第三章 人間

一、心配

 夏、向川町は風と水の恵みを得て、涼夏の季節となった。町は相変わらず観光客で賑わい、向川では子供たちが水遊びで楽しんでいた。知香は吉郎たちを説得して高校を辞めていた。本人が決めたことだから無理に反論しないのが吉郎の方針だが、
「知香はなぜ学校を辞めたと思いますか?」
「さあ、それを知るのは本人だけですよ」
聖は吉郎に答えた。
「それはそうですが、知香は退魔師を本業にしようとしているのではありませんか?」
「それはあり得るかもしれませんが学校という殻から抜け出したかったんじゃないでしょうか」
「そうでしょうか?」
「おそらく、前に言っていましたよ。学校には優等と劣等があるのは当たり前の話ですが教師は優等を重視し、劣等を非難するだけになっていると。それに優等はそんな教師の後ろ盾を使い、劣等を差別しているとも言っていましたね。学校は勉強のためにある学校ですがそれだけではただの教育という殻に入っているだけとなってしまいます。それを嫌ったのではないでしょうか?。
 最近は余所から来る者たちでこの町にも変化が生じていますがその変化に乗れない人間を都会者が非難し、田舎者と叫んでいることと同じだと思うのです。けれども、それは人の心のどこかに不満や怨恨とかが向けられたものだと考えれば、彼女が学校を辞めたくなることも窺えますよ。それに学校は辞める生徒に話を聞くなどの行為もしなかったでしょう?」
吉郎は軽く頷いた。
「ならば、彼女の考えとしての良し悪しはゆっくりと見守ってやるのが親としての責任ではないでしょうか?」
「そういうものでしょうか?」
「教育と一言で片づけてしまうには難しい問題なのです。最近は少年犯罪とかも増えてきています。その原因は過去のイジメとか不満とかがストレスとなってそういう行為に進めることになっていると言っても過言じゃないと思います」
吉郎は黙々と聞いていた。
「彼らはそんな自分に対して嫌な殻から抜け出そうとするときに何をやっても恐くないとか、漫画とかでやっているヒーローになりたいとか、そんなことで殻から抜け出そうとして道を誤ってしまうのです。しかし、知香の場合、私たちが道を創ってやることで彼女はそれに進もうとしている。危険は伴いますが決して道は誤ってはないと思いますよ」
聖は吉郎に伝えた。吉郎は親として、退魔を行う者として悩んでいるようである。
「あとは吉郎さん、あなたの心次第ですよ。知香の決心は固いと私は睨んでいますが…」
「知香はどのような道を行くのでしょう?」
「それは彼女と、彼女に関わる人たちによって決まります。そして、それを受け入れるかは彼女次第だということです」
「見守ってやることが親としての務めでしょうか?」
まるで、宗祖に話を聞く信者の様相である。
「吉郎さん、私の言葉を聞いているより、知香と直接、話をしてみてはどうですか?」
聖はこのままではいけないという判断から話を切り上げた。

「ふーっ」
中庭を見ながら、溜め息をついた。
「どうかしましたか?」
和服を着た多恵が聖の許に来た。
「また、あの人の愚痴を聞かされたのですか?」
「愚痴ではありませんが知香のことでね」
「まあ、あの人ったら。もう済んだことなのに」
「仕方ありませんよ。けれども、私としては知香は殻から懸命に抜け出そうとしているのがよく分かりますよ」
「ええ」
「吉郎さんには理解し難いことではないと思うのですが」
「不安なんだと思いますよ」
「知香が退魔師として本当にやれるのかということですね。そして、その先はどうなるのか、どのようにして未来を切り開くのか、それを心配しておられる」
「心配性なのはいつものことですよ」
「その心配性が本業にも影響を及ぼすこともありますから」
「あの時の決心はどこへ行ったのでしょう」
あの時とは自らの過去などを多恵に語ったときのことである。
「まだ、心のどこかに残っていた不安が知香の変化によって爆発してしまったんでしょう。それを正すのは吉郎さん自身の心だけです」
聖は知香よりも吉郎の方が心配だった。
 吉郎の心配の矛先である知香は廃墟となった向川観光ホテル跡地にいた。かつては深代山の頂上に造られていたけれども廃業してから五年は経とうとしていた。そんな訳でほうっておかれた建物は森と同化しつつあった。道は舗装されてあったが途中からは土砂崩れも起こっていて通行止めになっていた。そのため、深代山は未開の地と化していた。町から見ればヨーロッパの方の城と窺えたらしいが今ではその威風はなくなっていた。
 知香は玄関まで登ると乗ってきた自転車をそこに置いて中に入っていった。1階ロビーがあった場所は中央に2階に続く階段がある他は何もなく、周りの木々から伸びる枝が建物の中にまで入り込み、白い壁が緑の壁となって不思議な世界を造り出していた。知香はその足で2階へと向かった。コンクリートむき出しの階段を昇ると左右に分かれ、知香は右の廊下を歩いた。廊下は真っ直ぐに続いている。ここも壁は緑と化し、廊下は緑の回廊となっていた。一つ違えば妖魔の口に入っていくかのように。

「ああ、木曾さん、知香を知りませんか?」
吉郎が聖に尋ねた。
「どうしたんです?」
「知香に役場に行ってもらおうと思ったのですが姿が見えないもので」
「役場なら私が行きますよ」
「どうも申し訳ない。知香の奴、どこに行ったのかな」
吉郎の心配は高まりつつあったので、聖は吉郎を包む水の精霊と話をしてみた。
「精霊たちよ。御身の友人は心配性だな」
「まことに」
精霊が聖の言葉に耳を傾ける。
「だからこそ守りがいもあるということです」
「うん、でもねぇ。このごろはその心配が余計に増しているのではないか?」
「ええ、あの子のことは火の精霊が守っている様子。まだ、強力な術は難しいかもしれないけれど、同じ立場であるなら危険も含んでいると思うのですが」
精霊は知香が安全であると諭したかったようだ。
「御身が直接、話してやってはどうかな?」
「試みてみますが」
精霊は半分諦めているようである。
「知香の身は風たちも守っている。万が一は私が協力するよ」
「まあ、頑固なのは今に限ったことではないですし」
精霊は渋々承諾したらしかった。
 聖は知香が深代山の廃墟にいることは知っていた。吉郎の使いで役場に行った後、あわてん坊の主人がいる水城屋を訪れた。
「おや、居候さん。どうしたんです?」
水城屋の女将・清子が出てきた。
「病人はいますか?」
「いますとも、一人だけ」
満面の笑みを浮かべて、そう言った。聖は苦笑し、
「旦那ですか?」
「ええ、ドジなことをしてばっかりですよ。何とかなりませんか?」
「それなら、こちらとあまり変わらないですよ」
「こちら?」
「ええ、娘のことで心配しているんですよ。うちの主人が」
「まあ、向川屋さんもですか?。あの方は協会の責任者ですし、あの人に比べれば雲泥の差がありますよ」
聖は苦笑している。その時、バタバタと響いた。
「噂をすれば、来ましたよ」
あわてながら水城屋がこちらに来た。
「おーい、清子、お客様が着いたかぁ!?」
「まだですよ。本当にあわてん坊さんなんだから」
「おかしいなぁ。時間はそろそろなんだけど」
「多少ずれることもありますよ。ほら、居候さんがいるのに少しは落ち着いたらどうですか?」
「えっ?、ああ、いつからいたのです?」
どうやら、目の前にいるのに清子だけしか目に入らなかったらしい。
「先程からいたではありませんか?。本当に申し訳ありません」
「いえ、いいですよ。水城屋さんも少しは落ち着いた方がよろしいですよ」
「は、はぁ…」
しきりに頭を下げている。
「まあ、女将さんも大変でしょうが水城屋さんがあわてた性格をしているのは店が繁盛な印ですよ」
聖は水城屋の良い面を清子に伝えた。
 そして、その場を辞し、向川屋に戻ると知香はまだ戻っていないようであった。
「どこへ遊びに行ったのかしら…」
「知香が戻ってないんですよ」
「なるほど、それで吉郎さんがあわてているんですね」
「ええ、ものすごい心配性ですよ。でも、そろそろ8時ですし、いつもなら部屋にいる時間帯ですから」
「けれども、いずれ子離れは必要ですよ」
「ええ、それはよく存じております。私よりもむしろあの人が無理でしょうけれど」
「そろそろ、あの子にも小者だけではなく、少々、強い者も相手にしなければね」
「えっ?」
多恵はその言葉に顔をあげた。
「あの子は大丈夫ですよ。明日にもなれば戻ってきますよ。ただ、消防の準備はしておいた方がよろしいですよ」
聖は微笑してそう伝えた。

 知香はこのホテルの廃墟で火の精霊たちと戯れている。町で火を起こす行為はできなかったため、知香はこの廃墟のことを知り、そこで火の精霊と話をするのが日課になっている。話をするため、いつものように3階にある町が一望できるラウンジに出て精霊を呼び出した。しかし、精霊たちの様子がいつもと違った。知香はここに来るのは三日ぶりである。
「みんな、どうしたの?」
「何かいるよ。ここに」
「えっ?」
「何かいるよ」
精霊たちが騒がしかった。知香は落ち着いて、周りの気配を感じ取ると妙な気配があった。知香はまだ闇の力を正確に感じ取ることはできなかった。けれども、妙だと思う感じは浮かべることができたので知香はこれは怪しいと踏んで、
「火の精霊たちよ。我を守る鎧となれ」
詠唱により精霊は知香の体に絡みつき、炎の鎧と化した。
「さあて、出てらしゃい。この知香が相手をしてあげるわ」
叫んだが周りはし〜んとしている。誰もいない廃墟にいるとすれば妖魔しかいない。
 知香はラウンジから建物の中に入った。緑と化した建物の中に僅かばかりの光が照らしている。知香は緑の回廊と歩いて細かく調べて行った。コンクリートの地面を突き進むかのように太い枝が走って床がところどころ割れている。知香は枝に沿って歩いてみた。
 その枝の先は地下に続いていた。地下に続く階段は太い木の幹に囲まれ、中は暗闇と化してまったく見えなかった。普通の退魔師なら危険だと思い、警戒するところなのだが知香の場合、好奇心が前面に出てしまい警戒などまったくしなかった。
 知香は中に進んだ。上下左右、枝に囲まれた枝の回廊は知香を導くようにして奥へ奥へ伸びている。知香自身、地下には行ったことがなかった。
 そして、階段を下りると枝は左右に分かれ、その中心にはものすごく太い幹が土から盛り上がってそびえていた。知香は唖然とした。
 その時、侵入者を排除しようとするかのように知香めがけて無数の枝が触手のように伸びてきた。しかし、知香に届くまでもなく、火の精霊がことごとく退かせた。
「な、何なの?」
知香は突然の出来事に驚いていた。
「我の暮らしを邪魔するのは誰だぁ!?」
部屋に反響しながら、声が知香に向かって叫んだ。知香は返答できないでいる。
「我の暮らしを邪魔する奴は誰だぁ!?」知香は恐怖に駆られているようで返答できないでいた。それが声の主をいらつかせた。
 自らの触手である枝を使い、錆びた水道管を壁から千切って知香に攻撃をしかけた。鉄が相手では火の精霊も防御することができない。水道管は知香の体にもろに受けてしまい、知香は悶絶した。火の精霊が知香の恐怖を察知し、隠れてしまったのである。そうなれば、知香はただの人間に過ぎない。触手は知香の体に絡み、大の形で空中に浮かび上がらせ、
「我の邪魔をした者には死を与えてくれよう」
知香の体に絡んだ触手に力が籠もる。
「ぐぅっ」
知香が悶絶する。
(もうダメぇぇぇ!!!)
知香は心の中で叫んだ。その瞬間、

 ズズズズズズズズーーーーーーン
 ガラガラガラ、ドッシン!

 ものすごい音と共に天井が崩壊し、太い幹は石に押しつぶされていた。知香の絡んだ触手は力を緩め、知香は床に転がりせき込んでいる。その知香に、
「知香、知香、聞こえているか!、知香」
心の中から聖の声が響く。
「ひ、聖なの?」
「そうだ、知香、勇気を持て!、お前の目の前にいるのは自然の力を利用して自らの体内に吸収する植物系の妖魔だ。お前に属する精霊たちはお前の心と同体だ。お前が恐怖を感じれば彼らも恐怖となる。お前が勇気を持てば彼らも復活する」
「で、でも、私にはできない」
「知香!、火の精霊たちを失望させる気か!、お前を信じてくれる仲間じゃないのか!」
知香は黙っている。
「知香!、仲間だと思うなら彼らを呼べ!、それがお前の使命だろう!」
聖は知香に叫んでいる。知香は目の前の太い枝、いや、妖魔を見た。妖魔は崩れた岩石を持ち上げようとしている。グラリグラリと左右に何十トンもあろうかと思われる岩石が動いている。知香は心を決めた。その瞬間、勇気に沸き起こされて精霊たちが知香を囲んだ。
「知香、知香、大丈夫だよ。必ず勝てるよ」
「知香、さあ、僕たちを呼びだして」
「さあ、妖魔を倒そう」
知香を支える火の精霊たちが知香の心に呼びかける。その声に知香の力が大きくなった。
「火の精霊たちよ。火の塊と化し、魔に属する者に怒りを与えよ。火炎大砲(かえんたいほう)!」
詠唱を唱えると知香が胸に丸い形に合わせた両手の中から火の塊が飛び出し、太い幹に攻撃をしかけた。
「ぐわぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!、お、おのれぇ…」
太い幹のとごかに本体があるらしい。そう判断した知香は狭いここでは不利と思い、枝に囲まれた階段を駆け上がり1階にだとりついた。中庭に出てみると大きな穴が開き、周りには太い幹から伸びている枝や葉が木と化してうごめいていた。
 その時、知香に向かって爽やかな風が吹いた。
「まったく、世話が焼ける奴だな」
「本当にお前という奴は人の苦労を馬鹿にしていないか?」
背後から声が聞こえた。後ろを振り向くと吉郎と聖がいた。
「聖!、お父さん!」
知香は吉郎に飛びついた。
「まったく、お主の荒治療はこれまでにして欲しいものだ」
「まあ、これで自覚を持てればと思ったんですよ。さあて、敵はまだ生きていますよ」
地響きと共に中庭の木がこちらに向かって動いていた。
 知香は二人の顔を見た。そこには真剣ではあるものの、必ず、勝てるという意気が伝わってくるものであった。そこには知香を安心させるものが含まれていた。
「我に集う精霊たちよ。地を固める氷となれ。水覇地氷陣!」
吉郎は詠唱を唱え、壁を突き破ってきた妖魔の動きを氷で封じ込めた。
 続いて聖が詠唱を唱える。
「水の精霊たちよ。天にそびえる柱と化せ。水氷柱(すいひょうちゅう)!」
吉郎が敷いた氷から巨大な氷の柱が建物に同化しつつあった幹や枝、本体である木そのものを貫いた。
「ぐえええええぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」
完璧すぎる戦法である。
「さあ、知香、後はトドメを刺すが良い」
知香は精霊たちを呼び出した。知香の周りから氷が溶け始めている。
「火の精霊たちよ。爆発する力をもって、魔に属する者を消滅させよ。烈火爆炎陣(れっかばくえんじん)!」
詠唱を終えた瞬間、知香の体からすべての氣と共に爆発的な火炎が巻き起こった。まるで、ガスに火をプラスさせた大爆発で妖魔どころか、建物まで吹き飛ばす勢いで廃墟は完璧に崩壊させてしまった。
 大爆発の瞬間、聖は時空を開いて吉郎と知香を放り込み難を逃れた。

 町では凄い騒ぎになっていた。ドオオォォォーンという音が向川町だけでなく、都村町、杵島町、革志満(かしま)町にまで響き、深代山の山頂は真っ赤に染まったという。まるで噴火でもしたかのような勢いで住民は驚きを隠せないでいた。
 吉郎と聖、知香は時空を越えて向川の川沿いにいた。時空で少し時を戻したため、吉郎たちがここに現れた瞬間に爆発が起きたのである。
 知香は力を使い切り、ぐったりと疲れ切っていた。
「知香、大丈夫?」
「う、うん」
しかし、結構フラフラであったため、聖は光を発しながら右手を振りかざして知香の傷ついた体を包んだ。
「治聖回復術(ちせいかいふくじゅつ)!」
知香の傷は光によって癒され、すっかりきれいに治ってしまった。
「便利なものだ。お主のその力は」
吉郎は言う。
「お父さん、何か話し方が変だよ」
「知香、吉郎さんはねぇ、退魔師なんだよ。その自覚が備わっているからこそ話し方にも影響が出るんだよ」
「ふ〜ん」
「そのかわり、普段に戻ると心配性の宿屋の主人に戻っちゃうけどね」
知香と聖は笑った。
「それにしても、知香を敵には回したくはないな」
吉郎が言う。聖も頷き、
「知香、滅多に強力な術は使うなよ。周りを巻き込む恐れがあるし、お前の体力も使い切ってしまうから、あまり多用はしない方がいいと思うよ」
「うん、そうする」
「それと連携は大切にしろよ。共鳴というやつかな」
「その通りだ。仕事というものは単独でするものもあるが、一番、効率の良いのは仲間たちと共に行うことだ。そうすれば単独であっても、苦戦する敵であれば協力しあうことによってすんなりと終えることができる」
吉郎の言葉を引き継いで聖が話をした。
「まあ、当分、お主が引き受けてくれると有り難いが…」
「私は構いませんよ。面倒を見るのは好きですから」
「もう、子供じゃないよーだっ」
「そういう言い方を子供だと言っているんだ。はぁ…」
吉郎は退魔師から宿屋の主人に戻りつつあった。
「知香、元に戻っちゃったじゃないか」
「へへへへ」
知香は舌を出して戯けている。
「お父さんはその方がいいの」
知香は普通の父親の姿しか良いらしい。
 町は騒がしい。深代山にあるホテルの廃墟が燃えているためだ。聖は右手を振りかざして、
「水の精霊たちよ。天空より降り注ぐ雨となれ」
詠唱を終えるとポツポツと雨が降ってきた。すぐに詠唱を唱えなかったのは建物どころか、山にまで成分を吸い込んでいた妖魔を完全に消し去るためである。
「そろそろ、戻りますか」
そのうち、雨はどしゃぶりの雨となり、廃墟はあとかたもなく消え去った。

 翌朝、廃墟であるホテル炎上の原因はガス漏れということになったがなぜガス漏れになったのか、詳しい原因は結局分からなかった。聖は昼頃、深代山に行った。知香はいない。道は昨晩の雨の影響で崩れているところも多く見えた。
 途中、聖は気配を消した。誰かがいる気配を感じたからである。聖はホテルに近づいた。
 ホテルはその姿を失い、燃えかすしか残っていない。わずかにここだなというところは分かった。黒い煤が被ったコンクリートの階段が分かる程度だ。中庭の方へ向かうと相変わらず大きな穴がぽっかりと開いていた。
 すると、地響きが辺りに響いた。その瞬間、地面から土の龍、地龍が現れた。
「むっ」
聖は流石に身構えた。身構えると言っても自然体である。それが戦闘態勢なのだ。
 地龍を使える者は早々いるものではない。地下から人が現れる。聖の姿を見ると、
「御身はたしか…」
相手は驚いている。
「ここで何をしておられる。このような物騒なものを出して」
「ふん、まあ良い。あんたか?、俺の邪魔をしたのは」
「邪魔?、魔物を退治したに過ぎぬ」
「魔物だとぅ!」
「何だ?、違うのか。こっちは仲間が殺されそうになったんだぞ。それに気配は闇に染まっていた」
「そんなことはない。木々たちはここにゆっくりと腰を下ろしていただけだ」
相手は顔を赤くして睨み付けている。
「ならば、そこの妖口から妖気を吸い取ったのではないのか?」
確信はできる。
「もう一つ、こちらから言っておくことがある。お前、この木を使って何を企んでいた?。山の成分を吸い尽くすということはどうなるか分かっているのか?。その木が魔物ではないと思うのなら山の心を聞いてみろ」
相手の術師は苦笑している。
「聞いたさ。たしかにあんたの言うとおりだったよ。こいつは闇に染まっていた。俺はこの廃墟を見つけたとき木の種を埋めたいと思って、一粒の種をここの地下に撒いた。ただ、それだけだ」
「ならば、この下で何をしていたんだ?」
「こいつを探していたんだ。治の種だ。こいつがあれば妹の病も治る」
「なるほど、病を治すために木の種を植えたということか」
「まあ、そんなところだ」
地龍は暇そうに欠伸をしている。
「下の町に名医がいるのを知っているか?」
聖は相手に声を発した。
「名医?」
「ああ、どんな不治の病をも治してしまう名医のことだよ」
「それなら、聞いたことがあるが何かの宗教団体の宗祖じゃねえのか?」
「戯けが、そんなことを言うもんじゃないぞ」
「はははは、それは悪かった。本当に治せるのか?」
「診ただけで分かる」
「へえ、断言するんだなぁ。でも不安があるよ。どんな医者かと思うとね」
二人の間にはすでに敵対心はなかった。
「連れて来ているんだったら診てもらったらどうだ?」
「残念、家に寝かしてあるんでね」
「ほう、そんなに悪いのか?」
「ああ、ずっと寝たきりだよ。どこの医者に見せてもどいつもこいつもサジを投げやがった。で、あんたの言う名医ってのはどこにいるんだい?」
「目の前にいるじゃないか」
「あんたが?、ふざけたことは言ってねぇよな?」
「当たり前だ。聞きたいことがある。お前たちの周りで立て続けに誰か死ななかったか?」
「ああ、変死だ。犯人は分からない。魔物の気配じゃなかったから人間の仕業だろう」
「ならば、恨みでも買っているのか?」
「さあね。退魔師なら恨みも買うよ」
「退魔師を倒すぐらいの者かぁ、誰だろう?」
「さあ、捜す気にもなれねえ」
「どうして?」
「相手が退魔師ならそれなりの理由があってのことだろう。魔物にやられるよりはマシな方さ」
「そう思うなら何も言わないがお前の妹の病はその実でも治らないと思うぞ」
「なぜだ?」
「心の病だからだ。おそらくそのショックで立ち直れなくなったんだろう。兄であるお前が勇気づけてやれば徐々に立ち直ると思うよ」
「そ、そんなものなのか?」
相手は唖然としている。
「まあな、温かい気持ちをもって接してやればじきに治ると思うぞ。お前の妹は精霊と接することはしないのか?」
「精霊?、あいつも退魔師にさせろと?」
「違うよ。精霊たちと接していれば心の支えとなってくれると思うぞ」
「そんなものなのか?」
「そんなものだよ。お前だってこいつを従えているじゃないか」
「まあ、それはそうだけど」
「それに妬みもあると思うがねぇ」
「ね、妬み?」
男は素っ頓狂な声をあげた。
「お前はどう思うんだい?」
聖は欠伸ばっかりをしている地龍に呼びかけた。
「私もそう思うぞ。あの子には力がある。お前はあの子の心を押さえ込んでいるに過ぎない」
「うーん、やっぱりそうなのか…」
相手の男は黙ってしまった。聖が続ける。
「ここからはお前次第ということになる。まあ、がんばることだ。何かあったら向川屋という旅館にいるからいつでも来てくれ」
「ああ、悪かったな。今回のことは」
「いや、構わないよ。気にしていないからな」
「そうだ、一つ聞きたいことがあるんだけど」
「んっ?、何だ?」
「あんた、名前は名は?」
「名前かい?、陰陽道双魔木曾一族第八十世双魔王・双聖なり」
「ああ、やっぱりね。どこかで見たことがあると思ったよ。たしか、あんた東京で…」
聖は途中で制した。
「私も心を病んでいるんでね。悪いがそのことは忘れたいんだ」
一瞬のことであったが聖の表情は見た瞬間、男は恐怖を感じ、地龍でさえ動くことすらできなかったという。
「それ以外なら何でも協力するよ。じゃあな」
聖はゆっくりと廃墟を後にした。地龍を連れた男は呆然と立ちつくすばかりであった。

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