後編 復活の刻

 聖は霊魂と化した意識を霊陣から時空を経て現代の世界へ飛ばした。闇の魔力はすぐに聖のもとに知るところになった。丁度、知香が巨大蝙蝠と対峙していた頃である。時空を抜けると意識は大松市のさる公園がよく見える空にいた。闇の力が強すぎて周りの空間に歪みができていた。蝙蝠の気配を感じた聖はそれが幻魔であるとすぐに見抜いた。
「やはり、復活していたか…。奴が相手では知香には勝てぬ」
そう踏んだ聖は過去より持ってきていた霊剣を抜き放った。意識だけでは弱い妖魔すら封印することは不可能だがそれは霊剣で補うのだ。
「火の精霊たちよ。爆発する力をもって、魔に属する者を消滅させよ。烈火爆炎陣!」
知香が火の精霊を駆使して蝙蝠の使い魔に攻撃を仕掛けている。しかし、まるで通じていないようで一瞬にして弾き返されていく。
「あれは闇の結界だな」
絶対防御の闇の結界は精霊にとっては最強の結界とも言えた。これに勝るには強力な術が必要になる。知香であれば炎覇七龍陣に相当するだろうが七龍陣は知香にとって最強であると同時に最後の技でもある。これを使って勝てなければ幻魔になぶられるだけだ。幻魔を相手に単独で挑むほうが無謀なのだが…。
 聖は霊剣を手にした。実際の霊剣より威力は劣るがそれでも絶対的な存在でもあった。聖は霊剣を闇の結界めがけて振りかざした。霊剣より放たれた霊気はまっすぐ闇の結界に直撃した。その直後、結界は真っ二つに裂かれたのだ。それを見た知香は自らが持つ最強の術の詠唱に入ることに成功した。
「我に集う精霊たちよ。爆発の威力を以て、全ての魔を焼き尽くせ!。炎覇七龍陣!」
七つの首を持つ炎龍が放つ炎により闇の力を含めた全てのものを焼き尽くしていく。それを見ていた聖は苦笑したが幻魔に対しては何の効力もないことに気づいた。
「奴め…、かなりの魔力を復活させてきている…、まずいな…」
聖の危惧はすぐに現れた。幻魔が聖の存在に気づいたのだ。火の海と化した公園を飛び立つと真っ直ぐ聖のもとへ向かってきたのである。意識だけでは勝てるはずがない。聖はすぐに来た道を取って返した。幻魔が時空に入ってくれば時魔一族が黙っていない。そのことを熟知していた聖はすぐに時空の世界に身を投じた。
 自分の使い魔の結界を破った霊魂が時空の世界に入ったことを知った幻魔は舌打ちした。
「ちっ、逃げられたか…。だが、どこの誰だが知らぬが我が邪魔はさせぬ。時喰獣召喚(じしょくじゅうしょうかん)」
その名の通り、時間を食べる獣が闇の世界・冥界から召喚された。姿は赤黒い獣である。角はないが鋭い牙を持っていた。そして、尾も長い。幻魔から放たれた時喰獣は一目散に聖の後を追ったのである。聖は霊魂を発した霊陣に急いだ。意識を食べられてしまえば体は死んだのと同じことになるからだ。聖は足止めするために霊剣に秘められた強大な霊気を獣に放った。威力は凄まじいが霊力は半減してしまうのである。簡単にかわされてしまったため、聖と時喰獣の距離は10メートル程しかなかった。目的地である光の穴にはもう少し時間がかかった。このとき、聖は死を覚悟しながらも逃げ切れると信じていた。待っているのだ、時空を支配するあの男を…。
 聖は霊剣から霊気を取り込んだ。そして、逃げながら時喰獣が近づくのを待った。
 グオオオオオオオオォォォォォォォォォ――――――!!!!!
凄まじい雄叫びをあげながら迫ってくる。聖は意識の前面に霊気を集めた。一気にぶつけるつもりなのだ。時空を抜けるにはまだまだ時が必要だった。それだけ時空という空間は広すぎた。過去へ行けば行くほどその距離は遠くなる。
(さあ…来い!)
聖は意を決した。内心冷や汗を掻いているが霊魂なのでわからない。そのときだった。追いかけてくるはずの時喰獣の姿が消えたのだ。
(なっ!?)
視界から消えた時喰獣を見て聖はあせった。もう目と鼻の先に来たとき聖の氣は発せられ見事に時喰獣に当たるはずだったからだ。その直後、逃げ道に妖気を感じた。時喰獣は宙を舞って行く手を妨げたのだ。聖はその場で立ち止まるしか方法はなかった。距離はざっと5メートルほどだが距離などというものはないに等しい。強さが違うのだ。霊魂の聖では到底勝てる相手ではない。
 そこで聖は考えた挙句、ある方法をとることにした。待つことはない呼ぶのだ、こちらから。聖は前面に溜めた霊気をある一点に向けて放ったのだ。術を持たない人間であれば軽く倒せるほどの霊気だ。多少の効果はあるだろう。霊気は聖の定めた目的地へ伸びていく。時喰獣は相変わらず動こうとしない。こっちから来るのを待っているかのように…。

 時魔界、そこは時空の世界に浮かぶ唯一の世界。しかし、かろうじて空間と呼べるぐらいだろう。視野は灰色がかった薄い緑色で色素が薄い。空は灰色の雲で覆われていた。七魔王が時魔に対して行った熾烈な制裁だった。それでも時魔一族は過去・現代・未来を含めて全ての世界に移住し、時を通じて監視している。全ての七魔王はその存在を知る由もなかった。聖を除いて…。聖は時覇よりそのことを教えられたが他言などしなかった。他言すれば再び戦いになることが目に見えていたからだ。それだけは避けたい聖は自らを犠牲にしてまで時魔一族を守りぬこうと誓った。だからこそ時魔は今も時空のどこかに存在している。その場所を知っているのは聖だけなのだ。その聖が霊気を撃ち放ったのである。
 時魔界の中心にある神殿、そこに時覇・時稜兄弟が住んでいる。霊気が撃ち下ろされたのは正に神殿のど真ん中だった。
 ドオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォォ――――――ン!!!!!
という響きと揺れが神殿を襲った。
「な、なんだ!?」
「時稜、霊気を放たれたらしい」
時覇は笑っていた。
「兄者?」
霊気を撃たれたというのに笑っている時覇を見て時稜はきょとんとしていた。
「この霊気は聖の霊気だ。奴が時空で霊気を放つということは今までなかった。これは何かある。行くぞ」
時覇はすぐに神殿を飛び出したのである。灰色の雲を抜ければ時空の空間に入る。
「兄者、場所がわからないぞ」
「ああ、気配がない。霊気の放たれた地点はどこだ?」
時覇の言葉に時稜は秘宝「響震珠(きょうしんじゅ)」を使った。珠から放たれた光は音速の速さで四方八方に散らばり、霊道に残った微かな霊気を感じ、霊気に絡みながら共鳴した。その瞬間、聖の意識を感じ取った。
「見つけた!。中現代の道にいる」
「飛ぶぞっ!」
「おう!」
2人は一気に時空移動を始めたのである…。

 しばらくして背後からも雄叫びが響いてきた。幻魔がもう一匹放ったらしい。聖に霊気を集められる時間は残されていなかった。霊剣を手にしているがもはや皆無に近い。
(くっ…)
時喰獣は強靭な牙をもって襲いかかってきた。
(!!!!!?????)
聖は食われたと思った。しかし、聖の前後に守護神が現れたのである。時空を支配する守護神が…。
「遅いぞ」
聖が呟いた。目の前に時覇がいた。後ろには時稜がいる。2人はそれぞれ時喰獣を食い止めていた。
「双聖、大丈夫か?」
「見てのとおりだ」
「意識でこいつと戦うとはな」
時覇は苦笑した。
「放ったのは誰だ?」
「幻魔だ」
「ほう、復活したのか?」
「そうらしい」
「お前、今、どこにいる?」
「戦国の世だ」
「扉はまだ使えないのか?」
「誰かに封じられたようだ」
「お前にしては珍しいな」
「ほっとけ」
「こいつらは俺らが引き受けよう。しかし、扉はお前自身が何とかしなければなるまい」
「ああ、わかっている。幻魔が完全復活する前に戻るさ」
聖は断言した。
「ふん、やっとやる気が出てきたようだな。時稜、片付けるぞ」
「おう」
時覇と時稜はほぼ同時に霊気を放った。目の前で凄まじい音とともに爆発すると時喰獣は怯んだ。そこへ術を仕掛ける。
「時裂融(じれつゆう)」
両手で包みこむように印を結ぶと包みの中に亜空間への入り口を作った。
「我を敵に回したことを後悔するがいい」
時覇は余裕の言葉で言い放つと時喰獣は亜空間へと吸い込まれていったのである。そして、時稜も術を仕掛けていた。
「停封陣(ていふうじん)」
時喰獣の足元に五法の結界を形成するとその動きを止めた。止めると同時に五つの柱が時喰獣を包み込んだ。
「さらばだ」
「グオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォ―――――――――!!!」
時喰獣は雄叫びをあげて消え去ったのである。
「すごいな」
聖は感心していた。
「時稜、他にも放たれた妖魔がいないか調べよ」
「承知」
時稜はどこかに去っていった。時空の奥底まで知る尽くしている2人には時空をよく使う聖とてかなわなかった。
「時稜が秘宝以外で敵を倒すところを見たのは初めてだな」
「あいつは滅多に術は使わない。使える術もそんなに多くないしな」
「霊気が弱いということはないだろう?」
「ああ、本気になればあいつのほうが強い。だがあいつは戦いが嫌いなんだ」
「ふうん、統率よりも文官向きだな」
「そのおかげで我が一族の統制は成立しているといっても過言じゃない」
「武の時覇と知の時稜か…」
聖は呟いた。
「さて、これからどうする?」
「とりあえず戻るさ、俺1人じゃないからな」
「ほう」
「それに時の扉を復活させねばなるまい」
「だったら最初の場に行ってみたらどうだ?」
「最初に降り立った場所か?」
「うむ、おそらくそこに時空の歪みがあるだろう。そこから飛び込めば戻れる可能性は高い」
「なるほど…、なぁ、時覇」
「ん?」
「時の扉を封じたのは誰と思う?」
「言ってもいいがお前が考えているのと同じだと思うぞ」
「そうらしいな」
「まぁ、相手が何であれ早く復活せねば幻魔の魔力はどんどん強くなる」
「ああ」
聖は時覇に別れを告げると目的地である戦国の世まで戻って行ったのである…。

 時は遥かに遡って向川町、真人の失踪と知香の無謀行為に吉郎は唖然とした。辛くも逃げ帰った知香の話しを聞いた吉郎はこのままでは勝てないことを悟った。
「知香よ、大きな蝙蝠だと言ったな?」
「うん」
知香が頷く。
「蝙蝠は闇より遣わされた使い魔と同等の力を秘めている。おそらく何者かが復活しようとして蝙蝠を利用したのであろう。蝙蝠から脱皮したときこそ本当の復活の刻が訪れる。それだけは阻止せねばならぬが…」
この時点での真人の離脱は痛かった。だが吉郎たちは真人が聖のところにいるなどということは知らない。
「知香、この町に結界を張るぞ。木曾さんと真人君がいないのは残念だが妖魔に勝手な真似はさせてはならぬ」
吉郎の言葉に知香が頷いたとき、玄関のほうで「すみませーん」の声が聞こえてきた。向川屋は母屋と一緒になっている旅館で玄関は一緒なのだ。吉郎が行ってみると2人の男女が来ていた。吉郎は咄嗟に退魔師だと悟った。霊気を隠しているもののその強さは計り知れない。
「いらっしゃいまし」
「初めまして、向川吉郎さんですね?」
女性が言った。女性は長身で長い髪を後ろで結っていた。
「そうですが…、どちら様にございましょうか?」
「私、壱岐采子(さやこ)と申します。こちらは夫の武にございます」
礼儀正しい挨拶を交わした。夫のほうはがっしりとした体型をしている。
「もうお分かりだと思いますが退魔を業としている者です。ある妖魔をこの地まで追ってきたのですが見失いましてお力を貸して頂けないでしょうか?」
「いきなりそのように申されましても…」
吉郎は困惑した。この地は妖魔が集まりやすい場所だ。それは重々承知している。しかし、この忙しいときに協力を求められてもできることとできないことがある。
「突然の申し出に困惑されるのはこちらとしましても承知している所存です。けれども相手が相手だけに野放しはできないのです」
壱岐采子と名乗る女性の真剣な眼差しに吉郎はため息をついた。
「わかりました。ここでは何ですから奥へどうぞ」
吉郎は2人を母屋のほうへ導いたのである。
 女性は知香と多恵を見て一礼した。夫のほうは中庭を見ている。何かに気づいたようで一言、
「まいったなぁ…」
と漏らした。采もある気配に気づいたというよりは驚いた様子で懐かしい表情をした。2人の姿を見ていた吉郎は、
「如何なされました?」
と、聞かずにはいられなかった。
「昔、知人であった人の気配を感じます」
「ほう、それはそれは…」
吉郎はすでに誰のことであるか看破していた。
「この地はある一族の由来ある地、まさかと思って来てみましたが…」
「そうですか…」
敢えて聖のことは口に出さなかった。
「ささ、こちらへどうぞ」
吉郎は居間に通すと向かい合って座った。知香と多恵は退席していたがどこかで聞いているだろう。
「実は我々が長年封印していた妖魔が地下鉄工事の影響で破られて復活してしまったんです。その妖魔が封じられていた場所は妖穴(ようけつ)と呼ばれる闇に通じる穴のことで封印が破られたと同時に無数の妖魔が人界へと飛び出してしまいました」
「なんと…」
吉郎は絶句した。
「しかし、数は多くなくすでに結界を張りました故、それ以上の出現はありません。しかし、肝心の大物が何処へと消えてしまったのです。とりあえず闇の気配を追ってここまで来たのですが…」
「見失ったと?」
「いいえ、見つけました。巨大な蝙蝠と化して大松市を中心とした闇の結界を築こうとしています」
「巨大な蝙蝠とな!?」
知香と戦った蝙蝠のことを思い出した。
「はい、今でこそ蝙蝠の姿をしていますが本来は幻魔と申す古代に生きた学者です」
「幻魔と言えば七魔に準ずる地位にあった者…」
「その通りです。我らも属する七魔は御存知だと思いますが神、獄、孝、双、妖、天、光となります。その七人に時と幻を加えた九人がかつて平安より生まれ出た異端の陰陽師なのです」
「うむ…」
「幻魔は幻術を主体とする陰陽師でしたがいつの頃からか闇の力に魅入られてしまい、平安の都を陥れまいと企んだのです。しかし、それは朝廷の命を受けた八人によって平定され我々がその封印を代々受け継いで来ました」
「それが開封されてしまったということですね?」
「その通りです。わがままだと思いますが私たちはこの地に疎いのです。そこで吉郎さんに協力していただけないでしょうか?」
「その幻魔とはすでに刃を交えております」
「えっ?」
「我らも退魔を業としている以上、妖魔が中に入ればほとんどのことは耳に入ります。それにこの地は双魔ゆかりの地、いずれ双魔王が出張ってきたときにあなた方が困るのではありませんか?」
「その通りです。故に早くケリをつけたいのです」
「かと言え、敵も馬鹿ではない。もう拠点をかえている可能性もあるでしょう。それに…」
「それに?」
「復活はもうしているのではありませんか?」
吉郎の詰問に2人の心がわずかに動揺した。
「…わかりません。わかりませんが私たちは命を賭して幻魔を封印…、いいえ封滅するつもりです」
采は厳しい眼差しではっきりと言い放った。
 翌朝、吉郎は2人に協力することを了承したのである…。

 闇の結界に守られた空間、空気はどんよりと濁り、暑さや寒さは感じない心地よい。空は赤黒く、周りに生き物の姿はいなかった。あるのは魔法陣と巨大蝙蝠のみ。
「ククク…、刻は満ちた。我の復活はまもなくだ。かつて我と敵対し陰陽師どもにこの恨みを晴らしてくれようぞ。そして、愚かな人間たちに闇の世界を…」
巨大蝙蝠こと幻魔は魔法陣の中央に座っていた。
「我の力となる闇の下僕たちよ。古来より封じられし力をここに示し、我の手足となりて蘇りたまえ」
詠唱を唱えると魔法陣から黒い霧とも煙ともつかぬものが現れ、幻魔を包み込んでいく。そして、完全に包み終えると丸い円形の形に変化し、空中に浮いた。外から中の様子はうかがうことはできない。何も見えないからだ。周りの空間には何の変化はない。
 しばらくして円形の包みは中心に向かって吸い込まれ始めた。それはあっという間の出来事だった。もし、それを見ていたならばまぶたを閉じた瞬間に事を終えていただろう。最後に残ったのは人間の姿をした幻魔だった。長身で若い、がっしりとも細身とも言えぬ体型をしており、長くて黒い髪は後ろで結っていた。
「ふはははははは…、あの頃よりも強い魔力を得たわ!。これならば奴らにも勝てる。まず狙うべき相手は我を最後まで封印し続けた天魔一族だ…。ふはははははは…」
幻魔はゆっくりとした動きで胸の前で左右の中指と人差し指を合わせながら印を結ぶと何かを呟いた。すると幻魔の体はゆっくりと魔法陣の中へと沈んでいったのである…。

 滝壷の近くに大きな岩があった。聖はここに座っていた。燕と真人はいない。2人は別の霊場で修行をしているからだ。聖は目を瞑っていた。まるで瞑想をするかのように座禅を組んでいた。幻魔を倒しに現世を戻るとしても真人の修行次第では長引くことも予想された。そのため、静かに霊気が高まるのを待っていた。戦いになれば即座に動かねばならないからだ。そんな聖の許に1人の男が訪ねて来た。男が近づくと聖の両眼はゆっくりと開いた。
「こんな人界に御身が現れるとはな」
「久しいな」
「封印される前か?」
「ああ。また五百年も封印されるかと思うとこっちの身が持たぬ」
「ふん、いずれ解き放たれることは知っていように」
「知っているからこそ御身に会いに来たのだ」
「それだけじゃないんだろ?」
「それは無論のこと、現世に帰れずに困っているのかと思ってな」
「よく知っているな」
「私に知らぬことはない」
「らしいな」
聖は苦笑した。
「だから封印されるんだよ」
「さて追手も迫ってきたことだし、御身にこれを託そう」
「ん?」
男は珠を渡した。珠を覗くと何かが中で流れている。
「一つ聞いていいか?」
「何だ?」
「俺はこの地に飛ばしたのは幻魔だと思っていたんだが真犯人はお前か?」
「さあな」
男は笑った。
「ったく…、還刻珠(かんこくじゅ)なんか持ってくるとは思いもしなかったぞ。しかも、時魔一族の秘宝じゃねえか。どこから盗ってきたんだよ」
還刻珠はその名の通り、時間を戻す珠のことである。これを使えば聖が現世で失った時間を取り戻すことができるのだ。歴史を変えた事実だけを残して。それは同時に「時の扉」の復活を意味していた。
「お前に早く戻って欲しいと思ったからこそ…」
「何を戯言を…。それに俺が現世に戻ったときにはお前の封印はすっかり解き放たれているぞ」
「それでも構わないさ」
「ふん、物好きな奴め…。さすが千年生き続けているだけのことはある」
「さて行くか…。連中も近くまで来ているだろうし」
「待て、このまま恩だけ与えて行く気か?」
「ん?」
男は聖を見つめた。聖は有無言わさず詠唱に入る。
「我に宿る治癒の力を持ちし精霊たちよ。聖なる力を以って天を制し、闇の力を以って我を守護とする者の体を作り給え。治聖分霊術(ちせいぶんりょうじゅつ)」
簡単に言えば分身の術である。全ての能力をそのまま受け継いだもう1人の自分がそこに姿を現すのだ。男が2人となった。
「さあ行くがいい。見事、大役を果たせ」
分身は聖に跪くと男を追っていた追手に向かって走り出した。動きは軽やかで早い。
「いいのか?」
「歴史の見張り役がこんなとこで五百年をじぃっといてられんだろ?。それに時が経てばお前の術でいつでも入れ替わることも可能じゃないか」
「ちっ、全てお見通しかよ」
「当たり前だ。だがこれはもらっておくぞ」
「ああ、遠慮なく使え。私は行くぞ」
そう言って男は走り去って行った。
「あいつ…、結局のところ何をしに来たんだ?」
聖は男から受け取った還刻珠を手の上で転がした。そこに遠くのほうで強い霊気が発した。
「ほう、成長が早いな。これならば直に戻ることもできよう」
そう言って聖はゆっくりと立ちあがった。
「こちらも最後の仕上げだな」
聖は霊気が発した場所へと向かったのである…。

 一番出没する確率が高かった大松市を道案内をしていた吉郎は凄まじい魔力を感じた。それは天魔王・天采も同じであった。天武は隣町を知香に案内されていた。
「これほどとは…」
吉郎は背筋に寒気を感じた。
「どうやら復活してしまったようですね」
天采はすでに戦う態勢に入っていた。天采からも凄まじい霊力を感じる。今まで身近にいたあの男とは異質な霊力でもあった。そして、ここから天采の表情が豹変したことには吉郎も驚きを隠せなかった。
「二重人格…」
吉郎はそう看破した。天采は吉郎など目もくれずにその場から立ち去るように復活した幻魔の許へ向かった。残された吉郎は一言呟いた。
「勝手な連中よ…」
その言葉は明らかに怒りに満ちていた。
「だが我らも退魔師、このままでは済まさぬ」
そう吐き捨てて吉郎もまた自らが守るべき町へと帰って行った。それは知香も同じであった。凄まじい魔力を感じたと思ったら道案内していた天武も立ち去ったのである。追いかけようとした知香の目の前に霊力を落として来るなと言わんばかりに…。
「ちょっとぉ、どういうことなのよっ!」
知香は多恵の前にして顔を真っ赤にしていた。多恵は相変わらず静かな姿勢で知香を見守っていた。
「あんな人たちとは思わなかったわ!」
かなり怒っている。知香の怒りに便乗して火の精霊たちも。多恵が持つ光の聖霊がいなければとっくに爆発していたところだった。
「少しは落ち着きなさい」
「これが落ち着いてられますっかって!。このままじゃ済まさないわよぉ」
「知香が行ったところでできるのは使い魔を倒すぐらいのことでしょ」
「お母さんまでそんなこと言う!」
「違うかしら」
多恵も当たっているだけになかなかきついことを言うがそれも我が子を思ってのこと。
「まあ、お父さんに任せておきなさい」
「いいや、このまま黙っている私と思うわけ!?」
多恵は知香の怒りを押さえつけられないと見て取った。
「だったらもう少し精霊の火力を高めなさい。本当に勝てないからね」
念を押すことも忘れなかった。
 しかし、天采と天武と別れて正解だったのかもしれない。幻魔が狙っているのは天魔一族なのだから。幻魔は大松市に強い魔力のある結界を張った。その直後、無限に近い人間たちが闇と浄化していく。魔力の強さに耐えきれないのだ。かつて平安の都を幻魔が闇で覆い尽くしたときに人々は闇に浄化されてしまった。禁裏だけは陰陽師たちが守りぬいたが今回は違う。陰陽師の末裔を名乗る2人と自然の精霊で退魔をする2人のたった4人だけしかいないのだ。それも仲違いしているため共存はできない。勝てるはずがないと吉郎が見てとった通り、天魔の2人は苦戦を強いられた。幻魔の姿はすぐに見つけることができた。大松市にある鬼生(きう)高原で魔法陣を形成していたのだ。この地は鬼が人界に生まれでた最初の地として知られていた。
「どうした、その程度か?」
幻魔は魔法陣の中央からまったく動かなかった。攻撃が通じないのだ。
「くっ…」
正面に立つ天采は焦っていた。そこに後ろから回った天武が攻撃を仕掛ける。
「雷光烈駆陣(らいこうれっかじん)!」
そう言い放つと体の霊力が雷に変化し、地面を四方八方走りぬく光となった。高原に光が覆い尽くした。大抵の妖魔であればこれで完全に消し飛ぶことが多いが絶対防御を施している幻魔の結界には一歩も入れなかった。
「堕ちたものだな、天魔一族も」
幻魔は右腕をかざして詠唱に入った。
「我に従う闇の下僕たちよ、冥界に潜む悪鬼たちの力を得て我が巫女と化し、幻影の姿を以って光を封じよ。彼の魔柱は皆の糧とし、全てを食らい尽くせ。冥鬼幻龍陣(めいきげんりゅうじん)!」
地面より冥界から召喚された悪鬼たちが無数に現れた。実体がないため物理攻撃は効かない。人界に生きるものたちも全て食いつくしていく。人間も動物も植物も…。高原は一瞬にして緑から茶色にかわり黒となった。これを食い止めるため、天采が術に入る。
「氣雷滅衝陣(きらいめっしょうじん)!」
巨大な魔法陣が高原を包むと天空に棲む雷神が何本もの雷撃を落とした。雷撃は融合して悪鬼たちを包み込んで一気に浄化してしまったが幻魔は未だにその存在を維持し続けていた。
「愚かな者どもめ、通じぬというのがわからぬのか」
幻魔はせせら笑った。完全に弄ばれているのだ。それは天采たちも悟っていた。攻撃が通じない以上、どうすることもできないのだ。ならば、どうやって封じたかということになってくる。天采は考えた。しばらく考えて2つのきっかけを得た。天武に伝心術で伝えると同様の言葉が返ってきた。
「参る!」
天武が両手に雷をもった霊気を包み込んで飛び込んできた。
「ふん、愚かな」
幻魔が術に入ろうとすると天采がこれを封じた。
「雷龍召喚(らいりゅうしょうかん)!」
魔法陣の真下から雷龍が召喚されたのだ。一気に幻魔を飲み尽くした。その瞬間、魔法陣は幻となって消えた。雷龍は天高く昇っていくがその途中で体が切り裂かれて爆発音と共に闇の空に消えた。残ったのは幻魔だけだった。無傷とはいかないが致命傷となった傷はなかった。
「我が結界よくぞ破った。だがお前たちができるのはこれまでだ」
幻魔は闇の空に浮かびながら詠唱に入る。
「我を守護する闇の王よ、我の言を願いを聞き入れてくれるならば我が魂を賭す故、ここに姿を現したまえ。そして、今こそ怨恨憎悪恐怖の全てをここに示せ。闇王再来(やみおうさいらい)」
詠唱が終わると同時に幻魔は黒い霧に包まれた。完全に霧と同化すると徐々に広がり始め、それは高原のみならず地平線の彼方まで広がり続け、視界に入る一面は全て闇と化した。高原を照らしていた電灯でさえ霧に遮られてしまうほどだ。自分が今、地面の上に立っているかということでさえ錯覚してしまうほどだった。そして、その錯覚が2人を混乱に陥らせるには十分なものであった。闇王とは闇の世界を支配する妖魔よりも遥か上に立つ者である。天魔とて弱者ではない。天(雷)を支配する者だ。しかし、力の差は雲泥だった。自信を失うには十分すぎた。そんな2人に声が響き渡る。
「我の上で…何を……して…い………る…」
2人はきょろきょろと辺りを見るが声の主がわからない。
「我を…踏む……とは………なんたることか…」
踏むという言葉に天采が応じた。目をこらしてよく見ると先ほどまでなかった山ができていた。
「こ、これは…」
咄嗟に天武を見ると今まで近くにいたはずなのにその姿はどこにもなかった。
「無空術!」
天采は混乱から冷静に戻りつつあった。宙に浮くとまた驚きを隠せずにいられなかった。地面にあったのは顔である。巨大な顔だった。
「なっ!?」
「お………ま……え………の…なか………ま……は………し……ん………だぁ………」
大きな口から声が発した。
「お…ま………え………も……し………ね……」
と言うと大きな口がありとあらゆるものを吸い込み始めた。天采も何の抵抗もできずに闇王に飲み込まれてしまった。口の中に入ると一気に真逆さまに堕ちた。
「きゃああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
絶叫を上げずにいられなかった。どこまでもどこまでも続く闇の通路、回廊とも呼べる闇王の喉は奥深かった。天采はなす術なく転落の一途を辿っていたとき、奇跡が起きた。急に周りが明るくなったのだ。天采は地面に手をついているのがわかった。顔を見上げると東の空がうっすらと明るくなってきていた。幻魔は正面に立っていたがかなり焦りの色を隠せずにいられなかった。天采とて何が起きたのかまったくわからなかった。ただわかったのは助かったのだということだけだった。
「ど、どういうことだ!?、なぜ、結界が破られた!?」
「天魔に意識を集中しすぎたのが命取りになったようだな」
「だ、誰だ!?」
その問いかけに応じて1人の男が現れた。ちゃっかりと霊風波動を幻魔に与えてからだ。「ぐはっ…」
天采と幻魔の間に降り立つと後ろにいる天采に振り向かないで声をかけた。
「大丈夫か?」
「その声は…」
「久しぶりに会って声を忘れたか?」
「そ、双聖殿…」
聖は光を浴びて天采からは影になっていたが気配ですぐに聖だとわかった。
「旦那も大丈夫そうだから安心するがいい」
「どうやって結界を破ったの?」
「こいつを抜いただけだ」
そう言って後ろに放り投げた。それは短剣であった。ただの短剣ではない、闇の施しを受けた短剣だった。これで闇の結界をつくっていたのだ。
「幻術…」
「そうだ、こいつは幻術を巧みに使うことしか能のない男だ。七魔に準ずると言っても力の差は歴然としている。幻魔は幻術を使えばおそらく最強だろうがそれ以外については全然駄目だ。これと同じように時魔もまた時空の世界では最強を誇るが外に出れば我らが勝る。だからこそ封印が容易だったのだ」
そう説かれてようやく合点した。立ちあがると幻魔の周りに一定の間合いを開けてもう1人立っているのに気づいた。真人である。
「真人、封じよっ!」
聖の声に真人が応じた。立ち尽くしている幻魔に術を仕掛ける。
「霊衝雷鳴風陣!」
強大な霊気によって呼び覚まされた雷雲から伸びた雷撃が双魔が持つ霊風と同化して巨大な竜巻と化した。それは幻魔を包み込むようにして徐々に間合いを詰めて最後は一条の線となって一緒に消し飛んだ…かのように見えた。
「ふっはははははははは!!!!!。そのような術、我に効かぬわ」
幻魔は絶対防御の結界を造り上げていた。
「なっ!?」
真人自身も気づいていなかった。自分もまた幻術の罠にかかったことに…。だがそれもまた打ち破られることになる。
「霊覇双弓(れいはそうきゅう)!」
その声と同時に2本の霊気を帯びた矢が幻魔の脳天と胸を貫いた。
「ぐわああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!。お、己れ…」
唇の端から一筋の血が流れ落ちた。
「今度は幻でも何でもなかったようだな」
幻魔は矢が飛んできた方角を見た。すると巫女の姿をした女性が1人立っていた。戦国の世から舞い降りた燕である。
「さあ、封印されよ。二度とこの世に出てくることのなきように」
聖は天采に向かって言い放った。天采はわずかに頷いた。
「天覇封雷陣(てんはふうらいじん)!」
天空より4本の雷撃が舞い降り、幻魔を四方より囲んだ。そして、回転しながら徐々に縮まり最後には1本の雷となって天空に吸い込まれるようにして消し飛んだのである。
「やっと終わったな」
聖は4人を前にして口を開いた。
「生きていたのですね」
天采の人格が元に戻っていた。戦いが終われば人格もまた元に戻るのだ。
「そう簡単に死ぬわけにはいかぬ。幻魔も当分はやってこれまい」
「今回は私の責任にございます」
「そのようなこと気にすることないさ、封印を解いたのは人間だ。姿形は同じ人間でも中身は違う。掘り起こした連中も彼の地は神社であることを知っていたはずなのに敢えて利益のために掘り進んでしまった。幻魔はそんな連中の欲望に目をつけたのだ。封印を守る者が俺であったとしても同じことが起きていたと思うよ。采さん、あまり自分に対して重荷になさらぬように」
この言葉に天采は頷いた。
「さて…、幻魔の手を離れた使い魔たちが街に溢れていよう。真人」
「おう!」
「先に行って吉郎さんたちの加勢に入れ。俺も後で向かう」
「承知!」
真人は無空術を使って向川町のほうへ向かって行った。
「彼の者も双魔衆なのか?」
天武が声をかける。
「そうだ、真人はこの地で生まれし異色の双魔衆、燕は過去より参った双魔衆だ。今の木曾とは何の関わりもない」
「ほう、時空を飛んできたのか?」
「まあな、帰れなくて困っていたところに陶幾に会ったのだ」
「聖魔王・陶幾か!?」
聖魔王とは七魔の頂点に立っていた者のことで聖に会うまである場所に封印されていた。聖とは親友であると同時に幾度に渡って戦いを繰り広げている宿敵でもあった。
「ああ、封印される前に俺を時空に閉じ込めようと企んだらしい」
「時空に?、一体、何のために………?」
「さあな、だがそれは悪い意味はあるまい。おかげで真人の霊力も上げることができたし、過去に起きた双魔の揉め事も解決することができた。歴史干渉はしてはならないことだが巻き込まれた以上、これも運命と思って諦めるしかない」
「再会できたのも運命かもしれませんわね」
天采が言う。
「うむ、双聖殿が戻ってきたおかげでまた七魔も安定するやもしれぬ」
その言葉には聖は苦笑せざる得なかった。もう木曾に戻る気はさらさらないのだから。
「さてと、後の始末をやりに行きますか」
そう言って聖たちもまた真人の後を追ったのである…。

 天采たちが幻魔と戦っている頃、向川町を中心として無数の妖魔とそれを呼び出した使い魔たちが人間を襲っていた。
「我に集う精霊たちよ。大いなる津波となりて、魔に属す者を消し去れ。水破爆高陣!」
吉郎が詠唱を終えると精霊は大津波となって妖魔たちを飲み込んでいく。飲み込むだけでは終わらない。さらに水中で爆発を起こして完全に消し飛ばしていく。吉郎はそれを見届けることなく次の敵を相手にする。
「我に集う精霊たちよ、敵の動きを封じたまえ。水覇粘流衝(すいはねんりゅうしょう)」
吉郎の周りから水が溢れ出したかと思うと一気に四方八方に流れ出た。妖魔の足元へ流れ込むと急に水が硬くなり、粘り気が増した。妖魔の動きが鈍くなったところに、
「水龍召喚!」
吉郎が持つ最強の術が効力を発揮した。水龍から吐き出される氣は瞬く間に妖魔を消し飛ばしていく。しかし、それでも妖魔の数は一向に減らなかった。
「参ったな…、数が多すぎる…、一体、どこから涌き出ているのだ」
吉郎は妖魔の動きを気配で感じ取った。すると北の方角に無数の動きがあると見て取った。北といえば大松市がある。幻魔が復活したのもこの街だと悟った吉郎は大松市のほうへ足を向けた。しかし、それは無謀とも言えた。行けば行くほど闇の魔力は強くなる一方だった。常人であればすでに呑み込まれているところだ。そのことが頭によぎったとき吉郎は焦りを隠せずにいた。
「ま、まさか…、この妖魔たちは…」
その通りなのである。闇の魔力によって妖魔とされた人間たちの姿だったのである。これを止めるには幻魔が造り上げた魔法陣の破壊が必要だった。
「しかし、あそこまで行けるか…」
あそことは大松市の住宅街にある公園のことだった。知香が巨大蝙蝠と戦った場所でもある。このとき知香と多恵は向川町の中心部の守りに入っていたため、動けるのは吉郎だけだった。そこに妖魔とは明らかに姿が違うものが無数に現れた。触手が異様に長い。
「使い魔どもか!?」
吉郎は一定の間合いを開けながら再び詠唱に入る。吉郎はある試みをやってみようと思っていた。それは常日頃から聖が言っていた言葉にある。
「吉郎さん、例え、精霊の力が一つであっても融合させることによって、自然界の力が最大限出せるということです。私はそれをあなたや知香に教えてあげたいのです」
この言葉を思い出したのだ。吉郎が持つ精霊だけでこの難を乗り切るのは不可能と感じたからだ。それは水の精霊たちも同じ事を感じていた。
「我を守護する精霊たちよ、我が願いを聞き入れて下さるならば我の氣を糧として精霊たちをここの召したまえ」
吉郎は初めて他の精霊に協力を願い出たのだ。まず、それに応じたのが聖が一番身近に置いていた風の精霊だった。使い魔たちに攻撃を仕掛ける。風の突風を受けた使い魔たちは体を切り裂かれながら倒れていく。そこに知香が主体とする火の精霊がやってきて炎の道を造り上げた。目の前にいる妖魔たちが焼き尽くされていく。さらに面白いと言わんばかりに地の精霊が現れて地面から無限の緑を成長させて妖魔や使い魔、闇の亡者どもを絡めながら闇の効力を浄化させていく。それを見て黙っているはずがない水の精霊たちが川を形成して地の精霊と共存しようとする。さらにそれを助けんと言わんばかりに天の精霊が暗雲を形成して大雨を降らせた。妖魔に対して強力な浄化雨である。徐々にその数を減らしていった。逆を返せばこの街の人口も減ったことにも相当するのだが。精霊たちに追われた闇の者たちは取り憑いた人間たちの魂から強制的に引き離されて天上の世界へ解放していく。これを見守っていた吉郎は改めて精霊の素晴らしさに感服した。そこに東の空から太陽が光を復活させていた。その光に導かれて精霊たちも動きを活発にさせる。知香も遠くからこの光景を目撃していた。
「この感じ…」
知香を守る火の精霊たちも感激の意を示していた。
「人ごとみたいだけど何か嬉しい…」
一瞬、知香は戦いを忘れた。こうなってくると形成は逆転する。太陽の力が増したため、闇を好む妖魔たちは何をするまでもなく浄化されていく。使い魔たちは光に強い性質をしているので浄化されずに済んでいた。吉郎は一気に大松市に入ると知香が言っていた魔法陣がある公園に近づいた。しかし、ここだけは強力な結界によって近づくことすらできなかった。何も知らずに入った人間たちが使い魔となって変化していくのを目撃したからだ。
 そこに応援が来た。
「吉郎さん」
その懐かしい声の響きに吉郎は歓喜した。真人が駆けつけたのだ。
「やはり生きていたか」
「そう簡単には死ねませんよ。吉郎さんこそご無事で」
「うむ、精霊たちに助けられたわい」
「木曾さんも戻ってきていますよ。今、幻魔を滅ぼしたところです」
「何と、幻魔を倒したか!。それにようやく我らの力が戻りつつある今こそがやつらを倒す絶好の機会!」
真人は吉郎の言葉に頷くと闇の結界に近づいた。そして、周りを見渡して口を歪めた。あるものを見つけたからだ。
「吉郎さん、結界が消えましたなら一気に攻撃を仕掛けてください」
「消えるとな!?、この結界がか!?」
「ええ、消えますとも」
真人の余裕の表情に吉郎は一抹の不安を得たがそれはすぐに消し飛んだ。真人は公園の一角にある公衆トイレの裏に回ると何かを持って出てきた。出てくると同時に闇の結界はなくなってしまったのである。吉郎とは機会とばかりに詠唱に入った。
「我に集う精霊たちよ。大いなる津波となりて、魔に属す者を消し去れ。水破爆高陣!」
大津波が使い魔たちを飲み込んでいく。最後は爆発と同時に完全に無と化したのである。そして、魔法陣に目をやると幻魔の影響を一番受けていたと思われる使い魔だけが残っていた。魔法陣を守るかのように吉郎と対峙している。
「この者もまた幻魔によって帰る場所を無くした者か…」
吉郎が近づくと攻撃を仕掛けてくる。どうやら幻魔亡き後、妖魔や使い魔たちを統率していたのはこの者らしい。光の弾を立て続けに打ってくるが吉郎には当たらなかった。それ故、あっという間に倒された。
「コ………ロ……シ…テ…ク………レ………」
使い魔がかすかに残った理性で言い放った。吉郎は無言で頷いた。死する以外、この者が助かる道はない。吉郎はそう見て取った。
「我に集う精霊たちよ、闇に魅入られし罪なき者たちを浄化させたまえ。水覇昇泉陣(すいはしょうせんじん)!」
詠唱が終えると同時に水の精霊が使い魔を包み込んだ。そして、天空まで伸びると使い魔の姿から解放された魂を昇天させたのである。
「これで終わったな」
「ええ」
吉郎の言葉に真人は頷いた。
「しかし1つわからんことがある」
「何でしょう?」
「何故、結界が消えたのじゃ?」
「原因はこれですよ」
真人は手にしていた短剣を吉郎に見せた。それは高原で幻魔が使っていた闇の施しを受けた短剣だった。
「これで結界を造り出していたと言うのか?」
「正確には幻術を造り出していたのですよ」
「幻術とな!?」
「はい、幻魔は幻術を得意とする陰陽師だそうです。敵の目を惑わし、幾重の罠によって精神的混乱に陥らせ、最後は敵が持つ精気を食らうそうですよ」
「ほう、よく知っておるな?」
「ええ、木曾さんの受け売りなんですけどね」
そう言うと真人は笑った。
「受け売りではないな。それはお前の言葉から発せられた真実だ」
聖は燕を連れてやって来た。その姿を見て吉郎は歓喜した。
「双聖殿、生きておられたかっ!」
「しっかりと足2本くっついていますよ」
「失踪したと聞いたときは驚きましたが…」
「積もる話しは後でゆるりと。今はこの事態を何とかしなければなりません」
「結界は封じたが…」
「結界を封じても罪なき人々は戻ってきません。魂を戻してこそ真の解決があるのです」
「どのような解決方法が…」
「お任せあれ」
聖は吉郎が幾多の精霊を呼び出して造り出した森に向かった。完全にビルやコンクリートで敷き詰められた地面と同化している。
「見事に融合をしている」
聖はこれを見て感動した。そして、精霊たちが集まる森の中へ入って行った。ちょうど森の真ん中にできた池の中に入ると座り込んだ。後ろに燕がつく。
「燕よ、しばしの間、霊力を借りるぞ」
「はい」
聖は詠唱に入る。ここからが霊陣守を務めた燕でさえ驚きを隠せなかった奇跡が起きたのだ。
「我を守る精霊たちよ、治癒の心を持つ白き優しさにより黒き闇の封じられし悪鬼から解放せしたまえ。我に御霊が導きし道を与えたまえ。罪なき者たちの魂をここに召還させたまえ。治聖魂還術(ちせいこんかんじゅつ)」
詠唱を終えると天上の空に大いなる光が導いた。無限に近い魂が舞い降りてくる。それを見届けてから聖はまた詠唱に入る。
「我を守る精霊たちよ、闇により失われし者たちの体をここに造り、魂の拠り所と致しますよう。治聖形成術」
詠唱を終えると治聖の力により体が形成されていく。天上より召還された魂は自らの体へと戻っていった。そのときには聖の重詠唱により回復術が施され完全な人間として再び、この世へと舞い戻ることができたのである…。

 戦いが終わった直後、吉郎が精霊を呼び出して造りあげた森は”奇跡の公園”として称えられ、そのまま公園として後世まで永く伝えられることとなった。
 幻魔は天魔一族によって天空の彼方にある天雷城に封印された。天雷城は形は天魔一族の領域にあるが支配は天人たちが行っていた。この城に封印されれば二度とこの世に出ることは皆無であり、二度と復活できないように天人たちが厳重に監視した。
 その天魔一族の長である天采と天武は吉郎と知香、そして多恵に幻魔との戦いにおける無礼を詫びた。そして、改めて退魔師としての共存を確認しあった。簡単に言えば仲直りしたということだ。それには聖のとりなしもあったが天采の神秘的な人格のおかげとも言えた。戦いになれば人格が豹変することはすでに知っていることだが普段の天采はおしとやかな性格をしており、退魔師というよりは巫女としての資質のほうが高かった。それ故、多恵とはあっという間に意気投合してしまったのである。こうなってしまえば吉郎と知香は何も言うことができない。それだけ多恵という存在は向川屋では大きな存在だった。
 一方、聖が連れて来た燕はしばらく杵島神社に置いてもらうことにした。この近辺では神聖な場所で滅多なことでは邪まな氣は入り込まない場所でもあった。以前、この地で戦いを繰り広げたときはまだ結界が完全ではなかった。そこで聖が幾重にも渡って強力な結界を施していたのだ。そのおかげで杵島神社は闇とは無縁の社として君臨することになる。
「そういえばさぁ」
「うん?」
知香の声に背中越しに耳を傾けた。場所は向川屋にある治療室、聖が副業として自らの氣や精霊を使って不治の病から小さな傷まで泊まり客の要望に応じて治療をしているのだ。知香は今やその助手だった。
「私って聖のことなーんも知らないんだよねぇ」
「別に知っても得になるようなもんはないぞ」
「ねぇ」
いきなり色気を使ってきた。聖は背筋に寒気を感じながら、
「聖のこともっともっと教えてよ」
「お前の色気って…」
「なによ!?」
「気持ち悪いな」
その言葉を発した途端、聖の顔面に拳と蹴りが同時に飛んできた。
「痛ぇ…」
「なによ、聖が悪いんでしょ!?」
「まぁ、そういうな。わかったわかった、時間ができたら教えてやるよ」
聖は苦笑しながら言った。そのときはさらっと流したつもりだったが知香は諦めていなかった。顔を合わすたびに聞いてくるので聖は話すことにした。あまりのしつこさに聖が参ってしまったのだ。
 ある日のこと、聖は向川屋の居間に皆を集めた。自分がなぜこの地に至ったかをゆっくりとじっくりと話すことにした。知香の他には吉郎、多恵、真人、そして燕がいた。いずれ激しくなる戦いのためにも自分がなぜ木曾を追われたのか、なぜこの地に落ち着いたのか、それらも含めた全てを話すことにしたのである。そんな聖に知香たちはゆっりとした空間の中で見守り続けていたのである。
 空はそろそろ冬仕度がいる頃合いで冷たい風がゆっくりと北から流れ始めていた…。

新章(双魔聖伝U)

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