第ニ章 激震
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三、下吉岡党
下吉岡党の棟梁は吉岡堅桔(かたきつ)という。遠州灘を航行する大名の貿易船などを襲い、金や宝石、武器などを略奪する海賊行為をしていたが幕府の要請を受けた今川家によって主城としていた肥代城を攻められて陥落。南方の灘城で数ヶ月に渡る持久戦の結果、和睦した経緯がある。以後、肥代城が廃城となったため、灘城を拠点として主力2千余人を配置させている。直政が上吉岡家に入る前日の事…、
「ほう、通忠の奴め、わしが攻めると感じたか。で、数は?」
「はっ、すでに朱鷺田城から1千5百程が援軍として来ているようです」
「数だけなら我らと互角となったか」
「はっ、しかし、通忠の悪癖が出たようです」
「わははは…、彼奴は上に立つ器ではないわ」
堅桔は大声で笑った。彼は通忠の傲慢な性格を知る1人でもある。海番頭上条筑前が、
「笑い事ではございませぬぞ。野戦では勝ち目はございませぬ」
と諌めると堅桔も瞬時に真剣な表情になって頷く。
「うむ、1千5百か…。先手を打つ他に方法はないだろうな」
「しかし、本家だけならばまだしも金子勢はまだ先陣のみ。あとどれだけの兵を集めるか…」
「ふむ、奴らは陸地に強い。…ならば…」
「ならば、何とされまするか?」
「金子と盟を組むというのはどうだろうか?」
「それは名案ですな」
「あの金子の強さならば何れ今川をも呑み込むぞ」
しかし、その案は脆くも崩れ去ることになる。
「やはり、そういう事態になったか」
「はっ、当主通忠及び次子忠信は幽閉、代わって嫡子通長が当主となり、末弟直忠を筆頭に家臣団は通長に忠誠を誓い、金子直政が後見を務めるとの事」
「奴の悪癖はとうとう最後まで収まることはなかったな」
「しかし、こうなった以上、何か手を打たなければなりませぬぞ」
「わかっておる。こうなれば一戦交える他方法がないわ。東海の王者ですら滅ぼせなかった我らの力を見せてやるわ。筑前、皆を呼べい!」
「はっ」
筑前が退がると半刻もしないうちに剛勇な武将たちが集まった。堅桔が面々を見渡した後、
「上吉岡の者どもがこの地を攻めるという。皆の者!、我らの恐ろしさを奴らに見せてやろうではないか!」
「おおおおおぉぉぉぉぉ――――――!!!!!」
「直ちに戦の準備にかかれ!」
一斉に家臣たちが立ちあがり、闘気が涌き出がったと堅桔は思った。
(頼もしい奴らよ)
そして、筑前に向く。
「小山にも今川の援軍が入ったらしい。直ちに探れ」
「はっ」
今川勢の小山入城の報せは堅桔の許にも届いていた。
「なかなか、やりおるわい」
抜け目のない策に堅桔は感心した。脇に控えていた二の丸警護役脇坂新吉に言う。
「新吉よ、敵はおそらく手薄な場所を狙ってくるだろう。三の丸に近い櫓全てに兵を配置しておけ。流れが弱い分、攻められやすい」
「はっ、承知致しました。して、殿、陰兵を使ってもよろしゅうございまするか?」
「陰兵か…、不利はこちらにある。構わぬ、やれい」
「はっ」
新吉が退がると堅桔も水軍が出揃っている港へと向かった。
一方、新吉は陰兵と呼ばれる忍び集団がいる海龍丸に近い石櫓に入った。石櫓はその名の通り、岩石でできており、城の要所でもある。石櫓は二層になっており、地下には城よりも広くて長い通路が四方に渡っている。陰兵の棟梁澱嶋左源(おりしま・さげん)は先代から仕える忍びで彼らは遠州の闇に潜む殺戮集団とも呼ばれている。
「久しぶりだな。どうしているかと思っていたぞ。左源」
石櫓の薄暗い一室に左源がいる。光が届かないせいか顔がわからない。他にも数人いるようだ。
「ふん、お前だけだな、そう言ってくれるのは。用件は解っている」
「流石だな、主に嫌われても仕事はきっちりこなすか」
「当然だ、そのために我らがいる。先代からの誓いのおかげだ」
「いつでも行けるか?」
「ああ」
「先手を打って欲しい。やり方は任せる」
「解った。で、どこの城をやる?」
「金子城だ」
「金子…だと!?」
左源は驚きの声をあげる。
「そうだ、本家の後見になっている金子直政の主城を焼き払って欲しい」
「ふん、無理だな」
「何だと!?」
「あそこには亀井左馬介がいる。奴はまだ若いが遠州随一という強さ、襲えば無闇に配下を殺すようなものだ」
「向こうにも忍びがいるのか?」
「そうだ、黒雲の幻斎は知っているだろう?。奴の側近だった男だ」
左源の声は厳しさを物語るかのように低くなりつつある。
かつて、左源の故郷である飛騨にあった陰兵の里は黒雲の一派に襲われて全滅している。左源は弟桐丸と共に仇を討とうとしたがそのあまりの惨さに恐れを成したぐらいであった。村の至るところは血の海と化し、村人はもとより、左源の父母や犬猫の類に至るまで殺されていた。これこそ、真の全滅ではないのか。左源はそう思ったという。故にここにいる陰兵たちが最後の陰兵でもあった。
「新吉よ、亀井左馬介を敵に回すぐらいなら降伏したほうが良い。分が悪すぎる」
「…いや、ここまで来た以上、退くことはできぬ。それに殿にそのようなことを申せば私の命もなくなる」
「ならば、無駄に命を捨てるだけだな。わしはこの件から手を退かせてもらう」
左源がここまで言うことは今までなかったことだ。新吉は左源の言葉を重く受けとめる。
「残るは…、殿を裏切れと申すのか?」
「そうだ、それしか手はない。我らの手で敵を中に導き、水軍を挟み撃ちにすればこの戦は終わる」
「…解った、お前ほどの男がそう言うのだ。確かな事なのだろう。だが内通は誰がやる?」
「わしがやろう」
「解った、こちらも手を打っておこう」
石櫓を後にした新吉は水軍の様子を見ていた堅桔の許へ向かった。堅桔は盛大な船団を意気揚々と眺めていた。
「いつ見ても我が水軍は素晴らしい。これだけの規模は早々見ることはできないな」
「はっ、殿、提案があるのですが…」
「提案?」
「はっ、水陸双方から吉岡城を攻めては如何でしょうか?」
「挟み撃ちにするのか?」
「はっ、あの城の規模を考えると陸からも攻めても支障はないかと思われます」
「しかし、敵の兵が多いぞ」
「我らには陰兵がおります。やりましょう」
「うむ、解った。足軽5百を肥代城に入れよ。あの城はすでに風化しており、無人同然の城、敵も油断するだろう」
「承知しました」
「敵を呑み込んでやるわい!。わははは…」
堅桔はまた大声で笑っていた…。
「殿、敵より内通者が出ました」
左馬介が直政の許にやって来た。誰かを連れてきているようだ。左馬介が敵城へ侵入するのを明日に控えている最中のことだった。
「ほう、向こうにも忍びがいたか」
「はっ、陰兵と呼ばれる忍びにございます。飛騨を中心に活動しております」
「なるほど…、で、内通は誰か?」
直政が左馬介の後ろにいる忍びに聞く。
「二の丸警護役脇坂新吉及び我が主澱嶋左源にござる。すでに呼応する手筈は整っております」
「挟み撃ちか…。下吉岡の主力は水軍か?」
「はっ、堅桔自ら水軍を率いて川を遡り、陸からは5百の兵が肥代に入りました」
「ふむ…、左馬、どう思う?」
直政の意を受けて左馬介が答える。
「殿、罠かも知れませぬ」
「いや、罠であったとしても堅固な灘城に痛手を負わすことはできよう。成功すれば簡単に落ちるであろう。私はすぐに通長殿に会って来よう。左馬介は忠勝の許へ行き、密かに肥代城に進軍するよう伝えよ。水軍が川に入ると同時に事を起こす。陰兵よ、手筈を左源に伝えよ」
「承知しました」
陰兵が去ると左馬介が口を開く。
「殿、左源という男は信用できませぬ」
「何かあるのか?、その左源なる者に」
「奴は殺すことを好み、己の里が黒雲によって滅ぼされたときも左源が先に手を出した経緯があります」
「村でも襲ったか?」
「ええ、黒雲の息のかかった3つの村を皆殺しにしました。かろうじて難を逃れた者の話しでは奴は笑っていたとの事」
「笑っていたとな!?」
「ええ、それ故、奴を恐れる者は多うございます」
「ふむ…、左馬介、陰兵の動きにも目を配ってくれ」
「承知致しました。では、御免」
左馬介もまた直政の許から離れた。
暗雲が立ち込める闇がゆっくりと吉岡全域を覆うとしていた…。
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