第六章 幻魔
前編 蝙蝠
この街は光から闇と化した。夜になったのだ。唯一、その闇を打ち消すことができた月の姿も今はそこにない。それを知ってか知らずか一匹の蝙蝠が飛来した。小汚いアパートの柵に下りると家の中を覗いた。窓にはカーテンもされていない。中の様子がよく見えた。太った男がTVを見ながらお菓子を食べていた。男はふと視線に気づいたのか蝙蝠のほうを向いた。
「何だぁ!?」
男のほうから蝙蝠だとはわからない。ただ大きな黒い塊とだけしか認識できなかった。男はお菓子の袋を脇に置いて窓を開いた。目がギロッと動いた。男は一瞬、たじろいたがよく見ると蝙蝠だった。
「な、なんだ…、蝙蝠かよ、あっちに行け」
そう言いながら払おうとしたがすぐに戻ってくる。しかも、部屋の中にまで入ってきたのだ。
「おいおい、勘弁してくれよ」
「勘弁?、何を勘弁せよと申すか」
いきなり蝙蝠が声を発したのだ。
「こ、こ、こ、これ…」
言葉にならないらしい。
「これとは無礼なっ!」
そう言うと目を赤く輝かせた。その瞬間、男は自由も思考も奪われたただの人形と化してしまったのだ。
「さあ、我の許に贄を連れて来い。そして、我を復活させよ」
男は命じられるがままに部屋を後にしたのである…。
聖が時空の歪みによって戦国絵巻の時代に向かった頃、向川町ではある異変が起きていた。人間の精気が吸い尽くされ、干からびたミイラになって見つかるという事件が続出した。自らが経営する旅館「向川屋」で話しを聞いた吉郎は早速、知香と真人の2人を呼んだ。多恵もゆっくり腰を落ち着かせて座っていた。
「知香、それに真人君、話しは聞いているとは思うがどう思う?」
吉郎の言葉に真人が口を開く。
「干からびたミイラ…、精気を吸い取られているということですよね?」
「そうだ。何者かがそれを糧として復活を試みているやもしれぬ」
「もし、そうなら止めなければなりませんが…」
「そう思ってわしも結界を張ったのだがまだ町には入った形跡がない」
「では、この地に糧だけを探しに来ていると?」
「それもあろうがわしの結界は妖魔だけに効く。糧を取りに来ているのが人間だとすれば結界はあってないようなものだ」
「人間…、とすれば使い魔にされようとしているということで?」
「使い魔まではいくまい。所詮、操り人形というほうがいいだろう」
「やっかいですね」
「うむ、妖気がない以上、探すのは困難を極める。ただ、1つだけ方法がある」
「何です?」
「殺意だ。人間に殺意や強い憎悪が浮かぶことがあればそれは闇と認識される」
「しかしそれは…」
「そうだ、逆に返せば殺意もなく衝動的に殺してしまえばそれは闇ではなくなる」
そこに知香が口を開く。
「簡単な方法があるじゃない」
「ん?」
2人が知香に注目する。
「操っている奴を倒せばいいじゃない」
「知香、たしかに一番はそれだがそう簡単にできるものでもない」
「だったら妖気を探して片っ端から…」
「どれだけの妖魔がいると思うんだ?」
「………」
「そんなことをしていたらますます被害は増えて妖魔の力は強大化してしまう」
「…あ〜ぁ…、こんなときに聖がいてくれたらなぁ…」
「木曾さんは今、私の代理で京都に行ってくれている。いつ戻られるか皆目検討もつかん。京都は古来より妖魔の多き場所として有名だからのぉ」
「いつの時代よ、まったく…」
「いやいや、そうでもないぞ。平安の頃より盛んだった妖魔は封印されながらもその力は衰えておらぬ。もし、復活すれば大変なことになる。故に京都は退魔師が多く住みついているのだ」
真人も頷く。
「さて、今回の妖魔は何者かということを最優先に致す。よいな」
吉郎の提案に知香、真人がほぼ同時に頷いた。真人がゆっくりと立ち上がろうとしたとき一陣の風が真人の周りに吹いた。真人と知香はすぐにその風が聖の精霊だと気づいた。
(どうした?)
(主が行方不明なんだ)
真人の頭に直接、声を浴びせる。
(行方不明だって!?)
(ここに帰る途中に仲間とともに時空の歪みに飲み込まれて…)
(そうか…、できる限りの探索を頼む)
(御意)
精霊はまた一陣の風を残して去って行った。
「どうしたの?」
知香が怪訝な表情で言う。
「木曾さんが行方不明らしい」
「えっ!?、行方不明!?」
「ああ、今、風の精霊が教えてくれたよ。時空の歪みに飲み込まれたって…」
「そ、それじゃ…」
「知香、あの木曾さんのことだ。すぐに帰ってこれるさ」
「…うん…」
知香はわずかに頷いた。多恵が2人を見守りながらわずかに指を動かした。すると、2人の周りが暖かくなった。
「これは…」
知香は母の顔を見る。多恵はにこにこ笑いながら言った。
「どう?、力がみなぎって来ない?」
「お母さん、どうやってやったの?」
「ふふふ、教えてもらったのよ。聖さんに」
「えっ?」
「ちょっとしたコツでできないこともできちゃうのよねぇ。知香の不安もすぐに消し去ると思うわ。だってあの聖さんなのよ、信じることが今の知香にできることじゃないかしら。それにいつまでも聖さんばかり頼っていないで自分の力で妖魔を倒してごらんなさい。あのときみたいに」
多恵は初めて知香が精霊を得たときのことを言った。
「初心を忘れずにってね。さあ、行ってきなさい。」
「はぁ〜い」
「真人君、知香をお願いね」
「わかりました」
真人はゆっくり頷くと知香と一緒に旅館を出た。
「さあて、また忙しくなるわね」
そう言いながら旅館の女将として精を出したのである。
向川町より遥か西に行ったところに御影市という比較的大きな街がある。といっても最近、地下鉄がやっと開通したらしく交通の便は遥かに良くなったらしい。そのおかげか地下より生まれ出てくる妖魔は数多く、退魔師たちも対応に苦慮している。その前兆は以前からあった。線路を通すために封印していた場所とは知らずに破壊してしまい、封印されていた妖魔が地上にあがってきた。これを鎮めたのが平安末期より続く陰陽師の一族だった。鎮めたものの完全には封印することができず、その場所は妖口と化して今も凄まじい妖気が出続けている。
「ほんとにやっかいな妖魔が外に出たわね」
封印したところを見ながら女性が言う。長身で長い髪を後ろで結っていた。
「ああ、我が先祖がこれを封印したらしいがきっちり封印しきれていなかったのだろう」
脇に従っている男が言う。男はがっしりとした体型で髪は刈りあげていた。
「仕方ないわよ、双魔との戦いで力を弱めちゃったのだから。で、行方はわかっているの?」
「何とも言えないな、とりあえず東に向かったことだけはわかった」
「あれはただの妖魔じゃないからねぇ…。早く探さないと…」
女性が唇を噛んだ。
「とりあえず東に向かうか?」
「ええ、そうしましょう」
そのとき2人の近くで強い妖気を発した者が現れた。今いる場所は数多くのビルが立ち並ぶ商業区、しかし、路地にいるため昼間でも薄暗い。倒産した会社も多くあり、廃墟も目立つ。人間の数も少ない。道は車2台がギリギリ通れるほどの広さしかなく、どこから湧いて出てきたのか数多くの野良猫がゴミを漁っていた。
「また来たの?」
「らしいな」
「これで5回目よ」
「やむ得んな。奴の妖気に当てられて出現する妖魔の数は日増しに多くなるだろう」
「ちっ、連中が中に入れてさえくれたら…」
彼らが出てくると思われる妖口は先にも述べた通り、地下鉄の線路近くにある。管理は鉄道管理会社だ。彼らが頑として2人の申し出を聞き入れてくれないのだ。妖魔というものを信じていないのもあるがそれよりも妖気に当てられて操られているのが目に浮かんだ。
「馬鹿な連中…」
そう呟いたのも無理はなかった。妖魔は憎悪や怨恨、不安や恐怖の中に入り込んでくる。管理会社の者たちにもそれがありありと見えたからである。浄化してもよかったのだが妖魔の存在を知ってもらうためにも今のまま放置しておくことが一番定石と言えた。しかし、妖口から出てくる妖魔は後をたたない。これは2人の失策と言えた。何を言っても後の祭りである。2人は人気のない場所に妖魔を誘い込んだ。場所は御影市のど真中を流れる御影川の土手である。
「行くわよ」
「おう」
女性が先導する。妖魔は黒角鬼らしい。黒い獣、黒い体を持ち、四本の足でそれを支え、眼は赤く、口からは牙が窺え額には角が出ている。かつて向川の地にて聖が封印した鬼とまったく同じだった。しかも、今回は数は1匹である。2人の勝てない相手ではない。むしろ余裕を持って制することができた。
女性はすばやい動きで黒角鬼の動きを牽制しながら間合いをつめていく。一方で男はその隙に強力な術を練っていた。一撃で葬るために。
「采、どけ!」
采と呼ばれた女性は男の言葉に身を引いた。
「行くぞ、雷覇翼龍陣(らいはよくりゅうじん)!」
空に暗雲が立ち込めたと思うと大いなる翼を持った雷龍が黒角鬼目掛けて攻撃を仕掛けた。黒角鬼は避けることもままならないまま、もろに食らった。雷は四方八方に広がり帯電は地面を伝わって消え去った。
「ほう、あれを食らって生きているとは。さすが黒角鬼」
男は感心した。黒角鬼はその姿を失いつつあったがまだ生きていた。しかも、復元するらしくちぎれた腕や足が復元されていく。しかし、それも束の間のことだった。
「天柱爆雷陣(てんちゅうばくらいじん)!」
天空と地面から雷の柱が数多く出現し、黒角鬼の周りを囲んだ。しかも、逃げられないように上と下に雷の壁があった。それは正に檻と言えた。その檻は徐々に縮まり、最後には黒角鬼を包み込んで大きな爆発音と共に消し去ったのである。
「やはり根本的な者を倒さないと駄目ね」
「ああ、黒角鬼がここまで妖気を帯びてきたとなるとな」
「とりあえず四方の陣を敷いておきましょう」
「そうだな」
男は女性の言葉に頷いた。懐から短剣を取り出すと詠唱を読んだ。
「我が氣を宿した聖なる僕(しもべ)たちよ。邪悪なる者を消し去るため我が手足となれ」
唱え終わると短剣は四方に飛び散った。しばらくして強力な結界が御影市を覆った。
「これでしばらくはもつでしょう」
男は天空を見やった。そろそろ日が傾きつつあった。
「俺はとりあえず奴の後を追ってみる。お前はどうする?」
「そうねぇ、私はここで封印を再度試みてみるわ」
「わかった。何かあったら伝心術で知らせてくれ」
「あなたもね」
「はいはい」
男は苦笑しながら消えるようにその場から去った。
「これも我ら天魔の運命よね…」
女性がぽつんと呟いた。この女性こそ双聖と並んで七魔の一角を占める陰陽道天魔壱岐一族の棟梁にて天魔王・天采なのだ。先ほどまで一緒にいた男は夫の天武だ。なぜ、女性が王位にいるかは未だに謎とされていた。
「さてと行くかな」
天采は笑みを浮かべながらその場から立ち去った。
男はこの日も贄を抱えて持ってきた。若い女性の体である。
「これで5体目か…。もう少し多く獲って来い」
妖魔の言葉に操り人形はコクと頷く。そして、それを求めて去った。
「もうすぐだ…、もうすぐ我の復活の刻が来る…。ククク…」
妖魔は贄の精気をゆっくりと吸い出したのである。
真人はただの退魔師ではない。双魔霊風術を主とする退魔師なのだ。真人の弟が闇に魅入られて堕ちたとき聖が真人に退魔師になることを説得したのだ。そのおかげか真人は退魔師として大きく成長した。とは言ってもまだ半年にも満たない。
向川町で唯一にぎわいを見せる繁華街。夜になれば多くの観光客と地元の者が集まる場所、逆を返せば妖しき者たちが一番よく集まる場所でもある。真人は路地を入った細い道を歩いていた。若い年頃の者から年配の者までそれぞれだが路地に入れば入るほど迷路と化す。入り組んだ狭い通りは犯罪をするにはもってこいの場所でもあった。そんな場所に真人は意外な人物を見つけた。真人の家が経営する旅館「島屋」で番頭をしている丘野がいたのである。
「何しているんだ?、こんなところで」
丘野は数人の男女と一緒にいた。大勢でいるにも関わらず会話がない。静寂に包まれていた。怪しいと睨んだ真人は丘野たちを尾ける。彼らはどんどん路地の奥へ入っていく。
(まずいな…)
「向川の迷宮」と呼ばれる地下街への入り口に向かっていたのである。ここに入ってしまえばどんな犯罪も防ぐことができない。警察関係者もこの場所だけは足を踏み入れたくないと聞いたことがあった。真人は咄嗟に伝心術を使った。相手は吉郎である。
(吉郎さん、吉郎さん…)
(真人君か?、どうした?)
頭に直接、声が響いてくる。
(生気のない者を数人見つけました)
(どこにいる?)
(迷宮です)
(なっ!?、あそこには行っちゃあ行かん)
(そうもいかないのです)
(どういうことだ?)
(丘野も一緒なのです)
(丘野?、君んちの番頭か?)
(ええ、もう入ろうとしています。このまま行きます)
(わかった。こちらは任せよ)
(すみません)
真人は迷宮の中へと滑り込んだ。中は薄暗い。地下へ続く通路が緩やかな階段となって人間たちを導いていた。一定の間隔を開けて後を尾けていく。先は見えない。左右には薄い明かりが灯っていた。その明かりのおかげで足元はわずかだが見ることができた。彼らは真人に気づいていない。真人はあることに気づいて気配を絶った。進む先より強い妖気が迫ってきたからだ。しかも、背後からは次々に人間が入ってきていた。闇の心を持った人間たちが…。
(困ったな…)
このとき本当に困惑した。逃げ道がないのだ。聖の時空の扉があればいつでも突破できるのだが真人にはない能力だ。
(ならば!)
真人は丘野たちの脇を通り抜けて妖魔がいる場所へと一気に走り込んだ。進むにつれて妖気はさらに増した。普通の人間であればあっという間に飲み込まれているところだが真人は霊気で身を守っていた。
階段の行きつく先には巨大な魔方陣が設けられていた。そこには生気を失った幾多の死体が存在していた。闇の使い魔として1人の人物を守っていた。その人物は人間ではなく、小さな影が炎のように浮き上がっているのだ。真人の姿を見つけると甲高い笑い声をあげた。
「ケケケケケケケケケケケ…、人間がこんなところに何の用だ!?」
揺れる影が言葉を発した。
「お前が元凶か?」
「元凶とな!?、失敬な。お前ら人間に何がわかる。長年封印されてきた我が身を今度はお前らが知るが良い」
炎のように揺れていた黒い影は一気に増大した。四方八方に飛び広がると周りを闇と変貌させた。真人は無空術を使い、宙に浮かぶと身構えた。全身に霊気を流して闇から身を守った。闇はいっそう強くなった。
「多少の強さを持ったところで我には勝てぬ。そして、復活したときもな」
影は詠唱に入った。
「我に集う闇の下僕たちよ、その強き力をもって光を闇と化せ。影魔魂滅陣(えいまこんめつじん)!」
影から伸びる幾多の触手が真人に伸びる。真人は両手に霊気を集めながら触手を両方の拳で撃退していった。それでも触手は相手の魂を奪うまで攻撃を続ける。真人は触手を避けながら両手を包み込むように氣をためると、
「霊風波動!」
一気に氣を触手を出していた闇の床に向けて放った。凄まじい威力を持った氣が闇に撃ち込まれて行く。しかし…、氣は闇に吸い込まれるようにして消え去ってしまったのである。
「なっ!?」
「愚かな…、我にそのようなものが通じると思っているのか?。双魔も堕ちたものよ」
触手は真人に絡み付こうとするが懸命にこれを払う。霊気に触れれば触手は瞬く間に崩れるがすぐに復活して襲いかかる。それの繰り返しだった。いつしか真人の体力は削り取られるように疲労感で満たされるようになった。
(まずいな…)
まずいどころではない。もはや時間の問題かと思われた。真人は意を決して闇に飛び込んだのである。
「人間とは愚かなものよ、だがそれも一興」
影は真人の自爆行為をせせら笑った。真人は霊気の壁に身を包んだものの、ただで黙ってるわけではなかった。最近になってようやくできた術だ。
「行くぞ!、破魔裂衝陣(はまれっしょうじん)!」
体内の氣を一気に爆発的な威力までに増大させ、闇に覆われていたところに光が大きく広がった。染まったと言ってもいい。闇を裂くようにして光が走ったのである。
「ぐおおおおおおおぉぉぉぉぉ!!!!!」
真人はその光に乗じて闇から脱出した。破魔裂衝陣は諸刃の術でもある。強力な術を発するがそれと同時に術者の霊力も大幅に失ってしまうというものだったが闇は一気に消し飛んだ。
「はぁ、はぁ、はぁ…、終わったか………?」
闇は消し去り、元の魔方陣の姿に戻った。真人は片膝をついて部屋を眺めていた。下りて来た階段の側に何人かの人が倒れていた。しかし、すでに生気を失われており丘野もまた屍と化していた。
「くっ…」
真人はゆっくりと起きあがり、闇の存在が消えうせたことを確認すると来た道をまた舞い戻ろうとした。しかし、次は騒ぎを聞きつけて駆けつけてきた迷宮の住民たちだった。事態を飲み込めていない数人の男たちは真人に詰め寄った。
「これはお前がやったのか!?」
「どういうことなんだ!?」
「説明しろぉ!!!、えぇぇ!!??」
体力が十分あるうちの真人であれば瞬殺できる連中ばかりだが今はそんな体力までなかった。このままではリンチになりかねない状況までに追い込まれてしまった。
「くそっ…、これまでか…」
真人は死を覚悟した。
(あきらめるなっ!)
そのとき強い意思のある声が頭の中に響いた。
(まだ死ぬには早いぞっ!、真人)
真人はその声の主に聞き覚えがあった。突然、真人の目の前に時空の歪みが出現した。
(飛び込めっ!)
その声と同時に真人は時空の世界に身を投じたのだ。真人が消えると同時に住民たちは死体と一緒にその場に残されてしまったのである。その直後、重装備の警官隊が突入し、住民たちを連行していったのである。この手際の良さは正に偶然と言えた。真人が迷宮に入ったことを知った吉郎がバックアップに動いて警察に協力を仰いだのだ。警察は渋々了承して突入を命じたのだ。この一網打尽は迷宮への徹底破壊につながったと後々警察は大喜びしたらしい…。
真人が時空の歪みに飛び込んだ頃、知香は県道沿いのバス停にいた。もうすでに日は暮れていた。それでも待ち続けた。じぃーとある目的のために。火の精霊たちを町中に飛ばすと知香はバス停のところに置いてあるベンチに座っていた。経費削減とかで日に3便程しかバスが通らないため、周りは静寂にに包まれていた。場所は町と町の境、けれども一番大きな大松市から向川町に続く道はこの1本だけしかない。使い魔だろうが妖魔だろうがそれらしい気配があればすぐに火の精霊が知香に知らせてくれるのだ。
「でもなぁ…、相手は人間だしなぁ…」
ベンチに座りながら知香が呟いた。しかし、知香は知らなかった。精霊は善悪関係なく感じることができることを。吉郎はあえて知香を巻き込みたくなかったので人間には通用しないと言ったのだ。そんな吉郎の心配が裏目に出ることが知香も吉郎も気づくことはなかった。
火の精霊は大松市の市街地から1つの気配を見つけた。操り人形のように揺れて歩いている男を見つけたのだ。確信に至るまで時間はかからなかった。その男は大松市内で1人の若い女性を拉致していた。そのことを知識として記憶した精霊はすぐにその男の存在を知香に知らせたのである。
「えっ!?、ほんと!?」
知香は発見の早さに驚いた。そして、そのまま火の精霊に導かれるようにして大松市に向かった。かつて真人の弟を失った因縁の町に…。知香は徒歩で大松市に入ったときにはすでに夜中になっていたが町は死んでいなかった。特に繁華街はこれから大にぎわいを見せる。その反対に住宅街は夜になると眠りに入る。知香は住宅街にいた。火の精霊が先を進む。
(この辺りかなぁ…)
知香は電灯もついていない公園についた。もちろん、人気はない。しかし、真っ暗でもなかった。妙に明るい。月の光でもなかった。先程から暗雲で隠れていてまったくその姿を現そうとしない。公園からは妖気だけが流れ出ていた。
(何かいるっ!)
知香は確信した。
「我に集う精霊たちよ、我が鎧となりて我を守護せしたまえ」
火の精霊が知香の全身を包んだ。それを見届けることもなく知香は公園に踏み込んだのである。
「ほう、退魔師が嗅ぎ付けてきおったぞ」
公園の滑り台の上に蝙蝠がいた。とてつもなく大きな蝙蝠が…。全長3メートル近くあるのではないかと思うぐらい大きかった。脇には操り人形から使い魔と化した男の姿があった。もう姿は人間ではなかった。完全な妖魔と化している。入り口のほうから熱い炎の鎧を纏った知香が走り込んできた。
「よくぞ参った、1人で来るとはなかなかの度胸だがお前に我が倒せるか!?」
蝙蝠が叫んだ。知香は蝙蝠の姿に唖然としていた。
「お前の相手はこいつで十分だ。死ぬがいい」
「殺せると思ったら大間違いなんだからっ!」
知香は使い魔と間合いを開けながら詠唱に入った。
「我に集う精霊たちよ、全てを燃やす龍と化せ!。炎龍弾!」
知香は片手を肩の位置まであげると炎の龍を放った。使い魔は瞬く間に炎に包まれたが無傷だった。
「そいつには闇の結界を施してある。お前の攻撃など効かぬわっ!」
知香は動揺していなかった。
「ならこれならどう?、我に集う精霊たちよ…」
詠唱に入ろうとした瞬間、使い魔が攻撃を仕掛けた。隙を突かれて顔面に打撃を受けそうになるが精霊がこれを防いだ。そして、逆に隙ができた使い魔に氣を込めた打撃を与えた。使い魔はわずかに退くが闇の結界はそう簡単に打ち破れなかった。
「我が使い魔よ、見せてやるがいい。気づかぬ鼠の無力さを」
使い魔は詠唱に入った。それを見た知香も詠唱に入る。
「我が主に従う妖人、妖者たちよ、光ある者を討ち払い滅せよ。幻魔妖龍斬(げんまようりゅうざん)!」
「火の精霊たちよ。爆発する力をもって、魔に属する者を消滅させよ。烈火爆炎陣!」
使い魔の体は闇と化し、闇の空間を生み出した。空間の先は冥界である。冥界にいる妖龍を呼び出したのだ。強力な妖気を持った龍が無数に召喚されたのである。一方、知香は全身の氣を精霊と融合させて爆発的な威力を円形に打ち出して一気に放出したのである。炎は妖龍と絡み合い消し飛ばしていくが使い魔本体には何の効力もなかった。それだけ結界が強いことを象徴していた。知香はその時点でようやく劣勢に立たされていることに気づいた。周りに闇が染まる前に脱出しなければと思ったが使い魔が一瞬の隙を突いて背後に回っていた。
「常人より上回ると言っても所詮、人間よ。我らに勝てる者などおらぬわ」
蝙蝠は甲高い声をあげようとしたとき疾風の刃が闇の空間を真っ二つに切り裂いた。
「なっ!?」
知香はその隙に使い魔に向かって走った。同時に詠唱も読んでいる。
「我に集う精霊たちよ。爆発の威力を以て、全ての魔を焼き尽くせ!。炎覇七龍陣(えんはしちりゅうじん)!」
精霊が7つの首を持つ龍を形成した。その龍から吐き出される炎は爆発的な威力を発揮して闇を含めた全てのものを焼き尽くしていく。そして公園も…。知香が公園を燃やすのは2度目だった。慣れているとはいえ吉郎の怖い顔がわずかだが知香の脳裏に焼きついた。使い魔を守っていた結界は炎覇七龍陣によって突破され、贄として若い女性を連れ去り続けた末路は炎と同化し、最後は蒸発して果てたのである。この使い魔も元はこの妖魔の犠牲者である。それでも倒さなくてはならないという状況に知香は悲しくなった。七龍は引き続いて蝙蝠にも攻撃を仕掛ける。しかし、蝙蝠は巨大な翼を一振りすると一瞬のうちに七龍は消し飛んでしまったのだ。そのおかげか知香は辛くもその場から逃げることに成功したのだ。知香を逃した蝙蝠は、
「ふん、まあ良いわ!。我の復活もまもなく舞い降りる!。ふはははははははははっっっ!!!!!」
そう叫びながら飛び去ってしまった。後に残されたのは炎上する公園と騒ぎを聞きつけて駆けつけた野次馬の姿である…。
「ここは…」
真人はあたりを見まわした。ドドド…っという凄まじい音を立てながら真横で水流が滝壷へと流れ込んでいた。真人がいる場所は滝に出っ張った岩の上らしい。滝の周りには森が一面に生い茂っていた。
真人がゆっくりと立ちあがると緩やかな風が吹いて心地よい気分にさせてくれた。そこに気配を感じた。殺意などがない気配である。
「よう、起きたのか?」
そこにいたのは行方不明になっていた聖だった。
「き、木曾さん!?、こ、これは一体………?」
真人は驚きを隠せずにいた。
「ここはどこだと思う?」
「えっ?、ここ?」
「そうだ、ここはなぁ戦国の世なんだよ」
「えええええええええええええっっっっっっっっ!!!!!?????」
真人は息が続く限りの絶叫をしたかのようだった。
「そんなに驚かなくても…」
「だ、だって俺は平成の世にいたんですよ」
「そうだなぁ、納得できないよな?」
「当たり前じゃないですか!?」
「飛ばされてきたんだよ、時空の気流に」
「えっ?、気流?」
「そうだ、時空には幾つもの気流が流れている。自分の意思で気流を導くもの、時空の気まぐれで気流を操るもの、何者かの行為で気流を操るもの、まあ、それぞれなんだがお前の場合は私がここに導いた。私の場合は何者かに無理やりここに連れて来られたというわけなんだ」
「誰かに?」
「そうだ、向こうで何があった?」
真人は向川町で起きた事件を簡単に話した。
「なるほどねぇ…。人間を操る妖魔か…、何種もいるなぁ」
「いますよねぇ…」
「お前が戦った相手は影魔の魔物だろうが本当の敵は別にいると見て間違いないな」
「ええ、でも、木曾さんはどうやって俺を探したんですか?」
「意識を飛ばしたんだよ」
「意識を?」
「ただぼぉーっとここにいてたわけじゃない。帰る手段を考えなきゃならんかったからな。そんなときにお前の気配を感じたというわけだ」
「へぇぇ」
「それよりも感心している暇はないぞ。天魔一族がヘマをやらかしたからな」
「ヘマ?」
「そうだ、ある化け物を復活させてしまったんだ」
「では、今回の騒ぎにも関係があると?」
聖は頷いた。
「何者なんですか?、そいつは…」
「名前は幻魔、はっきり言うが妖魔ではない。人間だ」
「えっ?、人間?」
「そうだ、人間でありながら闇という魔力に魅入られてその研究に没頭した古代の学者だ。かつて陰陽寮の者がそうであったように…」
聖は妖魔一族のことを指した。彼らも闇と同化することによって人界を支配しようと企んだのだ。そのときは双魔や双魔に協力した者たちに敗れ、その願いはかなわなかった。
「幻魔は封印されるときに姿形を失った。失ってはいるが魂は生きている。封印されながら闇の力は一向に衰えていなかったらしい。そのため、奴の魔力を押さえ込む必要があった。それを引きうけたのが天魔一族というわけだ。天魔はかつて妖魔、光魔と共に行動を共にしていた闇なる一族だと思われがちだが本来は天、つまり雷を統べる守護神なのだ。双魔が風を統べているようにな。幻魔の見張り役になった経緯はよくわからないがおそらく罪滅ぼしだったのだろう。妖魔と手を組んだため、肩身の狭い思いをしてきたと思うがそれは時の王が悪いことであって今の王が悪いわけではない。しかし、そういうふうに見る者たちは少ない。現に双魔の者とて連中を嫌った考えを持っている者は幾多もおる。それを打破するために奔走したのが嘘のようだ…」
「それで…」
「ん?」
「木曾を追い出されたんですか?」
「まあな、それだけじゃないがな」
聖はしみじみと語った。
「さてと、今、暇か?」
「へ?」
「ちと手伝え」
「ちょ、ちょっと…」
聖は岩場から森のほうへ歩いていく。真人はあわてて聖の後を追いかけた。
向かった先は森の中にある洞窟だった。洞窟はヒンヤリとしてて少し肌寒かった。暗いが闇の気配など微塵も感じさせない。
「ここは…」
「ここか?、霊窟だ」
「霊窟?」
「霊気が集まる聖なる場所のことだ。お前の体力も回復しているはずだぞ」
「えっ…」
そのとき真人は初めて自分の霊力が回復していることに気づいた。
「我らにとっては有り難い場所なんだがこれを利用しようと思ってな」
「利用?」
「時空の流れを呼び寄せる」
「できるんですか?」
「わからん。失敗すれば強い霊気をもろに食らう可能性もある」
「げ…」
「わはははははは、心配するな。何とかするさ。みんなまとめて帰らなきゃ何も解決しないしな」
「みんなって?」
聖はその問いに答えずに一言、「着いたぞ」とだけ言った。見てみると正面には霊気が目視できるほどに強い塊がそこにあった。そして、その前には巫女の格好をしている女性がいた。
「真人、紹介しよう。元双魔霊陣守の社燕だ」
燕はゆっくりと立ちあがると振り返って一礼した。
「燕、言わずともわかるな」
「双魔ですね」
「そうだ、彼の名は島真人だ。双魔霊風術を使うが木曾とは無縁の男だ。まあ、今更、木曾などに行ったら殺されてもおかしくないがな」
聖は笑いながら言った。真人はぶすっとした表情になって、
「どういう意味です?」
「私の弟子だからだ」
「そ、それだけで殺されてたまるもんですかっ!」
真人は叫んだ。
「わははははは、その意気だ、その意気」
聖は爆笑したところに静かな声が響く。
「お静かに、霊魂が騒ぎます」
「あ、そうだったな。すまん、すまん」
「ところで元霊陣守と聞きましたが…」
「霊力がないだろ?」
「ええ」
真人は疑問に感じていた。聖より幾度も双魔のことを聞かされていた。霊陣守は最高の霊力の持ち主だと。しかし、燕を見ている限りではそのようには思えない。聖は真人にこの戦乱の世で起きたことを詳しく話した。話していくうちに真人の表情は豹変した。
「まさか、そんなことが…」
「双魔神は神と名乗っているが邪神に近い。だが安心しろ、現代には双魔神はいない」
「しかし…」
真人は燕を見つめた。
「燕の霊力を戻すことは困難を極めるがその最短で確実なものがこれなんだ」
聖は目の前にある霊魂を指した。
「これを吸収することができれば燕の霊気は復活する。前のような強大な霊気は無理だとしても退魔師としての霊力は蘇るだろう」
真人はその言葉に頷いた。ただし、それには条件があった。
「この霊魂によって封じられている妖魔を倒さなくてはならない」
「妖魔ですか?」
「そうだ、退魔してみるか?」
「それで暇って言ったんですね」
「今頃、気づいたのか?。情けない奴め、で、どうする?」
「無論、やりますよ」
「それでこそ我が弟子よ」
聖はゆっくりと霊魂に向き直ったのである。霊魂に触ると「解封」とだけ言った。すると霊魂は行き場所を失ったかのように膨大する。それを見た聖は、
「我を守る聖なる精霊たちよ、治癒の力をもって彼の者に力を導き通したまえ。治聖回復術、霊帯入魂(れいたいにゅうこん)」
行き場を失って散らばろうとしていた霊魂が聖の示した光の道により燕の体へと誘導されたのである。燕の体はみるみるうちにその力を取り戻していく。
「さあ、肝心の魔物が来るぞ。2人とも外へ出よ」
聖は真人と燕を洞窟の外へ導いた。そして、洞窟の入り口に立つと、片手に霊気を集めた。
「氣熱網」
細い氣の糸を作ると洞窟の入り口に隙間なく埋めた。聖が妖口などでよく使う術だ。弱い魔物は通りすぎることができるが強い魔物はそう簡単に突破できないのだ。しばらくして妖魔が入り口まで迫ってきた。妖気が外に漏れる。
「真人」
「はい?」
「お前、封印術を持っていなかったな?」
「ええ、そうですが…」
「今から見せてやろう。そして己の術として見事体得致せ」
聖は洞窟の前に立った。奥からますます強くなる一方の妖気の持ち主がその姿を現した。
「ぐおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉ!!!!!」
まだ復活したばかりで元来の姿は形成されていない。黒い闇が氣熱網のおかげで立ち往生していた。
「…こ………こ……か…ら……だ………せ……」
闇がかすかに声を発した。
「残念だがそれはできぬ。さらばだ、かつて名高き誇りであった闇の者よ」
聖は右手を振りかざした。
「霊衝雷鳴風陣(れいしょうらいめいふうじん)!」
雷を伴った暗雲が凄まじい霊気によって呼び覚まされそれを切り崩すかのように巨大な竜巻が出現した。周りの木々が強風によって揺らいでいる。
「す、すごい…」
竜巻は雷を帯びて闇の動きを封じ、風は洞窟の岩などを通り抜けている。そして、それは徐々に狭まっていき最後には竜巻と魔物との間合いがなくなった。
「ぎゃああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
凄まじい絶叫とともに魔物は天へ召還されていったのである。魔物の消滅と同時に暗雲はどこかに消え去り、元の世界がその姿を現した。
「む、無理ですってこんな強い霊気は…」
真人は呆然としていた。
「そうだろうな、現代ではな」
聖は笑いながら言った。
「現代では?」
「そうだ、自分で言うのもなんだがあそこは混沌とした地。霊峰という地も俗世界によって本来あった力を失いつつある。木曾も含めてな。だが、この世界は違う。平安より500余年経った今でも霊力は失われずその力は絶大だ。つまり…」
「ここで修行しろと?」
「まあ、そういうことだな」
「し、しかし…」
真人は向川町の危機のことを気にかけていた。
「それは承知している。それは我に任せよ」
「意識だけで勝てるのですか?」
「勝てるわけがなかろう」
聖は苦笑した。
「だが多少の足止めはできる。燕よ、真人を頼むぞ」
「承知致しました」
燕は聖と真人を交互に見つめていた。聖は再び手を振りかざした。
「我に集う精霊たちよ、我が意に応じて霊陣を設けよ」
すると洞窟の前に霊陣が現れた。聖が霊陣の中央まで歩いていくとそこに座り込んだ。そして、いつのまにか手にしていた霊剣を目の前に突き刺した。
「私たちも行きましょう」
燕は真人を促した。
「えっ?、で、でも…」
「双聖様はこれより未来の闇と戦われるのです。この地にはその存在はありません」
「魂ごと向こうに行くというわけですね?」
「その通りです」
そう言って燕は滝壷のほうへ足を進めた。真人は聖のことが気になりながらもあわてて燕の後を追っていった。
聖は霊陣を通じて魂を自らの体から切り離した。そして、霊剣を手にまっすぐ混沌の世界へと向かったのである。
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