三、鴉
向川町は風と水に囲まれた静かな町である。にも関わらず、それに不似合いなものが存在した。それが鴉御殿と呼ばれる建物であった。昔、この地を訪れた下級貴族がこの地に住み着き、いつの頃か無数の鴉が棲みつくようになったという。山の頂上にひっそりと建つ鴉御殿に1人の老人が訪れた。すっかりさびれた建物の中に入っていく。平屋建てだが戸はなく、暗い内部には黒い羽が無数に散らばっていた。
「ここか…」
老人は居間から入り奥にある神殿と思われる場所に行く。かつて、貴族の末裔が鴉を崇拝し、闇の力を豊富に得ていた場所だ。
しかし、そこには何もなかった。何もないというより老人が手に入れたかった肝心のものがそこにはなかったのである。
「おかしい…。どこにいった!?」
老人はあまりの驚きに叫んでいた。声が反響して屋敷に響き渡る。
「ここにあるはず…」
そのとき、何かの気配を感じ取った。老人はとっさに身構える。
「…誰じゃ?、出て来い!」
老人は見えない相手に向かって叫ぶ。散らばった鴉の羽がゆっくりと宙に浮く。そして、老人の周りを回転し始めた。回転は徐々に小さくなる。小さくなりながら声が響いた。
「闇の欲望にとらわれし者よ。我に何か用か?」
「誰だ!?」
「我が名は鴉。闇の禁術を守る者なり」
「やはり…。ここにあったか!」
老人は求めていたものがここにあると聞くと一気に歓喜した。しかし…、
「禁術を奪い去ろうとする者よ。我の力を思い知るがいい」
鴉は老人の歓喜をそっちのけで攻撃を加えた。回転は徐々に小さくなり、老人との差はわずかになった。
「お前にはこの禁術を預かる力量がない。さらばだ」
羽の動きが止まった瞬間、老人に向かって羽の一斉攻撃が始まった。無数の羽が老人の体を貫いていく。そして…、老人はその場に倒れたのである…。
「愚かな人間どもよ…。我が力はそうたやすく使えるものではない」
「ならば、その力、我がいただこう」
「むっ」
無数の羽の上に男がいた。
「何者?」
(全然、気配を感じなかった…。この男、何者?)
「名のるほどでもないが…」
男は名を言った。
「な、なんと!?」
鴉はすぐに姿を現し、平伏した。
「御館様、お待ちしておりました。てっきり風貌が違ったため、誰かと分かりませなんだ」
「まあ、よい。留守、ごくろうであった」
「ははぁーーー」
と言った瞬間、鴉の首は消え去っていた。
「ふん、お前も所詮、人間と同じ欲望の持ち主よ。到底、私の身代わりなどつとまらぬわ」
御館様と呼ばれた男は早々にその場から消え去った。残されたのは身代わりとして鴉御殿に君臨していた男のなれの果てであった。
夕方、向川屋に居候する聖は自分の部屋から外を眺めていた。表情は真剣である。視線の先にはあるものが写っていた。
「どうしました?」
いつのまにか後ろにいた吉郎が口を開く。
「うむ、あの鴉が気になってな」
「鴉?」
「うん、あの群れの多さ…。何かあると思うんだが…」
鴉の集団が赤く染まりつつある空を優雅に飛んでいた。
「鴉は古来より闇の使者として人界に棲み続けている。鴉が大量に現れるところには必ず死者が出るといわれている。その大量の鴉がここに現れたということは…」
「ふむ…。調べてみる価値はありそうですね。木曾さんは鴉御殿を御存知ですか?」
「ああ、知っている。国城山の頂上にある屋敷のことでしょう?」
「ええ、あそこと関わりがあるのでしょうか?」
「う〜むぅ、あそこは私が調べてみましょう」
聖はゆっくりと立ち上がった。外ではカァ〜カァ〜と鳴きながら鴉の群れが飛び交っていた。
夜半、聖は向川屋から国城山に向かった。町の郊外にあるからといっても聖は時の扉をよく使うので遠近の距離などさしたる問題ではなかった。国城山に近づいても闇の気配は全然しなかった。そればかりか生きるもの(人間だけじゃなく、植物や動物などこの世に生を受ける者のこと)の気配もしなかったのである。
「これは一体…」
ふつう夜になれば闇の気配は増大される。月の引力に引かれて魔物たちが妖口などを通じて現れるのである。この山の近くにも妖口があることはすでに確認している。氣熱網で結界を施しているが妖気までは消せることができない。その妖気すら感じることができないのだ。聖は山の周りを調べることにした。まずは肝心の妖口に向かう。
「むっ」
妖口から10mぐらい離れたところで聖の動きが止まった。何かがおかしいのだ。
「ちっ、時空が歪んでる」
妖口の洞窟の入り口がユラユラと揺れているのだ。
「結界が施されているな。この山全体に…」
聖はすぐにこの結界を解く術の詠唱に入った。
「我の願いを聞き入れてくれる天聖の使者たちよ。闇の力を封じる力を我に与えたまえ。天聖滅結陣(てんせいめっけつじん)!」
強力な闇の力で作られた結界はふつうの術ではそう簡単に解くことはできない。そこで聖は聖なる力に属する精霊たちの力を借りることにしたのだった。精霊たちはゆるやかに天から舞い降りてくると結界にとけ込んでいく。そして、完全に結界を解くには時間はかからなかった。結界の内部にたまっていた妖気も浄化させていくのである。聖の力は闇にとっては天敵に等しいものである。火が水に弱いように、闇もまた聖の属性に弱いのである。
その直後、妖気は静まりつつあった。しかし、妖口から流れる妖気はあいかわらずすさまじいものがあった。こればかりはどうすることもできない。なんせ、奥には妖魔王が住む冥界があるのである。完全に妖気を消そうとするなら、根本の妖魔王を滅ぼさない限り、どうすることもできなかった。
しかし、誰も妖魔王を退治しようとはしない。聖もその1人である。もし、妖魔王を滅ぼしてしまうと地球によって保ち続けている自然界と欲望や憎悪などによって産まれ出される妄想界が混ざってしまうからである。つまり、均衡が壊れてしまうのである。そうなれば地球という惑星は一瞬にして地獄と化すであろう。地獄というより時間の隙間にズレが生じる可能性もあった。そのためにどんな強い魔物を率いている妖魔王であってもそう簡単に滅ぼすことはできないのだ。
「さて…、目指すは鴉御殿か…」
聖はゆっくりと頂上に向かって歩いて行った。
「お父さん、聖はどこかに行ったの?」
知香が吉郎に言った。
「ああ、仕事にな」
「へぇ、聖にも仕事なんて舞い込んで来るんだぁ」
「そりゃあそうだ。彼も退魔師なんだから」
「まあね」
知香はお茶をすすりながらのんびりと過ごしていた。これから起こる出来事なんてものは知る由もなかった。
「ほう、我が結界をやぶってくるとは大したものだな。だが、ここまで来れるかな?。我が猛者たちに守られたこの山から」
御館様は不気味に口を歪めた。
聖は登山道のほうから進んだ。いきなり屋敷に乗り込んで窮地に陥ったら何のために来たのか分からないからである。のぼっていく先々で無数の気配を感じ取っていた。気配などを消すこともなく、堂々と対抗してくる腹のようである。
「我を守る風たちよ。邪悪なる力から我を守りたまえ」
精霊は聖のからだの周りに風の鎧を形成した。聖はどんどん奥地へ進んでいく。登山道は途中から見えなくなっていた。周りは暗闇に満ちているのである。
「ふぅ、お前ら、さっきからいるのは分かっている。出てこい」
聖は暗闇に向かって叫んだ。しかし、無数の気配は聖の周りを蠢くだけで姿を現そうとしなかった。
「やむ得ぬか…」
聖はへその上に氣を溜めた。両手を包みあわせるとその中に光が輝いた。一気に吹っ飛ばす作戦に出たのである。
「氣霊砲!」
聖は正面に向かって打ち放った。すると輝く霊気が暗闇を二つに裂いた。左右に暗闇の霧が流れていき、霊気はまっすぐその正面を走っていた。聖はその後を追って走り出した。霊気が前にいる限り、正面に立ちふさがる妖魔はいない。そう思いきや、無数の数の鴉が追ってきた。
「なるほど…、そういうことか」
聖は走りながら詠唱に入った。
「我に集う水の精霊たちよ。すべてを飲み込む壁となれ!。水覇爆高陣!」
そう言った瞬間、後ろを向いて立ち止まり、術を放った。大いなる津波が迫ってくる無数の鴉を飲み込んだのである。その瞬間、水中で霊気が爆発し闇の力が消えていく。
「鴉に化けた妖人か…」
聖は浮かび上がる妖人たちを見て呟いた。そして、また走り出した。
「ほう、鴉人衆(がじんしゅう)をうち破ったか。何者なんだ?、あやつは…」
御館様の背後に男が現れた。姿は見えない。
「どうした?」
「はっ、彼の者、双魔の者かと思われます」
「ほう、双魔とな」
「はっ」
「久しぶりに良き獲物に出会えたものよ。かつて、この右腕を双魔王にもぎ取られた恨みはまだ消えてはおらん。この苦しみ、彼の者にも与えてくれるわ。全愁」
「はっ」
「四鴉衆(しがしゅう)に伝えよ。全力でぶつかるようにと。お前は町を襲え」
「承知!」
全愁と呼ばれた男は暗闇から完全に気配を消して去って行った。
「さて…、双魔の者よ。お前に町が救えるかな?。もっとも、四鴉衆によって命を落とすほうが早いかもしれぬがな。わっはっはっはっ」
御館様は大声で笑った。そこに、また人影が現れた。
「そんなにおかしいか?」
「むっ、何者!?」
「わしの顔を忘れたのか?」
そこにわずかな月の光が風に導かれるようにしてその人影を差した。
「お、お前は…」
「ほう、覚えていたようだな。鴉魔よ」
「くっ、あれは囮だったのか!?」
「いいや、あいつとは無関係だ。わしの知るところではない。我から奪って行った禁術を返してもらいに来た」
「ふん、はいそうですかって返すとでも思っているのか!?」
「いいや、べつにたたで返してもらうつもりはない。お前の命と引き替えにもらうと言っているんだ」
「やれるものならやってみろ」
鴉魔は両手を大きく広げた。黒い鳥の羽が暗闇に浮き上がった。
「疾風旋(しっぷうせん)!」
とは名ばかりでただ羽はバタバタして小さな竜巻を巻き起こすだけの術である。術といえるのも不思議なところだった。
「ふん、そんな風を巻き起こしたところでわしには勝てないぞ」
男は余裕の姿勢を見せた。しかし、その余裕が仇になった。竜巻の中にあるものが紛れ込んでいたのだ。狼鬼(ろうき)である。狼鬼は狼のような姿をしているが赤茶色の肌をしており、鋭い牙を武器にして人間を主食としている。最近は妖口が封じられ、そう簡単に出て来れなくなっているが弱い妖魔が狼にとりついて狼鬼になることもあるのである。その狼鬼が竜巻に紛れて男に襲いかかったのである。不意を突かれた男は狼鬼に全身を噛まれ、血まみれ状態になっていった。
「ぐっ…」
「油断は禁物だな。じじぃ」
「だ、黙れ…。これしきのことで…」
「お前では俺は倒せん!」
「くっ」
「さらばだ」
鴉魔は男を覆い尽くすように羽をかぶせた。すると、羽は生きているかのように男を吸い取り始めたのである。
「ぐわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
あまりの痛みに男は叫んだ。吸い取るというより糧としているのだ。
「が、鴉魔…、お前の…野望……は…あ……の…男に……よっ…て…消……さ…れ…るだ…ろ……ぅ…」
男の体は鴉魔の一部と化したのである。
「ふん、俺があやつに消されるだと!?。俺にはこれがある限り、誰にも勝てぬわ!。がっはっはっはっ」
鴉魔は高々に笑ったのである。
聖は中腹にある休憩小屋の前まで来ていた。山頂からかすかに笑い声が聞こえてきた。
「ん?、何を笑っているんだ!?。俺が下でうろちょろしている姿がそんなにおもしろいのか?」
聖は苦笑しながら先に進んだ。山頂の鴉御殿で戦いがあったことなど知る由もなかった。それだけ、闇の力がこの山に集まってきているのである。少しぐらい感覚が鈍るときもあるのだ。
ここに来る途中に1つの気配が山から下りたことを察知していた。聖はすでに伝心術で吉郎に知らせてあった。伝心術は声での会話ではなく、心で通じ合う会話なのである。この時、吉郎は向川屋の本職のほうの仕事を終えて流れる暗雲を中庭から眺めていた。
「吉郎さん」
聖の声が吉郎の心に伝わる。伝心術の心得は聖より教わったものでもともとは双魔の術でもあった。
「どうなされた?、何かあったのか?」
「ありました。今、鴉御殿は闇に包まれております。おそらく相手は蒼鴉術(そうがじゅつ)の使い手でしょう」
「なんと!?、禁術ではないか!?」
「いえ、これは禁術と呼べる代物ではありません。ただ、使い方を誤ると禁術になるかもしれませんが…。それよりも、町のほうに闇が流れ込む気配を感じました。警戒のほど頼みます」
「分かった。こちらは引き受けよう」
吉郎は聖との会話を終えると知香を呼んだ。
「知香、闇の者がこの町に迫っている。お前は向川の南側を、私は北側を見張る」
「うん、わかった。で、ここの守りは?」
「心配するな。それは大事ない。ただ、お前だけでは不安だ。彼を連れて行きなさい」
彼とは先日、目の前でみすみす妖魔に魂と体を乗っ取られてしまい、冥界に連れ去られてしまった真治の兄・真人である。真人は自分の実家である宿屋を手伝う傍ら、聖より双魔霊風術を学んでいるのである。真人の素質を見抜いた聖が双魔の術を修めるよう薦めたのだった。吉郎にもそういった能力があるが精霊の力のほうが増しているのでその必要がなかった。ただ、緊急の場合のみに備えて双魔の術を教えているのである。
知香は急いで真人の家に向かった。2階の窓に小石を投げた。小石は窓に当たり、音が周りに響き渡る。
「誰だ!?」
真人が顔を覗かせた。
「真人、起きてる?」
「ああ、仕事か?」
「うん」
「木曾さんは?」
「もう行ってるよ。私たちの仕事は町に迫ってくる妖魔の退治だよ」
「OK!」
「お父さんはもう向川の北側に向かったから、私たちは南側だよ」
「すぐに行く。南側って言っても結構広いから俺は高校のほうへ行くぞ」
「分かったぁ。じゃあ、私は森林公園のほうへ行くよ」
「森林公園?、ああ、噴水公園のことか?」
「そうそう」
「何かあったら伝心術で知らせろよ」
「わかった」
知香は走って森林公園のほうへ向かった。真人は親たちに気づかれないようにそうっと家から出ると空を見上げた。
「曇っているな…」
そう一言呟いてから向川高校に向かった。
吉郎は向川町と杵島町との境にある杵島神社に向かった。この神社は自分の妻である多恵の実家でもあった。神社の本殿からわずかに灯りが見えていた。
「帰っているようだな…」
吉郎は本殿のほうへ歩いて行った。
杵島神社の神主・二宮平八は当年80歳の長老で5人いた子供たちのうち、生き残っているのは末娘の多恵だけだった。
「ごめん」
吉郎は本殿の外から呼びかけた。
「はい」
中から女性の声が響いた。扉が開く。
「どちらさまでしょうか?」
20歳前後の若い女性が現れた。黒い髪は背中まであり、ほっそりとしている。
「向川吉郎と言います。神主はおられるかな?」
「神主様は浦間さんのところに行っています」
浦間というのは向川の分流・天川の西沿いにある町である。そこにある浦間神社の神主が平八の従弟にあたり、吉郎とは血縁関係にあった。
「そうですか…」
「何か御用でしたらお伝えしておきましょうか?」
「いえいえ、べつに用事というものではありませんが…」
女性は吉郎の姿を見てとった。黒い手っ甲を身につけ、動きやすい格好をしていた。
「退魔師の方ですか?」
「ええ、そうですが…」
「何かあったのですね?。この町に」
「分かりますか?」
「もちろんです。私も巫女として神主様に仕えている身です。闇の力が増していることぐらいわかります」
「なるほど…。ここに来たのは初めてですか?」
「ええ、そうです」
「ふむ、今、この町は闇によって犯されつつあります。我が仲間たちがこれをくい止めようとある場所に乗り込んでいるのです」
「まあ…」
女性は驚いたような反応を示した。
「けれども、一部の妖魔が町に迫りつつあるのです。ここも安全とは言い切れません。どこかに避難なされるのがよろしいかと存じます」
「いえ、留守を守るのも巫女としての仕事です。ここから離れるわけにはいきません」
きっぱりとそう言い放った。
「そうですか…。ここは結界が張っていますけども万が一ということがあります。気をつけてください」
「分かりました」
吉郎は女性に頭を下げるとその場から立ち去った。しかし、一通り見回りを終えてまた戻ってきたのである。しかも、今度は気配を消して。
平八は今まで杵島神社を留守にしていた。平八は神道界では有数の浄魔師である。浄魔師は名の通り、魔を浄化して滅するのである。まあ、言うなれば退魔師と同じということだ。遠方のある浄魔師の依頼でずっと留守にしていたのが急に帰ってきたのだ。そのことは吉郎でさえ知らなかった。しかも、見知らぬ巫女を連れてきているのである。吉郎は平八に仕える巫女の大半と顔見知りであったが向川を襲った異変の際、大半の巫女がこの地から去った。それ以来、主なき状態が続いていたのだ。帰って来ることに対しては吉郎に知らせる必要などない。しかし、帰ってきたと思われる気配が全然なかったのだ。知らない間にそこにいたっていう感じが吉郎の中にあった。そして、もう一つ…、もしかすると妖魔ではないかという疑問であった…。
聖は闇の中から迫ってくる気配を対峙していた。全部で4つの気配があった。
「ふぅ…、やっとお出ましか…」
聖はその場で身構えた。ゆっくりと風が流れる。聖が操る風ではない。自然界に属する誰でも触れることができる風だ。風が聖の周りを囲みながら踊っている。これから起こる戦いなど関係ないかのように…。
聖はその場で立ち止まると一瞬にして気配を消した。聖もまた闇に紛れこんだのである。
(4人一度はきついな…。わけるか…)
聖は気配を消したままで術を施した。
(霧隠術…)
聖の体から現れた細かな水の結晶が暗闇の中へ中へ広まっていく。
(さ〜て、敵はどう出るかな?)
聖は敵の出方をじっくりとうかがってみることにした。1人は左へ、1人は右へ動いていく。1人は正面に立ち止まっている。もう1人は…。
(後ろ!?)
聖は咄嗟に上に飛び上がった。その瞬間、聖が座っていた木がまっぷたつに割られたのである。
「なぜ、分かったんだ?。もしかして…、動きを読まれている?」
聖は鴉御殿のほうを向いた。何かがキランと光り輝いていた。
「おそらく、あれのせいだな。あれを壊せば霧隠術も功を奏すのだろうが今は下にいる妖魔を倒すのが先決だ」
聖は氣をためた。真下にいるのが分かった。聖の動きを観察しているのだろうか、動こうとしない。
「しかし…、術を使えば他にもバレてしまうだろうがこれもやむえん…」
聖は両手を前に出して上下に包み込むようにして氣を包みの中に集めた。
「行くぞ!。霊風波動!」
一気に真下に向けて氣を放った。凄まじい霊気が真下にいる妖魔に向かっていく。その瞬間、妖魔は後ろに飛んだ。そこを狙って聖が妖魔に飛び込んでいく。
「見えた!」
妖魔の姿が見えた。鬼の姿をして体型は大きい。聖の倍の高さがあった。もう少しで届くというところで炎が飛んできた。白い炎である。聖の脇腹に直撃した。しかし、聖にダメージはない。あらかじめ、風の精霊が聖のからだを守っていたからである。
「ちっ、もう見つかったか!?。早いな…。これもあの影響か…。ならば…」
聖はいったんその場から離れた。離れたといっても山から下りたわけではない。まだ4つの鬼に囲まれていることには違いない。
「双魔霊風術、幻影陣(げんえいじん)」
聖の体が揺れ始めた。1つ、また1つ、聖の体が増えていく。それは無限に増え続けていく。忍者で言えば分身の術と同じであるが姿は幻なのだ。姿は浮き上がるが倒すことはできない。しかし、この術は全て本物にあるにも関わらず、聖に対するダメージはない。
前後左右から戦いの怒濤が響き渡る。聖はここは幻影に任せて鴉御殿に向かった。しかし、この効力はそんなに効かない。精神を集中していればこそできる術だからである。精神を途切れれば自然と消えていく。
「足止めにはなる」
聖は時の扉を使って一気に鴉御殿に飛んだのである。
「くそっ、全然、攻撃が効かねぇ…」
四鴉の一人、黒破が呟いた。
「この男…、一体何者なんだ!?」
四鴉は全愁から伝えられたのは、ただ…、
「かなりの強敵とのことだ。全力でかかるようにとの御館様の命にござる」これだけであった。
「かなりの強敵…、一体…。赤龍、青獲、紫梅、いるか!?」
「おう」
「ああ…」
「うむ」
暗闇から仲間たちの声が聞こえてきた。
「しばし、その場から動くな」
「承知」
「…わかった」
「よしっ」
それぞれ声が聞こえてきた。黒破が詠唱に入った。
「我が風の精霊たちよ。全てを浄化する風となれ!。風覇封流陣(ふうはふうりゅうじん)!」
大いなる風が突風のように後ろから前、前から後ろに吹き荒れて覆っていた霧を吹き飛ばしていく。黒破は精霊を操れるようだ。聖がこの場から離れたこともあって幻影の姿も消えていった。しかし、妖気も消し去っていた。
「まあ、いいかぁ…。しかし、あの霧は…」
そこへ仲間たちが寄って来る。
「大丈夫か?」
赤龍が言う。赤い眼をしていた。体つきはそんなに大きくはなかった。聖を襲ったのは紫梅で、青獲は青い爪が特徴の妖人だった。
「一体、どうしたと言うのだ?。これでは妖魔たちが外には出て来れないではないか?」
青獲が言う。
「ああ、しかし、出て来ないほうがいいかもしれぬ。彼の者…」
「知っているのか?」
「…知っているぞ…、あの男…」
紫梅が言う。表情が真っ青になっている。鬼にでも恐れがあることを赤龍が初めて知った。
「何者なんだ!?」
「双魔王・双聖だ」
「何だと!?、あ、あの…」
赤龍が絶句した。
「七魔の頂点に立つ男がここにいたというのか!?」
「そうだ」
「ば、馬鹿な…。双魔王は死んだというではないか!?」
「死んだというのは噂に過ぎない」
黒破が冷静に言う。
「しかし…」
赤龍が納得のいかない表情だったが、
「黒破の言うとおりだ。見ろ、かつて双魔王に封じられた紫梅の姿を…」
青獲が紫梅を指さして言った。紫梅は恐怖に満たされ身動きすらできない状態になっていた。
「どうせ、我らは雇われた身だ。ここで去っても誰も文句は言わん」
「いや…、ここで退いては退魔師の名に傷がつく」
「退魔師とはおかしなことを言う。赤龍よ、その退魔師に飽きて闇に下ったのではないのか?。その眼が…。お、お主…」
赤く輝いていた赤龍の眼が黒に戻っていく。勝ちたいという熱望が闇の欲望を消し去ったのだ。
「闇の心など必要なし。そうだろう?、黒川。強き者に勝てればそれでいい。俺はあの男に勝ちたい」
「ふん、お前はそう言い出したら聞かないからなぁ。お前たちはどうする?」
黒破こと黒川勝が青獲、紫梅のほうを向いた。
「わしはべつに構わないがこやつは無理だな」
青獲が言うとおり、紫梅はもはや戦える術さえ失っているようにも見えた。
「やむなし…。このままほうっておいてもいいのだが弱肉強食の冥界では生きていけないだろう。闇に葬ってやるのがせめてもの救い」
青獲もすでに青い鋭い爪を失い、青獲から青田善家に戻りつつあった。紫梅を除けば全員、退魔師なのである。
「さらばだ…。紫梅」
黒川が手を振りかざした。
「破魔滅清陣(はまめっしょうじん)!」
紫梅のからだが徐々に塵と化していく。塵は天に召されるように空高く舞い上がって行く。紫梅の体が完全に消え去るのを見届けると、誰かが呟いた。
「さて…、行くか…」
3人もまた聖の後を追って鴉御殿に向かったのである…。
知香は退魔師のきっかけとなった森林公園に来ていた。ここで聖の正体を初めて知ったのである。知香自身もここに来るのは久しぶりだった。
「かわらないなぁ、ここも」
人気はなく、夜の公園はほとんど闇に満たされている。もともと公園自体は環境に優しい造りになっていて、周辺は森に覆われ、いくつかの道に分かれている。どの道を通っても行き着く場所は中央にある噴水である。
知香はその噴水のほうへ歩いて行った。結界を張るには中央から固めるか、周りを囲むようにして一点ずつ結界の印を置いていく2つの方法ぐらいしかない。しかし、知香には結界を張るという真似はしなかった。ここを拠点に戦うつもりは毛頭なかったからでもあった。
けれども、敵はそうは見てくれない。そこが知香の油断でもあった。噴水に着いた知香は周辺を見回した。何もない。噴水から流れる水の音だけが知香の耳に入っていた。正面には入り口のゲートが見えていた。
そこに風が緩やかに吹いた瞬間、知香の周りに無数の気配が突如、現れたのである。
「なに?」
知香は身構えた。徐々に気配が知香に迫りつつあった。
(来る!)
知香は詠唱に入った。
「我に集う精霊たちよ。爆発の威力を以て、全ての魔を焼き尽くせ!。炎覇七龍陣(えんはしちりゅうじん)!」
精霊が7つの龍を形成し、口から全てを焼き尽くす業火の炎を見えぬ妖魔にぶつける。辺り一面に吐き続けているにも関わらず、気配は知香に迫ってくる。
「どうして?、どこから来るの?」
炎は森林公園全体を覆った。やはり、場数を踏んでいないせいか周りに与える影響も知香には知識不足だったようだ。突然の火事に周りの住民があわてて外に出てきた。騒々(ざわざわ)と周りに人の気配が大きくなった。
しかし、妖魔の動きは知香に迫っていた。炎龍も周りを燃やすだけで全然、効果を与えていなかった。
「どこから、どこから来るの!?」
知香は炎に覆われた公園に向かって叫んでいた。火の粉が噴水の周りにも飛び交う。そんな状態になっていても知香に余裕はなかった。迫ってくる気配に恐怖を抱き始めていた。
その恐怖に便乗してか、精霊たちも知香の心の奥に隠れていく。その直後、炎龍もまたその姿を失った。ただ、知香に見えているのは周りを囲む炎と暗闇だけであった。そんな知香にある声が響いた。
(……知香、知香、聞こえてるか?)
真人である。
(俺だ、真人だ。今、公園の外にいる。敵は下だ。地面の下だ!)
その言葉に促され、知香は咄嗟に無空術(むくうじゅつ)を使った。聖が真人に双魔の術を教えたときに知香にも無空術と伝心術を教えた。無空術は双魔霊風術の移動系の術である。氣を足に集中させて宙に浮き、氣を放ちながら移動する便利な術でもある。けれども、常人の人々からすればこれは不思議な光景だったに違いない。まるで妖精が炎の中から空高く飛んでいくのだから。
真人は知香が逃れたことを確認すると、
「闇の者よ、逃がさん」
真人は知香が恐怖と混乱に惑わされている頃、公園を囲むようにして結界を敷いたのである。妖魔は闇を好む。恐怖を食い、憎悪を植え付けていくのだ。たとえ、周りがどんな状況であっても1人でもそんな状態にいる人間がいれば近づいていく。真人はその隙を狙って結界を敷くことに成功した。でなければ妖魔に警戒されて逃がしていたかもしれなかった。結果的には知香を囮に使ってしまったことになるかもしれない。そのことだけが真人の心に残った。
(今は目の前の妖魔を滅することだけを考えなくては…)
真人の妖魔に対する決意は強かった。真人が使えるのは双魔独特の術だけだ。双魔霊風術、それが真人に託された退魔術である。数ある退魔術のうち、七魔を中心とする氣を使って退魔する方法と精霊の力を使って詠唱を読むことで退魔する方法、それに武器や道具を使って退魔する古来の方法など、いくつもの退魔術がある。双魔霊風術は双魔王もしくは双魔王に近い者に認められた者でしか使うことが許されなかった。真人は双魔王直々にその許しを得ることに成功したのだ。
「双魔霊風術、真空斬(しんくうざん)!」
知香を追って空に飛ぼうとする妖魔の体を風の刃となった氣が切り裂いた。
「ぐわぁぁぁぁぁ!!!」
離れていても攻撃が通じるため、聖が真っ先に真人に教えた攻撃技である。無数の刃が妖魔に襲いかかる。妖魔は攻撃の矛先を真人にかえた。真人はすでに公園の北側にある祠(ほこら)の前にいた。知香も空から真人のところに舞い降りてきた。
「また、派手にやったもんだなぁ」
公園は完全に炎に包まれ、消防などが消火に当たっていた。風は無風であるため、延焼なさそうに見えた。祠の周辺には火は及んでなかった。そのかわり、2つの光があった。
「知香、威力の強い技は使うな。無関係の人にまで影響を及ぼしてしまう」
「うん、そうする」
知香は両手に精霊たちを集めた。真人の存在が知香の恐怖を消し去ったようで知香の願いに応じて精霊たちが集まってきた。向かってくる妖魔に対して詠唱を読んだ。
「我を守る精霊たちよ。闇に属する者を焼き尽くせ!。火炎飛来弾(かえんひらいだん)!」
いくつもの炎の弾が知香の両手から放たれる。やってくる道は一本道なのだ。道に入れば逃げ場はない。なぜなら、真人がすでに結界を敷いてしまっているからだ。上にはすでに結界が敷いているから逃げることすらできない。炎の弾が向かってくる妖魔に命中していく。真人が両手を包み込むようにして氣をためた。
「よしっ、十分だ。双魔霊風、霊風波動!」
包みの中から氣が放たれた。氣は凄まじい威力で妖魔たちを吹き飛ばしていく。一列になっているからこそ、効果が絶大になっているのだ。真人の機転が良き効果をもらたしたことは言うまでもなかった。
「ぐええぇぇぇぇぇ!!!」
「ごおおぉぉぉぉぉ!!!」
次々と消滅していく。完全に妖魔たちがいなくなったときにようやく一息ついた。
「ふぅ…」
真人は知香のほうを向いた。知香は何かぶつぶつと呟いていた。
「どうした?」
知香は咄嗟に後ろを向いた。1体の妖魔が気配を消して真人を襲いかかろうとしていた。
「炎龍術(えんりゅうじゅつ)!」
妖魔に向かって炎龍が至近距離で直撃した。
「ぐおおぉぉぉぉぉ!!!」
炎にまみれた妖魔はその姿を失っていった。さっき、知香がぶつぶつ呟いていたのは詠唱を読んでいたからである。
「サンキュ〜、どうして分かったんだ?」
「精霊が教えてくれたの。後ろから妖魔が向かっているって」
「へええ、便利なものだな」
真人は精霊の存在を羨ましく思ったのである。
「さ〜て、次ぎに行くぞ」
「うん、ところで真人のほうはどうだったの?」
「ああ、とっくに仕留めてきたよ」
真人が知香のところに駆けつける前に向川高校で妖魔を倒してきていたのである。高校に行ってみるとすでに妖魔が無数に現れていた。真人は学校の周辺に四法の結界を張ると一気に妖魔を滅ぼしたのである。真人はまだ封印術は使えない。今はまだ攻撃術のみであった。にも関わらず、妖魔を滅ぼすことに成功している。真人の素質を見抜いた聖の眼に間違いはなかったのである。
2人は妖魔の気配がするところへ向かって行ったのである。
吉郎は杵島神社で対峙していた。
(この男…、強い…)
吉郎の予感は当たったのだ。あの巫女は鴉魔に仕える妖魔だった。杵島神社の神主である平八はどうやらまだ帰ってきていない様子である。吉郎が再度ここに戻ってきたとき、巫女が会話しているのを耳にした。
「ほう、退魔師が来たのか?」
「ええ、騙されていることにも気づかず、とっととどこかに行ってしまったわ」
「お前の美貌に惑わされたんじゃないのか?」
「ふん、あんなじじいに惚れられたところで何の得にもならないわ」
吉郎が外にいることにも気づかず話し続けている。
(ふん、言いたいことを言ってくれる)
吉郎はその場から離れると神社の周辺に結界を敷いた。その結界に気づいた巫女と男が飛び出して来た。
「お、お前はさっきの!?」
巫女が吉郎に向かって叫んだ。
「やはり妖魔であったか…。今度はそうは行かぬぞ」
吉郎は身構えた。男は吉郎を見て突然笑い出した。
「ふっはっはっはっはっ」
「何がおかしい?」
「退魔師ごときが我ら鴉に勝てるとでも思っているのか?」
「思っているさ。この世に闇が栄えたためしはない」
「我らには御館様がいる。御館様がいる限り、妖魔は増え続けるだろう」
「よくしゃべるやつだ。よっぽどこの世に未練があると見た」
「ふん、ほざけ」
「それに御館様というのは鴉であろう。こちらも失礼がないように強者を差し向けているから安心せい!」
吉郎は微笑した。
「強者だと…。あの御方に勝てる者などおらぬ」
「いるさ、知らないのか?。この世にはどれだけの強さを持つ退魔師がいることを」
「ふん、こんな片田舎から出た退魔師が何をほざく」
吉郎が巫女が後ろに回り込むのを感じていた。しかし、男の存在がそれを妨げた。
「やはり、知らないらしいな。この地に双魔王がいることを」
「なっ!?、双魔王は死んだはず…」
「そう噂を立てたのは双魔王本人だからな。知らぬことは当然、妖魔を除いてな」
「ちっ」
「見たところお主も退魔師であろう。何故、闇に走る?」
そのとき、背後で巫女の声が響いた。
「そんなこと知る必要はないさ」
髪が生きているかのようにユラユラと揺れながら、美貌を持ち味に出していた巫女の姿はどこにもない。長い爪と鋭い牙を生やし、長い舌を伸ばしながら襲ってきたのである。
「水たちよ。氷と化し、全ての動きを封じよ」
吉郎は早口で詠唱を読むと巫女の攻撃を避けながら吉郎の体から水が流れ出した。一方、男は戦う2人の姿をじっと見ていた。加勢する必要なしと決め込んでいるわけではなさそうだ。動き回る吉郎に必死に攻撃していた巫女の動きが止まった。氷と化した精霊が巫女の動きを封じたのである。
「くっ!?」
吉郎はすぐさま巫女の額に手を当てた。
「悪いがお前と遊んでいる暇はない。水の加護を受けし精霊たちよ。全てのものを無とせよ。水破縄(すいはじょう)!」
水の縄が巫女に絡みついた。もがこうとするが縄はどんどん絡みついていく。
「縛!」
そう念じた瞬間、巫女の体は水圧によって引き裂かれた。しかし、男は微動だにしなかった。
「なぜ、助けぬ?」
「助けるに足らぬからだ。所詮、使い魔に過ぎぬ。しかし、今の戦いでお前の力量は分かった。水の退魔師よ、お前の命を贄としてここに闇の入り口を造るとしよう
「なんだと!?」
「行くぞ、我が名は全愁、鴉一族に仕える闇の者なり」
そう叫ぶと吉郎に向かって走り出した。吉郎は咄嗟に後ろに飛んだ。全愁は何か蠢くものを手に持っていた。吉郎は常に間合いを取りながら詠唱に入る。
「水の精霊たちよ。大いなる壁となり、全てのものを飲み込め!、水覇爆高陣!」
高々に伸びたつ津波となった精霊たちが全愁の全てを覆う。しかし、全愁は咄嗟の判断で地に隠れたのである。津波は不発に終わった。吉郎は防御を固めつつ、神社の屋根に場所を移した。地に足がついていればいつ攻撃されてもおかしくないからである。この考えは甘かった。全愁は地を通じてというより影を通じて吉郎に迫ったのである。
「なっ!?」
吉郎の目の前に全愁がいた。吉郎は詠唱に入った。
「我に集う水の精霊たちよ、闇を浄化する光の剣となれ!。光輝剣(こうきのつるぎ)」
水の精霊たちがひときわ輝く剣を形成した。剣は吉郎の手と同化している。
「何を行こうが我には勝てぬ。蛇鎌(じゃれん)!」
全愁は手を変形させた。蛇のようにクネクネと蠢きながら先は鎌のような刃を持っていた。
「影たちよ、彼の者の動きを封じよ」
そう叫んだ途端、吉郎の周りから触手が至るところから伸びてきた。吉郎は紙一重のとこでこれをかわしていく。けれども、触手は無限に現れる。前後左右から触手が迫ってくる。
吉郎は自ら造った光の剣でこれを切り裂いていく。
(しばし、ここから離れる他はない。この男…、強い…)
吉郎は血路を開いた。そのまま向川橋まで逃れていく。しかし、吉郎の逃げ道を塞ぐように触手が迫ってくる。
「どこまで来るつもりだ?」
しかし、吉郎の足が止まる事態になった。向川橋の上に妖口ができており、うじゃうじゃと妖魔の大群が集まりつつあった。
「な、なんだこれは…」
後ろから追ってきた全愁が言い放った。
「ふふふ…。まもなくこの町は妖魔の町と化す。あのときのようにな」
「あのときだと!?」
「忘れてはおるまい。この町を襲った異変のことを…」
「なっ!?、ま、まさか…」
「久しぶりだな。吉郎」
「へ、平八か!?」
「その通り、さすがのお前も我を見破れなかったようだな」
「ならばあれを仕組んだのも…」
「そう、我が仕掛けたものだ」
「なぜだ!?」
「なぜ?、理由が必要なのか?」
そう言いながら触手を繰り出した。疲労がたまっていた吉郎はもう避けようがない状態にまで陥っていた。闇から繰り出される触手は退くことを知らない。
「お、お前…、その若返りは一体…」
「ああ、これか…。御館様が闇の処方をしてくれたのだ」
「闇の処方…」
それは禁術である。
「さあ、お前はもう終わりだ。死するがいい。魔人に仕えし我が守護神よ、全てのものを奈落の底へ陥れたまえ!。鳴魔召蕨陣(めいましょうけつじん)!」
吉郎の足元に影が走った。その瞬間、足元に大きな穴が開き、穴から亡霊どもの手が吉郎の足に絡みつく。
「くっ!?」
「お前の案内はその亡霊どもがしてくれよう。さらばだ」
「ま、待て…」
平八はそのまま去ろうと背中を向けた。そのとき、
「水覇氷龍術!」
平八の背中に向けて吉郎が放った術が命中した。
「ぐわっ!」
無防備に態勢になって油断していた平八はもろにこれを食らってしまった。
「ちっ、まだそんな力が残っていたのか!。盟友だから、静かに殺ろうと思っていたがもう容赦はせん!。爆華燐滅翔(ばっかりんめつしょう)!」
平八の周りから金色に光る粉のようなものがゆっくりと吉郎に向かって流れていく。粉は吉郎に流れていくに連れて白紫(外側が紫で内に入っていくにつれて白になっていく状態)の炎がボッと音を立てながら吉郎に迫っていく。
(これが最後の術になりそうだな。けれども、このままやられるわけにはいかぬ。水の加護を受けし精霊たちよ、最強の力をここに示したまえ)
吉郎は心の中で詠唱を読んだ瞬間、平八の足元から水龍が現れ、一気に飲み込んだ。その直後、吉郎を襲いかかっていた亡霊どもが水龍の存在に恐れをなして消えていく…。
「ふぅ…」
吉郎は一つ息を吐いた。水龍は吉郎を見ていたが様子がおかしかった。水龍の動きが止まったのである。その瞬間、平八が両手を広げるような姿で水龍の体をうち破った。
ドッバァァァァァァァァァァァーーーーーーーーン…
水龍の姿が大きく崩れ、大量の水が津波のようになって周辺に流れていく。
「ちっ、水龍を使えるようになっていたとは…。お前を侮っていたようだ。退魔師・向川吉郎!」
語尾を強く言うと妖気を爆発させた。その勢いで疲れ果てていた吉郎が吹き飛ばされた。
「うわぁぁぁぁぁぁ…。なんていう妖気だ…、水龍も効かないとは…」
吉郎は絶句した。
「どうやら、もはやお前に次の一手の残されていないようだな。最高の技をもってお前を無に返してやろう」
平八はさらに強い妖気を放出していく。吉郎はその場から飛ばされないように踏ん張っているのがやっとだった。
「なんという妖気だ…。妖魔にはこれほど強い妖魔がいるのか…」
そのとき、吉郎の心に声が響いた。その声の主は…。
四鴉の囲みを突破した聖は一気に鴉御殿の本殿に行き着いた。闇の中心はここにあった。本殿のほうへ行くにつれて闇の力は増していった。聖は周りに闇の力が漏れてこないように結界を施した
。
「天と風の申し子たちよ。雷神と風神の力を用いて全てを遮る壁となれ!。雷鳴風陣!」
詠唱を読み終えると屋敷を囲むようにして風の精霊が竜巻を、天の精霊が雷を形成した。その直後から徐々に妖気が薄れていき始めた。
「さて…、行くか…」
聖は中に入った。逃げられない妖気で屋敷の中は強くなっていた。普通の人間がこの中に入ったら吐き気や意識を失うことも多々ある。聖はからだの周りに氣を集めると自らの盾とした。
中はかすかに屋敷の内部が見えているが妖気が強すぎて空気が濁っていた。
「こいつは…、妖口ができているな。しかも、ただの妖口じゃない。冥界に直接通じる出入り口かもしれない」
妖口は冥界に続く道だがその課程において、暗界(あんかい)、影界(えいかい)などを経て初めて冥界に行き着くのである。冥界は4つの階層に別れている。妖魔王がいるのは最下層、妖口の出口は第1階層にあるのだ。直接、妖魔王のもとへ行くには亜空間(無の世界)のどこかにあると言われる妖冥門(ようめいもん)をくぐるしか方法はなかった。
以前、数人の退魔師があまりの妖魔出現に業を煮やして妖口から冥界に侵入したが帰って来れたのはたった1人だけであった。しかも、ほとんど瀕死の状態だったという。冥界にたどり着くだけでもやっとのことなのにそこからさらに強い敵が待っているのだ。人界(人間界)に存在する妖魔などはまだ優しい部類に入るとも言われている。けれども、鬼であろうと獣であろうと妖魔に違いはないのだ。その妖魔が存在する限り、退魔する者がいる。聖もまたその1人なのだ。
聖は本殿の中に入った。濁っていた空気が歪んだ空間になってしまっていた。
「時空が乱れてるな…」
そう呟いたとき、闇の中から声が響いた。
「誰だ…」
「お前を退魔しに来た者だ」
「退魔だと!?、この俺を倒せるのは誰もいない」
「ふん、自信過剰すると墓穴を掘るぞ」
「戯けが」
「文句を言う前に姿を現したらどうだ?」
「今から死する者に姿など見せる必要はない」
「ほう、では勝手にやらせてもらうぞ」
聖は氣を爆発させた。その威力は屋敷をも飲み込み、一気に粉砕してしまった。鴉魔は屋根の裏にぶらさがっていたようであわてて舞い降りてきた。鴉魔は名の通り、黒い大きな羽を両腕に持っていた。顔は鬼である。
「何者だ…、我が屋敷をここまで吹き飛ばすとは…」
「妖魔に名のる必要はない」
聖は一気に懐に飛び込んだ瞬間、鴉魔はバタバタと羽を靡かせながら上にあがっていく。が、聖はその勢いで右手を地に這わすと一気に上に飛んだ。そして、腹部にもろに一撃を加えたのである。
「ぐえっ!」
鴉魔は悶絶しながら必死に落ちまいとバタバタしている。
「おいおい、いい加減に本物を出せ」
「ふっふっふっ…、もう御館様はここにはいない」
「なに!?、ま、まさか…」
聖は咄嗟に町のほうを見たのである。町の南側で炎が見えていた。知香が森林公園を塵と化した直後の状態だった。
「そうだ、御館様はすでに幾多もの妖魔を率いるため町に下りられたのだ」
聖は急いで屋敷跡から離れようとしたが3つの気配が前を塞いだ。
「おおおお、四鴉よ。生きておったか!?、こやつを倒すんだ」
「もう、お前の命は受けん」
黒破が鴉魔に向かって言う。
「なに!?、我に刃向かう気か?」
「刃向かうもなにもお前は棟梁ではない。ただの使い魔に過ぎぬ」
黒破は詠唱を心で読むと、
「牙流翔(がりゅうしょう)!」
一気に鋭い牙と化した風の塊が鴉魔を切り裂いた。
「ぐわぁぁぁぁぁ!!!」
聖は3人と1体の妖魔の様子をじっくりと見ていた。牙に切り裂けられるようにして無惨な妖魔の姿だけがそこに残ったのである。黒破は無塵と化した妖魔を見届けてから聖のほうを向いた。
「双魔王・双聖殿とお見受けする」
「如何にも、やはり知っていたか…」
「我らと勝負願いたい」
「生ある者と戦う術は知らぬ。我は死人なり」
聖は戦う意志がないことを伝えた。
「闇から光に舞い戻ったのなら、強さばかりを求めず、少しは精霊たちの声でも聞いてやりな。聞こえぬか?、精霊たちの泣き声を…。お前たちが闇に走った後でも支えてくれている精霊たちの心の声が聞こえぬか?」
黒破は無言だった。赤龍、青獲の2人も何も言わない。
「今、ここで何が起きているかは知っているだろう?。御館と名のる男は闇からはい上がることはせず、闇の力に全てを託している。おそらく、あの男も退魔師として名を馳せていたんだろうが、今は妖魔を率いて人界に君臨しようとしている。私はこれを見逃すことはできぬ。死人と化した今でも退魔師のプライドは捨ててはいない。それでも邪魔をするというなら容赦はせぬ!」
聖の眼から殺気が3人に浴びせられた。しかし。殺気はすぐに消えた。
「お前たちが精霊を持つ本当の意味が分かったのなら、いつでも相手をしてやろう。さらばだ」
聖は歩きながら3人を横目に町を見た。そこに空間の歪みを見つけたのである。ちょうど、向川橋のところである。
「むっ、あれか…」
聖はゆっくりと体を浮かした。
「また機会があったら会おう」
時の扉を開くと聖のその中に入った。3人は鴉御殿のところにポツンと残されたのである。 聖は向川橋が望めるところに着いた。橋の上に妖魔がウジャウジャとあふれ返っていた。
「やはり…、これか…」
聖は吉郎の気配にも感づいていた。そして、もう1つかなり強い妖気の存在も…。
(吉郎さん、吉郎さん)
聖は伝心術で呼びかけた。すると、すぐに吉郎が答えた。
(おお…、助かった。お主か…)
この言葉に吉郎が窮地であることを悟った。聖はすぐに氣をためた。
「双魔霊風、霊風波動!」
聖が両手を横に包み込むと一気に氣を向川橋にたむろしていた妖魔に向かって放った。凄まじい氣が妖魔たちを吹き飛ばしていく。続けて、
「五法邪封陣!」
妖魔たちがわき出していた空間の穴を囲むようにして5つのポイントから一気に光の結界が走った。霊風波動で生き残っていた妖魔たちが光の結界に負けて浄化されていく。それと同時に聖は向川橋に移った。空間の穴は五法邪封陣によって完全に黒い煙を出しながら閉じられていく。聖は吉郎と妖魔を見つけた。
「あやつも人間だな」
聖は咄嗟に全愁が人間であることがすぐに分かった。しかし、人間としての資質よりも妖魔…、それも妖人とかいうわけではなく鬼人もしくは妖鬼と推測した。聖はすぐに両手を縦に包み込むと氣を集中的にためた。吉郎には聖が何をするかすぐに掴めた。
「平八よ…、お前ではあやつに勝てぬぞ」
「ふっ、勝てるかどうか試してみれば分かることだ」
吉郎は咄嗟に身を横に避けた。聖は横に避けると同時に氣を放った。
「氣霊砲!」
凄まじい強力な氣が妖鬼めがけて向かっていく。しかし、それだけでは終わらない。
「我に集う精霊たちよ。天と火、二乗の精霊をの力をもって最強の龍をつくりたまえ!。烈火天龍鳳翼翔!」
火の精霊が炎龍を形成すると天の精霊が全ての魔を消滅させる翼を形成した。これが合わさるようにして炎翼龍と化して氣霊砲のあとを追っていく。そして、吉郎に向けて、
「治聖回復術!」
吉郎の足元から光が走り、吉郎の体力を回復していった。
しかし、2つの攻撃は妖鬼こと二宮平八には通じなかった。
「ふん、こんな攻撃どうってことはない」
平八は右手を翳すと、
「闇魔亜趨蕨(あんまあそうけつ)」
右手の前から黒い丸い穴が開いて、氣霊砲、烈火天龍鳳翼翔の2つの術が一気に吸い込まれてしまった。聖が吉郎に近づきながら言う。
「亜空間だな」
「その通り。双魔王殿」
「ほう、やはり知っていたか…。お主もこの世を嘆いてのことか?」
「その通りだ。どんなに妖魔を滅ぼしていても減ることがなかった。我も浄魔師の一人として妖魔を浄化することを仕事としてきたがこの世に人間がいる限り、妖魔というものは無限に広がってしまう。欲望、憎悪、恐怖、怨恨…、妖魔はそんな性欲を好む。そんな無駄なことが嫌になったんだ。いや、無駄ではなかったな…。そんな人間の欲望をなくなれば妖魔も人界に現れることないだろう。そう思い、我は浄魔師から闇の亡者に生まれ変わったということだ」
「ふん、御託はいい。どんな言い訳をしてもお前の心は弱かったということだけだ。ならば、いっそのことその身を光の包みで覆ってやろう」
「できるかな?」
「できるさ。それとな…、妖魔が人界に現れないということは決してない。冥界に妖魔王、そして、鬼界には鬼王がいる限りな」
聖は氣を放出した。
「精霊たちよ。我に敵意を示す闇の高き壁となりて、全ての闇を封じ込めたまえ!。五聖精霊陣(ごせいしょうれいじん)!」
聖に集う、天・風・火・水・地の5つの精霊が平八の周りを囲んだ。五法邪封陣よりも数倍も強力な結界が張り巡らされたのである。天は天空を、風は天の補佐を、火は前後を、水は左右を、地は地面を固めて最強の結界を敷いた。一瞬のことであったため、さすがの平八を動けなかった。
「なっ!?、お前は…、お前は5つの精霊を従えているのか!?」
平八は目を見開いていた。
「違うな。従えているのではない、守ってもらっているんだ。精霊たちは我が友人よ。もはや、逃げ場はない。お前のお得意の亜空間も使うことができまい」
「くっ!?」
聖は一瞬にして平八の前に移った。目と鼻の先にである。平八は結界により微動だにすることができなかった。聖は平八の胸に左手を翳した。
「返してもらうぞ。自然界には大切なものだからな」
聖は目を瞑ると平八の記憶からあるものを取り出した。取り出した記憶は平八の記憶から抹消された。しかし、抹消されたといっても妖気がなくなるということではない。聖は取り出した記憶を巻物として形成して吉郎に手渡した。
「お前は彼の地に封じてやろう。杵島神社にな」
聖は後ろを振り返り、足をタンと音を立てるように鳴らした。すると、平八の体を光に包まれ一筋の光となって杵島神社のほうへ向かっていく。
「終わったのか?」
吉郎が掠れるような声で言った。
「ええ、終わりました」
「そうか…」
吉郎はゆっくりと腰を下ろした。
「今回はさすがに疲れたわい」
「人にとって心の弱さというものは誰にもあるものです。しかし、その弱さに負けてはいけない。結局、彼はその弱さに負けたのでしょう。世の嘆きというのは言い訳に過ぎません」
「うむ、我らはその嘆きをなくすために退魔をしているのだからな」
「たしかに…。しかし、多恵さんには伝えるので?」
「いや、平さんは妖魔などではない。身は滅びても心は死んではいないと信じている」
吉郎は真顔になって聖に言った。
「その通りです。さあ、知香たちも終わっていることでしょう。そろそろ行きますか?」
「ああ」
吉郎はゆっくりと立ち上がったとき何かを思いだしたかのように、
「そういえば、なぜ人は出てこなかったのだろうか?」
「ああ、それはですね。全愁が亜空間を使ったからですよ。今は時空の歪みもなくなり、いつもと変わらない状態に戻っていますが亜空間を開くとその影響で時空に歪みが生じるのです。つまり、見た目は同じでも同時に二つの世界が入り組んでしまった感じになるんです。だから、もう一つの世界にいる人たちには気づかれなかったというわけです」
「ほう、そういうことだったのか…」
「あっ、そうそう。さっきの巻物の処置は吉郎さんに任せます」
「分かった。これは杵島神社に安置しておいたほうがいいかと思う」
「なるほど…、目と鼻の先に封印しておくわけですね?」
「その通りだ。あの神社はこの地域のどの神社を比べても霊気の強さは大きい。今回のような事態は例外だが多少の妖魔であれば防げるだろう」
「そうですか、それなら安心ですね」
「うむ」
「おお、もう夜明けか…」
聖と吉郎は赤みのかかった空に向かって足を進めて行った。鴉がどこからともなくカァ〜カァ〜と鳴きながら舞い降りてきたのである。
「今回の一番の犠牲者は鴉かもしれないなぁ」
「ええ、そうですねぇ…」
聖は遠くを眺めるようにして新たな決意を決めたのである…。
廃墟と化した鴉御殿には動くものは全て見抜くことができる水晶だけが転がっていたのである…。
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