3月9日(土曜日) <バガン> <3 日 目 −(2)> |
休憩後、15時25分にロビー集合。 |
午後の観光は<タビニュー寺院>から始まりました。 |
<タビニュー寺院>は12世紀半ばにアラウンシトゥ王によって建立されました。 |
高さが61m、バガンで最も高いレンガ造りの寺院です。 |
<タ ビ ニ ュ ー 寺 院> | ||
<タビニュー>とは「全知」の意味 | 天井画 | |
<タビニュー寺院>に隣接している僧院の敷地内にはビルマ戦線で亡くなった日本人 |
戦没者の慰霊碑があります。異国の地で亡くなった方の無念を想うと胸が詰まりました。 |
ミャンマー各地には遺族や戦争参加者たちの慰霊碑が数多く造られています。 |
<日 本 人 戦 没 者 慰 霊 碑> | ||
線香と花が供えられていました | ||
第33師団所属の弓部隊戦没者のお墓 | 戦友遺族の会とミャンマー友好協会との碑銘 |
10分後、<アーナンダー寺院>へ。 |
<アーナンダー寺院>は53メートル四方の正方形の本堂と51mの尖塔を持つバガンを |
代表するパゴダです。1091年にチャンスィッター王によって造られ、仏陀の従弟であり |
弟子だった「アーナンダー」に因んで名前が付けられました。 |
東西南北に4つの入口と参道があり、それぞれの入口の奥には高さ10mくらいの |
巨大な仏像が1体ずつ祀られています。 |
<ア ー ナ ン ダ ー 寺 院> | ||
バガン王朝全盛期の建造物 | ||
仏像は近くで見ると厳しいお顔に見えて、少し離れて見ると笑みを浮かべています | ||
回廊の壁にも無数の仏像が祀られています | 歴史を感じる門 | |
竹で造った足場の上で修復中 | 土で作られた壺や仏像が並んでいました |
次に訪れた<タラバー門>は9世紀にできた城壁の名残りです。門の両側に祀られて |
いるのはバガンの守護神である兄妹のマハーギリ・ナッツです。 |
この城壁の内側のエリアが「オールドバガン」で昔は住民がいましたが、遺跡保護の |
ために強制的に「ニューバガン」に移住させられたそうです。 |
<タ ラ バ ー 門> | ||
左右にバガンの守護神が祀られています |
次に訪れた<プーパヤー・パゴダ>は3世紀頃、イラワジ川沿いに建立されましたが、 |
1975年の地震で大きな被害を受けて、現在のパゴダは復元されたものです。 |
<プ ー パ ヤ ー ・ パ ゴ ダ> | ||
イラワジ川を航行する人の目印になりました | お参りする信者 | |
パゴダの眼下にあるイラワジ川で水浴びする人々 | ||
船上で生活しているのかもしれません | 土産店 | |
遠くから信者がやってきました | 物売りの女性たち |
<車 窓 か ら の 町 角 風 景> | ||
今日の観光の最後はイラワジ川の<サンセットクルーズ>です。 |
2隻の船に分かれて出発。川の中央で停船している船はやはり夕陽見物のようです。 |
船の上のテーブルにはお茶とタマリンドのお菓子が出してあったので皆で |
いただきました。夕陽は山陰に沈む前に雲の中に隠れてしまいました。 |
<サ ン セッ ト・ ク ルーズ> | ||
船乗り場 | ほかの船も夕陽見物 | |
可愛い男の子がにっこり | 大きな木造船が展示?されていました | |
夕陽はぽっかりと雲の中に沈んでいきました | イラワジ川から見た<プーパヤーパゴダ> |
18時にバスが出発して夕食レストランへ向かいました。 |
伝統芸能の「操り人形劇」を観賞しながら中華料理の夕食でした。 |
19時50分にホテルに着きました。今日もよく歩いたのでバスタブにお湯を入れて |
疲れをとりました。明日も同じホテルに連泊なので気持ちが楽です。21時頃就寝。 |
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