四、追跡

 向川屋に吉郎の友人が訪れた。まだまだ若々しい。20歳ぐらいの年齢ではないだろうか。吉郎は友人の前に座る。
「おう、久しいな。天虎鬼(てんこき)を封じた時以来か…」
吉郎は喜びを前面に出して言った。天虎鬼とは妖魔の中でも有数の天の属性を使う鬼だった。
「そうです。あのときは本当にお世話になりました。」
「何を言う、あれは御身の力が奴を勝ったから勝てたもんだ」
多恵がお茶を運んできた。
「あっ、すみません。どうぞ、おかまいなく」
多恵が部屋を出たのと同時に友人は真剣な眼差しになった。
「実はここに来たのはある男を倒してもらいたいのです」
「ほう。そやつは人間か?」
「そうです。我らと同業の者です」
「なに?、同業とな?」
「はい」
「で、何をしたのかな?。その男は…」
「我が屋敷に封印してあった妖魔壺を奪って逃げたのです」かなり深刻な話のようだ。
「逃げた?。しかし、封印の間には早々入れるものではあるまい」
「ええ、扉には父が封じた札が3枚貼られていたのです。あれは封印した者以外の者が触れば消滅するよう術が施されているのです」
「うむ。普通ならばそうであろうが、その逃げた男は何らかの術を施して札をはがしたのであろう」
「ええ、それが何であるかは私には分からないのです。しかし、あの男を野放しにすることはできません」友人の表情は真剣なものだった。
「分かった、引き受けよう」
「さすが吉郎さんだ。ありがたい」
友人は感謝の言葉を述べた。
 吉郎が友人と会っている頃、聖は知香と一緒に散歩に行っていた。
「ねぇ、聖の故郷ってどんなところ?」
「うん?、突然、どうしたんだい?」
「前々から聞いてみたいなぁって思ってね」
「木曾は長野県にあるんだよ。でも、岐阜の県境に近い山奥に我らの村はある。けれども、地図には載っていない隠れ村なんだよ」
「へえぇぇぇ」
「村人は代々、双魔一族に仕えている護番衆(ごばんしゅう)なんだよ」
「お殿様を守る家来みたいなもの?」
「そう。その護番衆に支えられているおかげで今まで続いてきたようなもんだな」
「へぇぇ、聖もお世話になったの?」
「うん、護番衆の長老には今も逆らえない」
聖は笑いながら言った。
「双魔は一番上に双魔王、それを支える四天王、舞虎衆(ぶこしゅう)、聖霊衆(せいれいしゅう)などがいる。その中でも最も双魔の中枢となっているのが霊陣守(れいじんしゅ)なんだ」
「霊陣守?」
「そう。霊陣守は双魔の深奥部分に氣が吹き出しているところがあるんだ。それを聖なる力で氣を循環させるんだ。循環させることによって双魔全体を守護しているんだよ」
「へぇぇぇ」
「霊陣守に対しては双魔王も頭が上がらない」
もうすぐ向川橋に差し掛かる。その時、異様な感覚が2人を襲った。
「むっ」
「な、なんか空気がおかしい…」
知香が震えている。妙な寒気が2人を襲った。
「風たちよ、我らを守りたまえ」
風の精霊が聖と知香の周りに風の壁を作った。正面には橋が見える。異様な空気は橋の向こうから流れてきていた。
「知香、油断するな」
「う、うん」
2人はゆっくりと橋に向かって歩いていく。霊感の薄い人々にとってはこの感覚は分からないらしく、平然と歩いていた。まだ、真っ昼間である。夜ならともかく、昼間にこんな気配が襲うことは滅多になかった。
 橋に近づくにつれて、異様な空気の流れが強くなる。聖は精霊に呼びかけた。
「この感覚は一体、何だろうか?」
この問いに水の精霊が答える。
「双聖殿、闇の力ではないようです」
「うむ、妖魔であればすぐに気づくが、この気配は一体…」
「むしろ、人間の気配に近いようです」
殺気である。しかも、強い殺気、こんな殺気を出せるのは早々いるものではない。
「相手は人間か…。しかも、我らに向かって放っている。これは尋常ではなさそうだ」
聖の呟き声が知香に聞こえた。
「どうしたの?」
「知香、ここでは分が悪い。人の少ないところに行くぞ」
「う、うん」
聖は時の扉を開いて、知香を放り込むと急いでこの場から離れた。
 吉郎と友人はこの気配を察知していた。
「これは…」
「殺気ですね。かなり強い殺気です。まるで我らを挑発しているようだ」
「急がねばなるまい」
「奴はこの近くにいるようです」
吉郎と友人は共に立ち上がった。
 聖と知香は向川屋に逃れた。殺気は消えていない。当然である。向川屋と橋は目と鼻の先にあるからだ。しかし、ここのほうが安全でもあったからだ。風と火の結界が二重に敷いているためで、これほど堅固なところはない。
「ねぇ、この気配、一体何なの?」
「さあな。けれども、私に殺気を放つとはなかなかできるようだ。このまま、落ち着く訳にもいかぬ」
そう言った瞬間、障子が開いた。吉郎である。
「木曾さん、今から出かけますので店を任せてもかまいませんか?」
「それはよろしいですが、この気配、尋常ではない。行かれるので?」
「ええ、私のもとに友人から依頼がありましてな。相手は言わずとも分かると思いますが…」
聖は相手が退魔師だと直感した。
「そうですか…。依頼を邪魔する訳にもいきません。おそらく、相手はまだ町には入っていないようです」
「おそらく、それも時間の問題かと」
「ところで、相手は何を求めているんでしょうかねぇ」
「さあ…」
吉郎は少し考えたが結局、分からなかった。
 吉郎が部屋を出た後、聖は結界を敷くため、短剣の準備に入った。短剣には光の氣を封じてある。邪悪な心を持った人間にも通じるので使うことに決めたのだった。
「知香、これを大國屋さんとこに持っていってくれ。主人には話を通しておくから、屋敷内の一番西端に突き刺すように」
「ほいほい。ねぇ、相手は誰なの?」
「退魔師だよ。闇の力に犯されつつあるね」
「退魔師も妖魔になるの?」
「なるときもある。が、それは何かの方法で妖魔の力を自分のものにしていなくてはならない。いいかい?、退魔師は魔を退かせると書く。決して、自分が持つ精霊たちを無視して魔に力を求めてはならない。これは退魔師になるための掟なんだ」
「うん」
知香はゆっくりと頷く。
「だが、今回の主役は吉郎さんだ。俺たちはサポートに回る。この町に敵を入れないために。よし、行くぞ」
聖は時の扉を開いた。知香が扉をくぐる。
「知香、終わったら精霊を杵島神社に放て。俺は深代山に行った後、杵島神社に向かう」
「は〜い」
時の流れに知香が飛び込んだ。聖は大國屋の主人に話をつけた後、深代山に向かった。

 安間町、昔は尼町と呼ばれ、駆け込み寺の尼寺があった。しかし、時代の流れでその寺はもうなくなってしまっていたが名前だけは字は変わっても残されていた。吉郎たちは安間に来てから殺気の気配を失っていた。
「吉郎さん、手分けして探しましょう」
「うむ。私は東のほうを探そう」
「では、私は西へ」
東西にそれぞれの退魔師が散った。龍鬼の壺を持つ退魔師を追って…。
 廃墟の寺院…。そここそがかつて女性たちの唯一の世間から逃げることが許された場所だった尼寺。今はひっそりとしており、その面影もない。本堂は荒れ果て、肝心の本尊もなくなっている。寺の門だけが門としての役割を果たしているに過ぎない。男は本堂の中で壺を取り出した。
「ふぅ…。やっと取り返した、我が父の魂を」壺のふたには「封印」の2文字があった。男は詠唱した。
「我が地の精霊たちよ。封じられし魂を開放するため、我に力を貸したまえ」
精霊たちが壺を囲むようにして同化していく。壺の封印の力が徐々に弱まっていった。そこに気配を感じた。
「くそっ、もうここまで来たか。殺気を放ったのが間違いだったか…」
殺気を飽和させておけば自分の居場所が分からなくなるのだ。それは強ければ強いほど効率がよくなる。しかし、一歩間違うと自分の居場所が簡単に知れ渡ることになるのだ。男は使い方を誤ったらしい。
「来るなら来い。お前たちの勝手にはさせぬ」
気配が徐々に近づいてくる。男は本堂の周りに結界を敷いていた。壺からは煙が吹き出ていた。封印の力がわずかに働いている。中から出ようとする力を封印が抑えつけて、その隙を突いて精霊たちが壺を壊していっているのだ。
「もうすぐだ」
男は呟いた。その時、ドォォォォォーーーーンと響いた。
「来たか…」
本堂の扉が開かれる。人影が見えた。
「見つけたぞ。壺を返してもらおうか」
「断る。我が父がいる壺だ。そう、やすやすと返す訳にはいかぬ」
「やはり、あの時、共に始末しておけばよかったな」
「なにを!?」
「小間一族も墜ちたものよ…」
「くっ」
男は相手との間合いを取る。
「地の精霊たちよ。巨大な木と化し、我に力を与えよ。地覇樹霊陣(じはじゅれいじん)!」
男の周りに巨大な触手を持った4つの大きな木が出現した。4つの木は男を囲むようにして立っている。
「ふんっ、小間の一族はいつもそうだ。最初に守りを固めることから始まる。だが、俺は違う」
相手は手を重ねた。
「我が精霊たちよ。爆発の力を持つ龍と化して、すべてのものを焼き尽くせ。炎覇爆龍陣(えんはばくりゅうじん)!」
炎の龍が重ねた手の中から現れた。巨大な炎の塊を吐きながら男に向かっていく。瞬く間に4つの木は炎に包まれた。
「何とも弱いことよ」
瞬く間に黒こげになっていく。壺があらわになった。
「さて、それを返してもらおうか。我が大事な遺産だからな。この壺には我が一族の大事なものが入っている。氣を飽和させる霊陣がな」
男はゆっくりと壺に近づいた。壺にまだ地の精霊が生きていることに気づいた。
「むっ」
「もう遅い」
「地雷波(じらいは)!」
右手には氣が輝いていた。相手の背後から男が現れ、心の臓を貫いた。
「ぐふっ」
相手の口から血が吐き出た。
「我が小間一族の恨み、ここで果たさせてもらう」
「ひ、卑怯な…」
「卑怯?、それならお前たちもそうだろ?」
血まみれになった手をゆっくりと引き抜こうとしたが抜けなかった。
「それもそうだな。封動術(ふうどうじゅつ)の一つだ。それぐらい見抜けぬとはそれでも退魔師か?」
「くっ!?。傀儡か!」
「傀儡はお前の得意技ではないか。それを見抜けぬとは墜ちたものよ」
「ま、まさか…。真眼術(しんがんじゅつ)か!?」
「そのとおり。地の精霊は使えなくても術自体の真似は簡単なものだ。傀儡など氣を使えばそれでいいのだからな。この術もそうだったな」
相手の右手に氣が集まっていく。
「お前はこれに精霊を足すらしいが、俺の場合はこのままだ。動きを封じた相手ならこれで十分だ」
「くっ」
「さらばだ…」
男の命運はここで尽きたのである…。

 聖と知香は東西南北に結界を敷いた。しかし、それも使うことはなかった。この結界は内部から攻撃されればあっという間に崩されてしまう簡単な守りの陣である。早々に解き放った。結局、活躍の場がなかった知香は寝転がっている。
「あ〜あ、また暇なひとときだったなぁ〜」
「まだ終わってないよ。知香」
聖の表情は真顔だ。
「えっ?」
「さっき、安間の寺に行ってきた。傀儡の術の罠にかかって死んでいたんだ。傀儡の術は地の属性なんだ。しかし、倒した吉郎さんの友人は火の属性…。おかしいと思わないか?」
「うん、そういえばそうだよねぇ…」
「1人の退魔師が2つの属性を持つことは無理に等しい。精霊に対する体の対応ができないんだよ」
「でも、聖は5つの精霊を持っているよね?」
「ああ、これはね。治聖術のおかげなんだよ。治聖術は光の属性、光の力を持つ者には精霊たちは自然と集まってくる。ただ、精霊を持つ者の良し悪しが影響を及ぼす。良ければ精霊は仲良くしているし、悪ければ離れていく」
「じゃあ、聖はいいほうなんだね」
「あははは…」
聖は心の中で照れていた。しかし、すぐに話を元に戻した。
「で、話を元に戻すけれども、真眼じゃないかと思うんだよ」
「しんがん?、心の?」
「それは心眼だよ。目を閉じた状態で相手の気配だけで動きを察知することね。俺が行っているのは真眼のほうだよ。相手の術を真似るんだよ」
「えっ?、そんなことできるの?」
「そう簡単にできるもんじゃない。この術の弱点は精霊が使えないというところだ。氣だけで術を真似るんだよ。傀儡は精霊を使わなくても氣だけで操ることができる。しかし、氣を入れるものが必要だ。人間がね」
「じゃ、じゃあ、傀儡にされた人は…」
「彼の者に殺された…。死した者では役には立たない。血が流れていないからだ。殺した直後に流血の術を施す。まさに闇の力だね。そうすれば生きた人間のようになる」
「そんな術があるの?」
知香は驚いている。
「あるよ。平安末期、平家側についていた陰陽寮の連中が若い武将たちが目の前で死んでいくのを嘆き悲しみ、これ以上の犠牲をなくそうと自らの氣で殺したばかりの人間に真眼術と流血の術を施したんだ。結局、それも無駄に終わってしまったが術自体は後世に伝えられた。いつの世の中でも犠牲になるのは何の罪もない人間なんだよ」
「かわいそう…」
知香は目を赤くし始めている。
「そのため、この2つの術は退魔師公然の掟として封印されることになる」
泣きそうな知香に猫駿が近づいた。
「ニャア〜」
知香はただの白い猫だと思っている。ゆっくりと喉元をなでていた。
「ミャァ〜」
猫駿のおかげで知香は落ち着きを取り戻した。
「知香、どうする?。こんなやつを野放しにしておくかい?」
「ううん…、許さない」
知香の決意は強い。火の精霊たちの強さも大きくなった。
「夜に行く。用意だけはしておいてくれ」
「うん」
聖は知香にそう伝えると吉郎のところに赴いた。
吉郎は聖の顔を見た。真剣な表情になっている。
「分かった…。今回のことはやつの心を見抜けなかった私の失態です。何でも言ってくだされ」
「失態ではありませんよ。彼の者は心の深奥の閉ざす力を持っているようです。簡単に言えば二重人格ですね。吉郎さんの責任ではありませんよ」
「そう言っていただけるとありがたい」
聖の心の広さに感謝した。
「彼の者の名を教えてください」
「名は永山康樹。退魔師・永山高奉(こうぶ)の息子だ」
「永山高奉といえば天の属性を持つ数少ない退魔師ではありませんか」
「ええ、そうです。天虎鬼は御存知で?」
「もちろん知っています。鬼でありながら雷撃を使うのでしょう?」
「そうです。まあ、雷撃だけではありませんが高奉殿は単独で天虎鬼に挑んだんです。一匹だけなら何とかなったでしょうが無謀にも天虎鬼の巣を攻めたのです」
「それは無謀すぎる。いくら雷神が使えたとしてもあまりにも無茶な行動です。なぜ、そのような行動に出たのです?」
「実は康樹が天虎鬼を操っていた妖魔に拉致されたのです。康樹はまだ術を使えるまでに成長していませんでした。そこで高奉殿が康樹を救い出すために危険を承知で乗り込んだのです。康樹の命と引き替えに高奉殿は帰らぬ人となったのです」
「なるほど…。そういうことでしたか…。残念な人を失った」
「ええ、まことに。それで後を継いだ康樹に精霊の導きを与えたのが私なのです。私と康樹、それに小間龍留(たつる)の3人で天虎鬼を妖口に封じ、操っていた妖魔を倒したのです」
「では、追っていたのはまさか…」
「小間龍留の息子です」
「なるほど…。彼の者が小間さんの子息だったとは…」
「小間を御存知で?」
「ええ、知っています」
「木曾さんは顔が広い」
「いえいえ、そんなことはありませんよ。それに広いって言っても一度、共に仕事をしたぐらいですから」
「永山一族の棟梁と戦うのです。相手は1人ではないはずです」
「うむ、吉郎さんは康樹に当たってください。私と知香はその他大勢を相手します」
「分かりました。木曾さんには感謝します。出発は?」
「夜が更けてからですね」
「分かりました」
2人の意は決した。

 夕方、永山康樹は屋敷に戻った。叔父の高康が迎え入れる。
「どうだった?」
「ちょろいもんだな。叔父さんが教えてくださった術が役に立ちましたよ」
「そいつはよかった」
「小間の息子も馬鹿な真似をしたものよ」
「で、向川という男の余計な詮索はなかったかな?」
「読むことはできないですよ。私には閉心術がある」
「平安から我が家に伝わった禁術のおかげだな」
「まさに。他の者はどうしてる?」
「女衆は相変わらずうるさいが他の者は元気にしてる」
「そうか、それはよかった」
その時、康樹の周りを弱い風が囲んだ。
「むっ」
「どうした?、康樹」
「風の精霊が俺の周りを囲んでいる」
「見つかったのか?」
「どうも、そうらしい。あの爺が俺を追いかけて来たのか、それとも小間のやつが他にも味方をつけていたのか、どちらかだな」
「倒せるか?」
「無論、どうってことはない」
康樹は強気だった。
「叔父さん、これを頼みます」
康樹は壺を叔父に渡して自室に引っ込んだのである。

 夜、聖は吉郎の記憶を読み取って永山の屋敷を探し当てた。時の扉を開くためにはどうしても場所の位置が必要だからである。
「よし、行きましょう」
聖は時の扉を開いた。吉郎と知香が入り込む。
「では、多恵さん。後は頼みます」
「分かりました。お気をつけて」
聖も扉をくぐって時の流れに身を委ねたのである。
 周りはすでに暗くなっている。場所は山の麓にあって人家(じんか)は少ない。3人の術師が門の正面に立った。中からは無数の気配がしている。気配と言うよりも殺気に近い。
「行くぞ」
聖が詠唱に入った。吉郎を無傷のまま、康樹にぶつけるためである。
「風の精霊たちよ。全てを切り裂く刃となれ。牙流衝(がりゅうしょう)!」
刃と化した風の精霊たちが閉じて門を一瞬にして切り裂いた。中からは10を越す術師もしくは住人でごったがえしていた。聖は詠唱なしで氣を放った。
「双魔霊風、霊風波動!」
包みこんだ両手からすさまじい氣を放った。全ての術師をかすめて屋敷の一部を吹っ飛ばした。肝心の防御の要となる結界は敷いていない。屋敷を吹っ飛ばされただけで何人かの人が逃げ出した。術師ではないようだ。知香も詠唱に入った。
「火の精霊たちよ。爆発の力を持って、全てを焼き尽くせ!。爆炎陣(ばくえんじん)!」
大きな円陣に炎が走り、その円から一気に火が噴きだした。その中にいた術師は火の鎧をまとっていたものの、けっこうダメージを受けていた。知香も精霊の心を読みとれるようになってきている証拠かもしれなかった。
「さて、お主ら、そこを通してもらえないだろうか?」
「何を言っている?。我らがそうやすやすと通すとでも思っているのか?」
「ダメかな?」
「当たり前だっ!」
「そうか…」
聖は足で地面を軽く蹴った。すると、地の精霊が術師の下半身を封じた。
「うっ」
「な、なに!?」
術師たちはあわてている。
「敵と向かい合っているのに口なんか聞くからそうなる。行かせてもらうぞ」
「くっ、なめるな!。火の精霊たちよ…」
詠唱が終わらないうちに地の精霊が体全体を覆った。
「悪いが詠唱を読む段階でお前たちの動きは封じさせてもらっている。それにお前たちの命を取るつもりは毛頭ない」
他の術師の詠唱でさえ封じてしまったのである。
「吉郎さん、ここからはあなたの仕事だ。私と知香は屋敷の外に逃がさないよう気を配るとしよう」
「かたじけない」
吉郎が屋敷内に入っていった。
その直後、無数の気配を感じた。御家の大事に術師たちが駆けつけてきたのだ。
「さぁ〜て、もう一働きするか…。知香、お前はここにいて吉郎さんのバックアップをしろ。決して邪魔したらダメだからね」
「ほ〜〜い」
下半身と詠唱を封じられた1人の男が叫ぶ。
「馬鹿め、あの御方が参られた。お前たちはおしまいだ」
「ふん、誰が来ようともこの双聖に勝てる者はいない」
「そ、双聖だと!?」
「そうだ。私の名は双魔王・双聖なり。相手が悪かったな」
「い、いや、あの御方ならあんたを倒せる!」
「ほう。なら、迎え撃つとしよう」
聖は知香を残して無数の気配がやってくる方へと向かった。

 吉郎は康樹と対峙した。場所は裏山の中腹にある神社の跡である。
「これはこれは吉郎さん。わざわざ、お越し下さるとはありがたいことです」
「康樹、なぜ、わしを騙した?」
「騙したとはおかしなことを言われる。盗まれたものを取り返したに過ぎぬ」
「黙れ!、小間龍留をなぜ封じた?」
「ククク…。あの御方の力は絶大なものがある。我が一族の繁栄のために力を貸してもらったまでのこと」
康樹は不気味な笑いを出した。
「吉郎さん、あなたには恩がある。その恩を今、ここで返そう。あなたの死をもって」
「むっ」
地面から2体の土人形が現れた。詠唱は読んでいない。しかも、康樹の精霊は火である。
「禁術か!?」
「よく分かっておられる」
「我に集う精霊たちよ。水のご加護のもと、我を守りたまえ」
小さな水滴が集まり、吉郎の周りを囲んだ。
「ふっ、笑止。かかるがよい、我が手足よ」
土人形が動き出した。吉郎は左手を前に出しながら、
「大いなる津波と化し、全てのものを飲み込め!。水破爆高陣」
精霊が巨大な津波となって土人形を一瞬の内に飲み込んだ。水中で爆発が起こり一瞬で浄化されたのである。
「さすがに強い。土人形をいとも簡単に倒すとは。ならば、地の精霊たちよ…」
しかし、すかさず、
「水の精霊たちよ。地の精霊を導きたまえ」
吉郎が康樹の持つ精霊を水の精霊と共感させたのである。つまり、火の精霊は康樹を見放したということだ。もともと、康樹の精霊は吉郎が開花させたものだから、こんなものは朝飯前である。
「ほう…。お前たちまで私を見放すというのか。ならば、これを使うとしよう」
壺を目の前に置いたのである。そして、封印の札をはがした。
「これが何か分かるかい?」
吉郎は嫌な予感がした。はがすと同時に詠唱に入った。
「我に集う精霊たちよ。最強の力をここに示せ!。水龍召喚!」
大きな水の塊がいくつも混じり合い、龍の姿を作りあげた。それと同時に、
「水を形成する者たちよ、絶対零度の力をここに発揮せよ!」
水が氷と化し、龍の姿が現れたのである。壺からは白い煙が現れている。それに目がけて、
「水覇氷龍陣(すいはひょうりゅうじん)!」
氷の龍が康樹を、水龍が吐息で壺を攻撃した。
「さすがに吉郎さんだ。同時に2つの術を出されるとは…」
康樹は突然、壺の前に立ちふさがった。
「なにっ!?」
この行動に吉郎は驚いた。康樹は死ぬつもりなのである。それほどの価値がある壺とは思えなかった。水龍と氷龍が康樹に直撃した。
「ぐふっ…」
口から血を吐いた。
「なぜだ!?、そこまで守るものでもあるまい」
「ククク…。お前には分からぬのだ。これの価値がな…」
ゆっくりと康樹は倒れながら絶命した。
「価値だと…。妖魔に価値など存在しない!」
水龍の吐息が壺を攻撃した。しかし、吐息は見事に跳ね返されてしまったのである。
「むっ!」
水龍の吐息が効かない敵は無数にいたが、そんなに多くはなかった。強敵であるということを認識した。
「こりゃあ、苦戦しそうだ…」
白い煙が形を作っていく。顔が見える。しかし、蛇のような体をしている。女蛇のような形だがそれも違うらしい。触手は見あたらない。手には長い爪が生えていた。
「ま、まさか…。天虎鬼の…」
そのとき、後ろから気配がした。
「いや、違うな。それはただの水蛇に過ぎぬ」
吉郎が振り返ると男が立っていた。
「お主は?」
「まあ、今は目の前の敵を浄化しましょう」
男は両手を重ねた。氣が重ねたところに集まっていく。吉郎はやり方こそ違うが見たことあった。それは紛れもなく聖の術と一緒だったのである。
「双魔霊風、霊風波動!」
手の平を前にして一気に放たれた。水蛇はくねくねと動かして氣を避けた。しかし、氣は水蛇に向かって攻撃を続ける。まるで誘導ミサイルのように。それを逃げ道に何発を放ったから逃げ場を失った水蛇に次々に命中した。
「さらばだ、壺に戻るといい。双魔霊風、浄巻陣(じょうかんじん)!」
弱り切った水蛇の周りに竜巻が起きた。そして、導かれるように壺に納まったのである。
 男は懐から札を取り出すと「封印」の文字を血印し、丁寧に貼り付けた。
「これは私が預かりましょう。また、悪さをする者が現れるかもしれません」
「この妖魔は水龍の吐息を跳ね返しました。そんなに弱い者には思えませんでしたが…」
吉郎が疑問を男にぶつけた。
「この妖魔はただの水蛇ですが、闇の力を吸い取る能力を身につけているようです。妖気を吸い取り、巨大化していったのでしょう。その妖気にさらされたおかげで水を防ぐ力を自然と身につけていたと思います。しかし、逆をつけばその他の力ではまったくの弱い妖魔なのです。あなたが導いていた地の精霊を使えば、おそらく、あっけなく倒せたと思います」
「なるほど…」
「この者は闇に心を侵されているようでしたが、小間でしたか?。彼の者を殺した原因になったものはおそらくこの妖魔の妖気にさらされたせいではないかと思います。この札をごらんなさい。この札はそう簡単に解き放つことができぬよう何重にも封じられているものです。おそらく、少しずつ自分で封印を解いていたと思います」
「なぜ、そのようなことを…」
「おそらく、あなたに勝ちたかったのではないでしょうか?」
「私に?」
吉郎は唖然とした。なぜ?という表情である。
「あなたに対して負い目があったのではないかと思うのです」
「負い目…ですか…」
その時、ドォォォォォォォーーーーンという音が響いた。戦いはまだ終わっていない。
「おっと、向こうではまだやっているようです」
「うん?、向こうの山のほうには敵がいなかったように思いましたが…」
「おそらく、屋敷の危険を察知して仲間が集まってきたのでしょう。でも、安心なさい。馬鹿息子が相手をしているようです。仮にも双魔王なのだから、あの程度の数はどうってことはないでしょう」
「馬鹿息子とな?。あなたはやはり…」
男はそれ以上の言葉を制した。
「それよりも娘さんが例の壺を持った男を追いかけています。そっちのほうに向かわれたほうがいいでしょう」「かたじけない」
吉郎は一礼するとすぐに知香のもとに向かった。男は聖が戦っている相手の数を確認した。ざっと30である。しかし、さらに増えてきているようである。妖気の気配もしていた。
「人間だけではないな…。ちと、きついかもしれん」
男もまた聖のところに向かった。
 知香と別れた聖は無数の気配がする向かいの山に向かった。この山の頂上には城跡がある。今は小さな櫓と石垣だけが残すのみとなっていた。頂上に着くと同時に気配を消した。周りは暗い。付いているはずの街灯ですら消えている。月の明かりだけがその姿を照らしていた。
「櫓ほうか…。ざっと8人か…。どうってことはないな」
聖はこの辺りの地形には疎い。まったく分からないのだ。吉郎の記憶を見た限りでは分からない部分も多い。
「双魔霊風、無空術(むくうじゅつ)!」
聖の体がフワッと浮いた。そして、石垣の上に行く。櫓あたりがよく見えるのだ。
「ふむぅ…。全員、精霊はなしかぁ…。ちと、やっかいかな」
聖は相手の動きを見ながら呟いた。
 退魔師は七魔を中心とする術師と精霊を持つ術師に分かれる。ここにいるのは七魔のいずれかの集団に属する者たちばかりなのだ。
「さて…、やるかぁ…」
聖は何の動作もせず、わずかに唱えただけだった。
「霧隠術(むいんじゅつ)」
聖の周りから霧が現れ、それがどんどん広がっていく。かつて、杵島神社で鬼人を相手にしたときに使った術だ。術師以外の者がここに入れば完全に迷ってしまうのだ。聖は完全に霧と同化してしまったのである。
 櫓の前にいた男がこの霧がただの霧でないことを感じ取った。
「ほう、双魔か…」
近くにいた男が口を開いた。
「双魔が来るとは…。意外だったな」
「ああ、気配は消しているようだ。できれば双魔王とやりたいものよ」
「おいおい、双魔王だと!?。七魔最強とも言われる男とやるのは御免だぞ」
「はははは…。万が一、双魔王が来たとしても、俺たちにはこれがある」
男は袋を見せた。
「たしかに…。これがあれば我らのもとに届く前に滅びるであろう。無数の妖魔と戦ってな」
男は高々と笑った。その瞬間、一番前にいた2人の術師の間に聖が現れた。
「なるほどね、そういうことか…」
2人の術師の腹に至近距離から氣を放って気絶させてしまったのである。
「だが、そんなもので俺には勝てぬぞ」
再び、聖と男たちの前に濃い霧が横切り、聖は霧の中へと姿を消した。そして、霧の中から声が響く。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
「やめろぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
仲間たちの声が響いていた。
「お、おい!、どうするんだ!?」
目を閉じていたリーダー格の男は動揺している男の首を一閃した。叫ぶこともできぬまま、絶命してしまったのである。
「たかが双魔王ごときに騒ぐなど所詮、お前は小者に過ぎぬ」
男は持っていた袋の口を開いた。その瞬間、光が走って袋のところに網ができていたのだ。氣熱網である。
「なに!?、いつの間に!?」
「それ、妖通袋(ようつうだい)だろ?」
 妖通袋とは妖口と同じで冥界と人界を繋ぐ通路なのだ。
「悪いが封じさせて……むっ」
聖は妖魔の気配を感じた。どんどん増えている。
「ふははははは…。俺がそんなヘマをするとでも思ったのか、すでに妖口から町に妖魔があふれておるわ」
しまった…、それが狙いだったか。聖は一言唱えた。
「五法の陣!」
男の周りに五つの光が発して全ての動きを封じた。
「くっ」
「悪いがお前の相手をするヒマがなくなった。妖魔を相手しなきゃならないでな」
霧が晴れていく。男と聖の姿が鮮明になっていった。
「さらばだ。連中がお前に期待したのはお前自身でなく、妖魔そのものだったようだ。さらばだ。五法封滅陣!」
五つの光が男の体もろとも魂を浄化していく。
「ぐわぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
聖は続けて術に入った。その時、一つの気配が妖魔のほうに向かっていることに気づいた。
「ふっ」
聖はゆっくりと呟いた。詠唱するのをやめたのである。そして、ゆっくりとその場から離れたのである。

 翌朝、例の壺はあるべきところに返された。小野龍留の体の中にである。聖は吉郎の記憶と共に小間龍留の体を治聖術で造り上げた後、その魂を体の中へ封じたのである。
「ここは…」
「やあ、お久しぶりです」
聖が明るい声をあげた。
「おおお、木曾さんじゃないですか?。それに向川さんも。ここは一体…」
「ここは私の家ですよ。お主は壺の中に封じられていたのですよ」
「あっ!、思い出した…。あの時、永山の息子に襲われて…」
龍留は思い出した。
「ええ、そうです。康樹はあなたが持つ特別の力を手に入れたかったようです。しかし、今、それは必要ないでしょう。ご自分でも自覚なさっているようですから」
聖がにっこりと笑いながら説明した。しかし、吉郎の表情は暗い。
「しかし…、あなたの息子さんも良き術師ですね。いずれは優秀な術師になるでしょう」
「息子が来ているのですか?」
「じ、実は…」
吉郎が言葉を発するのを聖が制した。
「ええ、来ておられますよ。重傷を負いましたが治聖術で回復させています」
「えええええ!!??、だ、だって、木曾さん!。私も見たのですよ!。彼の死に様を」
龍留は吉郎と聖の言葉の意味を察した。
「なるほど…、向川さんが驚くのも無理はない。おそらく、傀儡の術を使ったのでしょう」
「そうです。目には目をってやつですね」
聖が答える。
「じゃ、じゃぁ…。あれは傀儡なのか!?」
「そうです。彼は康樹の傀儡に一撃を与えた。傀儡は動きを封じる役目をすると共に康樹が彼の背後から一撃を与える。このままの状態では当然、絶命します。しかし、やられる直前に彼は傀儡の術を使って難を逃れたのです。ただし、避け損ねてしまいましたが…」
「ああああっ!!!、それであの大量の血が流れた訳ですね」
「そうです。私が駆けつけた時には絶命寸前でした。即座に治聖術を施した後、しばらく眠ってもらっていたのです。今頃はすっきり目覚めている頃だと思いますよ」
一つの気配がこちらに向かっいた。
「ほら?、もうすぐやってきますよ」
「木曾さん、あなたも人が悪い。そうならそうと教えてくださればよかったのに…」
「どうも、すみません。あの時、気配は断っていましたが例の捕まえた男がいたのですよ」
「えっ!?」「それでわざとあの男にも分かるように声を高くして伝えたのです」
「なるほど…」
「でなきゃ、吉郎さんにも教えていますよ」
聖はにっこりした。龍留が口を開く。
「で…、捕らえた男というのは…」
「ああ、康樹の叔父の高康ですよ」
「あの男か!?。で、今はどこに?」
「すでに廃人になってます。永遠に闇の世界を彷徨い続けているでしょう」
「そうですか…」
龍留は無念そうに呟いた。
「でも、あの人、壺を独り占めにしようとしたんだよぉ」
知香が口を開いた。

 聖と分かれた後、知香は封じられた術師を監視していた。そんな時に屋敷の中から動く影を見つけて、その後を追いかけた。人気は少なくても人家があるため、攻撃的な術を使うことができない。知香はあることに思いついた。
「火の精霊たちよ。あの男の前に現れよ!」
逃げる影の前に火の精霊が火柱をあげたのである。影が止まった。
「もう逃げられないわよ」
知香が手の平に炎を浮かばせる。
「わ、わしが悪かった。許してくれ!」
壺を前に置いて、男が頭を下げて謝っている。火柱のおかげで男が誰であるかがすぐに分かった。康樹の叔父の高康である。高康は知香の隙をうかがっていた。知香が火柱を解こうとした瞬間、土から触手が現れ、知香に絡みつこうとしていく。しかし、あらかじめ火の精霊に守られていた知香の体は触手を一瞬にして消し飛ばしてしまったのである。
「あ、あ、あ…」
「もう許さないんだから!」
知香が業火の力を発した。爆発的な威力である。ぶつかれば高康の命は消し飛ぶであろう。その姿を見た高康は泡を吹いて気絶してしまったのである。
「知香ぁ!、壺は?」
そのとき、吉郎が追いついてきたのである。
「ここにあるよ」
「気絶しているな。おい、起きろ」
頬を叩いても起きることはなかった。
「知香、何をしたんだ?」
「何もしてないよ」
「まあ、いいか。壺を独り占めするとは…。退魔師の恥じゃ。まだ康樹のほうが立派だったわ。知香、ちょっと目を瞑っとれ」
「何をするの?」
「いいから」
それは知香が目を瞑った一瞬だった。見ようと開けたときには終わっていたのである。
「何かしたの?」
「した。こいつにある術を施しただけだ。二度と悪さができないようにな」
実は吉郎がやったのは禁術であった。闇世(やみよ)の術である。吉郎が唯一使える術でもあった。
 この術にかけられると幻覚幻視幻聴の類がまとめてやってくるのである。周りは完全な闇、そこからは絶対に逃れることはできなかった。表の人間から見れば完全な仮死状態なので本人に何が起こっているかは分からないのである。吉郎は退魔師に対して恥ずべき行為があったときに使うようにしていた。それは吉郎が自ら自分に対して定めた掟でもある。

 聖が言葉を発する。
「だから、それ相応の償いをしてもらったって訳。しばらくの間は何もないでしょうが、また、あなたの能力を狙う輩が出てくるかもしれません。気を付けてください」
「ええ、今回はお詫びのしようもございません」
龍留が頭を下げた。
「いえいえ、我らは仲間ではありませんか。仲間であれば助け合うのが当然のことです」
聖はすがすがしく言ったのである…。
「木曾さん、康樹を倒したときにある御仁に助けていただいたのだが…」
「ああ、親父でしょ?。来ていたのは知っていますよ。あとの妖魔の始末は任せましたから」
「任せたって…」
「大丈夫ですよ。木曾の地を守っている英雄ですから」
聖は顔を合わさなくても双玄という人物を信用している証拠だった。

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