二、向川屋の開かずの蔵
知香が精霊と出会って一週間あまりが過ぎた頃、向川屋では従業員総出で大掃除に追われていた。そのため、店は臨時休業である。知香も手伝いをしていたが聖は向川屋にはいなかった。向かいの豆腐屋の主人から、
「先生はこっちで店で仕事をしたら?」
という意見で掃除からは逃れることができた。知香は、
「えーー!、いいなぁ、私もそっちに行きたいなぁ」
と愚痴を零していたのは言うまでもない。
向川屋は宿屋としては創業四百年を誇っている。それは向川町だけではなく都村・革志満の二つの町を含めても一番の古参であり、由緒正しい家柄とまでもいかないが時代の流れに乗っている家柄である。さらに吉郎は町の旅館協会の会長もしている。
そんな向川屋には開かずの蔵というのがある。一つは物置として利用しているがもう一つは鍵を失ったのか開くことすらできなかった。吉郎が以前、自らの精霊を使い、開こうと試みたが開けることはできなかった。
そして、頭をよぎったのは何かを封じているのではないかという懸念だった。それなら、開かずの間というのは頷けたため、家族・従業員たちには近づかないように伝えていた。その日の夜、吉郎から相談を受けた。
「うちの家に蔵があるのを御存知でしょう」
「ええ、知っています。前に一度、家を見せてもらったときに」
「その一つの蔵が開かずの蔵となっているのは知っていると思いますが…」
「ええ、それも知っています。鍵に何かの術を施されていますね。中に何かが封じられているのでしょう?」
「実はあれを開きたいのです」
「ほう、なぜです?」
「従業員たちの中に興味を抱く者が現れるんじゃないかと思いまして」
「あははは、従業員たちは大丈夫ですけど一人、危険人物がいるじゃないですか?。彼女にきちんと伝わる保証はありませんよ」
「知香ですか?」
「そうです。しかし何が中にいるのか分かりませんから逃げないように囲いを造らなければなりませんな」
「囲い?」
「ええ、強力な囲いです」
「避難とかはしなくてもよろしいでしょうか?」
「別に構いませんが近づかないように伝えておいて下さい」
聖はゆっくりと立ち上がると障子を開いた。知香が盗み聞きをしているに気づいたからである。
「そんなとこにいるんだったらこっちに来たら良いじゃないか」
聖は知香に中に入るよう促した。
「仕方のない娘だな」
「好奇心旺盛ですね」
「まったくだ」
吉郎は呆れてしまっている。
「てへへへへ」
しかし、知香には悪びれた様子もない。
「邪魔はするなよ」
聖は真顔で伝えた。そして、部屋に吉郎と知香を残し蔵へと向かった。
蔵は向川屋の裏庭にひっそりと立っている。造られたのは室町時代らしいがその容姿は暗くて窺い知ることはできなかった。
「さて」
聖は懐から四本の短剣を取り出し、
「我に従いし、精霊たちよ。我の言に従いこの短剣に力を与えよ!」
すると、短剣は光に包まれるようにしてその輝きは生命を感じさせた。聖は蔵の四方にそれを突き刺すと、
「光の従者たちよ。魔を封じるために精霊たちに力を貸したまえ」
天より、小さな無数の光が短剣に降り注いだ。短剣は強力な力となり、四つの光と混じり合って凄まじい力とした。
これほどの結界を施すには訳があった。逃がさないためと邪魔が入らないようにするためである。蔵の中の妖魔が何であるかは聖は知っていた。それが強力な妖魔ということもすでに把握していた。
続いて聖は上下に手を包むように合わせ、
「形成の力を持つ地の精霊たちよ。如何なる困難にも立ち向かう精霊たちよ。我に力を与えよ!」
地の精霊たちの力により聖の手の中で一つの鍵が完成した。それに聖は氣を注入すると鍵は青白い光を放った。
「さて、行くか」
聖は扉の前に立ち錠前に光を放つ鍵を入れた。鍵はゆっくりと開いた。ギィーという響きと共に扉が開いた。中は暗いが異様な気配が浮かんでいた。聖は手に火の珠を出した。明々と部屋に輝く。聖はゆっくりと奥に入る。
「これは…」
奥は小さな格子が付いているだけで何もなかった。しかし、明らかに術が施された痕跡があるのに気づいた。
「なるほど」
と、呟いた瞬間、聖は自らの体を風で包んだ。扉が開いたと同時に多くの風が中に導かれたため、空気は澄んでいた。
「風に属する者よ。姿を現すが良い」
封じられていたのが風に属する者と分かったのは聖と共に入ってきた風に相手が応じていたのが分かったからだ。
七魔に属する術者はそれぞれ精霊を抱えている。順番に伝えていけば神魔は光、獄魔は火、孝魔は水、双魔は風、天魔は地、光魔は天、妖魔は闇の精霊を持っていた。故に聖は風に加わる者のことはよく分かるのである。
「我は風を統べる双魔王・双聖だ。風に属する者よ。我が言を聞き入れたならば早々に姿を現すが良い」
聖は相手の気配はうっすらと感じることができたが姿を見ることができなかった。
「止む得ぬか」
聖は引き返そうとした時、背後より声が響いた。
「振り向かずにお聞き戴きたい」
聖はそのままの態勢で聞いている。
「私は風の神に仕える精霊でした。ある日のこと、協力した術者に裏切られ、私は心の変化から闇の力に属してしまい、この地に住した退魔師に封じられてしまったのです。双魔と言えば風を愛し、風と共に生きていると聞いております。私を救って戴きたい」
「裏切った術者の名を聞かせてはもらえないだろうか?」
「はい、思い出しただけでも憎しみにしか思えませんが名は…、ぐっ」
「むっ」
聖は振り向くとかつて風の精霊だった者は姿こそ女性の姿をしていた。しかし、闇に浸食され、もはや精霊ではなくなっていた。顔は醜く変わり、牙を生やし、備わっていたと思われる風の力は闇に跳ね返されて聖のそばに集まっていた。
余程、悔しかったのだろう。名を口に出すだけで闇に染まる程に。
「まだ、我が言が聞けるなら、よく聞け!。今からお主に取り憑いた闇を浄化する。救い出す方法はそれしかない。最早、御身に取り憑いた闇の力は普通では取り除けなくなってしまっている。自分自身を信じよ」
微かに返答する声が聞こえたような気がした。聖は精霊を信じることにした。
妖魔と化した精霊に警戒しながら蔵の中心に進むと右手を振りかざし、
「五法邪封陣!」
聖の持つ最強の封印術が精霊を包み込んで浄化していく。
「ぐおおおおぉぉぉぉぉぉ!!!!!」
精霊は苦しんでいるのたろう。邪悪な力は光に消されていっている。
この呻き声は母屋にいる吉郎たちのところにも聞こえていた。
「な、何なの?、あの声」
「おそらく封じられていた魔物の声だろう」
「一体、何が封じられていたの?」
「さあ、私には解らないが木曾さんが何とかしてくれるだろう」
吉郎は至って冷静だった。
聖は浄化していく精霊を見守り続けながら、頑張れと祈り続けていた。そして、それが功を奏したのかもしくは精霊が持ちこたえたのか、闇を封じた瞬間、小さな小粒のような光を発したものが現れた。
「我を友とする風の精霊たちよ。彼の者に力を分け与えよ」
聖は風の精霊たちに呼びかけた。風の精霊たちは闇の力から耐え抜いた精霊に力を与えた。
すると、弱っていた精霊はみるみる光を取り戻していった。
「もう、大丈夫だね」
「どうもありがとうございました」
光から声が聞こえる。
「憎悪というものは闇が最も好むもの。今は忘れることに時間をかけなさい。御身は広い場所に出て活発に動くことです」
「そういたします。みなさんも元気で機会があれば、またお会いしましょう」
元気を取り戻した風の精霊は夜の涼しい風に流されていった。
聖は外に出ると、
「皆、ごくろうであった」
と伝え、結界を解いた。そして、自らの氣を協力してくれた光と地の妖精・精霊たちに分け与えた。妖精・精霊たちも夜の風に消えるように去った。
聖はお茶を飲んでいた。吉郎が前にいる。知香はすでに寝たらしい。
「何と精霊であったとは…」
「魔に心を奪われるのは人間だけではないということです」
「確かに我らも精霊たちに支えられている。今回はそれを見せつけられました」
「これで精霊たちが活発になれば妖魔も悪さはできなくなります」
「ええ、精霊たちの力を発揮させるのが我ら退魔師の役目ですから」
聖はゆっくりと頷いた。強い結界は吉郎が知香に精霊が共鳴していく姿を見せてやりたかったとのことだ。しかし、聖はあの結界のおかげで妖魔がこの宿を覆わなかったことに感謝していた。
「さてはて、今日は疲れました。明日は昼からというにしてもらえますか?」
「ええ、それは構いませんとも」
吉郎も立ち上がり聖の部屋から出ていった。聖はお茶をすずりながら、
「皆、本当にごくろうだった」
聖の中から四つの光が出てきた。天・火・水・風の精霊たちの長であった。四つの精霊たちは聖に絡むようにして動いていた。
「彼の者は私と同じだったのでしょうか?」
元人間の水の精霊が呟いた。
「そうかも知れないな。属する者が違えども同じ精霊として嬉しいのではないのか?」
「その通りです」
「彼の者を裏切った術師だけは許すわけにはいかない。見つけ次第、始末せねばなるまい」
聖はこの時だけは精霊たちをも驚かせる恐い表情をしていた。
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