五、治癒

 聖は相変わらず忙しい日々を送っていた。吉郎に比べれば多少は暇な人間の部類に含まれるかもしれない。治療をしてもらおうと思う人々で聖の部屋に続く廊下は待合室状態に化していた。 しかし、騒ぐ人はいない。必ず、治癒できると信じている人々が多いからだ。
 この前の親子のように子供に取り憑いた原因も知らずに来る人々も多い。自分は悪くないとしながらもその一方で誰かを傷つけていることが多いからだ。
 けれども、今回、出会った親子にそれはなかった。大人しそうな親子である。
「どうしました?」
女性はゆっくりと口を開いた。聖は息子の方が患者と思っていたが、
「背中の出来物を治して欲しいのです」
患者は女性の方だった。女性の名前は千寿子、息子の方は勇輝というらしい。聖はこの言葉に何かを思いついたように、
「診ましょう。その様子だと原因は知っているようですね」
聖は男女の区別は分かっていた。知香に手伝わせて出来物のある背中を聖に向けさせた。
 出来物は背中一面にあり、その背中の出来物、膿は生きているようだった。聖は危険な状態を判断し、右手を振りかざし、
「しばし、我慢して下さい。すぐ終わります。五法邪封陣!」
五つの精霊の力を宿した最強の封印術が発動した。背中からは白い煙を発しながら、無数の膿が消えていく。知香は聖の能力を凄いものだと感心していた。
 勇輝は徐々に消えていく膿を見ながら母親のことを気にしていた。
「お母さんは治るの?」
術をかけながら、聖はにっこりと笑い、
「終わったよ。お母さんはもう大丈夫だ」
背中の膿は綺麗に消えていた。
「もう大丈夫ですよ。あなたの体からは闇は消え去りました」
「ありがとうこざいました」
知香に着るのを手伝ってもらった千寿子は聖に頭を下げた。
「原因を教えて下さい。これは自分で造れるような代物ではない。もらいましたね?」
母親は落ち着いたのか口を開いた。
「私は一時期、ある宗教にのめり込んでいました。その宗教は他の宗教と違って、膿により、あなたの体についた汚れを浄化するというものでした。私は主人を私の不注意から寝たきりにさせてしまいました。そんなことも引きずって、私はその宗祖の言われるがまま、入信し、小さな膿を体につけてもらいました。それ以来、膿は私の汚れを吐き続けましたが膿は徐々に大きくなり、体は痛みと膿で覆われてしまいました。医者に見せても気味悪がって、近づくことさえなかったのです」
千寿子はゆっくりと自分の体験談を話す。
「私は意を決して宗祖のところに行きました。しかし、宗祖はすでにいなくなっていたのです。大きな教会のような建物はまるで誰も住んでいなかったような雰囲気でした。私はどうすることもできず自殺も考えました。けれども、この子のことを考えるといてもたってもいられなくなったのです」
「ふむ、なるほど。で、その宗祖は名前とかは御存知ですか?」
「いいえ、顔だけしか見ていません」
「そうですか。少し、目を瞑っていて下さい」
「目を、ですか?」
「ええ、すぐに終わります」
聖は右手を千寿子の額に付けて、しばらく動かなかったが、
「分かりました。犯人が」
「えっ?」
「白い頭巾で顔を覆っている者ですね」
「は、はい。でも、なぜ、分かったのですか?」
「私はあなたの記憶を見たまでです」
「はぁ?」
千寿子は首を傾げていた。聖は優しく笑い、
「あなたにはやってもらわなければならないことが二、三あるのですが聞いてもらえますか?。これは宗祖に仕返しするためではありません。子供に対する償いです」
「償いですか?」
「ええ、でも、あなたは口から声を発するだけと、少々動いてもらうだけです」
千寿子は自分の息子である勇輝の方を向きながら、
「分かりました」
聖は千寿子に三つの条件を伝えた。その条件とは自分の不注意で不治の病としてしまった旦那さんをここに連れて来ること。自分と同じように膿で苦しんでいる人々にここに来るよう説くこと。子供のために不審な団体には入らないこと、の三つである。
「あなたがこれを行っている間に宗祖は任せておきなさい。必ずや、あなたからの償いは果たせます。それとこれは口外しないよう伝えておきます」
聖は静かに言った。
 聖はその直後から自らの仲間である精霊たちを放った。風は自然の動きに沿って、水は自然の流れに沿って、そして、天には二つの精霊の結果を尊重した上で行動に出るよう伝えた。
「私も何かできないかなぁ?」
知香もあの親子のことが気になるようだ。
「できるよ」
聖は右手を地面に付け、
「地に属す精霊よ。我が言を聞き入れるなら、ここに姿を見せよ」
すると、土の地面から光の珠が出てきた。
「知香、地の精霊に頼んでみるが良い」
「精霊さん、私にできることはあるでしょうか?」
知香は精霊に言った。精霊は力の周りに集まり、
「よかろう」
と、知香の心に囁いた。
「お主の精霊を放つが良い。活火山は地と火の交わる場所なり」
知香は火の精霊を放つと火の精霊は地の精霊と絡むようにして地面に消えていった。
「戻ってくるよね?」
「来るよ。彼らを信じることが大切だよ」
知香は少し不安のようだが、聖は、
「心配することはないって、大丈夫だから」
強気に言うと知香はゆっくりと頷いた。
 膿を治してもらった千寿子は行動を起こした。故郷に戻ると聖への治療を薦めた弟と会った。弟は直輝といい、勇輝の名付け親らしい。
「姉さん、治ったんだね。良かった良かった」
若々しい青年である直輝は説得は無駄ではなかったと思っていた。向川町の祓い師は本物だと聞いていたが姉の体が尋常ではないことを知った時、この祓い師のところに行くように薦めたのだった。
「夫も治してもらおうと思うの」
千寿子は聖から言われた三つの条件のことを直輝に話した。
「それは良い。ついでにあの訳の分からない頭巾野郎にやられたみんなも連れて行こう」
直輝は正義感に強いらしい。姉の要求を受け入れ、義兄のいる病院に行くと金目的で入院させたと思っている院長に、
「あんたの治療じゃ義兄さんは治らない。返してもらうぞ」
ほとんど、脅し文句で寝たきりの義兄を奪還すると説得に当たっていた母親であり、姉の膿の治癒を見た信者たちは意を決し共に行くことを決意した。
 その頃、大事な金蔓を奪われた院長は院長室で、
「大切な金蔓を奪われたとあってはあの方に申し訳がたたない。まだ、そんなに行ってはいないだろう。探し出せ」
院長は男たちに命じた。男たちが院長室から去るとくそっと椅子を蹴飛ばしていた 男たちは自分たちの部下を周辺に配置していて、すぐに直輝が運転する八人乗りのライトバンを発見して男たちに知らせた。男たちの執拗なライトバンの追跡が始まった。
「ちっ、あのいかれ爺の差し金か!」
バイクのA級ライセンスを持つ直輝は慣れないライトバンを駆使しながら、聖がいる向川町へ向かっていた。
 男たちはライトバンがどこに向かっているのかは知らなかった。しかし、このまま、追跡するだけというのも飽きていた。実は男たちは遊んでいたのだ。直輝を甘く見過ぎている感じもあった。
 そのために彼らと接点のない聖の存在など知る由もなかった。それに、これから起こる事態にも対処できなかった。
「動いたか」
聖は安座の態勢で念じて敵の動きを精霊たちに知らせた。精霊たちは動いた。追跡しているのを発見した風の精霊は真空の壁を竜巻の如く、車の前を塞いだ。突然のことに男たちの車の一台は川に転落した。 しかし、もう一台の車が執拗にライトバンを追うが、次は天の精霊が車の天井に落雷したため、車は火の車と化した。しかし、すぐに水の精霊が消火したのは言うまでもない。
 そのおかげで死んだ者はいなかった。突然の異常気象に唖然としていたという。
 背後で起きた爆音に直輝は驚いていた。その時、千寿子の心から声が響いた。
「大丈夫ですよ。ここまで守りますから」
その声は聖だった。千寿子はこの声に涙を流していたという。その表情に不審に思った直輝は、
「姉さん、どうしたの?」
「ううん、何もないのよ。ね、勇輝」
千寿子の足の上で座っている勇輝に言葉を語りかけた。
 無事に向川町に着いたライトバンは真っ直ぐ向川屋の聖の許へ向かった。聖の事情を聞いた吉郎は向川署の署長にさわりのない部分だけを話し、二つ返事で署長は引き受けた。署長と吉郎は幼なじみの関係ということもあり、ライトバンが駆け込んで来た時は平和呆けした警察官の顔が豹変したらしい。
 男たちの仲間は二台の車だけではなかったが聖が吉郎を通じて連中のことを正確に伝えたため、向川町に入ると同時に捕まったという。
 母親に会った聖は、
「これで償いはできますよ」
と、笑いながら伝えると、そばにいた弟に、
「君は勇気がある。早く治そうか」
聖は精霊たちが自然を満喫したのを知ると、
「さあて、始めるぞ」
聖は全員の治療にかかったのである。
 院長は奪還失敗の知らせにまた椅子を蹴飛ばした。
「くそったれがぁ、あの小僧、俺をなめやがって!」
真っ赤の顔をして言い放った。近くにいた秘書はすっかり怯えてしまっている。
「そんなに怒っていても仕方がないだろう?」
白い頭巾を被った人物が言った。院長はこの人物には逆らえない。
「も、申し訳ございません」
「まあ、良い。今回は獲物は諦めることにした」
院長はほっとした様子を見せたが白い頭巾の人物は、
「と、思っていたのだが、御身に少し働いてもらうことに決めた」
白い頭巾の人物は右手を前に出すと、
「怨!」
と、叫んだ。すると、院長の目前に鬼が現れた。鬼は院長の腹へとズブズブと入り込んだ。
「きゃあ!」
秘書は悲鳴を挙げ、その場に腰を抜かした。
 鬼に侵入された院長は体が赤茶色に変色し、牙が生え、目は大きく出て、顔は醜く変化した。足や手は一回り大きくなっている。
「さあ、行くが良い。お前の手で葬って来い」
鬼と化した院長はガラス窓を割り、外へ飛び出したのである。
 その鬼を見た看護婦は驚いて、院長室に駆け込んだ時は白い頭巾の人物と秘書の姿はどこにもなかったのである。
 その日の夜、向川屋は梅雨祭り以来というぐらいの熱気でいっぱいだった。治療を終えた人たちがここに泊まってくれたのである。吉郎は聖に感謝の言葉を言い、男たちの状況を伝えた。
「あの連中は雇われただけだったようです。何でも越谷寺市の越谷病院というところの院長に依頼されたらしい」
「その他には?」
「妙な人間が出入りしていたのを見たとも」
「もしかして、白い頭巾の男では?」
「ええ、その通りです。やはり、あの膿の持ち主ですか?」
「だろうね」
「このままでは終わるとは思えないですね」
「いや、もうこちらに向かっている可能性があります。警戒だけはして下さい」
「分かりました」
吉郎はいそいそと部屋から出た。
 聖も立ち上がり、知香のところに向かった。知香の部屋は住居部分の二階の奥にある。
「知香、いるかぁ?」
「いるよぉ〜」
襖を開くと普通の女の子の部屋と何ら変わりはない。壁には男性アーティストのポスターが貼られ、和室には不似合いなベットが置かれている。
「な〜んか、もったいないことしてない?」
「何が?」
知香はお菓子を食べながらテレビを見ていた。
「ところで何か用なの?」
「うん、そろそろ忙しくなるから手伝ってもらおうと思ってね」
「手伝う?、何を?」
「本業の方を」
「えーーーっ!」
嫌そうな声が部屋に響いた。
「経験も必要だっていうでしょっ、ね」
「そんなぁ…」
知香は本当に嫌そうだが、
「何、お客さんを守ってくれれば良いから」
「本当にそれだけなの?」
不安そうである。
「ああ、鬼は吉郎さんと俺が迎え撃つ」
「えっ?、鬼?」
「そう、膿使いが放った鬼」
知香は悩む素振りを見せた。
「まあ、家を守っていてくれたら、それで別にいいから」
聖はおどけた。しかし、次の瞬間、二人の顔は真顔に戻った。
「ウオオオオオォォォォォォォーーー!!!!!」
雄叫びである。雄叫びが町に広がった。
「来たか、予想より早い。知香は迷っている暇はなさそうだ。多恵さんとお客さんを頼む」
聖は知香の部屋の襖を閉めると鬼の気配を感じながら、迎え撃つことにした。
 知香は母である多恵に事情を説明してから退魔師としての準備にかかった。別に衣装なんてものはない。結界も聖がすでに敷いてあるから守備に関しては文句を言うつもりはなかった。けれども緊張はしていた。
 吉郎は雄叫びを聞いた頃にはすでに行動に移しており、こちらも鬼の気配を追っていた。
 知香は家の周りに風の強い力を感じていたが、少し不安に思えてきていた。
「よしっ!」
一言、意気づくと、
「我に集う精霊たちよ。火の加護の許に、我らを守りたまえ。反烈陣(はんれつじん)」
詠唱を終えると精霊たちは聖の敷いた結界の内側に火の結界を敷いた。
「風と火の精霊たちよ。喧嘩しないようにね」
知香は精霊たちの仲違いを封じた。
「さてと、来るならどこからでも来なさいっ!」
意気込む知香の背後で声がした。
「なあ、おっぱいの小さい女の子に聞きたいんだけどね」
振り向くと直輝が立っていた。面識はあるが客と経営者の娘としか思われていない。
「だ、誰がおっぱいが小さいですって!」
知香はぷく〜とふくれる。
「ははは、悪い悪い。君もあの人の仲間なのかい?」
「そうよ」
「大丈夫なのかねぇ…」
「大丈夫に決まっているでしょ」
直輝は突然、真剣な顔になった。
「俺にも手伝えることはないかな?、このまま何もしないわけにはいかないしね」
「手伝う?、危険過ぎるわ」
知香は聖から無関係な人間はもちろんのこと、我ら退魔師以外の人物を巻き込むことは許さないと厳命されていたから、
「ダメよ。戦いに巻き込みたくはないのよ」
直輝は首を傾げながら、
「もう、巻き込まれているよ。でも、何かできることはないか?、何でもするから」
知香に迫らん勢いだった。そこへ、多恵が助け船を出した。
「ありますよ」
直輝は多恵の方を振り向いた。
「何をすれば良い」
「二つしてもらいたいことがあります。一つはここにいるあなたのお連れ様の心を落ち着かせること、もう一つは万が一、私たちの囲みが突破された場合、あなたがお連れ様を守ること」
「ああ、それで良い」
直輝は意気込んで部屋に戻った。
「お母さん、本当にいいの?」
「知香、二人を信じることです。あの二人であれば鬼はここまで来ることはないでしょう。来るとすれは小者の鬼たちだけです」
多恵は自信満々で知香に言った。その信じるという気持ちが自信という言葉になってかえってくるかもしれなかった。
 杵島町との町境にある杵島神社、小さな拝殿と小さな鳥居がそれを示していた。山の麓にあるため、昼間でも人気は少ない。吉郎は先に到達していた。街道筋からここまで十分程度しかかかっていなかった。鬼の気配はかなり強い。周りは暗闇に覆われている。月の光も入ってこない。吉郎は確信した。
「来るが良い。鬼ども。水の加護を受けし、我が相手となろう」
叫ぶ声が神社に響く。さらに気配が強くなる。ここにいることは余地なしと考えた。
 ザッ、ザッ、ザッ、ザッ…。
砂利に含む足音が吉郎に聞こえる。それは一つではなかった。無数にあった。
 吉郎は身構えた。うっすらと光が暗闇の中から窺える。それは松明であった。炎を翳した松明が暗闇から無数に現れた。松明の光は赤茶けた体を映し出した。
「たった一人で何ができる」
小者の鬼たちの中にひときわ目立つ鬼が現れた。言葉が話せるということは闇の力を持つ元人間か、理性の持つ鬼ということになるだろうか。しかし、聖から鬼の正体を聞かされていた吉郎は、
「自らの欲望で魔に堕ちた者よ。何を求めているか?」
「ククク、お前には我の楽しみなど分かるまいて。さあ、掛かるが良い。獲物は目の前におるぞ」
小者の鬼たちが周りを囲み、間合いを狭めていく。吉郎は心の中で詠唱を読んだ。
「我に集う精霊たちよ。大いなる津波となりて、魔に属す者を消し去れ。水破爆高陣(すいはばこうじん)!」
吉郎の周辺から水の壁が湧き出て周りを囲む鬼たちに覆い被さった。その直後、水中で精霊の力により、爆発的な音が辺り一面で響いた。囲んでいた鬼たちの大半はこの爆発で消し去った。津波は動きを封じるだけである。
「ククク、なかなかやるではないか。人間にもこれだけの力があるとはな」
「何を!。うっ!?」
鬼の囲みは解けていなかった。倒された分だけ新たな鬼が復活していたのである。これでは切りがなかった。
「くそっ!」
吉郎は再び詠唱した。ひざまつくような形で、
「我が精霊たちよ。地を固める氷となれ。水覇地氷陣(すいはちひょうじん)!」
と、言い放った。すると、地面が吉郎を中心にして四方八方に氷が敷かれた。 小者の鬼は氷で固められたが鬼と化した院長は小者の鬼を盾にして、氷の勢いを防いで小さな社の屋根に移っていた。屋根には鬼たちが溢れ出ていた。
「な、何だと!?」
吉郎は驚いていた。攻撃しても通じないのである。こんな相手は初めてであった。
「ククク、流石は水の退魔師よ。されぞ、それだけでは我には勝てぬぞ。さあ、行くが良い。鬼どもよ」
一斉に鬼たちが吉郎めがけて攻撃をしかけた。しかし、鬼たちの攻撃は吉郎には届かなかった。あらかじめ、吉郎は周りに水の結界を敷いていたため、鬼たちは浄化の水により消されていった。
「ほう、これはこれは。なかなかのものだが守りきれるかな」
院長は自分の体から黒いのものを吐き出した。それは水の結界に近づくと黒く変色させていく。
「こ、これはまさか腐水術(ふすいじゅつ)!?」
「そうよ、お前たちの使う水の術は把握しておるわ。ククク」
院長は結界が解かれた吉郎へ攻撃をしかけるよう命じた。吉郎はその瞬間の隙を突いて後方に退がった。その瞬間、神社は霧に覆われた。
「ククク、霧か。これも水だったな。まあ良い。皆の者、町までもうすぐぞ!」
鬼たちの進軍は続く。しかし、これはただの霧ではなかったのである。
 聖は杵島神社の西側の森の中にいた。吉郎を救い出したのである。
「吉郎さん、遅くなって申し訳なかった」
聖は頭を下げた。
「いやいや、お主のおかげで命拾いしたわい」
「さあて、鬼どもよ。この霧を抜けられるかな」
聖は微笑していた。
 院長は迷っていた。行けども行けども、神社に戻っていた。
「くそぉ!、どうなっているんだ!」
すでに先程の余裕は失っていた。周りを見渡しても白い霧が暗闇に混じって覆っていた。味方である筈の小者の鬼の姿は見えなかった。
「そろそろ、終わりにしないか?、欲の亡者よ」
神社に声が響く。
「誰だぁ!、姿を見せろぉ!!!」
「誰とはご挨拶だな。御身から患者を奪った者よ」
声の主は姿を見せないが声だけが響く。
「誰だぁ!」
「お前には苦痛を与えてやろう」
姿は見えない。
「ど、どこだ。どこにいる!」
院長は歩き回るが相手を見つけることはできなかった。息はあえでいた。
「す、姿を、見せろぉ!!!」
声は掠れている。院長は倒れた。
「先程の強気はどうした?。格好だけの鬼だな」
「な、何をぉ」
「これまで罪もない人々を苦しめてきた愚か者めが我らを愚弄した罪を償うが良い」
聖は霧に覆われている院長に容赦ない攻撃を与えた。
「五法封滅陣(ごほうふうめつじん)!」
院長は五つの精霊の光に飲み込まれて消え去ってしまった。
 五法封滅陣とは妖気だけを封じる五法邪封陣とは対照的でこの術は魂をも完全に滅ぼしてしまう術である。聖はこの術を使うことは滅多になかった。
 院長が消滅すると霧はゆっくりと晴れ、小者の鬼たちの姿もすっかり消えていた。邪な力は消え去っていたのである。
「結局、何もなかったね」
知香と多恵は顔を見合わせていた。
「だから、言ったでしょう。二人を信じなさいって」
「でも、少しは暴れたかったなぁ」
知香はため息を吐いていた。
 聖と吉郎が院長を封じたおかげもあるのだろうが知香は活躍する機会は生まれなかった。完全に力を使い切った吉郎は寝込むようにして布団に飛び込み、聖は町の一通り、見回りを終えて戻ってきたところだった。
「知香、これ、お前が敷いたのか?」
「うん、そうだよ。万が一ということがあっては申し訳ないでしょ」
聖は微笑し、
「うん、なかなかのものだ。活躍も良いが地味に動くのも良いものだろ」
「う〜ん」
知香は少し考えてから、
「私は良くても、精霊たちは認めないと思うよ」
もっともらしいことを言った。精霊は店の上で活発に動いていた。「それもそうだな」聖は微笑した。聖は千寿子たちのところに行った。
 千寿子は勇輝と直輝、それに数人の住民たちと共にいた。
「あっ、これはこれは」
聖はにっこりと笑い、
「終わりましたよ」
「ありがとうございました」
「ただ、倒したのは院長の方だけです」
「では、宗祖と名乗った男はどこへ行ったのでしょう」
「今、町を見回って来ましたが異常はありませんでした。おそらく、彼の者、闇の者だと思うのですが」
「つまり、どういうことなのでしょうか?」
「妖怪ではないかと思うのです」
「妖怪?」
千寿子は消えそうな声で言った。さらに泣きそうな表情で、
「もう、あの人とは会いたくないのです。会えば私たちは地獄に引きずりこまれてしまいます。どうか、何とかして下さい」
聖は苦笑しながら、
「それには直輝だけではなく、あなたたちにも勇気が必要です」
「勇気?」
「そうです。あなたが今、ここにいるのは勇気のおかげだと私は思っています。勇気を持って、善悪の宗教に対して、その判別できる心をもってすれば彼の者は倒せるでしょう」
直輝だけが頷いていた。しかし、他の者はザワザワとしていた。直輝が叫ぶ。
「騙されたっていうのに、まだ、そんな躊躇しているのか!、あんたらはここに来るまで何を考えていたんだ!。せっかく、あの金しか考えていなかった院長を退治してくれたのに木曾さんに悪いとは思わないのか!。挙げ句の果てにはまだ奴らのことを心に留めているのか!」
直輝の怒りに一人の住民が反論する。
「別にわしらは頼んだ覚えはないし、泊まるのもあんたが強要しただけじゃろ。わしらは迷惑しているんじゃ。さっさと帰してはくれないか」
直輝の怒りに火をつけることを言い放った。しかし、直輝は冷静さを取り戻し、
「あんたらが何をされたのか思いつかないとでも言うのか?」
「それは覚えている。じゃが、治療などされなくても膿は消えていたかもしれなかったかもしれん」
「ちっ、他の者はどうなんだ?」
結局、直輝は住人を説得することはできなかった。老人たちの寂しさを考えれば住人たちの反論は最もなのだが、やはり信じる心を覆すには時間がかかると思った。
 聖は直輝の説得が失敗した直後、千寿子たちを除く、住人の記憶を消した。これも余程のことがなくてはしないのである。できるがやらないといっても過言ではないだろう。
 そして、時空の術を使って時の扉を開いて故郷に帰してやった。
「あのぉ、何が起こったのですか?」
「住民たちを望み通りに家に帰してあげたのです」
「えっ?」
千寿子は驚いていた。
「無事に家に着いていますよ。それに自分に起きたことは忘れている筈です」
「あ、あの、あの話でお怒りになられたのでしょうか?」
「半々ですね。理解が得られなかったのは残念です」
千寿子は黙っている。
「もう一つ、あなたにも伝えておくことがあります」
「何でしょうか?」
「白い頭巾の男は死にましたよ」
「えっ?」
「直輝は知っていましたがね。彼だけに教えておいて住民たちの心の説得を試みたつもりだったのですがダメでしたね」
聖は一息ついた。
「姉さん、もう一度、やり直そうよ。義兄さんの傷も治ったんだし」
千寿子は悩んでいる。自分の周りで勝手に事が過ぎている感じがしていたのだった。千寿子は、
「しばらく、時間を下さい。今、起きたことはまだ信じられません」
「そうでしょうが現実を見ていって下さい。あなたには彼らにはないものがある。それは何か分かりますか?」
「何でしょうか?」
「それが分かれば、あなたはきっと他人に騙されるような人にはならないと思います」
聖は元気づけるようにして、千寿子に伝えた。
 千寿子たちはもう一泊して故郷へと帰って行った。別れ際に千寿子は明るい表情で、
「私には夫や勇輝、それに直輝という支えがあることが分かりました。私は自分で自分の殻に閉じこもっていたような気がします。これからは協力しあっていこうと思います」
聖は優しく笑い、
「がんばって下さい」
と、伝えた。
 向川屋はいつもの日々に戻りつつあった。聖は吉郎の部屋を訪れた。聖が滅多に吉郎の部屋に行くことはなかった。
「吉郎さん、よろしいですか?」
「ええ、構いませんよ」
吉郎はもうすっかりと疲れを落としていた。
「吉郎さんに仕事をして戴きたいのです」
「木曾さんが私にですか?」
「この件、まだ解決はしておりません。最後の処理をして戴きたいのです。あの場で果たせなかったことをやって欲しいのです」
「それは何でしょうか?」
「その前に、私がなぜ神社に遅れたかを説明しなければなりません」
聖は吉郎に説明を始めた。

 吉郎が杵島神社に向かっていた頃、聖は違う場所にいた。それは妖口と呼ばれるこの世界と冥界を結ぶ入り口のことである。聖はそこにいたのである。聖はここに来た頃、双魔特有の氣熱網(きねつもう)という術を使い、洞窟の入り口を封じたのである。
 この術は自らの氣に熱を加えて、さらにそれで網を作るという術である。敵を封じる力はないが触った部分が燃え上がるという術である。それを施していたのである。
 聖はそこである人物を待っていた。地面に滑るように闇に紛れてやってきた。
「待っていたぞ」
「誰だ?」
暗闇から声が響く。聖は苦笑しながら氣を爆発させた。巨大な竜巻が聖の前で吹きあがる。
「これでも、知らぬとは言わさぬぞ」
「くっ、こんな田舎にいたとは」
月の光で白い頭巾が浮かぶ。
「悪いがここは封鎖させてもらった。お前が帰る場所はここだ」
聖は壺を示した。白い頭巾の男は後ずさる。聖は地面を足で叩いた瞬間、
「五法の陣!」
五つの精霊の力により、白い頭巾の男の動きを封じる。
「くっ!」
「おっと、風が騒がしくなってきたな。明日、また来てやるよ」
聖は杵島神社へと向かったのである。

 吉郎と聖は妖口にいた。光に動きを封じられた白い頭巾の男の周りには鬼たちが囲いを作っていた。
「往生際が悪いんじゃ〜ないのか?」
聖は苦笑している。
「私が鬼を引き受けよう。吉郎さんは彼奴を頼む」
聖は鬼たちの前に出た。鬼たちは聖に引き寄せられるように白い頭巾の男から離れる。吉郎が近づいた。
「御身が張本人か?」
「誰だ?」
「死する者に名乗る必要はない」
吉郎は詠唱を唱えた。右手を振りかざすと、
「我に集う精霊たちよ。最強の力をここに示せ!」
水が上昇し、水龍の形となった。
「さらばだ」
水龍が吐き出した浄化液により動くことさえ許されなかった白い頭巾の男は瞬く間に消滅してしまった。吉郎は少し残酷な気もしたが弱者を苦しめたことを思えばやむなしと判断した。吉郎は聖の方を見た。その瞬間、吉郎は聖の凄さを見た。
「最強の力を誇る天の精霊よ、熱き心を秘める火の精霊よ。今こそ、自然界の力を闇の者どもに示せ!。烈火天龍鳳翼翔(れっかてんりゅうほうよくしょう)!」
詠唱を終えると天と火の精霊が交じり合い、炎の体に雷電の翼を持った大きな龍が無数の鬼たちを瞬く間に消し去ったのである。
「凄い力だな」
「吉郎さん、例え、精霊の力が一つであっても融合させることによって、自然界の力が最大限出せるということです。私はそれをあなたや知香に教えてあげたいのです」
「うむ、確かに」
吉郎も納得したようである。
 二人はゆっくりと町に戻ったのである。

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