『その破れた翼でも』(Take These Broken Wings)['?]
監督 ダニエル・マックラー

 日本の精神医療を考える会が映画(ユーチューブ動画)を上映して意見交換会を開催するから来てほしいと誘われ赴いた。副題に「薬なしでの統合失調症からの回復」と添えられたドキュメンタリー映画は、映画作品としては、数多くの人の発言をあまりに細切れに切り貼りしていて、いささか文脈が損なわれた印象を残してしまう編集が残念だったうえに、回復後にベストセラー作家になったというジョアン・グリーンバーグにしても、回復後に精神科看護婦として様々な活動しているというキャサリン・ペニイにしても、最初に上梓した本が1964年だったり、キャサリンの退院が1973年だったりしていたことからすれば、一体いつの時点でのインタビューなのか、大いに気になった。

 主宰者からも「かなり古い作品だけれども、焦点になっている精神医療の問題点は、今なお日本では変わらぬままに続いているものだ」といった趣旨の話があった。要は、精神医療現場が薬漬けに終始していてセラピーを軽視した、およそ治療とは言えないものになっているということのようだ。主宰者の話にも出てきた精神科医の野田正彰氏が確か作家という肩書で、医薬業界による犯罪的行為だとの指摘を地元紙に掲載したものを論説として読んだのは、我が国で自殺者が激増した2000年前後【自殺統計でみた自殺者数の年次推移 - 厚生労働省のことだった覚えがある。作られた鬱病患者といったフレーズがあったような気がする。

 ちょうど僕が映画日誌のホームページを開設してもらった時分のことだったように思う。自身に鬱気質があることをどこかアピールする態で「鬱」という言葉が使われたり、サプリとか健康食品が持て囃され始めた頃と重なっていた覚えもある。統計データの示している極端な上昇カーブに対する野田氏の指摘に目から鱗が落ちたような得心を覚えた記憶がある。依存を嫌う僕がケータイなるものを持たない意思を固めた時分でもあった。

 その一方で、二ヶ月前に僕も観た映画どうすればよかったか?['24]に寄せて、県立大の福祉畑の先生がこの映画が示唆する…「医療にもっと早くつながっていれば」が結論として一般化されてしまうと、重大なミスリーディングにつながることが懸念されると述べているリーフレットが配布されていたのだが、僕自身は、そこに映画の捉えていた大正十五年生まれの医学研究者たる父親が囚われていた業界不信と通じるものを感じた。向精神薬に限らず、薬も鋏も要は使いようなのであって、医療自体に繋がることがまずいのではなく、まずい医療に繋がることを避けなければならないということだ。

 同作を観た際には映友が仲の良かったPSW(精神保健福祉士)さんが、精神病院にアルバイトしている時、そこでは患者さんの事を、固定資産って呼んでいたんですって。退院は無いって事です。今から20年以上前のお話しです。と教えてくれたのだが、そのような過去を背負っていれば、業界不信がなかなか拭えないのも無理はない。しかし、相変わらずそのような医業を続けているところもある一方で、適切な薬の処方とセラピーに努めている医師もいるはずなのだ。

 患者側であれ、医師側であれ、十把一絡げに断ずることこそが個々人を蔑ろにする臨み方だと言うべきものだと思う。その点において、主宰者がオープンダイアローグに言及していたことに対して、とても重要なことだと賛意を覚えた。主宰者は、精神医療における減断薬に取り組む活動を進めるようで、近々に構えている講演会の案内も併せてしていた。

 僕自身は向精神薬に限らず、薬やサプリの類が大嫌いで安易に口にするのを避けているが、幸いにして医師からも常用薬を処方されたことがない。ウエイトコントロールへの注意喚起を受けるに留まっている。先ごろ、むかしの職場の同窓十人足らずで会食する機会があったのだが、常用薬無しは僕だけで、皆に驚かれた。そういう歳周りになっているというのか、そういう世の中というか時代になっているというのか、僕のほうもなんと当方だけなのかと驚いた。
by ヤマ

'25. 4.25. こうち男女共同参画センター「ソーレ」5F視聴覚室



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