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葵月(AOITUKI)中編



6時間目の授業は体育だった

どの教科よりも楽しくハツラツ思う存分過ごせる時間
この日、亮輔は少しばかり調子に乗りすぎたようだ
校舎一階、職員室の隣にある保健室の窓の外から横着して声を掛ける

「先生〜、突き指しちゃったよ〜手当てしてよ〜早く〜」
手をブラブラさせながら保健室の中を見回しここの主を探す

「ちょっと待ってて〜」
姿は見えず、主の声だけが返ってきた
どうやらベッドで休む生徒の世話をしているらしい

ふーん、誰か具合悪いんだ・・・

カーテンで仕切られたベッドから保健室の担当教員がでてきた
年齢不詳、想像するに20代後半から30代前半の女性

窓際から顔をのぞかせている亮輔のもとにちょっとばかり不機嫌そうな表情で歩み寄る

「次はちゃんと入り口から入ってらっしゃい じゃないと手当てしてあげないわよ」
亮輔と顔馴染みの彼女は容赦なく厳しい

「見せてごらんなさい」
呆れ顔でグイと腕を掴むが、これまた怪我人を労わる様子がまるでない

「痛てて・・・越智谷先生〜痛いよ〜」
「しょうがないわね そのまま待ってて」
瞬時に怪我の様子を触診し、騒ぐ駄々子を黙らせ湿布薬を取りにいく

この女性教員は名を越智谷(おちや)という
肩まで伸ばした髪を一つに束ね、保健というだけあって身なりも清潔感に溢れている
もともと素顔が整っているため薄化粧で十分なのだ

「ところでさ、先生って独身だっけ?」
亮輔は言わなくても良い余計なことまでに平然と首を突っ込んでしまう

「俺でも全然OKなのに、世の男が先生をほっとくとはもったいねぇ話だなぁ・・・」
あまりにも突拍子なくて嫌味には聞こえない
なのでこの亮輔のたわごとにも越智谷は本気で怒ることはない

「余計なことを言わない!」
窓越しに手当てが始まる
包帯を巻く手にも必要以上の力が入り、亮輔の指がきゅっと締め付けられる

「・・・先生・・」
「なぁに?」
「ちょっと乱暴・・・」
亮輔は痛みをこらえ眉頭を寄せる

「誰か好きな人でもいるんだ?」
真顔で訊ねる亮輔の質問に越智谷は間を置いてニコリと微笑む
「はい!手当て終わったわよ!」

最期は包帯を巻き終えた亮輔の手のひらをピシャリと叩いた

「痛てぇ〜」
思わず大声が出てしまう

「しっ!静かに!!」
亮輔を制し、慌ててベッドの方を見る
自分でその原因を作って置きながらいい気なものなのだが

「サンキュー」
まんまと話をはぐらかされた気もするが、亮輔にとっては貴重な体育の時間
一分たりとも無駄にできない
これが他の授業ならばもう少しサボってここに居座っても良いところだが
長居は無用

「またくるから〜」
振り返りざま、そう言残し元気良くグランドに戻っていく

「『またくる』、ってここは保健室よ・・・」
亮輔を見送り、やれやれと一息
先客のいるベッドへ足を向けながらため息を漏らす

「あっちはあれで良いけど・・・こっちはそうもいかない・・・か・・・」









気がつけば、いつもそこに義兄の優しい笑顔があった
仕事で家を空けることの多かった父に代わって自分を守ってくれた義兄

子供ながらに覚えているのは
大きくて、しっかりと包み込んでくれる義兄の手が大好きだった

いつからだろう・・・
その義兄が自分ではないものを守り始めたのだと気づいたのは
そして身も心も自分から離れていってしまったのだ

突然の出来事に寂しくて、どうしていいのかわからなかった
『行かないで・・・』
そう言いたかった

何不自由なく暮らしているはずなのに、心の隙間を埋めるものが無く孤独だった

そんな時分に小梶と出逢った
年、背格好、雰囲気が義兄と似ていたせいか、渇いて飢えた心はすぐに小梶を欲し
小梶も義兄と同じように温かく包み込むように受け入れてくれた
寂しさは徐々に埋め尽くされ、癒され、心は満たされていった

あの日、無理やり体を求められるまで・・・
心地よい関係などそう都合よくは成り立たなかったのだ


皮肉にもそこから救い上げてくれたのは一度は自分の前から離れていった義兄だった
小梶との間にあったことは義兄の手によって抹消された
だが、闇に隠してもいつかは表に出て知られる事実

そして高原と・・・

失うものが無い自分だから、今更どうでもいいと
求められるままに体を差し出した
それで良かったはずなのに・・・

今では体よりも彼の心を求め疼く
一度手にした喜びは、次に失う恐怖に脅かされる
それは嫌というほど思い知っている

精神的な関係を求める自分はもう高原を愛しはじめている
そして・・・
これ以上高原に望むことは出来ない

どうせ失うなら、最初から手に入れず、何も求めず
今のままで良い

何度も自分に言い聞かせては胸を締め付けられる



目を覚ませば保健室のベッドで寝ていた
真っ白な天井を見つめながら記憶をたどる

そうか・・・
授業中に苦しくなってここへ・・・

「具合はどう?」

カーテンをすり抜けて保健医の越智谷が様子を窺っていた

「・・・痛みは治まりました・・・」
「良かったわ もうすぐ授業が終わるから戻れるわね」
「はい・・・」

原因はわかっていた
飲み続けている薬のせいで胃も荒れているのだろう
再手術の話がでてから、尚更ひどくなっている
自由になる不安、先の見えない自分・・・


開いたカーテンの隙間から外の光が微かに差し込む









「緑川、車を用意しておいてくれ」

オフィスの窓から眺める空はどんよりと灰色の厚い雲に覆われている
窓際に立つ諸藤社長は振り向きざまに、自分の秘書にそう言い渡す

「かしこまりました 社長」
忠実な秘書は無駄な動きも無く、軽く会釈し会議室を後にした

今まで新製品のプレゼンが行われていた会議室
カーテンは開け広げられたがそこには梅雨の重々しい空しか現れなかった
うっとおしくまとわりつく湿気、そして今にも雨が落ちてきそうなあやしい雲行き

自分の秘書は下がらせたが、このまま話を切り出して良いかどうかの確認のため
諸藤社長は朋樹の一歩後ろに控える鏡をちらりと見る

「彼ならかまいません」
朋樹は父の心を読み取り、諸藤家とは馴染み深い鏡の存在を認めることを伝えた
長年諸藤家に出入りし、プライベートも家族共に過ごしてきた鏡ならもはや朋樹の片腕同然、
そして朋樹は彼の何もかも知り尽くしている
あえて『他言無用』と釘を刺す必要も無い

「日樹はどうかね」
人払いをしてまでプライベートの話となればそのことしかないだろうとは察しがついていた
仕事を離れればこの人も、人の親なのだとこんなことで実感する

「金具を抜く再手術の時期が来ましたので、なるべく早めに済ませようと考えています」

年齢のせいでいくらか外見に優しさを感じさせる諸藤社長も
朋樹と親子だということがどことなく容姿で窺える同じような背格好姿だ

「そうか・・・期日が決まったら教えてくれ」
「はい」

決して自分の子供を甘やかさない
日樹が実家に戻る以外は、わざわざ父親から出向いて会おうとはしない
前回顔を会わせたのも事故で入院をした時以来だろう
それが親と子の立場を確立させ、相手を信じ認め自立させながら育て上げる
まさに頂点に立つ者の育成方法なのだ
日樹にもそれが小さい頃から身について育ってきているため
父親に甘えることをしない、もしくは出来なかったのだろう・・・

「あれが寂しがっているから、たまには皆で顔を出すが良い」
諸藤社長はそう付け加えた

日樹の母だ、朋樹にとっては継母となる彼女は父とは違う
日樹を家から連れ出し、親子を引き裂く結果となった今
一番寂しがっているのは彼女に違いない

日樹と同じ端整な顔立ちの人・・・

「手術が終わったらまたゆっくりとお伺いします」
「ああ、そうしてくれ」

用件を言い終えると、そろそろ車の準備も出来たころだろうと見計らい
諸藤社長は会議室を退出する
そのすれ違いざまに、鏡の肩に掌をポン!と添えて行く
その掌からは経営者としての力強さ、長年諸藤家の家族の一員として認められている信頼と暖かさが伝わる

見送った諸藤氏の後姿は大きく勇ましい








あの日以来、拓真は複雑な気持ちでいた
自分が見た夢・・・
日樹を押し倒し、今にもその体を抱きしめて自分のものにしてしまうような勢いだった

女にいだくような気持ちで日樹の体を征服しようという願望が心のどこかにあるのだろう

だが・・・
それだけではない
良からぬ噂が嫉妬心となって拓真に火をつける


掛け違えたボタンのように
何か一つを間違えば
見えない鎖で繋がれたものは、それを追うように転がり堕ちていく

不穏な空気が流れはじめている



   ・・・誰か、止めて・・・

そんな声が聞こえた




『・・・前に通っていた男子校で教師と関係があったっていう噂さ・・・』



拓真の脳裏からその言葉が離れない
日樹の過去・・・

「関係って・・・」
「決まってるだろうっ! か・ら・だ、の関係っていういうことだろう?」

おすおずと問いかける拓真に反し、亮輔はあっけらかんと答える

「・・・って・・・」
それ以外は無いだろうとわかっていても口に出してしまう
いくらなんでもこの年になればそのくらいのことは察しがつく
でも、もしかしたら違う答えが戻ってくるかもしれない、とか
そんな出来事は無かったと否定して欲しかったのだ

過去のこととはいえ、日樹に対する独占欲がそれを嫉妬する
こんなことを繰り返しては、梅雨の湿気をおびて蒸した空気に当たる体がますます熱くなり、
たまりかねてはその熱を放出したくなる

諸藤さんが誰かに抱かれた・・・

以前は、そう
まだ憧れという存在で近寄りがたかった頃は、陸上部のユニフォーム姿を思い浮かばせていたのに
このごろでは違う
まるで女に抱くのと同じ性欲を沸き立たせている
日樹を見かければ、制服姿を見透かして線の細い生身の体を想像してしまう不純な思い

きっと、あの男・・・高原もそうなのだろうか

グラウンドで隣を見やれば、陸上部の練習風景が目に入る
このところ練習に熱が入っているようだ
以前のように威嚇されることも無く、まして日樹と一緒にいるところもほとんど見かけない

高原に対抗意識を持ち、
願いが叶った再会の時、純粋に胸をときめかせたあの瞬間のことなどもう忘れてしまっている
求めているのは手に入れたものよりさらなる刺激

この思いを伝えて、受け止めて欲しい・・・

「それよりさ、拓真  そろそろレギュラーが決まるな」
「・・あ、あぁ」

思い耽る拓真を亮輔が現実へ引き戻す

夏の大会に向けてのスタメンが選出される
投手の層が薄いこのチームなら拓真は控え投手に抜擢されることは間違いないだろう

「お前は大丈夫だろうけど・・・俺は危ういかも」
「そんなことないよ」
「いや、捕手はベンチに何人もいらないしさ」

亮輔と同じポジションの捕手は上級生に二人いる
2年、3年中心にチームが組まれるのだから
亮輔のいうことはもっともなのだ

亮輔以外とバッテリーを組むのでは意味が無く
まして他の捕手のリードを受けることに不安がある
自分を知り尽くした亮輔のリードだからこそ安心して任せられるのだ
いくら自分がレギュラー入りしてもそうなることが予測されれば練習に身が入らなくなる
かといってじっとしているのでは体も治まりつかない

「少し投げ込むか?」
「ああ」

亮輔の誘いに拓真は腰を上げる
二人は皆より先に休憩を切り上げた


そして、もう一人
最後の夏の大会に向けて
自分を見失いかけている男がいた









高原からの連絡が途絶えてもう何日になるだろう・・・

最後に逢ったのは中間テスト前だ
もともと互いを求め合って始めた関係ではない
携帯に入る連絡も、高原からの一方的なものだけだ
自分からは連絡をとることはしない
もしそうしてしまえば、この関係の意に反してしまう

自分の存在価値を考えるようになってしまえば、それはもう対等な関係ではなくなっているのだ
最後の夏を燃焼するためにテストが終わってから高原は部活に勤しんでいるのだろう

事故に遭わなければ・・・
こんな関係も持たず、ただ先輩後輩として
チームメイトとして一緒にグラウンドを走っていたのかもしれない

いつまでも続く関係ではない
行き詰まり、それを乗り越えられなければ先も無く終わるだけ
その時がいつか訪れるなら
そのまま静かに受け入れ見届けなければならない

まして高原の寛大さに甘えるだけで彼を満足させることができない
その理由も高原はわかっているはずだ

彼のため・・・
そう思っていたのは自分だけ・・・?

日樹は自室のベッドに転がりながら
携帯電話の着信履歴を見つめていた
朋樹の番号に混じって履歴に残る高原の番号

日ごろ気に留めもしなかった携帯電話に、こんなにも執着するとは
自分でも信じられなかった


トントン・・

朋樹がドアをノックする

日樹は上体を起こし携帯電話を枕元の眼鏡に並べて置く
そして何も無かったように、たった今までの切なげな表情を捨ていつもの静かな笑顔で朋樹を迎え入れる

「はいるぞ」

すっかり部屋着に召し替えた朋樹だった
いつも三つ揃いのスーツを隙無く着こなす朋樹のこんなラフな格好を知っている人間は家族以外に数人といない

たとえ、どんなたぐいの服装でも
見劣りすることがあり得ないほどに着こなすのだ
朋樹にとって身に纏うものは単なる付属品でしかない
そして軽装になればなるほど朋樹の逞しい体が主張される

ベッドに置いてある日樹の携帯電話をチラリと見やり、小さな変化を見落とすことなく察知する
いつもなら無造作に置いてある携帯電話
それが日樹自身のごく傍らにある

「手術の日取りが決まった」

とうとうくる・・・

「・・・いつ?」
「来週の月曜日に入院し、その翌日が手術になる」

朋樹が日樹のベッドに腰を下ろすと体重の分だけスプリングがギシリと沈む

「急なんだね・・・」
あまり望んでいないことのせいか、つい苦笑いになる
それにこんな状態ならもっと先延ばしにしたかった

「あまり嬉しそうではないな」
クク・・・と笑い日樹の顔色を窺いとる

「これで体も自由になるんだぞ」
「・・・うん・・・」

日樹の両肩にそっと掌を置きを自分の方へ抱き寄せる

「・・・義兄さん・・・」

突然の兄の行動に戸惑いはするがなぜか懐かしさに身を任せてしまう
子供の頃は何度もこうして大きくて温かい義兄の胸に包まれたような気がする
しばらくぶりだ・・・
あの頃と何も変わっていない

「日樹、いいか これから起こりうること全てを、良い結果でイメージしろ」

背中越しに聞こえる朋樹の力強い言葉
それは朋樹の信条だ
何事も自分を信じなければ、事は上手く運ばれない
無論ビジネスもそうだ
マイナスをイメージしては持てる力を発揮できない
ずっと朋樹を見てきた日樹なら言われるまでもなく理解できる

日樹もそう育ってきたからだ
あの事件が起こるまで
だが・・・
心に不信、不安を抱くようになってしまった日樹には受け入れる事ができない

「・・・大丈夫だから・・・」
今度は日樹が背中越しにそっと言葉を返す

強がるわけでもなく、
気休めでもない
相手が安堵してそれ以上強要しなくなるからだ

大丈夫・・・
そう言うことに
もう慣れてしまった・・・




葵月・前編
葵月・後編