第二章 激震

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七、高崎攻防戦

 遠州には3つの勢力が犇めき合っていた。北の森長春、中の金子直政、南の朝比奈泰朝である。均衡はからくも維持されていたのだがこれを破るものがでてきた。先代から金子を敵視する森一族が5千の軍勢を率いて街道を南下してきたのだ。森領最前線の宮ノ口砦に軍勢が入ったとの報せが高崎に飛び込んできた。高崎城主高崎定長は直ぐ様、望月武元を直政のもとへ使者として走らせた。
「とうとう動いたか」
武元の言葉を受けて直政が言う。
「はっ、直ちに援軍を…」
「どれぐらい持ち堪えられようか?」
「3日程度かと…」
「定長の策は?」
「奇襲を考えらております」
「奇襲か…、それも一つの策だが…、兵の数は?」
「6百余人かと」
少なすぎると直政は読んだ。そこで策を武元に授ける。
「敵が高崎に到達するまでにできるだけ城を堅固にしてもらいたい。高崎は山城故、本丸に続く全ての道筋に土塁を作り、万が一、門が破られても大丈夫なようにしてもらいたい。あと…城に死角はありますか?」
「死角ですか…、死角は全て物見櫓で塞いでおります」
「それならば十分でございましょう。決して討って出ぬよう、定長殿に伝えてくだされ」
「承知致しました」
武元が退がると報せを受けて集まっていた諸将を見渡す。そして、宗通と十左に声をかける。
「お主らは1千の兵を率いて柴浦に向かえ。清之と合流した後、高崎に向かってもらいたい」
「承知しました」
2人が退がる。それを見届ける間もなく、家継、景成、弘政、忠勝の名を呼ぶ。
「家継、景成と弘政を副将として2千の兵で出てもらいたい。ただ、寡兵を含む故、強さが把握できていない。2人の知恵と弘政の武勇で持ちこたえてくれ」
「御意」
3人が退がると残った忠勝に問う。
「忠勝、朱鷺田の兵は出せるか?」
「はっ、いつでも」
「よし、今回は吉岡に対する不安はないが忠勝の臣下の者を貸してもらいたい。誰か信頼できる者はあるか?」
「そうですな、寺田新左衛門がよろしいでしょう」
忠勝には忠豊という弟がいるが内政を好む故、好戦的な兄とは対立していた。寺田新左衛門は忠政の代から仕えている将で武芸に優れ、忠勝の理解者としても知られていた。
「よし、今回は私も軍勢を率いて高崎に向かう。新左衛門には私の護衛につくよう伝えておいてくれ。忠勝は森の軍勢が高崎に集まった頃合を見計らって宮の口砦を急襲してもらいたい。敵の退路を塞ぐ。あそこは軟弱な砦と聞いている。すぐに落とせるだろうが動くのは夜のみとし、夜明けが攻撃の合図となる。良いな?」
「承知致しました。新左衛門にはすぐに参るよう伝えまする」
忠勝が退がる。次に直政の視界に入ったのは貴房だった。
「すぐに小山に走ってもらいたい。あそこには篠田信十郎の他に蒲原殿もおられるはずだ。そこでこう伝えて欲しい。『1つが動くとき、遠州の3つの天秤は脆く、その影響は主君にも及ぶ』と」
「承知しました」
貴房も前に倣って広間を後にする。続いて葛良忠平を呼ぶ。
「お主はどうする?。葉祇家に戻っても良し、このまま金子家の1人としているのも良いが…」
「…やはり、私は殿の許にいようと思います」
「そうか、お主が選んだことだ。何も言わぬ、後で私のところに来てくれ」
「はっ」
忠平の次は興房を呼ぶ。
「私が留守の間、城を頼むぞ。朝比奈の警戒を怠らぬよう」
「承知致しました」
興房が一礼すると直政は年寄衆の松山元景、朱鷺田忠政、そして、もう1人…。
「もう慣れたか?」
「元々、この城で育ちましたから」
そこには若き年寄衆金子宗政の姿があった。
「3人とも興房を支えてやってくれ」
「ははっ」
宗政の存在は金子家を中和する役目らしく、権力が及ばない年寄衆として再び表の舞台に戻った。直政は控えていた松家新之助に声をかける。
「お主は本陣に加わるよう」
「はっ」
最後に左馬介のほうを向く。
「左馬、一番危険な役目かも知れぬが…、やるか?」
「笑止、私にできぬものなどございませぬ」
「そうか…」
直政は笑っていた。
「ならば、方法は任せる。森の居城である鱶橋城を落とせ」
「承知!」
左馬介も微笑しながら消えるが如く立ち去った。
「森長春…、今までの決着をつけようぞ」
直政の決意は固かった。

 武元が金子から戻った高崎城は騒然となっていた。5千もの大軍が攻めてくるのだから無理もない。城主高崎定長の命により、城下や領内に住む農民や野武士たちを城の中へ入れることとし、武器を持たせ、侍大将の任を帯びる津島守高らが訓練を指揮することで戦力の一部とした。また、軍目付鞍田頼広が直政の策を受けて城の要所に土塁や詰所を設け、城の隅々に目が行き渡る工夫も施された。敵が来るということで士気は低さが懸念されていたが翌日には金子勢の先鋒が到着した。葉祇宗通、松平清之ら旗本を含む2千の兵が高崎に入る。この途端、高崎家の士気は高まるのは時間の問題だった。本丸で宗通らと会った定長の闘志は燃えていた。見守る家臣たちの中にはすでに隠居の意思を固めていた望月信武の姿もあった。甥宗通の素晴らしい姿に感涙していた。
「叔父上、戦の前の涙は禁物ですぞ」
「戯けが…」
信武が宗通の言葉を必死に拒んでいたが言葉にならなかった。
 その日の夜、城から北に広がる草原に幾多の篝火が灯された。森勢が到着したのだ。異様な明るさを誇る敵陣を前にして高崎城内では農兵を中心に動揺が起きていた。
「これでは戦にはならぬ」
定長が舌打ちするがいずれは起きていたことなのであまり気にしていない。
「信武」
「はっ」
「兵たちに酒を振舞ってやれ」
「承知致しました」
酒は一斉に全軍に振舞われた。これにより、士気はますます高まり、翌朝には動揺はなくなった。高崎の憂いをなくした両軍はさらに増援を得て布陣を完了する。
 森勢5千に対して金子・高崎を合わせた兵力は4千5百余人とあまり大差がない。高崎城には金子勢全員が入るのは困難なので城の東側に陣を敷いた。前衛左翼に葉祇宗通と先崎十左衛門、右翼には松平清之、後衛左翼に本陣を担う徳村家継、その右翼には松山景成が軍勢を置いた。直政の軍勢はようやく金子城を発したとの報せが家継に入る。
「ようやく先代からの決着がつくときが来たわ」
家継は武者震いする。森家との戦いは金子家の名を遠州で確固たる地位に築くための第一歩でもあった。
 一方の森勢の総大将は森長元。長元は長春の叔父に当たり、長政の弟に当たったが兄や甥たちのような野心家ではない。領民を救済し、街道を整備し、市場を流通させた貢献人でもある。今回の戦いは森家の威信をかけたものらしく、総大将に選ばれたわけだが結局のところ、長春の傀儡でしかなかった。そんな長元を支えているのが先代から仕えている上月但馬守師茂と福田忠二郎元継である。上月家は播磨の出で祖父の代から森家に仕え、師茂は長元付家老として内政の補佐をしている。元継は長元の護衛として参戦していた。しかし、元継は直政の母方の従兄に当たり、直政が家督を継いだ後も親密な関係にあった。布陣は高崎城攻略に国嶋春長、平兼続を置き、川を挟んで南側に伊原義盛、村岡出雲が陣を敷いた。北側には本陣を守る長元が配置についた。

 双方から聞こえる罵声や怒声が空を切り裂く真空の響きとなってこだまし始めた。
「先手必勝!、行くぞ!」
宗通の叫びに十左ら精鋭5百を含む1千の兵が伊原勢に突撃する。宗通と十左の武勇は数などもろともせず、伊原勢を真っ二つにする。それを見て取った1千の兵もこれに続く。恐れをなした義盛は迫り来る鬼2人に目前にして敗走を余儀なくされた。崩れる伊原勢を救おうと村岡勢が動くが突如、背後より襲われた。
「なっ!?」
背後から襲われるなど思ってもみなかったことで村岡は焦った。後ろには味方だけしかいないと思っていたのだが森長元の軍勢が川を渡って襲いかかったのである。長元は陣を構えた直後に師茂と元継に己の意思を告げ、謀反を表明したのだ。総崩れとなる左翼に高崎城を攻めていた右翼も劣勢を感じ取った。たった一刻もしないうちの出来事に皆が混乱した。勝ち目のない戦と悟り、国嶋は意を決した。敵本陣を攻めるためだ。平に退却を命じる一方で自身は山を迂回して敵の背後に襲いかかるため奔走する。しかし、情勢を随時、左馬介配下の忍びによって報せを受けていたのですぐに対処する。本陣を守っていた家継は反転し、景成、弘政もこれに翼を形勢して陣を敷いた。鶴翼の陣である。まさか、待ち構えているとは思っていなかった国嶋勢は退路を失い、滅びの道を歩むことになる。けれども、軍勢を率いる国嶋は単身敵陣を突破し、家継に迫る。鬼気迫る武神に防ぐ道はない。家継も刀を抜き放ち、覚悟を決めた。
「うおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ――――――!!!!!」
鎧の内外から血が飛び散る。痛みなどを通り越して1つの目的だけを求めた。それが今、目の前にある。あともう少しというところで槍が飛んできた。国嶋はこれを弾く。家継の前に立ちふさがる者がいた。
「金子直政が弟金子右近太夫直信、推参!」
右近が突如現れたのである。右近もまた直政の命により一軍を率いて駆けつけていたのだ。
「右近殿!」
「大事ないか?、家継殿。これより先は我が相手致そう」
右近は国嶋に言い放つ。死を覚悟した国嶋は右近に槍を繰り出す。右近もまた槍を繰り出し、一騎討ちが始まる。1合…2合…3合…、全身に怪我を負っているとは思えないほどの武芸の持ち主に右近も善戦する。疲れを見せない戦いぶりに家継らも感嘆する。
「惜しい人物よ、主君を誤らなければ生きる道筋をついていただろうに」
家継が呟くと同時に国嶋の槍が弾け飛ぶ。そして、胸を貫かれた。
「ぐはっ!」
国嶋は吐血しながら落馬し、絶命した。右近の武名はこの戦いを機にさらに高まることになる。戦況は圧倒していた。退却を始める平勢に好機と見た高崎勢が城から討って出る。さらに伊原勢を突破した宗通と十左が激しく襲いかかる。確実に兵を減らしながらも戦場から撤退する平が安心したのも束の間、次は炎上する宮の口砦を目にした。
「ば、馬鹿な…」
唖然とする平は絶望した。夜明けと共に朱鷺田勢が攻撃を仕掛けて陥落させ、さらに街道を北上して要衝笹掘城を落としてしまったのである。退路を失った平は覚悟を決めて自害して果てた。ここに高崎攻防戦は幕が下りた。あとは森長春だけである。長春は笹堀が攻められているという報せを受けて、これを奪還するべく出陣したのは良かったが逆にその背後を突かれて鱶橋城を落とされてしまったのである。落としたのは左馬介だった。小石山を発した左馬介率いる忍者集団はあっという間に城に侵入し、要所を火薬で爆発させながら本丸に近づく。爆音に驚いた兵たちが右往左往する中、左馬介たちは留守を守っていた森長政ら側近たちを暗殺することに成功した。長政は長春によって隠居に追い込まれていたが巧みな策で表舞台に復帰していたのだ。長春不在になった今回、城を乗っ取ろうと画策していたがそれは徒労に終わった。左馬介の急襲という思いもしなかった事態にどうすることもできずにその命を断ったのである。

「な!?、ぜ、全滅だと…」
笹掘に向かっていた森長春は急使の報せに呆然とした。勝つと信じていた戦いに敗れたのだ。さらに報せが飛び込む。
「申し上げます!、鱶橋城が陥落!!」
「し、信じられぬ…、金子直政とは…何者か!?」
化け物に見えたに違いなかった。
「殿!、もはやこれまでにござる!。殿!、殿…」
家臣の声も聞こえないほど長春は呆然と立ち尽くした。しかも、笹掘を落とした朱鷺田勢の攻撃にも反応できずに捕らえられてしまった。暴君として君臨した長春はわずか1日にして全ての領地と城を失い、民衆にも見放されてしまった。
 翌日、矢野城で大勝の報せを受けた直政は高崎城に入る。そして、定長や家継ら戦に加わった者たちに会い、引き立てられた長春と会った。最初で最後の出会いである。
「お初にお目にかかる。金子玄十郎直政にござる」
「………」
強い睨みだけが直政に向かう。
「私を甘く見られましたな。犬居で私を殺れなかったのが運の尽き」
「く…」
「覚悟を決めておられましょうな」
「ふざけるな!、貴様如きに言われる筋合いはないわ!」
「ならば、武士らしく最後を決められよ。潔い死こそが苦しめられた皆のため」
そう言うと直政は脇差を長春の前に置いた。最後ぐらいは武士らしい最後を望んでいたが長春は脇差を手にすると直政に襲いかかった。しかし、葛良忠平と松家新之助に阻まれて斬られてしまった。
「うぐっ…う…」
遠州最大の勢力を誇った森長春の哀れな姿を目にして直政は合掌した。ここに金子と森の長い戦いは終わりを告げたのである…。


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