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菖蒲町役場(現久喜市役所支所)から見たラブミー農場。中央の竹やぶと果樹林に囲まれて屋根が見えている。 | |||||
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門(北側)から見た母屋(どうみてもトタン張りのバラック小屋)進入路は舗装され、脇には桜・梅の木が植えられていた。 | |||||
売却を頼まれた頃(2008年。上の写真は翌09年)のラブミー農場。夏草に覆われて夢の跡。 | |||||
北側からみた母屋。道路側はフェンスで仕切られていた。 | |||||
売却を頼まれた頃(2008年。上の写真は翌09年)のラブミー農場。 | |||||
「家屋は巨大なプレハブの要塞になっていた。トタン張りの砦だった。遠くからみると、家はうずくまって草を刈るオヤカタの後姿に似ていた。 這いつくばって、ざら土から草をむしるような砦なのだ。敵から用心深く身を守りつつ、土に化けて、土の保護色となる砦なのであった。 オヤカタの家は、来るたびに変化していた。客室が増え、二階が出来、ブラックホールという音楽室もあった。 外からみるとトタン張りでも内側には江戸城大奥を思わせる豪華な「西のマラ御殿」も出来た。 <中略> オヤカタの家は生き物だった。少しずつ、西へ西へと手を伸ばして増殖しつづけていた。」 桃仙人―小説深沢七郎 (ちくま文庫) |
母屋の横には農耕機のガレージ。 | 作業所と母屋。 |
作業所と母屋の間には屋根で繋がっていて、入り口(両側)にぶどう棚があった。 | |
何年放棄されたのか? それでも実をつけていたぶどう。 | |
朽ちいくものはなぜか美しく魅せられる。その訳は夏草だけが知っているのかも。 | |
かつてここに流浪の作家が住んでいた。放浪の末にたどり着いた約束の地”Promised Land ”だったのだろか? 深沢七郎さんは87年にこの農場でなくなるまで晩年をすごしました。放浪の末にたどり着いたこの安住の地を、七郎さんは | |
北東側から作業所と小屋 | 作業所と小屋の間もぶどう棚。 |
小屋前の果樹(右の写真参)やぶどう棚 | 南南東から小屋。 |
南西に昔からあったらしい道。 | 母屋北側には柿の木があった。 |
母屋西側には竹林。ここが西のマラ御殿? | |
西側の池? 地元の人によるとただの湿地だそうで、すぐ水が溜まって田んぼにもならないそうです。 | |
【愛する畑とこの土手さえあれば、私はどこへ行かなくてもいい】「百姓志願」。 | |
農場を拓いてから数年後に冬季は 曳舟駅の近くで今川焼屋「夢屋」(S46年)や 草加市でダンゴ屋を開き(S51年)盛況だったそうです。 写真はそのだんご屋さん。 とても大きな団子で好評だったそうです。 | |
冬の出稼ぎ先?の草加市の団子屋(2008年)。※現在は残っていません。 |
※深沢七郎ファンの皆様へ
このページは福島県南田舎暮らし不動産情報のサイトです。
ラブミー農場は、現在なにも残ってなく造成地になっているようです。ここに深沢七郎資料館ができるようです。
物件のページも資料としてそのまま残せばよかったと思いますが残念ながら、バックアップがPC引越しで行方不明。
取り扱い時の20008〜2009年のものですが画像資料だけ残しておくことにいたしました。
もうすでに荒れ果てていました。写真から深沢先生の住んでいた痕跡が伺えないかも知れませんが・・・・。
なお、また取り扱いだけで終わったので、どういう経緯で売却されたのか当社ではわかりません。
【参考リンク】
●深沢七郎のラブミー農場は今 2011年
http://www.gonzoshouts.com/book/2139/
●猫町文庫店「ラブミー農場は何処へ?」
http://ccnet.easymyweb.jp/member/fukuoka/default.asp?c_id=23330
●深沢七郎 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B7%B1%E6%B2%A2%E4%B8%83%E9%83%8E
●埼玉の文学「深沢七郎」
http://green.ap.teacup.com/sailitera/16.html
●深沢七郎文学記念館(元森田美術館)
弊社はなぜか作家さんとかかわりのある物件を取り扱うことがあり、
作家「真船豊」の生家。戯曲「鼬」の舞台となった生家も取り扱ったことがあり資料として残してあります。
●福ZAIブログ関連記事 ラブミー農場 http://inakagurasi.at.webry.info/200907/article_2.html |
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