四、梅雨祭り

 向川町の象徴といえば町を縦断する向川である。水源は本閣山(深代山から遙か南)から流れているという。その向川町で梅雨祭りというのが開かれる。本来なら夏祭りなんだ
ろうがこの水と緑に囲まれた町にはそぐわないらしい。
 梅雨祭りは三日に渡って行われ、向川沿いの町村が参加して行われるもので各町の地区から集まって、御輿をいち早く水源がある本閣山の麓にある本閣神社に到着した方が今年は豊作になると言われている。スタートは革志満町らしい。向川町の天敵でもあった。
 梅雨祭りのために観光客は多い。向川屋も大繁盛で吉郎を始め、従業員は忙しく働いている中、聖もまた観光客のために働いていた。助手は知香にさせていたのは言うまでもない。その客の中で深刻な顔をした女性が来た。
「どうしました?」
「実は息子の右腕が動かないのです」
「動かない?、それは事故か何かで?」
「いいえ、突然、起こったのです」
「で、息子さんはここに?」
「ええ、連れてきています」
「では、診ましょう」
男の子は知香に連れられ、中に入ってきた。聖の前に座ると聖は見ただけで、
「ふむ、これは何かに取り憑かれていますね。君はいたずら好きかい?」
男の子は黙っているが母親の方が頷いた。
「そのいたずらがこの結果を生んでしまったんでしょう。もう一つ、聞きますが君は花を折る癖を持っているよね?」
またしても男の子は黙っているが母親が代弁する。
「その通りです。畑にあった花を全部、むしり取ってしまったんです」
「原因はあるんですか?」
「さあ、分かりかねます」
「それはですね、この子の不満が花に向いているからですよ」
「不満?」
「ええ、ストレスというやつですね。この子の気持ちで言うならば自分がストレスで苦しんでいるのに花はこんなに華やかに咲いている。僕の心を覗いて喜んでいるんだ。許せない、僕を馬鹿にするやつは許せない、という具合ですね。そのために罪もない花たちはこの子に怒りを向けたんだと思います」
「つまり、この子のストレスが招いた結果だと?」
「それだけではないと思いますがそれはそれで親の目から見て原因が分かるようならば、それを無くしてやって下さい。花たちはこの子が花を折るのをやめれば自然として治りますよ」
「そうですか…」
母親は聖でも治らないと知ると、かなり落胆したようだったが聖はさらに聞く。
「ねぇ、ちょっと、体の方も見たいから上半身裸になってくれる?」
聖はなるべく優しい言葉で問いかけた。男の子は動かない。母親が無理に脱がそうとするのを聖は制した。
「この子がここまで固辞するのはやはりあなたの性格にあるようですね」
「えっ?」
「この子が嫌がっているのに無理に脱がせようとする。先程もそうです、この子は固く口を閉ざしているのにあなたはそれを本人の断りもなしに代弁した。他人から見ればそれは普通かも知れませんが、本人からすれば余計なことと思うはずです。
 あなたはこの子をやっかいに思っていませんか?。言い換えればあなたは自分が懸命に育てていた花をこの子が荒らしてしまった。怒るのは当たり前ですがあなたは違った。怒りが憎しみに変わった。そして、花に代わって息子を殴っているのだという解釈をするようになった。そうすればこの子は自然として母親に対して、心を閉ざし、余計に母親を困らせてやろうとした筈です。つまり、この子が自分のストレスを花に向けるようにあなたもまた、この子に自分のストレスを向けていた訳です。心当たりがありませんか?」
母親は怒っているのか、悲しんでいるのか分からない表情を見せた。聖はそれを無視して、男の子の手を取り、目を瞑り念じた。
「この子につきまとう花の妖精たちよ。我は風を統べる者、我が言、聞き入れるならば姿を見せられよ」
そう念じるとすうっと妖精が姿を現した。聖や知香はもちろんのこと、花を愛する母親もまたそれを見ていた。目は見開いているといっても過言ではないだろう。「君はこのことを理解して両方に反省を促したのかい?」
「そう」
「結局、違う方向に行ったみたいだね」
「ええ」
「君はこの二人が仲直りをしたらこの腕を解放するかい?」
「もちろん」
聖は母親に顔を向け、
「花を愛するあなたならこの言葉は聞こえているでしょう。あなたの行為が激しくなるにつれて、妖精は悲しい思いをした筈だ。ここで仲直りをするなら二人を許すと言っています。ここからはお二人の問題です」
「い、嫌です。仲直りなんてしません!」
母親は頑として聞こうとしない。
「そうですか、しかし、この子が謝罪すれば妖精はあなたに取り憑きますよ」
「な、何をふざけたことを言うのです!」
母親は顔を赤くしている。聖は男の子の顔を見て、
「君が母親に不満を持っているのはよく分かった。けれども、いつまでもそんなことをしていればいつまで経っても、この腕もこのままだし。母親の怒りは無実であっても、君を悪者扱いにしてしまう。そこでどうかな?、妖精さんが泣いている。謝ってはくれないだろうか?」
「見えないもん、僕にはどこに妖精さんがいるのか見えないもん」
男の子は初めて声を発した。
「そうかい?、じゃあ、自分の腕をじっと見つめてごらん。そうすれば妖精さんは見ることができるよ」
男の子はじっと腕を見つめていた。その様子に心を動かされたのか妖精が光を発した。
「腕が光ってる」
「そう、これが妖精さんなんだ。さあ心を開いて謝ればきっと許してくれるよ」
男の子はじっと光る腕を見守っていたが、ようやく口を開いた。
「ごめんなさい」
呟くような声だったが、
「この子にはこれが精一杯なんだと思うが、どうだろう?、この子の腕を解放してはくれないだろうか」
聖は懇願するように言った。すると、
「分かりました。時が必要ですね、この子には」
そう言うと腕から光が離れ、男の子の前で止まった。
「動かしてごらん、もう大丈夫だから」
男の子は自分の腕が動くことを知ると、
「妖精さん、ごめんなさい」
もう一度、謝った。今度は声は普通だった。妖精は、
「次は完全に心を開いてくれました。良かったです。しかし…」
聖は母親の方を見た。母親は唖然としている。
「さあ、次はあなたです。この子は心を開いて謝罪しました。妖精もこれを受け入れてくれました」
母親は無言の威嚇をしている。子供に対する憎しみが大きいらしい。
「この子に対する憎悪の心は大きいらしい。それを指摘された我々に対してもね。妖精よ、この子を守ってやってはくれないだろうか。君は地の妖精に属する。どうであろうか、私はここを離れる訳にはいかないが、君なら守ってやることができる」
母親はすでに子供に対する憎悪に満ちたまま部屋を出ていた。
「もし、必要とするなら、この子が母親の本当の嘆きを救うこともあるだろう。どうであろうか?」
妖精は困っていたが聖は男の子に、
「君は妖精さんが好きかい?」
「うん!」
純朴な男の子のようである。
「どうだろうか?」
「分かりました。母親が改心するまでの間、この子を守りましょう」
その言葉は妖精から精霊へと生まれ変わる合図である。
 妖精は神に従う者で土着の精霊とは違う要素を秘めている。しかし、比較的にはあまり変わらない。また、闇の力も秘めているけれども、それは相手を惑わす程度のものであり、精霊に変わるということは地の力が増し、闇の力がなくなることを意味していた。
「すまんな」
聖は微笑した。
「良かったな、妖精さんは君を守ってくれるそうだ。話したいときにいつでも出てきてくれるから、良い友達になるんだよ」
「うん!」
男の子はこの後、母親と仲直りしたかは分からなかった。
 聖はこの日の治療を終えた。
「今日は大変だったね」
知香が労をねぎらう。
「まあな、あの二人がどうなるかはこれからの問題だな」
聖はああ、疲れたとぼやきながら言った。

 梅雨祭り前日、町は一年分の賑わいを取り戻す。そんなどこに行っても忙しい日々の中、各地から集まった人々が街道に沿って店を開く。それは華やかなもので聖も人々の商売に対する熱気が伝わってくるのである。
 聖が水城屋という旅館の前を通りかかった時、水城屋の主人に声をかけられた。
「あっ、向川の居候さん!」
聖は居候で名前が通っていた。
「どうしました?、そんなにあわてて」
聖は旅館を営むほとんどの人たちと顔見知りである。それは個人としてである。
「お客さんの一人が急に苦しみだして」
「分かりました。診ましょう」
聖は水城屋の中に入った。
 水城屋はこの町で創業歴は浅く、聖がここに来てすぐに旅館を開業したのである。
 水城屋の主人・水城平太はこの町の出身でもともとは都会で会社員をしていたがそれも性に合わないと思い、こちらに戻ってきたのだった。
 聖がお客の女性の部屋を訪れた。確かに女性は腹を押さえながら苦しんでいた。
「もう、大丈夫ですよ。先生が来られたから」
「ううっ…」
声にならないらしい。聖は腹を見た。すると、
「妊娠はしていませんね」
女性は頷く。
「ならば話が早い」
右手を振りかざして、
「五法邪封陣!」
女性は光に包まれた後、落ち着きを取り戻した。聖は見守っていた水城屋を見て、
「終わりましたよ」
「えっ!?、ええっ?」
一瞬で終わった治療に水城屋が仰天している。
「何か敷く物を用意して下さい。少し横にさせた方が良い」
「あっ、はい」
水城屋はばたばたと布団を押入から出し、女性を寝かせた。
「私の声が聞こえていますね」
「は、はい。どうも、すみません」
「あなたは昨日、何を口にしました?」
「ええ、えーと、ここで御飯を食べた時と、それと干菓子の店でお菓子をつまみました」
「どこの店です」
「名前は知りませんが、涼しげな店でしたよ」
「そうですか、しかし、発見が早くて良かったですよ」
水城屋が口を挟む。
「そ、それは露店の店ですか?」
「ええ、そうです」
聖が言う。
「旦那、ここは問題ないですよ。暗き力は見つかりませんから」
「は、はあ…」
水城屋は突然の問題におどおどしている様子だった。
「あなたの腹を苦しめていたのは小者の魔物です。人間の腹を裂いて飛び出してくるというとんでもない小者ですが、間に合って本当に良かったですよ」
聖はにっこりと笑い、水城屋の妻・清子に会った。向川屋の女将・多恵とは親友である。
「どうも、すみませんでした」
「いえいえ、あれは普通の医者では治せませんよ」
「話を聞いていましたけれどそんな悪いことをする人なんているのでしょうか?」
「人間に対して恨みを抱いている者ならね」
「へっ?」
「ところで水城屋の旦那の性格、もう少し直した方がよろしいですよ」
「居候さんでも治せませんか?」
「それは無理です。本人だけしか治せませんよ」
聖は水城屋を辞し、その足で露店に店を出す許可を出している旅館協会に出向いた。
 この向川町で露店の出店許可を出しているのは三つ、役場と警察と旅館協会である。
 吉郎が今、旅館協会にいることを知ったからである。吉郎はここの会長を務め、少なくなった旅館の有力者である。
「おお、木曾さん、どうしたのですか?。こんなところに」
「少し話がありまして」
聖は手短に先程のことを伝えた。
「何ですって!?。そのような露店が出ているのですか?」
「ええ、しかし、場所を転々としいるようです。それに普通の人間では見ることはできないから悪どいのです」
「なるほど、手分けして探すこともできませんね」
「ええ、一応、私も精霊を放っていますから、まもなく分かる筈ですよ」
「そうですか、しかし、犠牲者が出るかもしれませんね」
吉郎は突然の深刻な問題に頭を抱えていた。

 その日の夜、聖は露店街を歩いた。深夜となると流石にすでに静まり返っていた。聖が放っていた精霊たちはこの界隈の一角で見つけたものの取り逃がしてしまったという。
 街灯だけが灯る街道筋は舗装こそされているものの、人口減少に伴い、多くの店舗が失われつつある。夜にもなると所々に点在する旅館の灯りだけが目立つように輝いていた。聖は唯一、灯りが灯っている店に入った。
「ごめんよぉ〜」
聖はガラス戸を開くと老婆が座っていた。
「こんな夜更けに何の御用かね?」
「ばあちゃん、また悪さをしたね?」
「悪さ?、どんな悪さかね」
「干菓子を人間にあげただろう?」
「流石に耳が早いねぇ」
「宿屋の亭主が飛び込んで来たんだよ」
「ほうほう、するとあの風もお前さんかえ」
「ああ、尻尾も掴めなかったらしい」
「まだまだだね」
老婆は微笑したが聖も微笑した。
「けれどね、欲を持っていなければあれは幸福を与える代物だよ」
「ばあちゃん、人間は誰でも欲を捨てきれないんだよ」
「ケケケケケ、まだまだ若いねぇ」
「三百年も生きてるばあちゃんには負けるよ」
「まだまだ、生きるぞえ」
「そうかい、ばあちゃんももうちっと見分けぐらい分からないのかい?」
「私はいたずらが好きじゃからのぉ」
「退治なんかされたらダメだよ」
「そんな馬鹿な術師はいるんかえ」
「さあね、俺はばあちゃんの味方だから安心したら良いよ。けれども加減をしてよ」
「へえへえ、お前さんは私の孫みたいなものだからねぇ」
「ばあちゃんの祭り好きには負けるよ」
「お前さんはここに住んでいるのかえ」
「まあね」
「そうしたら、たまに遊びに来ようかねぇ」
「そういうことなら歓迎するよ」
「ケケケケケ、嬉しいねぇ」
「ばあちゃん、木曾の祭りには行ったかい?」
「いいや、あそこは結界があって入れなんだ」
「そうか、俺がいたら入れてあげたのになぁ」
「お前さんだけだよ。私に関わってくれるのは」
「嬉しいかい?」
「嬉しいねぇ」
「活気はこれからだからゆっくりしていきなよ。そのかわり、あんまり悪さをしたらダメだよ」
「ケケケケケ、解っとる、解っとる」
老婆は聖に頷き返した。
「んじゃ、また来るよ」
聖は老婆の店から出た。
 老婆は妖魔だが本来なら、敵対する関係でありながら、あの老婆は聖に対しては親しみを持っており、聖もまた老婆に対しては心を許しているが老婆の本性は鬼女である。本性を現すことは滅多にないが若い頃は人間を食っていたらしい。
 しかし、いつ頃か、そんな生活にも飽きはじめてのんびりと暮らしているのである。今ではすっかりと老いているようではあるが鬼と化せば聖でも苦戦するだろう。しかし、聖だけがそんな鬼女に接していたのである。

 梅雨祭りは本番を迎えた。革志満町から御輿を担いだ町衆がゴールである本閣神社を目指す。向川町の天敵である革志満町にだけは負けられないらしい。町衆が活気づいている。そして、県知事の合図と共に御輿がスタートした。
 梅雨祭りの幕開けである。
 花火も挙がって最高潮のセッティングは完成した。

 ヒュゥゥゥゥゥ〜、ドン!、パラパラパラパラパラ。

 向川町の夏の始まりである。

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