第一章 一つの夢

一、若き双魔王

 鬱蒼と覆い茂る森林、人間たちが入る隙間もないくらいに広がっている。神々が住む山々と同化した森の中を1人の少年が木から木へ飛びまわっている。まだあどけなさが残る表情は楽しんでいる表情ではなかった。何かから逃げる必死の表情をしていた。
「どこだ…」
きょろきょろしながら辺りの様子を探っている。しかし、少年の視界に入るのは一面緑の木々ばかりだった。実は少年は追われているのだ。ある目的のためにある場所から逃げたのだが見張っていた男たちに見つかり追われていた。追手の気配がないことを確認すると先を急いだ。この森を抜けたところに少年の目指すものがあるのだ。まるで猿のように機敏な動きで前へ進んでいく。わずかな光が少年の目に飛び込んできたとき、少年の口は素直に喜びを表現していた。
「もうすくだ…、もうすぐ見れる。ここを抜ければ………っ!」
突如、凄まじい気配を感じた。魔性の気配、それは殺気だった。殺気は少年を包み込もうとしている。すぐに動きを止めた少年は周りの気配を感じようと試みるが殺気が強すぎてどうしようもできない。追手に見つかるのを覚悟で「無空術」で空に飛びあがった。雲一つない青空いっぱいの景色が見れたが正面には3人、後ろに2人、すでに回り込まれていた。
「ちっ、騙したな…」
少年は舌打ちした。
「まだまだ甘いな、わしから逃れるなど10年早いわっ!」
正面にいる3人のうち、白髭を生やした老人が睨みをきかせながら怒鳴る。しかし、その怒声は少年の耳に入っていなかった。視線はその背後に広がるあるものに魅入られていた。
「あれが…」
そう呟いたとき首筋に痛みを感じ、一瞬にして意識を失った。老人が倒れかける少年を抱きかかえる。
「まったく毎日毎日懲りないものだ」
「しかし、一体、何が目的で…」
「さあな、だが木曾よりここまで来るとはなかなかできぬものではない」
幾重もの術者たちの囲みを突破したことを感心していた。
「たしかに…」
「さて、参るぞ。皆も心配していよう」
「はっ!」
老人と従者たちはその場より消えるように立ち去った。

 木曾神社、奥木曾のまた奥に位置するひっそりとした神社だが見た目とは違い、結構、人は住んでいる。山に囲まれた場所に集落がある。それを見下ろすかのように神社は山の切り立った崖の上に建っていた。
「王斎殿、やり過ぎではございませぬか?」
「いいや、この程度でやられるようではまだまだ王の器ではありませぬ」
「しかし…」
「沙耶殿、貴君は先代より若を任されている御方。そのような甘えた考えでは双魔も滅びかねませぬ」
「何と言われる!?」
障子の向こうで言い争っている声が聞こえた。
「二人ともおやめっ!」
そこに割ってはいる老婆の声。
「お祖母様…」
「王斎殿、お主も四天王の筆頭であろう。場を弁えよ」
「これは失礼致しました」
そう言うと老人は廊下を真っ直ぐ歩いて行った。残された二人は障子に手をかけた。少年の気配に気づいたようだ。
「起きておられますね?」
「ええ…」
障子がすぅーっと開く。地味な服装をした小柄な老婆と白い巫女の服装をした長身の女性が立っていた。
「大叔母様」
「双聖殿、近頃、頻繁に外に出られますね」
老婆が語りかけながら双聖と呼ばれた少年の前に座った。沙耶と呼ばれた女性はその横に座る。
「………」
「何を求めて外に出るのですか?」
「…海を…」
「海?」
「そうです、海を見たいから…」
「なるほど…。それが目的でしたか…」
木曾の山奥では広大な海を見ることは滅多にない。横で聞いていた沙耶でさえ幼き頃に一度見た限りだったのだ。
「海に何を求めるのですか?」
「何を…」
「そうです。何を求めているのですか?」
「………」
双聖は黙った。
(何を求めている…)
その答えが出てこなかった。けれども思うことは一つだけだった。
「求めているものはありません」
「ならば何を思って…」
「不安なのです。双魔王としての重圧から逃れたいと思ったとき、父が昔、言っていたことを思い出しました」
父がその寿命を全うしたとき双聖はまだ5歳に満たない幼い頃だった。父の顔もかすかにしか覚えていないのに海の話しは鮮明に覚えていた。
「海は広い。この星ができたときから海は在る。その流れを止めることは何人たりとも邪魔はできぬ。と…」
「邪魔はできぬ、というか…。たしかにそうかもしれぬ。誰も邪魔などしなければこの世はもっと安定して我らもその役目を終えていたことであろうに…」
老婆はしみじみと語った。
「王位として君臨するのはまだ早いとしてもお前が目的を得たのであればそれを達成しなさい。お前を邪魔する者はいないのだから」
「はい」
双聖は凛とした視線を老婆に向けた。
「何の迷いもないという目をしておるわ。そう、それこそが王位たる資格」
そう言うと老婆は立ちあがった。
「沙耶」
「はい」
「王斎殿に気をつけるように」
「わかりました」
「それと…」
双聖に視線を向ける。
「若にもそろそろ付き人をつけましょう」
「付き人?、そのような者はいりませぬ」
「いや、お前ももう15になる。立派な大人じゃ。大人には伴侶となる者が必要になってくるじゃろ」
「伴侶?」
双聖には何のことかわからなかったが付き人のことは丁重に断った。沙耶は横で笑っている。
「双聖殿、あまり無茶はなさらないでくださいね」
「大丈夫ですよ」
双聖は微笑した。沙耶は双聖の育ての親に当たる。双聖の父で「双魔最強」の異名を持つ双玄より教育係兼守役を任され、その死後も変わることなく双聖を守り続けているが近頃の王斎が若い術者を中心に色々と画策していると噂されていた。そうとも知らずに双聖は再び準備を始める。
「今日はまた行くのですね」
「ええ、いつ行くかは内緒ですよ。沙耶さんも一緒に行くというのなら話は別ですよ」
「ふふふ…、また今度お願いするわ」
「さあてと」
双聖は勢い良く立ちあがった。
「もう行かれるのですか?」
「いいえ、墓参りに」
そう言って障子を開くと太陽のまぶしい光が差し込んで来た。
「今日も良き天気になりそうだなぁ」
中庭に降りると山に続く階段が見える。双魔衆の修行場である本山に続く道だ。両親の墓もこの道の途中にあった。双聖はそちらに向けて歩き出そうとしたときに脳に直接、声をかけてくるものがいた。
『若き双聖よ…』
声からして老人のように思えた。
「またあんたか…」
友人の少ない双聖にとってこの声が唯一の友人とも言えた。双玄が死んだ10年程前から双聖に幾度となく声をかけてきているのだ。誰かは知らない。しかし、双聖のことを一番良く知っている人物とも言えた。
『今日もダメだったな』
「ああ…」
『もう終わりにするのか?』
「いいや…、これからだ」
『囲みを突破する方法を教えてやろうか?』
「ふん、遠慮するよ。自分で突破しなきゃ意味がない」
『ふふふ…、それこそ我が見込んだ男よ』
双聖は階段に足をかける。
『ところで知っているか?』
「何を?」
『お主の周りに不穏な動きがあるのを…』
「不穏な動き?」
『そうだ、神魔がもうすぐ動く』
「神魔が?」
双聖は階段の中腹まで来たところで足を止めた。
「それを知る者は?」
『ごくわずか』
「なぜ、俺に知らせぬ」
『それはお主の周りの人間が知らないからだ』
「ということは…」
『不穏な動きはこちらにもあるということだ』
「王斎か…」
しかし、証拠がない。王斎が内応するという証拠がなければ皆が納得することはない。それが例え双魔王であったとしてもだ。
 双聖は山の中腹の広場まで来た。遠くのほうに本山の門が見えたがそちらには足は向くことはない。行っても門を守る術者は中にすら入れてくれないのだ。それは神社にいる巫女たちもそうである。何がここにあるのか本当のところは中に住まう者たちにしかわからない。双聖は広場にある地蔵に向いて腰を下ろした。4つある地蔵には何も置かれていないがそこから出る霊氣は凄まじいものがあった。
「さすがはご先祖様よ…」
ここに入れるのは79人いた双魔王の中でもより優れた者だけなのだ。左側から双魔を初めてこの世に現わした初代双発、その後継者となって基礎を築きあげた三代双陵、戦国時代に衰退した双魔を建て直した中興の祖双翔、そして、一番右端にあるのが双聖の父・双玄だ。
「なぁ、親父、俺じゃダメなのかなぁ…」
少し弱気になった双聖に対して地蔵に眠っている者たちは何も語ることはない。ただ、強い霊氣を出して全てのものに威嚇と威信を見せつけているだけだ。
 双聖には弟がいる。名を双翼という。異母弟だが双聖とは仲が悪い。当主らしい器を見せない双聖に対し、実力も知識も遥かに双翼のほうが上回っていた。双魔木曾一族の長老衆、双魔衆の大半は双翼起用に傾いているらしく、双聖の廃嫡も時間の問題と言われているのだ。
 双聖の心を揺るがすには十分過ぎた。まだ幼さが残る双聖は愛情というものを知らない。産まれたときに母を失い、父が病に陥ったとき後妻が来た。木曾家には女系がある。その女系の中心となるのが社家と師走家だ。後妻は社家から来た。名を沙魅といい、沙耶の姉に当たる。嫁いですぐに産まれた双翼を溺愛し、あわよくば双魔王に据えることを決めていたらしいが長子相続を重く信じる者たちの台頭によって沙魅の野望は潰えたかに思えた。しかし、内紛の材料にされたくなかった双聖は10歳のとき一度家を去っている。すぐに戻されたがその不和は今も続いている。
 地蔵に向かって泣いたときもあったが今は本当の笑顔というものすら見せることがなくなった。いつ殺されるかもしれないという不安と恐怖が脳裏によぎっているからだ。
「定めか…」
双聖はそう呟いた。運命と一言で言ってしまえば聞こえはいいが少年にとっては重きものであったに違いない。父が死んだ後、ずっとそれを背負い続けている。
「親父、また来るよ。将来を云々言われるより今を大切にしたいから。例え何が起きてもそれが定めなら仕方ないよな」
そう言って双聖は広場から立ち去った。地蔵の目から流れる涙のような水滴に気づかずに…。

 夜、闇となれば結界を張っている状態でも妖魔たちの力は強くなる。要所要所に術者を配置しているが常に2〜3人が共にいる。単独で妖魔と戦えば自滅するのがオチだからだ。危険だとわかっていても双聖はこの夜に決行することを選んだ。狙いは夜明け。それまでは常に危険と背中を合わせる状況なのだが見回りが少ない夜であれば成功すると踏んだのだ。持っていくものはない。あるのは己の実力のみ。
「行くか…」
気配を消して神社より出た。崖を一気に下ると森に入る。そこからが真の危険が待っているのだ。木から木へ飛び移りながら前へ前へ進む。あっという間に月に照らされた景色が前から後ろへと流れていく。まだ見回りは現れていないがところどころで妖気が感じ取れた。双聖はなるべく妖気のするところは避けて前へ進む。無空術で空を飛んで行けばあっという間だがそれでは見回りに見つかる怖れがあると踏んでいたのである。なるべく気配を落としているとはいえ向こうも手練、見つかるのは時間の問題だった。
 そのときだった。背後に気配を感じたのは…。
「来たか…」
それでも双聖は止まることはなかった。方向はわかっている以上、止まる必要がなかったからだ。追手は一定の間隔をあけて追跡してくる。動向を窺っている様子だ。
 森を抜けると小さな沢がある。いつもならここで一息入れている間に追手に見つかるときが多かった。そのため、双聖はこれを越えて真っ直ぐ海を目指す。
(!?、囲まれた…)
双聖は咄嗟に思った。後方だけではなく左右にも気配を感じたのだ。いつもの倍である。人の気配がしているから妖魔ではないことはわかっていた。まるで双聖がこの時間帯に来るのを知っていたかのように次々に追手が現れた。こうなってしまったら戦うより逃げるのほうが効果的なのだ。双聖は逃げた。前へ前へと…。
 しばらく行くと谷が見えてくる。谷を南下すれば海に出られた。双聖はその場で一度止まる。そして、術を施してあえて向こう岸の森に入り、そのまま川に沿って南に下る。追手は双聖の術に足止めを食っていた。
「ちっ!」
追手の一人が舌打ちした。夜で足元が見えなかったとはいえ手練である。その手練がいとも簡単に罠に引っ掛かった。罠といっても泥人形たちがわらわらと出てきただけなのだが…。両手に霊氣を溜めるとあっという間に瞬殺した。
「やってくれる…」
追手は唸った。しかし、
「悔やむことはない。こんなことは予定のうちだ。まもなく奴は死ぬ」
「ご、御前、いつおいでに…」
御前と呼ばれた男が後ろに立っていた。それには答えずに、
「決行はまもなくだ。双翼様も用意できておられる」
「御意」
追手は一礼すると双聖の追跡を始めた。男はその動きを見守る。
「時は来た。双魔一族を我がものとするのは時間の問題だ」
そう吐き捨てて闇に姿を消した…。
 一方、双聖は追手が罠に引っ掛かったことを知っても足を止めることはなかった。まだ左右の追手に付かれているからだ。
「もうすぐ結界が途切れるな…」
結界が途切れば妖魔を抑えていた力は一気に弱まる。しかし、結界の向こうに出るのはこれが初めてだったからだ。今までは結界内で取り押さえられていた。そのためか、この先に進む不安が足の動きを止めた。それでもそれが理由ではなく、いつもと違う、それが少年の心に浮かんだ本音だった。
「どういうことなんだ…」
追手も動きを止めて一定の間隔を狭めようとしない。動きがないのだ。まるで双聖を監視しているかのように…。単に警戒しているかもしれない。考えすぎだろうと思い、結界の外へ飛び出そうとした瞬間、双聖の目に木に貼られた黒い札が目に入った。ただ一文字、「呪」と書かれているだけだった。
「しまった………!」
声に出た。やはり罠だったのだ。追手は双聖を罠に導くだけの囮に過ぎなかったのである。札に気づいたものの体の勢いは止められず、罠は発動した。札が空気にとけ込み、それを中心に闇世界が双聖を取り囲む。闇召喚の術だ。闇の檻と化した暗き場所は死ぬまで脱出不可能な檻でもあった。
「くそっ!」
これを破るには凄まじいほどの霊力が必要だった。しかし、双聖にはそんな実力はない。
「来るぞ!」
それでも双聖は身構えた。闇召喚によって冥界から呼び出された妖魔たちが順々に出てくる。双聖は臨戦態勢に入った。両腕を上と下から向かいあわせるようにして包みこむとその中に霊氣を溜めた。強い霊氣が集まってくる。それを出てくる穴にぶつけた。
「霊風波動!」
双魔特有の技である双魔霊風術の中でも一番最初に覚える術だ。双聖はこれを5年前にようやく体得することができた。あっという間に妖魔が吹き飛ぶ。吹き飛んだところを狙って穴に近づくともう一発穴の中で爆発させた。そして、指に霊氣を集中させると霊氣の糸を作って穴の入り口を封じた。「氣熱網」でくまなく穴を塞ぐと穴の向こうにいる妖魔たちはそこから先には来れない…、という確信が双聖の脳裏によぎったとき闇を覆う全てから妖魔たちがうじゃうじゃと現れたのである。そして、封じた穴は大きな穴となり、霊糸をプチッと千切った。双聖は無空術で何とか態勢を整えると戦って無駄に霊氣を失うのを控えて全ての霊氣を防御に回した。霊氣の玉が双聖を中心にして完成すると妖魔たちはそれに激突して消えていく。
「少しは保つことができるが…」
双聖は死を覚悟したのである…。

 木曾神社の周りに無数の気配が現れた。それに気づいたのは沙耶である。双聖がいないことはすでに知っていたがただ事ではない気配に沙耶は焦りを隠せずにいた。すぐに沙耶を護衛することが任務の「護人衆」を呼び寄せた。2つの影が駆け付ける。
「お呼びにございますか?」
1人が張りのある口調で言う。
「先ほどから、不審な気配があることは知っていますね?」
「はい」
「菊は大叔母様のところに行って指示を仰いで」
「はっ」
菊と呼ばれた女性が去る。
「紺は双聖様を見つけだし、その護衛に付くように」
「沙耶様は如何なされるのですか?」
「私は大丈夫です。行きなさい」
「承知致しました」
紺と呼ばれた女性も沙耶の前を去った。続いて「双魔武衛衆」が来る。双魔衆は神社を護る武衛衆と結界を護る氣鋭衆に分かれる。武衛衆を率いるのは四天王の一角である義範である。
「義範、神社の守りを固め、敵の動向を探りなさい」
「承知、双聖様は?」
「そちらのほうは手を打っています」
「承知致しました」
義範が行くとすぐに四天王の忠徳が現れる。義範とは同じ釜の飯を食べた仲である。
「沙耶様、双翼様の行方が知れませぬ」
「やはり…」
この不穏な動きは双翼派によるものであろうか。
「王斎殿は?」
「それもわかりませぬ」
「ならば…」
沙耶はもうこの時点で何が起きているか理解した。双魔転覆…、それが真ならば双聖の命が危険にさらされていると確信した。
「沙耶殿、急を要します」
「忠徳殿は霊陣守の死守を願います」
霊陣守は霊力が高い女性のみがその任を帯びている。能力は双魔王に匹敵し、霊陣と呼ばれる霊力が最も集中する場所から離れることなく常に裏方に徹して双魔一族を守り続けている。
「承知致しました」
そう言うと忠徳も姿を消し去り、神社中は慌ただしくなり始めていた…。

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