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激暑(GEKISYO)1 |
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この照りつける陽射しも 迸る汗も 気づけば瞬く間に駆け抜けて行ってしまう 短く儚い季節の夢物語 そして、今この瞬間こそ長き人生において刻まれる わずかな時間 過ぎ去ってしまえば湧き上がる胸の感動もやがて薄れるだろう それでもいい・・・ “今”という限られた時間に ありとあらゆるだけの情熱を注いで |
「退院おめでとうございます」 「ありがとう・・・」 日樹は向かい合う相手同様に少しはにかんだ表情で言葉を返す 午後一番の授業は体育 この季節、涼を求め生徒たちはここぞとばかり 制止などまったく聞かずプールへ飛び込む その姿といえば生簀の中の活魚が、水しぶきを上げ踊りはしゃぐようで、教科担任の指導などまるきり無視 少しでも長い時間水に浸かっていたいのは誰も同じ だが、退院したばかりで傷口がまだ癒えていない日樹は水泳の授業を見学せざるを得ない プールフェンス脇の木陰で佇む体操服姿の日樹を目にしたのは 教室移動のため早めに自教室を出てきた拓真だった 五時限目の授業は芸術科、拓真の選択は書道 入学当初、選択科目のアンケート提出の際、『第一希望、美術』と書いたのにも拘わらず 希望者多数、惜しくも第二希望の書道枠に押し込まれてしまった そもそも残るあと1教科、音楽は第三希望にすら記入しなかった この三教科のうち音楽は提出物が少ないものの一番労力を使い、 さらには1時間の授業も騒々しく、居眠りもできないと予想されたからである 同じように第一希望からもれた亮輔といえばこの音楽の授業を満喫しているようで もっとも彼はカラオケ好きで1時間歌いっぱなしも苦にならないのだ 学校狭しといえ、学年教室の階が違う日樹とはなかなか行き会うことも無い 年配の気難しさでは学校一と有名な書道教科担当のご機嫌を損ねないように 余裕を持って自教室を出てきた甲斐があった 顔を合わせるのも入院見舞以来だった こうして学校で逢えることをどれだけ待ち望んでいたか 見舞った数日間は日樹を独り占めでき 二人の距離を少し縮めたように感じられるのはそのせいかもしれない たとえそうでなくても今の拓真には目の前の現実が全てだ 「五時間目、体育なんですね」 「・・・うん・・」 その姿を見れば授業を見学だとひと目でわかる 早くもプールサイドに現れた生徒達が大騒ぎしながら気持ち良さそうにシャワーを浴びる その水しぶきが細かい霧となってここまで飛び散り、熱る肌に心地よく吹きかかる 直射日光を遮る木陰でも、7月に入ってのこの暑さは、やはり気の毒だ 色白で暑さ無縁な出で立ちの日樹でさえも、額や鼻の頭が薄っすら汗ばんでいるのがわかる 心なし愁い顔は、きっとこの暑さが不快なのだろう 「あ、・・オレ総体のレギュラーに選ばれたんです、その・・・補欠ですけど・・・」 時間の限られた昼休み、タイムリミットまであとわずか 何か気晴らしに日樹が喜ぶような話題でも そうは思うが、話すことが得意ではない拓真 まして必要以上に意識してしまう相手の前では気の利いた話題など絶望的で こんな時こそ相棒の亮輔がいてくれれば場も和むのにと 自分も随分と勝手な思考をめぐらせている こちらが必要でないときは邪魔ばかりしてくる亮輔が音楽室に移動するのは時間ギリギリ、 でなければここを通過しやしない 亮輔への依存も捨て、咄嗟にでた話題が自分のこと 「ほんと・・う・・?」 「あ・・・はい・・」 今月末から開催される高校総体 ベンチ入りレギュラーメンバーが発表されたのがつい先日 ひとつ違えれば自慢話になりかねない話題だが、それでも 「おめでとう!拓真君」 濃茶色の瞳をさらに大きくし、日樹は翳りを捨てた表情で即座に拓真を祝う 拓真の 『 おめでとう 』 が 日樹からの 『 おめでとう 』 になって戻ってきた |
自分のことは二の次に、拓真を一心に見つめる日樹の瞳がただそれだけを告げる 誰に祝ってもらうより日樹に祝ってもらうことが何より嬉しい それが拓真の本心だ 運良く県大会ベスト16進出がいいところ この西星高校の野球レベルはそう高くはなく、強豪校と呼ばれるほどでもない しかしながら2年、3年生主体で作られるチームにおいて 拓真のベンチ入りは1年生さながら実力を認められたということで その上、リトルリーグ時代から拓真とバッテリーを組んで10年 捕手の亮輔も共にベンチ入りという願ったり叶ったりの好機に順風満帆 全てが事上手く運ぶような気すらしていた 「ありがとうございますっ!!」 木陰を作る木の葉の合間から、時折差し込む陽の光を眩しそうに眇める日樹 その指先へ、嬉しさの余り自分の指を絡め合わそうと、うっかり伸ばしかけた腕を引っ込めた いけない・・・ このところ急接近したとはいえ、上級生と下級生の間柄 まだ友達と呼ぶには恐れ多い相手 この西星高校の入試合格発表に訪れた日、グラウンドを走る日樹を見かけてからずっと焦がれていたのだから 拓真自身の位置関係では日樹は自分よりずっと上にいる人間なのだ 「試合も近いし、これから練習が厳しくなるね」 大好きな人を目の前に穏やかな時間が流れていく 先輩達を押し切ってレギュラーの座を獲得したものであるならば 陰で涙を飲みベンチ入りを断念した人間もいる そのチームメイトに報いるためにも 今以上の成果を出し、自分を選んでくれた期待に応えなければならない 「はい、でも大丈夫です」 力強く自信に満ちた返事 たったひとつの大きな支えがあるから 練習量が二倍になろうが三倍になろうが、今の自分は何事にも堪えられる 大丈夫・・・ 諸藤さん、貴方がいるから だから・・・ 「こうしていられるのって、わずかな時間なんですよね」 拓真は深く思いつめた様子で付け加えた 「拓真くん・・・」 次の授業のために早めに飛び出してきたが、その時間をすっかりここで過ごしてしまった それでも拓真には教科担任のご機嫌を損ねようが それと引き換えにしてもまだお釣りがくるほど貴重な時間だ 授業開始5分前の予鈴が鳴ってしまい 残念ながら日樹には拓真の想いを推し量ることなどできず その言葉の意味も、昼休みの時間を惜しむぐらいにしか認識できなかった 他の生徒たちもゾロゾロと列をなし特別教室へ移動を始めている 時間が許すなら永遠とこうしていたいところだが、完全にタイムアウト 「あ、俺 行かないと・・・」 慌てて腰を上げた拓真が、校舎への渡りで立ち止まったクラスメイト中西の姿に気づく その視線が一瞬こちらを刺すように見えたのは気のせいだったろうか 渡りから数メートルのこの木陰 自分に向けられたものか? それとも・・・ いずれにせよ、好意的な視線でなかったことは確かだ たとえ中西でなくてもこの校内には、日樹とこうしていることで二人は親密な関係だと蔑み 嫌悪を抱く人間がいるということも悪質なイタズラで実証されている 亮輔と二人で日樹のことをはじめ、陸上部の内情を聞き訊ねたことがある 当時、クラスでも目立たない存在だったこの中西 目立たないというよりは、まだクラスメイトとの交流も一部的なもので 能ある鷹は爪を隠す状態の中西が身を潜めていただけのこと 彼が拓真と同じように1年生にして、その足に大きな期待が掛けられていることも 今では明らかになっている “ 第二の諸藤 ” 過言で無くなる日が来るかもしれない 拓真は直ぐ様、日樹を見やるが別段変わった様子も無く 冷静に考えてみれば中西と日樹との接点は同じ陸上部でも全く無いのだ 怪我で入院中のため休部状態だった日樹、そして中西が入部後、 復帰を試みず、退部届けを出したまま保留になっている現在、日樹と中西の面識は無い やはり気のせいだったのだろうか・・・ 日樹のことになれば何かと神経も過敏になる 身の程知らずと罵られようが、非力ながらこの人を守りたいと思う ところが不穏な空気が辺りに立ちこめたのはそれからすぐのことだった 「諸藤さん、どうかしたんですか?・・・」 「・・な・・・んでもない」 寄りそう拓真は、日樹が動揺を隠そうとしながら微かに肩口を震わせていることを察した それは、あの男の存在 高原の姿だった 偶然、渡りで行き会い親しげに挨拶を交わす中西と高原 同じ陸上部の先輩と後輩 その時こそ、日樹の表情に再び翳りが現れたのを見逃さなかった 一時は日樹の番犬と呼ばれていた男 その関係も今は自然消滅したのでは、と噂されるほど最近では二人一緒の姿を見かけなくなった だからこそ拓真自身がこうして日樹の傍にいられるわけなのだが どうやら日樹は望まない光景を目にしてしまったようだった |
“ 挿れてもいいか・・・ ” 耳元で囁く低音の甘い声 大切だから気遣うのだということが 何度も繰り返されるこの言葉が 意識の中に刻まれる 答えはいつも同じ 受け入れて、貴方でいっぱいにしたいから・・・ 多くを語らないその真摯な瞳へ 静かに頷くだけ 不器用で拙い愛撫に慣れた体 たったひとつの想いのために触れ合う温もりが心地よく 求め堕ちていく・・・ だが、結ばれることはない 罪悪感を残して溢れる想いは行き場を失う きっかけは小さな嘘から始まった 真実を隠した偽りには 未来など訪れるはずもなく、やがて つきまとう闇へ引き戻される 数日振り、正確にはもうどれだけ高原と向き合っていないだろう・・・ その姿に動揺は隠しきれなかった 全てを包み込み抱擁してくれる逞しい腕 髪や体を撫でる指先は、真綿に触れるようにゆっくりとなぞりあげられる 重ね合わせた肌から伝わる体温、鼓動 どれも、ひとつとして忘れることなく 鮮明に覚えている 「諸藤さん、どうかしたんですか・・・」 「な、なんでもない・・・」 動揺を隠せない日樹から高原と中西へ、拓真の視線が交互に行き来する 高原と手短に言葉を交わす中西は数回こちらをチラリと伺った それが誰に対し、何を意味するのかわからないが、なぜか挑むような眼差しに感じられた クラス内では見せることのない中西の表情 一方高原は、拓真と日樹の存在に気づかないのか、 一度もこちらを向かず用件が済むと自教室へ足早に立ち去って行ってしまった 素っ気無いともとれる行動 それにつられるように中西もその場から姿を消していた |
うっかりしていたが、もう午後の授業が始まる最終タイムリミット 目の前にいる触れれば壊れてしまいそうなぐらい繊細で 身を挺して守りたくなる大切な人を置き去りにできずに拓真はまだ足止めをしたまま 校舎の渡りに敷かれている木製のすのこが 生徒達が取り過ぎる度に、カタカタと賑やかで軽快な音を立て すでに大半の生徒達が通り過ぎたことを知らせる もう行かないと・・・ 気は競るのだが 高原が現れた瞬間、日樹の変化に穏やかでない気を感じた拓真 同じ体育系の部活でも拓真の所属する野球部とはカラーが全く違う陸上部 過去に耳にした陰湿な噂が先入観となっている 拓真と高原の間には互いに良い印象はないにしろ 最近は前にも増して近づきにくい状態の高原なのだ 今夏、最後となる総体に向ける意気込みのせいか グランドで見かける高原は恐ろしいほどの気迫に満ちている それとも・・・日樹との間に何かあったのか 正直、気にかかるが問いかける勇気はなく 知ってしまえば感情を抑えきれなくなるかもしれない自分 それならわざわざ知ることもないだろうと逃げ腰なのだ 「ごめんね、拓真君」 「諸藤さん・・・」 自分が勝手に追いかけているだけなのに・・・ 拓真に向けられるのは、いつも他人を思いやることを忘れない無理に作った笑顔 それが痛々しく、残念ながら高原との関係を肯定することにもなり ここで時間を取らせてしまったことへの謝罪ではないということが拓真なりにわかる 一見、口先だけと誤解を受ける言動も全て、家柄や育ってきた環境で自然と身に備わっているもので 少し大人びた気遣いは、同年代には受け入れられず時に煙たがれてしまう 「い、いえっ・・・」 拓真ならその偽りない言葉が日樹の真意だと欲目なく理解できる 出逢ったその時、見初めた優美な身のこなしで走る少年の姿 それも全部ひっくるめ、諸藤日樹という少年に心を捕らわれているのだから 「・・・あの・・・おれ」 ずっと一緒にいたい、だけど・・・ 隠し切れない不安げな表情に後ろ髪が引かれっぱなしだ 日樹の瞳には拓真だけが映っている そして拓真の瞳にも・・・ これから先、ずっとそうであれば良い 『お〜い拓真〜五時間目が始まんぞぉ〜!!』 迷いを切り裂く聞き慣れた声 声の主は渡りから手を大きく振りながら拓真の名を呼ぶ親友亮輔だった 「なにやってんだ??こんなところで・・・」 自分よりはるか先に教室を出て行った拓真が、まさか途中で寄り道を食ってるとは 弁当をじっくり味わうことなくたいらげ、クラスメイトとの欠かせないコミュニケーションの場である昼休み時間を 前倒し、我先に出て行った生真面目な拓真のその理由が・・・なるほど納得できた 「って、あ・・・諸藤さんが一緒ね〜 悪りぃ悪りぃ」 唯一、日樹に対する想いを知る親友の早トチリ すっかり逢引の約束があったのだと勘違いされてしまったようだ それに一部だけを妙に強調した口調はいたってわざとらしい 「違うって!!」 否定する拓真にまったく聞く耳をもたない亮輔と 亮輔の暴言でまさか日樹が気を悪くするとは思えないが、余計なことを口にする親友にムキになる拓真 「いいって、いいって〜」 「偶然なんだ 偶然ここで諸藤さんに・・・」 「最近、随分積極的だねぇ〜拓真君〜」 プールサイド間近、自分らの存在をアピールするような大声を出すわけにも行かず 身振り手振りで必死で釈明する拓真に反し、この状況に遠慮なしの亮輔 これも周囲から誤解を受ける原因のひとつ 勿論、そんなことにも屈しないつもりの拓真ではあったが、 この先どんな嫌がらせが振りかかってくるか 想像もできない 二人のやりとりを目の当たりで見つめる日樹の表情が徐々に穏やかになっていくのはいうまでもなく さすが長年の腐れ縁、そんなこととも知らず拓真と亮輔の絶妙な掛け合いは続く 「だから〜」 「あぁ〜わかった、わかったから」 「亮輔っ〜!」 拓真にはお見通しだ 本当は全くわかっていないくせにその場をまんまと丸め込む亮輔の手管 「それより、早くいかねぇとヤバイんじゃねぇの〜?」 亮輔に言われるまでもなく本当にマズイのも承知だ 親友亮輔がやっと拓真の足止めを解く 「諸藤さん、俺・・・」 行かなくちゃいけないから 言葉にするより瞳で告げれば、日樹にはきちんと拓真の思いが伝わっている 「うん」 「じゃ・・・」 亮輔を追って駆け出す拓真 「諸藤さん〜、試合は今月最後の土曜日なんですっ!!」 登板できるかどうかわからないけど 貴方が観に来てくれたら嬉しい・・・ ひとつ年上のその人は 望まずとも 少しだけ皆より早く大人になってしまった 乱反射する強い陽射しを押しのけ 振り返りざま、拓真は想いを込め弾むように日樹へ伝えた |
向暑・後編 |
激暑2 |