第二章 精霊

一、精霊

 翌朝、都村町で起きた異常気象が話題になっていた。突如、現れた竜巻はその場から動くことなく、そして、一瞬にして消えたとして天文学会から注目されていた。
 旅館・向川屋の朝は忙しい。吉郎をはじめとする従業員たちが慌ただしく動き回り、厨房では朝食の準備を、各部屋では布団の片づけを、旅館唯一の浴場である向川を望む露天風呂ではすでに朝風呂に来ている客たちでにぎわっていた。
「木曾さん、昨日の竜巻は御存知でしょうか?」
吉郎が聖に尋ねた。
 聖は食事の時はいつも向川家の家族と一緒に食べることになっている。
「ええ、知っていますよ。風は私の専売特許ですから」
「テレビでは異常気象などと言っていましたがどうなんでしょうか?」
「さあ、それは何とも言えませんが自然の気まぐれはいつものことですから」
「なるほど気まぐれですか」
吉郎は感心していた。
「じゃあ、地震や洪水とかも自然の気まぐれと言われるのですか?」
吉郎の妻・多恵が喉から声を発した。
「まあ、科学的に言えばなぜ起こるのかという理論ができあがりますが私たちから見れば自然界の動きはこう受け取れるのです。まず、落雷・洪水・地震・噴火・竜巻、これらはそれぞれ自然界に属する天・水・地・火、そして、風の怒りだと思うのです。人間たちの欲望に対してのね。しかし、彼らも人間たちに対して恵みを与えている。それが電気・湧き水・新緑・温泉・気候です」
多恵もまた感心して聞いているようだった。
 多恵は昨日、吉郎から事情を聞いていた。吉郎の過去のことや聖の素性、そして、知香を退魔師にさせることなどを。多恵は吉郎の言葉には反論せず、
「あの子のことはあの子が決めることです。私たちがどうのこうのって言える立場ではないでしょう。それにあなたの過去がどうであれ今まで通りの生活と何ら変わりはありませんでしょう」
と言ったが実は多恵自身ももともとは向川町の東隣、杵島町にある杵島神社の巫女だったのである。本来なら神社を継ぐ身だったらしいが一族の堅物たちを嫌い、吉郎の父・綱吉の仲介もあって吉郎に嫁いだらしいが堅物たちからはなぜか反対はなかったという。それは向川家がかつては退魔師の家系だったことを印象づけていることも一つの理由らしかった。ちなみに多恵は霊も見えているらしい。
「ところで、昨日まで感じていた闇の力が消えているように思えるのですが…」
吉郎は唐突に尋ねた。
「彼らが動くのは夜のみですし彼らも気配ぐらいは消せる筈ですから」
「なるほど。それとも、誰かが退治したということも考えられますな。昨日の竜巻も関係していると思うのですがほらっ、竜巻が起こった場所って例の公園ですしね。どうでしょうか?」
吉郎はすでに聖がやったということを見抜いていた。
「さあ、どうでしょうね」
聖は惚けた。多恵がまた口を開く。
「ところで精霊というのは見えるものなんでしょうか?」
「見える人は見えますよ。ただ、その力を借りることは難しいでしょうが仲良くなることはありますよ。その場合、時には守ってくれることもしはしばあります。多恵さんも近くに精霊がいると感じたことはあるでしょう」
聖は多恵のことを奥さんと言うことを避けている。多恵は女将であって吉郎の妻であっても奥さんとか奥様とか、そう呼ばれるのが嫌いということを知っていたからである。
「そうね、そう感じたことはあったかしら。もともと巫女だったしね」
「自分から心を開いて呼びかければ精霊は現れますよ。多恵さんは気づいていないかもしれませんが精霊たちは近くにいますよ」
「私の属性は何だと思います?」
「天、もしくは光だと思いますね」
「おお、それは珍しい」
吉郎は声を挙げた。
「珍しいとはどういうことなんですか?」
多恵の問いかけに吉郎が聖に代わって説明する。
「木曾さんも言ったように精霊というものは自然界に属する五つで成立している。しかし、属性といのはその五つに光と闇を加えた七つのことを指すんだ。その中でも光に属する者はそうそういるものではない。光は神聖な者でしか適応できないとされ、信頼・希望・自信・期待などの人間にとっては良い方向に導く者こそ光の術者と言われている。接するだけで心が安らぎ、相手を安心させる能力が必要とされ、その術は我々の言う退魔などではなく、封印と呼んでいる。その他にも治癒などの高等な術も備わっているとされる」
吉郎は光の持ち主が近くにいることを喜んでいた。
「凄いものなのね」
多恵も意気込んでいたが。しかし、聖は、
「多恵さん。もし、光の術者を目指されるなら、欲望・憎悪・怨恨・不安・恐怖というものは持ってはいけないことが重要なのです。強要はしませんが光の属性を身につけることは億人に一人とされているものです。さらに闇は光を嫌いますが今、述べたことは闇の力に属します。光から闇に堕ちた者は無数にあります。私は一応、賛成はできかねます」
「そうですか、そのようなものなんですね」
「ええ。でも、もう一つ、光に近いものとして、天の属性もあります。今、吉郎さんが口を挟まれたので話が飛んでしまいましたが多恵さんの周りにいるのは天の精霊たちが大半なんですよ。その一部に光に属する者たちがいるんです」
「では、私の属性は天ということになりますか?」
「ええ、そう思います」
「ほらっ、あなたが余計なことを言うおかげで聖さんが困っていたじゃないの」
「いやー、面目ない。光の術者には出会ったことがないもので」
吉郎は陳謝した。
「クスクスクス」
知香が含み笑いをしていた。
 知香はずっと三人の会話を見守っていた。
「吉郎さん、今日の治療は夕方頃から始めますのでお客さんに説明しておいて下さい」
「分かりました」
朝食を済ませると聖と知香は吉郎が知り合いから借りてきてくれた軽トラックに乗り込み、火の精霊に会うために深代山に向かった。
 深代山は向川町の南側に当たり、北側が漁業で盛んなら南は陶工が盛んとなり、この町は二つの産業により経済的には豊かだったのだがそれが今では二つとも失ってしまった。向川と船宿だった僅かに残る旅館のみが残るだけの小さな町となってしまっていた。北は海沿いの革志満町との漁業協定で争って敗れた後は漁業は衰退していき、陶工は人々の過疎化と高齢化が進み自然消滅していった。その陶工の拠点が深代山なのである。
 人気はほとんどないっと言っても過言ではなかった。この山は登山道などなく道は舗装されていない。大きな石があちらこちらに転がっており、陶工の集落があった場所までは歩いて行かなければならなかった。
「大変な場所に来たな。木曾の地にも似たような場所はあったがここまで酷くはなかったような気もするなぁ。ああ、土砂崩れも起こってるし、町はこのまま放置しておく気なのかな?」
「何をブツブツと言っているの?」
「ん、いや、気にしないでくれ」
「な〜んか、緊張してきたなぁ」
知香は苦笑した。聖は知香の緊張をほぐすように冗談を言った
「ははは、お前でも緊張をするのか?」
「笑い事じゃないですよ」
知香はぷく〜とふくれて見せた。
「それとも、後悔しているのか?」
「期待と不安が半々かなぁー」
「まあ、精霊は地球を支えている守り神みたいなものだから危険なものはない」
聖はそう言いながら周りを見渡していた。相変わらず、道は大きな石がゴロゴロとしている。道は左右にカーブしていて端には雑草が伸びていた。季節は梅雨時なのに寒く感じられた。
 太陽の日差しは山の木々に遮られて中には入って来なかった。
「本当に火の精霊なんているのかなぁ〜」
知香はそう呟いた。周りを見る限りではそのような気配はない。しかし、
「見えて来たぞ。崩れた屋根が見えてきたがあれは廃墟だな」
聖は木々から伸びた枝に浸食された崩れた屋根を示した。道は廃墟となった集落に続いている。
「さて、知香、火の精霊に会うためにはお前が呼びかけなければならない。心を開いて呼びかければ自ずとして精霊たちは集まってくるだろう。それと金属の類は身につけない方がいい」
聖と知香は集落の入り口に立った。集落はもはや森と化していた。名残は残っているものの、放置されて数十年は経っているかと思われた。
 知香は目を瞑り願うようにして精霊たちに呼びかけた。聖は静かに見守りながら、万が一の危険が来ないように周辺に気を配ると同時に自らを守ってくれている精霊たちと会話をしていた。聖は風の精霊を筆頭に天・火・水の自然に属する精霊たちと共に暮らしていた。地の精霊とは仲間というよりは協力関係にあった。さらに、天の精霊の力を借りて光の者たちとも通じていた。聖が治癒能力を身につけられたのも天と光の精霊・妖精たちのおかげなのである。妖精は自然界に属してはいて、光と闇の能力を秘めているがいたずら好きだった。その力を狙っている術者も多い。
 聖は火の精霊に呼びかけた。
「来ると思うかい?」
「ここには火の種が多く残っている。こういう秘境と呼べるところには数多く残っている。呼びかけていれば自ずとして姿を見せると思うよ」
「なるほどね。そういや、君たちと出会ったときは凄かったけれどね」
精霊は集団でいるが会話として呼びかけに応じるのは長の一匹のみである。
「あの時は双聖の能力が弱かったからだよ」
「弱いときもあったということだよ。今でも弱い部分はあるよ」
「確かにね」
聖は火の精霊とはある活火山で出会っていた。会った時は攻撃を受けたのだったが三日間、絶え続けた末、火の精霊たちに認められたのだった。つまり、精霊には同類はあっても性格が違う精霊が多くいるものである。
 続いて、自分の持つ風の精霊に呼びかけた。精霊と会ったのは風が一番最初であった。火の精霊たちと同じように、
「来ると思うかい?」
「双聖が来ると思っているなら来るんじゃないの?」
「考えてみればお前とのつきあいは長いなぁ」
「そうだね」
「これからもお頼みしますよ」
「はいはい」
ほとんど親友同士である。
 次に水の精霊に呼びかけた。水の精霊は他の精霊とは違った。
「来ると思うかい?」
「水の中にぽっかりと開いた火の住処。ここに住まう者は孤立しているのでしょう。必ずや、活躍の場を求めて出てくるでしょう」
水の精霊は平安京のある高貴な家柄に生まれた女性の化身なのだ。魚の言葉を理解でき、心を通じていた。この女性は若くして早世してしまうのだがその心はかつて水を愛し、魚を住んだ日々を忘れてはいなかった。聖と出会った時もこっちは水浴びをしていたのだったが向こうから近づいて来たのだった。
「あの子には純粋な心があります。純粋さを出せば必ず現れますよ」
再度、聖に安心するよう伝えた。
 最後に天の精霊に呼びかけた。自然界の精霊の中でも驚異の強さを誇っている精霊たちであるが聖に味方するような者たちではなかった。けれども、聖がある強敵を破った時にその強さを認めて仲間に付くようになったのである。
「火の精霊は来るかな?」
「さあね。来ればあの娘を認めたことになるし、来なければ認めなかったか、彼らが臆病なだけさ」
「相変わらず、無愛想だなぁ」
「こういう話し方なんだ。今に始まったことではない」
貫禄を見せようとしているのだろう。聖に対してもこの状態であった。
 精霊たちとの挨拶程度の会話を終えた聖は必死に呼び続けている知香を見た。周りには鳥の鳴き声ぐらいしか聞こえなかった。何の危険もないように思えた。集落の深奥に入って行けるのは認められた者でしか入れない。いくら聖であってもそれは変わりなかった。
 続けること四時間、知香の額には汗が滲み、息を途切れ始めてきた。疲れもあるだろうが精神面にも負担が大きくなってきていた。両膝を地面に付けて精霊に呼びかけていた。
「そろそろ、限界かも知れないな」
大木を背にしていた聖が立ち上がるのを水の精霊が止めに入った。
「双聖殿、もうしばらく待ってみてはどうでしょう?」
「珍しいこともあるんだな。御身から声をかけてくるとは」
「彼らは恐らく臆病に吹かれた訳ではなく、迷っているのでございましょう」
「精霊とて迷うこともあるのか?」
「無論、ありまする」
「しかし、彼女の精神は限界に来ている。ここからは彼女が勝つか、精霊が出てくるかのどちらかだな」
「限界を超えてこそ精霊の心は揺れるのです」
そういうと水の精霊はすっと消えていった。
 その直後、ガサッという音ともに山の斜面から、一匹のイノシシが出てきた。
「むっ」
聖はイノシシに対して警戒をした。万が一に備えてのことである。イノシシは予想通り、知香に狙いを定めていた。 しかし、聖はふと思い立った。彼らは試しているのではないかという感じに襲われた。
 けれども、イノシシの目線はこちらに移った。どうやら、狙いはどちらでも良いという雰囲気になってきていたが聖は動かなかった。火の精霊に託したのである。
 知香はお祈りをしている形で呼び続けているため、イノシシの存在には一向に気づく気配を見せなかった。イノシシが殺気を出しているのが分かる。足を土に慣らしながら、攻撃の態勢に入った。

「来てお願い。精霊よ、私の心を見つめて、私の中に入ってきて、お願いっ!」
延々と呼び続けている知香に対してどこからともなく声が響いてきた。
「御身か…。我らの力を借りたいと言うのは…」
あきらめたような声で老人の声が知香の心に響いた。
「はい」
知香はその言葉に応じた。
「では、問う。御身はなぜ我らの力を求める?」
「私は以前、魔物に襲われたことがあります。その時、目の前で起きた悲劇を繰り返したくはないのです」
「うむ、あのことは我らも知っている。ここにいた者も被害を受けた。では次に問う。御身は我らの力を何に使うか?」
「魔物を退治し、弱者を助けるためです」
「うむ、この世には強者と弱者がある。強者は弱者を支配しようとする欲望がある。それを止めるためにかつて我らは人に力を与えた。御身に問う。力を悪事に使わないことを約束するか?」
「もちろんです」
「うむ、火は攻撃型の精霊だ。決して弱き者には使ってはならない。御身の近くにいる者たちも精霊たちがいるようだ。良き知識を得るためにはそういう精霊たちの意見も必要となろう。 最後に問う。御身は我らと対等につき合うことができるか?」
「私は対等以上の関係であって欲しいと思っています」
「ふむ、対等以上の関係とは?」
知香は即答した。
「それは仲間です」
「気に入った。御身に力を貸そうではないか。のう、皆の者、我らにも活躍の場所ができたぞ」

「むっ」
イノシシが知香に向かって突進した。聖は動かない。
 その直後、知香の周りに火柱ができた。強力な火柱を見たイノシシは一目散に山に逃げ込んだ。
 火の精霊たちは知香に絡んでいた。精霊は知香を主として認めたのである。聖は知香に近づいた。
「よくやった。何か感じるか?」
「心が…、心が温っかい…」
知香は疲れた表情を見せながら喜びを隠さなかった。
「精霊と話をしたか?」
「うん」
「知香の祈りが通じたんだと思うよ」
「聖はどうやって精霊と会ったの?」
「俺か?、風とは追いかけっこをしたし、火とは三日も戦ったし、水に至っては勝手に付いて来ちゃうしね。天の奴は主替えだしね。いろんな出会いだけど苦労を共にしている仲間だよ」
「ふーん、何か気ままな精霊ばっかりなんですね」
「うん、話でも聞いてみるかい?」
「でも、そろそろ帰らなきゃ」
「あっ、そうだ」
聖と知香は急いで車に戻り、向川屋に急いで帰った。
 聖の副業があるからである。戻ったのは結局、夕方に近かった。ロビーのところで吉郎と多恵が待っていたのである。吉郎は知香がこちらに近づくにつれてすでに分かったようで安堵とこれからの不安と混ざり合っていた。

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