『ゼイリブ』(They Live)['88]
監督 ジョン・カーペンター

 これが「ジョン・カーペンターのゼイリブ」との別名にもなっているカルト映画か。小さくまとまっていないことは確かで、四十年近くも前から格差社会に向けて金持ちが(世の中の仕組みの)ルールを作ると憤慨し、They Live,We Sleepと檄を飛ばしているのだが、四十年経っても今のていたらくどころか現在のアメリカは、ドナルド・トランプやらイーロン・マスクのような粗野な無法者キャラを装う成金政権を選挙によって持ち上げる社会になっている。

 先ごろ観たエルダー兄弟』['65]の日誌に記したばかりの兄弟四人が親愛を確かめ合うセレモニーが西部劇によく登場する酒場で殴り合う喧嘩の如き自宅での乱闘だったり、川に末弟を投げ込んで縺れ合い、四人皆がずぶ濡れになる場面だったりするところに、『ブルータリスト』の日誌に記した「知性に憧れながらも獣性が優っている戦後アメリカの暴力性」とのフレーズを改めて想起した。との一節と繋がるナダ(ロディ・パイパー)とフランク(キース・デイヴィッド)のくどいまでの殴り合い場面が印象深い。たかだかサングラスを掛けさせるためにすることかと呆れつつ、これが西部開拓史以来、脈々と連なるアメリカンスピリットの神髄なのだろうと思った。

 僕は、西部「劇」は好きだけれども、西部開拓時代に生きたいとは決して思わない。むしろあのような連中は御免蒙りたいわけで、ヤクザ映画とも似たようなものだと思う。そういうアメリカンスピリットを本作が鼓舞していると観るのか、揶揄していると観るのか、このあたりがけっこう微妙でヘンな映画にはなっていた気がする。決して僕の好みの映画ではない。しかし、“彼ら”が虚飾に彩られたキャッチーなコピーや画像で、“我々”の目を惹きつつ刷り込んでくるメッセージを、特殊なグラスを掛けずとも見抜く力を獲得しなければ、ひたすら“我々”が眠らされ、食い物にされるとの主張は、実に真っ当なものだ。

 すると古くからの映友が「妙にバランスの悪い作品で(特に、延々続く格闘シーンは必要なのか?)妙な感じがするのですが、あの世界観・社会観は相当に的を射たもので、公開当時よりも今の方が「刺さる」ものになっていますね。」とのコメントを寄せてくれた。本作は、ネット以前のテレビ時代の話だ。今はサブリミナルどころか、課金報酬目当てのインプレ稼ぎをすべく、露骨なまでに扇情的な切貼惹句の遣りたい放題で惨憺たる有様だから、まさしく当時よりも刺さってくる状況になっている気がする。なにせ『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』で、ギャグとして悪役ビフのモデルにしたトランプをよりによって“再選”させてしまうような事態を現実に引き起こしているからだ。
by ヤマ

'25. 5.30. BS松竹東急よる8銀座シネマ録画



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