジットされていた七十四年前、戦後六年の映画だ。 波打ち際を小走りする犬のカットと、朝から旺盛な食欲を見せる紀子(原節子)の姿で始まり、夜遅く独り茶漬けを啜る紀子と、波打ち際を嫂史子(三宅邦子)と歩く紀子で終える映画だった。三世代同居の七人家族における小姑の紀子の結婚を巡る話で、またぞろ紀子の結婚話かとやや食傷した気分に見舞われたせいか余り響いてこなかった。 二十八歳だと行き遅れていると看做され、且つ未婚女性は半人前と同性からも目される時代の作品で、妻と妹が「ねぇ~」と示し合わせながらエチケットを講釈してくる場面で「(近ごろ)女が図々しくなってきた」と医師の間宮康一(笠智衆)がぼやいている姿には、戦後六年のこの台詞は、戦後に限らず太古から今現在にも続いて男が繰り返してきているもののような気がした。 まだ、決して豊かとは言えない占領下の荒廃期にあって、贅沢と言いながら買ってきた900円のホールケーキを嫂小姑で食しようとしていたところに訪ねてきた隣家に暮らす医師で康一の部下と思しき矢部(二本柳寛)がいそいそと相伴に預かったり、専務秘書としてタイプ打ちに勤しむ紀子の電車通勤に居合わせて『チボー家の人々』を読み進めているのだとの会話を交わす、実に憂世離れした優雅な話だった。戦争の影は、矢部と同窓だった兄が生死不明のままであることへの紀子の愁いや母志げ(東山千栄子)の嘆きに窺えるのみで、多喜川やら田むらなどの料亭が頻出する。その田むらの娘で、紀子の親友アヤを演じた淡島千景はなかなかよくて、紀子の上司たる佐竹専務(佐野周二)との関係が怪しかった。同じ独身者で既婚組に対して紀子と「ねぇ~」と示し合わせながらも、一味違う趣だったように思う。 康一と紀子の両親が大和の実家から東京に移り住んだのは十六年前とのことだったから、戦前なのだろうが、康一の子供の歳からすれば、医師となって独り立ちした康一が戦前に両親をまだ幼い妹ともども呼び寄せたということなのだろう。 僕が最も憂世離れを感じたのは、康一の子供たちが鉄道模型を走らせるレールを買ってもらえなかった腹立ち紛れに、大きな包装をレールと勘違いして食パンを足蹴にしたことに対して叱責を加えたことでちょっとした家出をしていた顛末だった。行方不明の最中に悠然と囲碁対局をしながら、康一の友人西脇(宮口精二)に「怒っちゃいかん」などと言わせていた。そりゃ叱らないかん、だろうと思う。 | |||||
by ヤマ '25. 4.22. BS松竹東急よる8銀座シネマ録画 '25. 5. 2. BS松竹東急よる8銀座シネマ録画 | |||||
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