三、廃墟
ある日のこと、吉郎の許に向川屋と同じく、船宿から旅館に転向した木瀬屋の主人が訪れていた。木瀬屋は吉郎の家系が憑き物祓いの家系だということを知っていた。主人の名は木瀬佐久男という。木瀬屋も創業は江戸時代からと古いが向川屋のほうが古いという。
「それで如何なされたんですか?」
「向川さんは憑き物祓いの家柄ですよね」
「ええ、そうですが、それが何か?」
「今でも、その能力というのは受け継がれているのでしょうか」
「そういう質問にはあまり答えたくはないのですが、木瀬屋さん、何かあったのですか?」
「ええ、実は私の妻の親戚が持っていた土地がありまして、そこにはすでに誰も住んでいない洋館があります。私が譲り受けまして、どういう土地なのか拝見しようと思ったのですが、忙しく行けなかったんです。かわりに従業員に見に行かせたのですがその従業員が戻って来ないんです。で、また違う従業員に行かせたのですが、また戻って来なかったんです。一度なら、私も迷ったか、事故でも起こったと思ったんですがどうもそのような知らせもない。場所は町役場の隣なのです。役場に問い合わせて職員に見に行ってもらったところ、車が二台止まっているということを伝えられて変に思ったんです。気味が悪くてね」
「警察には伝えたんですか?」
「ええ、知らせました。で、行ってみると中から応答があったというんです」
「ふむ、それはおかしいですね」
「それで、依頼しに訪れたわけでして」
吉郎は少し佐久男の言い分に不審なところがあったがこれを了承することにした。
「解りました。引き受けましょう」
「そ、そうですか、ありがとうございます」
木瀬屋は喜びいさんで帰って行った。
吉郎はその後すぐに聖の部屋を訪れた。事情を聞いた聖は、
「ふむ、辻褄が合っていないような気がしますね。何か、隠している事柄があるじゃないですか?」
「私を罠にはめようと企んでいると?」
「ええ、私はそう思いますよ。できれば、少し調査をしてから出向くのが筋と思いますが…」
「それは無論のこと。すでに精霊たちを放っています」
「ふむ、結界にも種類がありますからな。精霊では理解し難いこともあるでしょう。何でしたら私が行きましょうか?」
「いえ、今回は私が依頼を受けましたので私が参りましょう」
「吉郎さん、そこまで言われるのなら止めませんが、少し嫌な予感がします」
聖は立ち上がり押入の襖を開いた。そして、中に入っていた木箱を取り出した。箱にはうっすらと文字のようなものが書かれていたが吉郎には読めなかった。
聖は木箱の蓋を開くと中には霊剣が入っていた。
「万が一の場合、これをお使い下さい。これは風の一族が百年かけて氣を封じ込めた霊剣です。どんな闇の力も消し去ることができます。これが万が一、太刀打ちできないとすれば光の力だけです」
「分かりました。確かにお預かりしましょう。店の方は多恵に任せておけば大丈夫です」
「気をつけて」
聖は胸の内に不安を抱えていた。吉郎が聖の許を去った後も、
「嫌な予感がする」
と、心の中で呟いていた。
吉郎はみんなが寝静まった頃、依頼された場所に向かった。聖から預かった霊剣は持っては行かなかった。聖の前でも持っていくとは明言しなかったのは退魔師としての誇りを捨てていないからかもしれない。
廃墟は闇に紛れるように建っていた。確かに役場の隣にそれは存在し、中からは明かりも窺えた。見る限りでは何のおかしなところもないが気配は異様だった。そして、歪みが生じているのだ。周りが歪んでゆらゆらと揺れているのだ。
吉郎は咄嗟に危険と判断した。しかし、このまま見過ごす訳にも行かず、役場の方から廃墟を見聞してみることにした。揺れているのは廃墟を囲むところだけだったが中に入るのを吉郎は躊躇した。あまりにもおぞましい光景を見てしまったからである。
中には三人の男女がいた。二人は男でおそらく木瀬屋が言っていた従業員だということが推測できたが女の方が異常な体型をしていた。体こそ人間の姿をしていたが足はない。但し、蛇のような長い足ならあった。肌は赤茶けた色をしており、所々、こぶのようなものがむくっと浮かんでいる雰囲気がある。さらに口からは牙が生え、舌は長く見えた。髪は赤く、腕は触手のように男たちに絡まっていた。
「我に集う精霊たちよ。魔に囲まれし、この地より我を守りたまえ」
精霊たちは水の珠と化して、吉郎を包み込んだ。
吉郎はゆらゆらと揺らめく建物の中へと入って行った。
聖は吉郎が不安でならなかった。しかし、退魔師にも掟がある。他者の依頼を邪魔するべからず、しかし、これはもはや掟などと呼べなくなっていた。聖も何回か邪魔された経験を持ち、被害者が多数ならば退治も競走となる。そんな関係がある中で聖は律儀にもこれを守っていたが街に放っている風の精霊たちの様子もおかしかった。
それ故、聖は吉郎がいないことを知っていた多恵の許を訪れた。
「聖さん、こんな夜更けに如何なされました?」
「吉郎さんのことです。何やら嫌な予感がしてなりません」
「そうですか、私も先程、これを見つけました」
それは聖が持っていくよう、預けてあった霊剣の木箱だった。この霊剣の霊力が凄まじく、この影響で眠っていた多恵が目を覚ましたのである。よく見ると霊剣の力が木箱から溢れ出ているのが分かり、聖は術を施しこれを封じた。
「まるで、あの人の心を読んでいるかのようです」
多恵は霊剣の入った木箱を見ながらそう言った。
「多恵さん、このまま、じっとしておくことはできませんが私も退魔師です。他者の領海を妨げる行為はできかねます。そこで依頼して戴きたい。依頼してくれれば私も動けます」
この言葉の意味を察した多恵は、
「分かりました。私の主人・吉郎を捜して来て下さい」
多恵は頭を下げた。
「分かりました。この依頼、確かに引き受けました」
聖は襖を開くと、
「風の精霊たちよ。我が思う御人を捜し出せ」
ひゅ〜うという音と共に精霊たちが動き出した。
「行く前にこの家の周りに結界を施しておきます。以前にも施しておいたのですが誰かが解いた形跡があります。私が行った後、誰かがここを襲うかもしれません。誰も応対には出ないで戴きたい。それから、木瀬屋には気をつけて油断してはなりません」
「木瀬屋さんが?」
「そうです。彼の者、かなりの策者ですよ」
聖は多恵にそう伝えると中庭に出た。鯉がゆらゆらと泳いでいるのが分かった。
聖は風の力を宿してある短剣を取り出して中央部分に突き刺した。そして、その場に座ると、
「風流陣(ふうりゅうじん)!」
そう叫ぶと中心の短剣から光が四方八方に飛び散り、ドームのような結界を造り上げた。
「これでよし」
聖は吉郎が向かった廃墟へと急いだ。 吉郎は家の壁を越えると妖魔がいる部屋を避けて台所に忍び込んだ。台所は異臭が立ちこめ、他者を追い出そうとしているかのような感じがしていた。
「水たちよ。魔に依存されし、この場を浄化せよ」
囁くように精霊たちに命じると精霊たちは自らの氣を台所に散りばめた。シュゥ〜という音と共に白い煙が湧き出た。
蛇のような赤い髪の女の魔物は突如、苦しみ出した。
「ぐおおおぉぉぉぉぉぉぉ!!!、だ、誰ぞ。我が神殿に入り込みし者は!」
そう怒りに満ちた声を挙げると自ら、人形と化していた男二人に見てくるよう伝え、男たちはゆらゆらと揺れながら台所に向かった。
実は屋敷まるごとが女の体なのである。しかし、吉郎はそれには気づかなかった。吉郎は敵が来るのを察知しており、浄化した後、中に罠を仕掛けて早々に台所から抜け出していた。ゆらゆらと揺らめく男たちが台所に入った瞬間、吉郎は出入り口を塞ぎ、男たちを孤立させることに成功した。
すると、男たちは体を変形させ、女の体に似た赤茶けた体に変貌した。すでに手遅れの状態である。吉郎は助けることを諦め、
「魔に魅入られし者よ。水の精霊の加護のもとに消え去るが良い」
水の結界を敷いた吉郎は妖魔を包み込み、妖魔は水の珠の中で静かに消えていった。 自らの一部と化していた男たちを失った女の魔物は吉郎の命を絶つべく、自らの触手を建物(自分の体)全体に伸ばした。
「ぬっ」
無数の触手は吉郎に襲いかかった。吉郎は水の力を強めた刀を両手に作り、襲いかかる触手を斬っていった。ひとまず、外に逃れるためであった。しかし、触手の一つが吉郎を捕まえた。
「しまった!」
吉郎が触手を斬ろうと手を伸ばした瞬間、触手は吉郎の体に幾多にも絡みついた。
「ぐうぅぅぅぅ…」
吉郎はそのまま女の前に連れて行かれた。
「お前か!、我が神殿を侵し者は!」
「に、人間を、ま、惑わす愚か者めが!」
吉郎は途切れ途切れに声を出した。
「ふんっ、人間とは弱い存在よ。我らが外に出るにはお前たち、退魔を業とする者が邪魔なのだ。自らの力も知らぬのによくもここに来れた者よ。我が子飼いの者を殺してくれた恨みは晴らさせてもらうぞ」
「こ、子飼いだと、ふざけるな。や、奴らは立派な人間だった筈だ」
「ククク、魔に魅入られた者も同じ事よ。さあ、死ぬが良い」
女は吉郎に絡みついた触手に力を入れた瞬間、天井が裂け、真空の刃と化した風が触手を切り裂いた。そして、女はまた呻く声を挙げた。
「ぐええええぇぇぇぇぇぇぇ!!!。お、おのれぇ…、何故、我らの邪魔をするか!」
「下らぬ戯言にしか聞こえぬぞ。妖魔よ」
触手が切れた瞬間に吉郎は女との間合いを広げていた。風に導かれるようにして一人の退魔師が舞い降りた。
「お、お主!?」
「お、お前は双魔王!、なぜ、ここにいる!?」
吉郎と女は聖の存在に驚いていた。
「吉郎さん、もう大丈夫です。詳しい話は後にしましょう。さあ、赤蛇よ、滅するが良い」
「戯けはお前の方だ。ここは我の体の中だということが気づかぬか!、死ぬのはお前の方だ」
「それぐらい、分からないとでも思っていたのか?。情けない奴め」
聖は右手を振りかざし、
「死するが良い。五法邪封陣!」
聖を中心に光が高く、建物と化した女の体を包み込み、浄化していく。
「ぐぅぅぅ、我をやったとしても、その存在は消えぬ」
光の輝きは闇と化した夜に目立っていた。
女の妖魔が浄化するとその地はただの空き地に変貌した。何もなかったかのように辺りは静まり返っていた。
「大丈夫ですか、吉郎さんですね。依頼によりあなたを助けに来ました」
聖は見知っている顔を相手に微笑しながら伝えた。
「お主、依頼とは一体?」
吉郎が聖のことをお主と呼ぶのは退魔師としての時だけだった。
「奥方様よりあなたを捜すよう依頼を受けて参った次第。さあて、戻りましょうか、向こうも終わっていると思いますので」
「む、向こうとは?」
吉郎は肋骨が折れているらしく息は途切れ途切れである。聖はその問いには答えず、吉郎を抱えると家路を急いだ。
聖が廃墟に向かうのを見計らったかのように無数の影が動いた。しかし、影たちは結界の光に阻まれて、入ることができなかった。いや、唯一、人間だからこそ中に入ることができた者がいた。
「多恵さん、中に入れて下さいよ」
しっかりと鍵で閉じられている玄関を蹴りどばしていたが、そうそう開く代物ではない。
「多恵さん、逃げ道はないのですよ。さあ、私と共に行きましょう」
魔に魅入られた木瀬屋の主人・木瀬佐久男が叫んでいた。
木瀬屋は自分の家の蔵の中に符が貼っていた壺を見つけ、これを誤って開いてしまったのである。そこに封じられていた女の妖魔は木瀬屋を従者とし、自らの力を取り戻すため、木瀬屋に力を与え、強力な力を持つ人物を捜すように命じていた。
木瀬屋は光の力を持つ多恵に目を付け、これを奪わんと思いつつもこの向川屋には主人の吉郎と妙な居候の存在が邪魔になっていた。そこで自らの策で吉郎を誘いだし、必ず、助けに行くと思っていた居候もまた行ってしまったのである。今だけしか好機はなかった。
「さあ、ここを開けて下さいまし。多恵さん」
そう叫んでいる中、小者の妖魔は結界により中にすら入って来れない状態にあった。
それを確認した知香が外に飛び出し、自らの初陣を飾った。
「我に集う精霊たちよ。魔に属する者を焼き尽くせ!」
詠唱は聖の見よう見真似らしい。知香は右手を振りかざした瞬間、自らの活躍を喜びいさんで一匹の小者を消滅させた。その時、背後からも小者が襲ってきたが、用意周到に知香は自らの体を火の精霊たちに守らせていたおかげもあり、知香に触れた小者は瞬く間に消滅してしまった。
知香の完勝といっても過言ではなかった。小者とはいえ妖魔である。弱者と強者が見分けられない筈もなく、知香の存在に恐れた小者たちは闇に紛れるように姿を消した。
退路を断たれた木瀬屋は自ら、抑えていた力を発揮しようとするが知香に背後より先手を打たれた。
「火の精霊たちよ。この者に属する闇の力を浄化せよ!。火炎封包陣(かえんふうほうじん)!」
知香は火の精霊たちと思案していた術の名前を口にした。
それに乗じて、火の精霊たちは木瀬屋の体を包み込み、木瀬屋に取り憑いていた闇の力を灼熱の力でもってこれを消し飛ばした。木瀬屋は気絶するかのようにその場に崩れた。
「やったぁーーー!!!、勝ったぁーーー!!!」
知香は精霊たちと喜びを共感した。
吉郎と聖が戻ったのはその直ぐ後だった。肋骨が折れている吉郎を部屋に運んだ聖は直ちに治療を始めた。
聖は治療の術を心得ていた。そのためにここで医者みたいなことをしているのだが木瀬屋がまんまと闇の力に飲まれた原因の一つに向川屋の繁盛を妬んでいたことが含まれているという。
聖は治療の術を治聖術と称していた。治聖術は光に属し、どのような病をも治すことができたが自らの欲望のために来者する輩には容赦ない治療を施すこともあった。
「吉郎さん、術は施しましたが、二、三日静養して下さい」
「何から何まで本当に申し訳なかった」
「いいえ、困った者を救うのが我らの仕事ではないですか。結局のところ、魔に体を捕られた二人の従業員を昇天させることができたのですから、これも救いとなることでしょう」
「しかし、彼らを生還させることはできなかった」
「止む得ませぬ。救うこともできなかったこともそれも我らに付きまとう運命と受け取るしかございませぬ」
聖も吉郎も結局のところ、後味の悪い仕事となってしまったのは言うまでもない。木瀬屋は知香に倒された後、気絶して聖の治療を受けていた。自ら、行った行為は覚えていないという。
しかし、聖は話を変えた。
「吉郎さん、あの子が初陣を飾りましたね」
「ええ、木曾さんが結界を敷いていたとはいえ、よくぞやったと褒めてやりたいところだが相手が小者である以上、まだまだですな」
吉郎は親として退魔師の表情に戻っていた。引退するのはまだまだ先のようである。
「しかし、聞いた話では守備は万全だったとか、まあ力を伸ばすのはこれからですよ。気長に見守ってやることです」
「ええ、それには我々の助けも必要ということですな」
「そういうことです」
吉郎は知香の成長を喜んでいるようだった。
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