江戸川乱歩の美女シリーズ(1話~6話)
テレビ朝日系「土曜ワイド劇場」

第1作『氷柱の美女』['77] 監督 井上梅次
第2作『浴室の美女』['78] 監督 井上梅次
第3作『死刑台の美女』['78] 監督 井上梅次
第4作『白い人魚の美女』['78] 監督 井上梅次
第5作『黒水仙の美女』['78] 監督 井上梅次
第6作『妖精の美女』['78] 監督 井上梅次
 これが天知茂が遺作となるまで八年間二十五作品続けた江戸川乱歩の美女シリーズの第一作かと氷柱の美女を興味深く観た。まだ浪越警部(荒井注)も登場しなければ、聴き慣れたテーマ曲も流れなかったが、明智が仮面を剥ぎ取るシーンや美しい乳房を映し出すカットは設えられており、何より目を惹いたのは、マネキンではなく蝋人形だったものの、氷柱の美女として人形が第1作から登場していたことだった。けっこうな出来映えの人形だったように思う。

 そして、第1作の美女、柳倭文子を演じた三ツ矢歌子が艶やかに美しく、なお且つ自ら欲張りで多情で不幸にする女と自嘲気味に零すキャラクターであることも目を惹いた。美女シリーズの初回がアラフォー女優による子持ち資産家寡婦だとは意表を突かれたのだが、原作とクレジットされていた未読の『吸血鬼』ではどうなっていたのだろう。


 いきなり全裸の女性の後ろ姿で始まった第2作浴室の美女は、シリーズの最初に観た第12作エマニエルの美女と同じく夏樹陽子が浴室の美女、玉村妙子を演じていたが、奇しくも前夜に観たばかりの狼の紋章['73]の志垣太郎も出ていて驚いた。荒井注による浪越警部が登場し、ここからコンビが始まったのかとの感慨を得た。このシリーズは、荒井注が出てくると、妙に安心感が湧く。明智の変装もきちんと現れたが、謎解き場面ではなくて意表を突かれた。髙橋洋子も出ていたが、旅の重さ['72]と異なり、脱ぐ役回りのキャラクターではなく、どこか不可解な人物像の奥村綾子を演じていた。

 最初に殺された福田得二郎(高桐真)の生首がなかなかのものだった。作り物ではなくメイクだったように思う。切り落とされた首を上手く見せていて感心した。獄門舟は原作小説にも出てくるのだろうか。原作とクレジットされていた『魔術師』は例によって未読だ。それにしても、夏樹陽子は綺麗だった。さすが美女役を二度やるだけのことはあると思った。天使のはらわた 赤い教室['78]が印象深い水原ゆう紀の名もクレジットされていたが、どこに出ていたのだろう。よもや妙子の入浴シーンでアップになっていた乳房の役回りではなかろうが、思い返しても気づかなかった。お話には、妙に釈然としないものが残った。五億円と言っていたお宝ダイヤは、結局、なんだったのだろう。


 第3作死刑台の美女は、何とも面妖な筋立てだった。三重渦状紋の北園竜子(稲垣美穂子)とはいったい何だったのだろう。単に利用されただけで、共犯的な役割を果たしたのは、彼女よりも川手庄太郎(増田順司)一家に犯人たちを近づけた明智小五郎ではないか、という形になっていた気がする。例によって原作の『狼の紋章』ならぬ『悪魔の紋章』は未読だが、原作でも犯人たちを近づけ、犯行時は結果的に邪魔にならないよう姿を消していた形になっていたのだろうか。劇中で述べられた計画的犯罪には芸術的センスが必要だという台詞は、いかにも江戸川乱歩に似つかわしく、小説のなかにありそうには思った。

 それにしても、いきなり乳首のアップが現われたオープニングには驚いた。前作の裸女の背面で始まったオープニング以上の踏み込みで、現在では考えられない番組構成だと呆気にとられた。タイトルになっている『死刑台の美女』からすると、美女は川手家の民子(かたせ梨乃)ということになるけれども、二十歳過ぎの新人当時の彼女の扱いはさほど大きくはなく、むしろ宗方隆一郎(伊吹吾郎)の妻として現れた「車椅子の美女」とも言うべき京子を演じた松原智恵子のほうが前面に出ていたように思う。

 危うく火あぶりにされかけたという民子の段ボール詰めに失笑し、京子の足の病を疑った明智が彼女の足に熱い湯を掛ける運びに吃驚した。最初に殺害された川手雪子(結城マミ)が投げ込まれていたトラックのマネキンの山に「来た!マネキン」とほくそ笑んだものの、美女の入浴なりシャワーシーンも現れないばかりか、明智の変装に何らの必要性も感じられない挙句の仮面剥ぎのない変装だったことに意表を突かれ、演劇や処刑台の設えなど意匠を凝らしたキッチュな芸術的要素を視覚的には盛り込んでいても、殺害方法や犯罪計画そのものにおける芸術的な精緻さは皆無だったような気がする。

 気になった原作を青空文庫で読んでみたら、犯人たちを川手一家に近づけたのは明智ではなかったものの出張はしていて、“地底演劇”の部分も含めて思いのほか原作小説に忠実な実写化だったことに驚いた。大小二つの渦巻が上部に並び、その下に横に長い渦巻がある。じっと見ていると、異様な生きものの顔のように見えて来る。上部の二つの渦巻は怪物の目玉、その下の渦巻はニヤニヤと笑った口である。と綴られた三重渦状紋の形状の違い程の差異は多々あって、妹娘雪子さんは、衛生展覧会の人体模型陳列室に、その生けるが如きむくろを曝す憂き目を見、姉娘の妙子さんは、場所もあろうにお化け大会の残虐場面の生人形と置き換えられ、竹藪に囲まれた一つ家の場面に、胸を血だらけにして倒れていた。 そして、この次は、一家の最後の人、川手氏自身の番であった。となっているように、原作小説には「死刑台の美女」たる民子は登場せず、そもそも三姉妹ではないし、明智が魅せられる「車椅子の美女」も現れない。そのうえで、雪子の殺害場面などは、百年近く前の原作小説のほうが妖しく刺激的で悪魔的な美を放っているように感じた。そして、いかにも原作小説にありそうだと僕が感じた台詞などは見当たらなかった。言葉にするのは無粋ということなのだろう。

 実写化作品では、衛生展覧会の禍々しい不気味さが、宗像ならぬ宗方博士の秘密コレクションの処刑台や拷問装置の部屋に替わり、雪子の死体を「生ける蝋人形」として第1作『氷柱の美女』の如く陳列してあった部分がトラックの荷台に詰め込んだマネキンに替わっていて、妙子の倒れていたお化け大会の残虐場面がヌード劇場の表の絵看板になっていたわけだが、実写化作品に感じた「何とも面妖な筋立て」については原作でもほぼ同じなのに、宗像隆一郎や明智小五郎の人物造形にも筋立てにも、釈然としないものが残らない運びになっていて、却って吃驚した。

 ついでに『氷柱の美女』の原作吸血鬼を覗いてみると、柳倭文子は地味な柄の光らぬ単衣物。黒絽の帯に、これだけは思い切きって派手な縫い模様。上品でしかも艶やかな襟の好み、八つ口の匂い。本当の年は三谷青年と同年の二十五歳だけれど、その賢さは年よりも遙かにふけていても、その美しさあどけなさは二十歳に満たぬ乙女とも見えるのであったとなっていて、“アラフォー女優による子持ち資産家寡婦”とは異なるものの倭文子の膝に肘をついて、長椅子の上に足をなげ出している、可愛らしい洋装の少年は、畑柳氏の忘れ形見、倭文子の実子の茂ちゃんだともなっていて、当時の女性の婚姻年齢の低さを改めて感じた。

 件の氷柱の美女については世にありふれた、草花の花氷ではない。そこにはいたましい断末魔の苦悶をそのままに、人間界の花が、美しい倭文子の一糸まとわぬ裸体姿が無慙にもとじこめられていたのだ。その側そばには、やっぱりはだかの茂少年が、苦しさのあまり倭文子の腰にしがみついた形で、凍っていた。 アア、人間の、しかも世にも美しい女性と少年の、裸体像をとじこめた花氷。かつて此世に、かくも残虐な、同時に、かくも艶麗な、殺人方法を案出したものが、一人でもあっただろうか。明智は、さしたる驚きも示さなかったが、恒川警部は、この人体花氷を見ると、本当に肝を消してしまった。事件全体が、彼の従来の経験からは、ひどく飛び離れた、魔術の連続のようなものであったが、それ故に、彼は事毎ことごとに驚きを倍加して来たのであるが、この悪魔の最後の演技に至っては驚き以上のものであった。警部は「殺人芸術論」というようなものの存在を、少しも知らなかったけれど、氷に包まれた、被害者の姿の、あまりの美しさに、不思議な困惑を感じた。と綴られていた。


 第4作白い人魚の美女は、ヌードカットオンパレードのタイトルクレジットに路線の確立を感じさせる作品だったような気がする。明智の変装も無理やり押し込んでいたので、拘りを見せていたわけだが、後にお約束となる仮面剥ぎスタイルとは異なる代物だった。

 原作の『緑衣の鬼』は例によって未読だが、小林少年が活躍する子ども向け作品のなかで緑の怪人とかなんとかいうのを小学時分に読んだような気がしなくもない。筋立てはいっさい覚えておらず、本作を観て、オープニングで鮮やかに目に留まった、影絵芝居で明智たちを巻き込んだ場面が原作にもあるのか気になったが、青空文庫にも『緑衣の鬼』はなかった。

 事件の顛末からすれば、巨大な影絵を映じて笹本芳枝(夏純子)を脅えさせ、明智たちの目を惹く必要は全くなかったからだが、怪人ぶりがなかなかよかった。富豪の姪である芳枝からすれば、従姉妹にあたる夏目知子を演じた朝加真由美は、のちにヌードにもなったように思うが、本作では出し惜しみ、そのあたりは成人映画でよくクレジットされていた日野繭子が担っていたのだろう。

 どこが「白い人魚」と繋がるのかさっぱり腑に落ちない笹本芳枝だったが、気を失ったまま全裸で水槽に投げ込まれ危うく命を落としかけた場面は確かにあり、服毒の後、よろけながら水槽に倒れ込んで溺死した後追いあたりに苦し紛れのこじ付けが感じられなくもなかったものの、人魚という感じではない。変装も含めて本作では、助手の文代を演じた五十嵐めぐみのほうが魅力的だったような気がする。


 第5作黒水仙の美女は、杏子の設えにかなり無理のある筋立てだったように思うが、ジュディ・オング【伊志田家長女待子】に泉じゅん【次女悦子】、江波杏子【看護師早苗】に原泉【待子祖母】と、目を惹く女優を連ねるばかりか、フォーリーブスの北公次【長男太郎】まで配していて驚いた。

 マネキンでも蝋人形でもなく、彫刻家伊志田鉄造(岡田英次)の製作した怪異な人形が何体も並べられていたあたりに本シリーズを貫く裏主題を感じた。だが、明智の変装は、またしても仮面剥ぎではなかった。

 原作の『暗黒星』は、例によって未読。ブラックホールのことなのだろうか。序盤で見せていた狭いスペースでのアクロバティックなアクションに感心しつつ、これが原作小説にも現れるのか青空文庫を訪ねると、身軽さは窺えても軽業師ではなく、また、泉じゅんの演じた悦子は登場せず、伊志田家は一男二女だった。浴室での刺殺場面を見せるために用意された登場人物だったわけだ。メイクのせいかもしれないが、'80年代のロマンポルノで華開く前のまだ些か野暮ったい泉じゅんも、肢体だけは既に充分に磨き上げられている気がした。

 黒水仙の女が待子だけではなく、杏子でもある凝った造りは原作にはないものの、ヘリオトロープの匂いのする香水は出て来ていた。宙吊りになって殺されていた三女鞠子(石川えりこ)の言葉にあった死に方が、奇しくも杏子の最期と重なる形になっていたことにもちょっと感心した。


 第6作妖精の美女も、例によって原作の黄金仮面は未読だったから、サブタイトルに「明智小五郎 対 怪盗ルパン」と出て来て、由美かおるが不二子という名で現れたことから、てっきりこれは峰不二子イメージでの配役から来た登場人物で原作には現れない次女だろうと思うとともに、かなり唐突な入浴場面でたわわに揺れる乳房を見せつけた後、無惨に刺殺される大島家三女の美子(岡麻美)と、刺されたウエットスーツの下の血塗られた乳房を覗かせて果てる女中の小雪(野平ゆき)の配置も本シリーズに必要なヌード場面のために配された人物で原作にはないのだろうと高を括っていたら、不二子もルパンも江戸川乱歩の原作に登場するばかりか、美子と小雪も登場し、二人の因縁までもが原作通りだったので、吃驚してしまった。恐るべし、乱歩。

 さすがに箱根のロープウェーは登場しなかったが、原作の飛行機からヘリに替えたアクロバティックでスリリングなアクションシーンを見せるための設えだったようだ。結局、原作に登場しないのは、山本リンダの演じたフランス人記者セシルのほうだった。由美かおるは、シャワーシーンで吹替なしの背中と横乳を覗かせていたけれど、ヌードとは縁なしだったセシルの配置というのは何ゆえだったのだろう。そして、今回はプロローグとエピローグを明智が視聴者に語り掛ける形にしていたせいか、プロローグでヌードのカットが登場しなかったことに意表を突かれた。

 また、顔を変えない植木職人への変装から、被った黄金仮面を脱ぐ変装、以降のシリーズ作定番となるのであろう顔に貼り付けた仮面を剥がす変装の再開まで、各種の変装を明智小五郎が見せていたことが目を惹いた。そして今回の人形は、ルパンが狙うお宝の仏像だった。
by ヤマ

'25. 3.21. BS松竹東急録画
'25. 4. 4. CSファミリー劇場録画
'25. 4. 7. BS松竹東急録画
'25. 4.14. CSファミリー劇場録画
'25. 4.17. CSファミリー劇場録画
'25. 4.20. CSファミリー劇場録画



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