第二章 激震

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六、襲撃

 ある日の夜半、月の光が雲に隠れて城下に薄い闇が覆うとしていた頃、葉祇家を再興した望月信三こと葉祇宗通が何者かに襲われた。数は8人、顔は隠しておらず、見覚えのある者がいた。その1人が鬼石(おにし)信定である。鬼石は奥山家に仕える武将で主君である邦継が幽閉された後は嫡子重邦を盛りたてていた中心人物でもある。重邦は直政の助言で騎馬隊の小隊長を務めている。しかし、鬼石には隠された過去があった。奥山家に仕える前は植野家に仕えていたからだ。時の当主植野元綱は遠州国人衆として照政に仕え、島田興房と並ぶ古参の武将だったが温和な興房に比べ、強気な性格の元綱は常に相手を見下す態度を示していたため、若い家臣の筆頭格であった葉祇通氏とは犬猿の仲だった。元綱は邪魔な通氏を暗殺すべく夜半の静かな城中で家臣に命じて通氏に従ってきていた葉祇家臣もろとも殺害してしまったのである。殺害は成功したがいくら静かとは言え、非情の叫びは静けさを切り裂いた。騒ぎを聞きつけた松山元景の一軍に斬られてしまった。元景の報せを受けた照政は屋敷にいた植野元綱に蟄居幽閉の処分を下したが、斬られた葉祇家が黙っていなかった。通氏の弟政通が仇を討つべく、武装した家臣を率いて植野の屋敷を急襲して元綱を討ち取った。その直後、政通は自らの屋敷に籠城するが朱鷺田忠政の説得を受け入れて降伏、照政は非は両家にあると断じて断絶を命じたが政通のいさぎ良い態度に感服し、命を救おうとしたが一足遅く兄の後を追って切腹した後だった。さらに植野家の残党が暗躍する動きが見え隠れする事態に照政は通氏の嫡子己八丸を葉祇家の縁戚望月家に預けた。そして、植野と葉祇の家臣の動静を警戒するべく、城下は緊迫した状況に包まれたのだが結局、大規模な争いは起こることなく決着した。このとき、鬼石は所用で駿府にいたのだが報せを聞くや、金子に戻るが屋敷はすでに葉祇政通が攻めた後で血糊だけが点々と残っているに過ぎなかった。そこで鬼石は照政に謁見し、事の次第を聞いた。先に仕掛けたのが元綱だと聞かされるが納得がいかず、心に暗く重い恨みを抱いたまま、今に至っていたわけだが君主が直政に代わって好機が訪れた。葉祇通氏の子が戻ったということを聞かされたのだ。さらに葉祇家の再興という事実に憤慨し、宗通の動向を旧臣たちと共に調べあげて暗殺の機会を窺っていたのである。
「何者か?」
宗通が堤燈を前に出して言う。しかし、返事は返ってこず、殺気だけが宗通を覆う。
「やれやれ…、来るがいい」
刀に手を掛けると3人が斬りつけに来たが宗通は難なくこれをかわして返り討ちにする。
「どうした?、この程度か?。うん?」
雲の間から月の光が城下を照らすと相手の顔も見えた。
「お主、奥山に仕えている鬼石だな?」
このとき、鬼石が植野家にいたことは知らなかった。
「ちっ、退けい」
鬼石は不利だと判断してその場を去った。宗通は何もなかったかのように死体の処理を詰所の者に頼んで自身は城に戻って直政に報告した。
「邦継は例の一件以来、小石山に幽閉している。鬼石とつなぎを取れるとは思えない」
「ならば…、一体…」
宗通は困惑した。
「ふむ…、誰ぞあるか?」
「はっ」
控えていた奥居頭泊達房が戸を開く。
「すぐに興房を呼んでくれ」
「ははっ」
達房が下がる。
「興房は金子家に精通している。わからぬことがあれば興房に聞くとよろしかろう」
「なるほど…」
「相手はお前の顔を知っていたのだな?」
「でければ待ち伏せなどできるはずもありませぬ」
「鬼石以外に見覚えは?」
「奥山邦継に仕えている者ばかりでございます」
「ふむ…。しかし、邦継がお前を襲って何の得がある?」
「それは…ないですなぁ…」
「わからぬことだらけだな」
直政も苦笑せざる得なかった。しばらくして興房がやって来た。
「早速だが聞きたいことがある」
「何でしょうか?」
「鬼石という者は知っているか?」
「鬼石?、鬼石信定でございますかな?」
「知っているか?」
「ええ、奥山家に仕えている者でござりましょう。先の吉岡合戦の折は主君と共に騎馬隊を率いて参陣しておりまする」
「ふむ…、なかなかの猛将のようだな」
「ええ、以前は植野家におり、随一との噂もあったぐらいです」
この言葉に直政と宗通が反応した。
「植野だと!?」
「はっ、植野元綱に仕えておりました。葉祇家との騒乱の折は所用で駿府にいたため、難を逃れております」
「なるほど…」
「その鬼石がどうかしましたか?」
「つい先刻、宗通を襲ったそうだ」
「なっ!?」
次に興房が驚く番だった。
「間違いないので?」
「確かです。鬼石に間違いござらん」
宗通が言う。
「何たることか…」
興房は愕然とした。
「では、直ちに!」
「うむ、捕らえて尋問致せ。歯向かう場合は斬り捨てよ」
「ははっ」
興房は直ちに兵を率いて城下の一角にある鬼石の家に踏み込んだ。しかし、すでに誰もおらず、もぬけの殻となっていた。報せを受けた直政は、
「逃げたか…」
「しかし、奥山家を隠れ蓑にするとはなかなかやりますな」
「うむ、元々、邦継は我らに対して批判的な立場を崩していない。万が一、発覚しても表向きは邦継が詰問されることになろうがその間に逃げれば自身の身の安全は保障されるというわけだ」
「考えましたな」
興房も鬼石の考えに対して頷く。
「今、左馬に命じて鬼石の行方を探らせておる。そう遠くには行っておるまい」
「では、我らも探索の網を巡らせましょう」
「うむ、頼む」
「はっ、では御免」
興房が退がると入れ替わりに宗通がやって来た。
「おう、どうした?」
「殿、奴のことですら、今一度、私の命を狙ってきましょう」
「来るだろうな、根は深い。だが、向こうの数がわからぬ。1人では難儀するぞ」
「ですから、殿にお願いがあって参りました」
「ほう、何だ?」
「十左殿と興房殿の兵をお貸しください」
「なるほどな、確実な方法だ。構わぬ、興房には伝えておこう。思う存分、殺るがいい。誰ぞ、十左を呼んでくれ」
家士が命を受けて退がるとすぐに旗本頭先崎十左衛門がやって来た。
「お呼びと聞き、参上仕りました」
「うむ、頼むがある」
「何なりと」
「お前は葉祇と植野が争いを起こした件は知っているな?」
「はっ、詳細はわかりませぬが…」
「実はな、植野の残党が宗通を襲ってな。一網打尽にする故、宗通と協力してこれを一掃してもらいたい」
「承知致しました」
十左は素直に応じる。そして、宗通と十左は顔を見合わせて笑った。猛者同士のみがわかる絆かもしれない。ほぼ同時に立ち上がるとほぼ同時にその場を辞した…。
「左馬、いるか?」
「はっ」
控えの間に続く襖が開く。
「わかったか?」
「はっ、どうやら城下の外れにある荒れ寺に潜んでいる様子」
「数は?」
「ざっと30」
「そうか…、鬼石は本気だな」
「ええ、士気は高いようです」
「すぐに興房にも知らせてくれ」
「御意」
左馬介も退がると直政は部屋の中で揺れる蝋燭を見て呟く。
「そろそろ、決着をつけないとな」

 再び、闇の夜が訪れた。しかし、今回は立場が逆だった。場所は城下の外れに廃墟と化した荒れ寺、数は左馬介が調べた通り、30余人が集まっていたのだが寺を包囲されていることには気づいている様子はなかった。それだけ、島田勢の動きは俊敏かつ静寂な動きをしていたのだ。寺の裏手は森に面している。そこにはすでに50もの兵が伏せられており、正面には宗通らが待機していた。
「さて行くか…」
宗通が一歩出る。
「興房殿、1人も逃さぬよう頼みます」
十左の言葉に興房は頷いた。中に入るのは宗通と十左だけで興房たちは包囲するのみの立場を取った。この構えは無闇に突っ込んで無用な死者を出すより、確実に敵を倒せる2人の武勇に全てを託したのだ。2人は共に大刀を手にして中に進んでいく。
「誰かあるか!?、我は金子家々臣葉祇親三郎宗通である!。鬼石信定、出て参れ!」
宗通の一声に寺中に緊張感が走り、その宗通に呼応するかのように脇にいた十左も声を張り上げる。
「同じく!、先崎十左衛門勝理である!。植野家の方々、出ませい!!」
2人の叫びを聞いた鬼石ら植野家の残党は次々に獲物を手にして外に出てくる。
「ふん、たかが2人…。貴様らだけで我らを相手にするというのか!?」
「そうだ、恐ろしくなったか?」
宗通が言う。
「戯け!、貴様ら如きに遅れを取る我らではないわ!。皆の者、この者が憎き葉祇の倅なるぞ!!。永年の恨みを晴らそう…」
鬼石は全てを語ることができなかった。戯言に耳を貸す2人ではない。双方が1人ずつ倒してしまったのだ。
「くっ…、卑怯な!」
鬼石も抜刀して対抗する。
「かかれぃ!!!」
皆が一斉に飛びかかる。
 ワアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァ―――――――――…!!!!!
戦のような怒声に門を護る興房率いる兵たちは緊張した。
「皆、心してかかれよ。相手を甘く見ると痛い目に遭うぞ」
興房の言葉に各々が頷く。中では鬼と化した2人が暴れまくる。2人に斬りかかろうとした者は悉くその命を散らし、いつの間にか形勢は逆転した。かすり傷も負わずに無傷でいる2人に皆は恐怖した。鬼石もまた呆然とする他なかった。
「ば、馬鹿な…」
勝てると思っていた勝負の結末に鬼石の頭は混乱した。騎馬隊を率いて戦いに参戦しているとはいえ、十左とは距離を置いている。鬼石らは徳村勢に加わることが多いが十左のほうは直政を護る役目も含まれているため、滅多なことでは本陣を離れることはなかった。また、宗通もまだ一度も戦場に出ていないため、その武勇は鬼石には知られることはなかった。顔面が蒼白になる。逃げたいとは思っていたが武士たる者、敵に背を向けるのは恥、なれど気づいた時には味方が逃亡を始めており、表裏で悲鳴があがる。その時点になって寺が包囲されていることに気づく始末に鬼石は愕然とする。こうなれば、残るは死ぬか降伏するかしか道はない。鬼石は意を決して2人に斬りかかって行った…。
 日を明ける頃には全てが決した。宗通と十左の完全勝利である。鬼石は宗通相手に奮戦するが討ち取られ、敵の全滅が結果として残った。味方の被害はほとんどなく、数人が手傷を負った程度だった。
「終わったか…」
十左は一息ついて宗通を見た。
「父も叔父もこれで心置きなく天に行けよう」
宗通はそう呟きながら死した鬼石に合掌し、過去の遺恨はここで全て終わりを告げることになった。
 これで葉祇家の復興は成されたのだが、植野家の復興は鬼石の死より数年後のことである…。


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