第二章 激震

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五、右近

 吉岡党が統一した翌年、大規模な氾濫が吉岡城周辺で起き、3つの川が集まるこの地域では無数の死亡者を出した。通長は家臣を集めて協議を行った結果、居城を灘城へ移すことにし、この城を手放すことを決めた。最も、家臣の多くは反対したが通長が押し通した傾向があった。また、灘城の前衛となる肥代城も普請を行うため、すでに直見国嗣が入っている。居城替えの報せは直政の耳にも入る。この時、通長の弟直忠は直政の乞いを受け入れて直政の弟九郎丸に仕えていた。
「手放すならば、私がもらい受けよう」
と一つ返事で吉岡城の譲渡が決まった。通長は、
「何と物好きな…」
と、苦笑していたというが直政は氾濫を乗りきれば吉岡城は要衝になると踏んでいたのだ。通長が灘城への入城を確認すると直政は治水と普請を同時に行うため、松山景成や真概利康など農政や普請に精通した者たちを率いて吉岡城に入ると直ちに工事を開始した。
 直政が懸命に新しい城の完成を目指している頃、九郎丸は兄宗政や直忠の協力を得て、元服の儀を行った。そして、名を『右近太夫直信』とした。
「そうか、元服したか…。どこか城を守らせたいな」
「ならば、この城を任せてはどうですか?」
「ここはまだ治水もままならず、村落も安定していない。まだ早いのではないか?」
景成の言葉に直政は否定の見解を示すが景成は自信ありげに言う。
「大丈夫でしょう。補佐は私がやります。治水さえうまく行けばこの地は必ずや立派な豊穣地帯になるでしょう」
「ならば、お主に任せる」
「御意」
直政は右近への書状をしたためると廊下に言葉を発した。
「誰ぞ、あるか?」
「はっ」
屋敷警護の家士がやって来る。
「これを金子城にいる右近の許へ届けてくれ」
「はっ」
家士は丁重に書状を受け取ると急ぎ金子城へ使者を送った。また、直政は城の名を変えようと思っていた。吉岡城のままでは後々、吉岡家の者に対する遺恨が残る可能性があったからだ。城名変更の件も右近に一任した。
 半日もしないうちに右近から返答が届いた。引き受けるとの事だった。そして、城の名も伝えてきた。
「ほう、父上の名を頂戴したか」
直政は右近の考えに同意した。城の名は「慶照寺城」となった。後にこの名は廃城となった後も金子家の菩提寺の名として残ることになる…。
 右近の入城と共に直政は2回目の人事改革を行った。この改革の目的は奥山邦継の息のかかった者を一掃するためである。

 家老・慶照寺城主 金子右近
 家老・右近付家老 松山景成
 家老・柴浦城主 松平清之
 家老・城目付 泊 貴房
 家老・軍目付並 長居弘政

 目付衆支配・吉岡領検分役 徳村家継
 郷村目付・旗本頭 先崎十左衛門
 軍目付・本丸警護役 葉祇宗通(望月信三より改名)
 朱鷺田城主・侍大将 朱鷺田忠勝
 小石山城主 亀井左馬介
 矢野城主・年寄衆 矢野義綱
 奥居頭・兵糧奉行 泊 達房

 金子右近付家老・普請奉行並 徳村家義
 金子右近付家老・学術教授 吉岡直忠
 金子右近付軍目付・普請奉行 真概利康

 奉行衆支配・金子城留守居役・城下町奉行 島田興房
 御台所奉行 松家新之助(徳村家継臣)
 水軍奉行 脇坂広信(吉岡直忠臣)

                    他大勢

となった。松家新之助は足軽大将からの躍進で若い家臣たちの発言力を増す起爆剤となっていく。また、望月信三も葉祇家の再興を許されて父通氏の一字を取って宗通と改めた。
 翌日、直政は右近と会った。右近の左右には家義と直忠が控えている。
「元気そうだな」
「はい、兄上も」
「退屈していただろうな」
「いいえ、やることが多すぎて退屈など微塵も…」
「ははは…、そうかそうか」
「兄上は多忙と聞きましたが…」
「ついこの前までな。九郎丸…いや、右近だったな」
「九郎丸でも構いませんよ」
「いや、立派に元服したのに幼名では申し訳がたたない。ところで、城の中はもう見終わったか?」
「はい、大体は…」
少し緊張感が帯びたようだ。直政も本腰に入る。
「この城は右近の城となる。しかし、今川の脅威となるような城構えは避けよ」
「しかし、今川はもう滅びの道を歩いていますぞ」
「何れはそうなるだろうがまだまだ敵が多い。それに今川が窮地に陥るとき、武田・北条の両家より援軍が参るぞ。また、三河の松平元康の情勢もわからないが今川を主家としている以上、なるべく目立つ行動は控えよ」
直政は他家に大義名分を与えないよう伝え、付家老に昇格した家義と直忠に言う。
「良いか、右近の欠点を補うのがお主らの役目となる。肝に銘じるよう」
「ははっー」
そして、直政に視線を向ける。
「右近よ、我慢するのも大事だ。我らが天下を狙うにはまだまだ戦力が足りぬ。まだ滅びの道を行く訳にはいかぬのだ。それが城を持つ者の運命と知るがよい」
右近は黙って頷いた。
 翌朝、直政は右近への引継ぎを終わらせると金子城へと引き揚げた。やるべき難題は山積みされている。それを全てこなうのが君主たる者の使命でもあった。道中、左馬介が直政に声をかける。
「殿、まだ早過ぎたのではありませんか?」
「城主のことか?」
「ええ」
「城主のことは右近が元服した時点で決めていたこと。これには家老たちも納得している。だが、右近は血の気が多い。悪いとは言わぬが独断専攻は許さぬと申しただけだ」
「納得しますかね…」
「納得せねば国が滅びるだけだ。戦国を生きる者の試練と受けとめてくれれば良いのだが…」
「殿らしいですな。右近様なら大丈夫ですよ」
左馬介もまた将来のことを考えているのだ。
「ところで、お前はこのまま城に戻るのか?」
「ええ、娘が待っていますから」
「ははは…、その年で娘がいるんだからな」
途中、直政は左馬介と別れた。自身は先崎十左衛門らと共に馬を進める。
「次の敵は森ですかな?」
十左が言う。
「ああ、森だな。いつまでも脅威として残しておくわけにはいかぬ」
新たな決意が直政を動かす起爆剤となった。

「兄上は何を恐れているのだ」
右近は直政が去った広間で家義と直忠に向かって言う。そんな右近に家義が苦言を呈する。
「殿、ちと言いすぎですぞ。殿は知らないと思いますが金子家は国人衆の集まりです。矢野・高崎・朱鷺田・吉岡・遠州松平…、まだ、今川家を主と思っている者が多うございます。もし、今、殿が大殿のお言葉に逆らって駿河もしくは掛川に攻め入れば当然のことながら離反する者も出てくるでしょう。そうなれば、せっかく基盤を築きあげられてきた御父上様やそれを受け継いで徐々に勢力を広めておられる大殿の苦労が水の泡となりましょう」
「…そんなに脆かったのか…」
「はい、ですから、ここは大殿が申された通り、我慢して頂きたい」
直忠も諌めると、
「承知致した」
右近は2人の説得に納得した様子だった。翌日から右近の城主としての職務が始まった。まずは補佐役となった景成から慶照寺城の政治・軍事面の状況を聞くと治水術についての知識を学んだ。家義は景成の補佐として治水工事の指揮を取り、直忠は利康と共に慶照寺城の普請工事を続行した。さらに年寄衆として金子家のご意見番となっていた松山元景も慶照寺城に入った。
 7月の終わりから9月の初め頃まで洪水が多発し、上吉岡統治時代に死した民は1万数千にも上り、治水工事は将兵及び領民たちの悲願でもあった。治水工事は三叉路を中心に行われ、堤防は二重三重にもなるように固められ、水門も貯水池を築いて川の水量を調整できるようにした。さらに、工事を請け負うに当たって怪我人に対する処置は榊原長安をはじめとする医師たちが人夫たちを支え、領内に精通している脇坂広信らの協力も得て工事は3ヶ月で終了した。また、城の普請工事にも50人程度の人夫が加わり、半年で終わらせることができた。決壊はしばしばあったがそれでも以前に比べれば被害は少なかった。治水工事の総指揮は右近が行ったとも噂され、直政よりも右近のほうが知名度を上回るほどだった。これを聞いた直政は、
「流石だな、何れは良き名将になるかもな」
と、絶賛した。
 この年は豊作となり、右近の城主としての知名度も上がった。直政も金子城に戻ってから街道の整備、城の普請、農地の開拓などを次々に行い、2人の評判は京にまで及んだという。評判があがればそれを妬む者も出てくる。主家の立場にある今川氏真である。氏真は直政の評判のおかげで今川家が滅ぶという自己暗鬼にかられ、詰問のための使者を送った。

 使者は横山城侍大将篠田信十郎である。信十郎は不機嫌であった。直政に入城を拒まれ、氏真の叱咤を買い、重臣には愚痴をこぼされた挙句、代理の右近に会うため、慶照寺城に入った。
「兄上の忙しさは信十郎殿がよく存じているでしょう」
「たしかにそれはよく知っています。直政殿は貧困の遠州を救い、今までにない豊かさを作り上げた御仁でござる」
「ならば、何故、詰問などされるか?」
「殿は家を潰されるという不安にかられ、家臣の言葉も信じぬ振る舞いになつりりあります」
「それは我らだけのことではないでしょう」
「承知しています。しかし、貴君と直政殿の評判はあまりにも大きく他国の動きも活発になってきているのも事実です」
直政の不安は的中したと右近の心境は重いものとなった。金子家崩壊だけは救わなければならない。
「それはやむ得ぬことではありませんか。噂というものは民から民へ、口伝えで広がるもの。時には真実を覆されることもありましょう。信十郎殿、もしこれが両家を引き裂こうとする他国の流言だと考えられませぬか?」
「流言とな?」
「如何にも、三国同盟は義元公がいたからこそ実現できたようなもの。もともと、相模の北条氏康、甲斐の武田晴信は今川の脅威を恐れ、成立したときは共に宿敵を持ち、似たような木阿弥があったからです。武田は上杉と、北条は関東一円の勢力と争いを続けている。今でもその立場は変わりはありませんが隙あらば同盟を盾に攻め入ることも可能です」
「ふむ…、同盟は形だけのものと言うことか…」
「はい、その上、内部分裂など起こせば敵の思う壷です。武田や北条にも忍びがいることは御存知のはず、流言と解釈すればおのずとわかるでしょう」
信十郎は右近の説きに納得したがまだ心残りがあった。
「ならば、なぜ直政殿は私に会われなかったのでしょうか?」
「それは…、おそらく…、氏真様の武士にあるまじき行為、即ち、貴族の真似事を楽しんで政治にうつつをぬかしておられる主君を嫌ったのでございましょうか」
右近がそういうと信十郎も同意した。まさにその通りだからである。氏真は貴族の遊戯の1つである蹴鞠を好み、政治にはまったく関心がなかった。全ての議題は家臣任せなので少々のことでも噂は大きく広がるのである。
「この馬鹿げた詰問など最初からいらなかったのです」
右近が言う。
「承知致しました。氏真様への讒言を除いた全てのことを伝えることとします。それと…」
「何でしょう?」
「直政殿は今、どちらに?」
「会われますか?、ならば小石山城におられます。今なら岡部様や鵜殿様に加え、東駿の蒲原様に会われております」
右近の言葉に信十郎は唖然とした。驚いたと言ってもよかった。自分の主君である岡部元信が直政と会っていたとは夢にも思わなかったからだ。
「そう驚くことはありませぬ。兄上は茶会を催しただけです。もともと前より決められていましたので…」
右近がそう説明したが信十郎の表情が怒りに満ちているのがよくわかった。

「殿、篠田信十郎殿が参られました」
小石山を守護する亀井左馬介が主君に近寄る。
「そうか、さぞや怒っていることだろう」
「はっ、顔には出ていませんが心の中は怒りに満ちている様子」
中庭で盛大に開かれている茶会には金子家の譜代家臣が揃い、岡部元信・鵜殿氏長・蒲原徳兼の3人の家臣たちがいた。信十郎の他に右近もいる。
「久しいですな、信十郎殿」
「………」
ムスッとした表情で何も言わない。直政は少し微笑しながら信十郎に語りかける。
「右近の説明通りと思いますが御使者殿、何か不満がありましょうや?」
何気ない言い方に信十郎は、
(この御仁は馬鹿ではないのか?)
と思い、右近も、
(兄上は挑発しておられる)
と思っていた。たまりかねた岡部が口を挟む。
「信十郎、なぜ直政殿がお前に会わなかったかは知っていよう。ここにいる者全て同じ思いをしている者たちばかりなのだ」
実は茶会と名を打って開かれたものは今川家の大事と捉えて重大な論議が行われていたのだ。氏真の臣下に対する振る舞いと側近たちによる台頭が忠臣たちを遠ざけている事実を胸に、それぞれ今までにない今川家を築く計画を論じていたことを伝えた。
「ならば何故、私にも教えてくださらなかったのですか?」
「万が一、どこかでこの計画が漏れる事態ともなれば国は2つに割れてしまう恐れがあったのだ、許せ」
そう言って岡部は臣下である信十郎に頭を下げた。
「殿…」
感服した信十郎は直政に向かい、陳謝した後、
「右近殿は立派な武将になりましょうぞ」
と称えた。そして、詰問の結果を記した書状を使者に持たせて駿府に走らせた。結果を聞いた氏真は敵の策略だと知ると直政にぶつけた怒りが疑心に変わり、盟友である武田・北条に矛先を向けたのだった。

 相模を拠とする北条氏康は小田原城にて今川家の使者と会っていた。
「この一件は我らは存ぜぬこと。もし、我らの仲を裂こうとする者がおればただでは済まさぬ」
と一蹴したが直政の存在を脅威と見て取った。しかし、同時に氏康は自分と照らし合わせて自分と良く似た人物とも思っていた。
 甲斐の武田晴信は父信虎を追放においやった男だが文武両道に精通し、越後の上杉との戦では一歩も退けを取らない戦いぶりを披露している。こちらにも今川の使者が来たが会わずに追い返した。
「ふん、今川などもはや雑魚に過ぎぬ。同盟など形だけだ」
「なれど、今、動くのは得策ではないかと」
「ああ、敵は四方にいる。それらを討ち破ってから駿河にも手を伸ばすとしようか」
家臣の言葉に晴信は強い意志を示した。
「しかし…、金子直政か…。面白い男が来たものだ」
晴信の噂の真意を確かめるべく放った忍びの動向が逆に今川家の結束を固くしたことに感心していた。しかし、まだまだひよっこだとも思っていた。その自信の裏には最強と詠われる騎馬軍団の姿があったのである…。


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