第二章 激震
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八、遠州統一への道
森長春の死去後、森家の家督は長元が継ぎ、その領地は鱶橋に長元が入り、笹掘には松山景成が入った。宮の口砦は高崎家が属領とすることで合意した。また、この勝利は遠州国人衆に大きな影響を与えた。掛川以西に割拠する匂坂・松井の譜代家臣や勢田・藤代などの国人衆、森家に仕えていた寺坂・大絹内・肥嶋・永山の4家も臣従の誓書を交わした。これにより、金子家に敵対する勢力は朝比奈を中心とする今川譜代家臣団のみとなった。また、要衝と目される城には守備兵しかいないことは左馬介の探索でわかっていたが直政に攻める意思は見えないように思え、主家に対して二心なしの誓いを交わしていた。しかし…。
翌年、直政は金子城の補強工事にとりかかり、連日それに没頭していたが周りの情報だけは随時敏感に対応していた。ある日のこと、左馬介が直政に言う。
「殿、家臣の間に不満が広がっています」
「譜代の者ではあるまい」
「はっ、不満を申し出ているのは勢田伴篤など国人衆たちかと…」
「やはりな」
勢田氏は天竜川以西に割拠する国人衆で興りは鎌倉末期という。今川家に代々仕えていたが伴篤は家督を継ぐとすぐに森長政に臣従の意思を示し、反対の立場にあった一族の勢田為長を滅ぼすなどの冷酷な一面を見せていた。
「如何なされますか?」
「一度会ってみるか」
直政はすぐに伴篤を呼ぶよう家士に命じるとともに腹心である興房と貴房も呼んだ。伴篤は降伏した外様格の『六家衆』の筆頭として他の5家を束ねているが行動は常に家臣を引き連れているため、単独では危険を伴うと判断したのである。
「お呼びにございまするか?」
家臣2人を伴っている。なかなか屈強そうだ。
「私のやり方に不満があるそうだな」
「はっ」
「何故か?」
「今の金子家を見れば主家を大きく越える力を誇っています。今こそ、今川家を討って新たなる勢力を築くべきです」
「お主も掛川近くに領地を持つ者ならわかると思うが、たしかに今の主家に力はない。なれど、三国同盟を忘れていないか?」
「無論、存じております。しかし、武田は上杉、北条は佐竹・里見の両雄と対峙しております。しかも、三河の松平元康や尾張の織田信長の動きも静かなものです」
「表面上はな。攻める理由など、どこの大名も名目さえあれば良いのだ。私が今、駿河を攻めればそれだけで名目が立つ」
「しかし…」
「もうしばらく待て。機会を探っているところだ」
「はっ…」
直政の動きが消極的と判断した伴篤はそのまま城に戻り、同じく不満があると思われる六家衆に謀反の挙兵を促した。
直政は伴篤が去ったことを知らされるとすぐに六家衆の寺坂美作守、大絹内信貞、肥嶋種盛、永山政綱の4人に会い、謀反の意思無しを確認した。4人は勢田討伐の先鋒に名乗りをあげたが、しばらく思いとどまるよう伝えた上で領地には戻ることを許した。4人は戦あるものと判断し、この場を辞して己が領地に引き揚げた。このことは伴篤の耳にも伝わる。そして、喜んだ。反乱に加わると勘違いしたのだ。
「勢田は藤代を盟を結んだか。よし、各将に伝えよ。隠密裏に兵を集めるよう、そして、寺坂らには表立って兵を集め、天竜川沿いを南下し、勢田方に共闘の意思をあると使者を送るよう伝えよ」
直政は左馬介に言った。伴篤の勘違いを逆に利用したのである。また、興房にも策を授ける。
「噂が流れやすくなるよう、民にも協力を促してくれ。あたかも戦があるようにな」
「承知致しました」
興房が退がると直政は広間を出て右近が控えている二の丸屋敷に向かった。伴はいない。屋敷の中は静まり返っていたが右近は居間にいた。
「兄上、如何なされました?」
「よう、久しぶりだな」
「ここにいていいのですか?、謀反があったと聞きましたが」
「ああ、策は打った。しかし、お前こそ城に戻らなくていいのか?」
右近は慶照寺城主なのだ。
「ええ、城は家義と直忠に任せております。私は家継にここに残るよう言われて留まりました」
「家継に?」
「はい、何か起こると言われていましたので…」
「ほう…」
直政は家継に対してやるせない気持ちになっていた。しかし、弟の手前、表情には出さない。
「家継は知っていたとはな」
「家継はおそらく遠州のみならず、他国の見聞にも精通しているかと思われます」
「うむ、だからこそ、金子家にはなくてはならない存在なのだ」
「しかし、危険も孕んでいますぞ」
「危険?、家継は律儀な男だ。謀反など起こさぬよ」
「信頼されているのですね」
「でなければ、当主なんてやってないさ」
直政は苦笑する。
「だが、家継の考え通り、まもなく戦いが起こる。お前にも出張ってもらうぞ」
「承知!」
右近は平伏した。
「不安は今のうちに取り除いておかないとな」
直政もさらなる意思を示した。
10日後、勢田・藤代両城が陥落した。勢田城には寺坂・大絹内ら六家衆の面々が予定通りの行動を起こした。味方になると勘違いしたままの伴篤は彼らの侵入を許し、あっという間に城を制圧されてしまった。城は炎上し、伴篤はわずかな兵と共に掛川の朝比奈家を頼った。また、藤代城のほうは右近や十左率いる精鋭5百の速攻を受け、防戦むなしく陥落し、藤代総正は降伏した。勢田・藤代家は断絶となり、両領は無領だった泊貴房・長居弘政に与えられた。
「油断大敵だな、総正」
直政は二の丸屋敷で降伏した総正に会った。直政の他には家継、興房、右近と年寄衆がいる。
「覚悟はできておろうな?」
「………」
総正はうなだれるようにして崩れた。しかし、罰せられることはなかった。家継が救いの手を差し伸べ、国外追放となったからだ。
「家継」
「はっ」
「何故、助けた?」
「彼の者は勢田に唆されて反乱に加わった由。罪は全て勢田にありまする」
「たしかに…。総正は勢田に唆されたのやもしれぬが後々、金子に歯向かわないとは限らぬ」
「その時はまた攻め滅ぼせばよろしいではありませんか?」
「その時まで……か…」
直政は呟いた。直政は立ちあがって上座より家継の前に座った。
「この世はいつまで続くと思う?」
「さあ…、泰平の世など今の時点ではわかりませぬ」
「だろうな、私もそうだ。しかし、戦のない世の中を作りたいと思うのは当初よりは変わらぬ」
「はい、某も同じでございます」
「当面の敵は誰か?」
質問の内容に家継は視線を反らす。
「それは…」
「氏真公だろうな」
「と、殿!」
家継の表情に焦りが見えた。
「誰が聞いているか…」
「心配するな、誰も聞いてやせんよ」
「万が一がありまする」
「間者か?、氏真が間者を放つとは考えにくい。それにここに至るまで幾重もの結界が敷かれている。しかし、何れは避けては通れぬ道だとわかるだろう?」
家継は直政の目を見た。澄んだ目をしている。
「はぁ…、わかりました。殿には負けました」
「今から負けていてはこれから先がわかったものではないぞ」
「ははは…、安心召されい。家を二分させる事態にはさせませぬ。例え、この身が滅びようとも」
「おいおい…」
直政は真っ直ぐな家継に感心したが危うさも感じていた。この2人、表裏の立場はあってもこの後も対立することはなく、危惧されていた藤代総正も金子家を攻めることもなかった。
けれども、世間の目は敏感に反応しつつあった。直政の今川家離反が一番の話題となり、今川の衰亡も近いことを悟りつつあった…。
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